マックスと潮、二人が忌雷と出会う物語。

※R-18要素はありません。
 本作は「pixiv」にも投稿しています。

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ありがとうと伝えたくて

 

【挿絵表示】

 

 

 

 駆逐艦Z3。通称マックス・シュルツ。所属、ドイツ連邦海軍。

 深海棲艦との戦争の最中、転生した艦娘の一隻。

 現在は日本へ派遣され、海上自衛隊艦娘艦隊を構成する一隻となっている。

 

 

*

 

 

 短く揃えられたブラウンの髪と、少しつり上がったブラウンの瞳。真白い肌と、華奢な体躯。艦娘として、彼女はそのような姿で転生した。

 仲間からクールと評される冷静で物静かな性格。寡黙で、自らのことをあまり語らない。そんな少女だった。

 

 

*

 

 四月十三日。

 海上自衛隊、佐世保基地。

 基地内に、新しく造られたいくつかの建物がある。それらを総合して、関係者は「鎮守府」と呼んでいた。 

 その中の一つ、工廠の機能を果たしている建物の横を、一人の艦娘が歩いていた。

「……ふう」

 風を白い頬で感じながら、マックスは一つ息をついた。そして視線を佐世保港に向ける。彼女の視界には海水の中へ消えていくコンクリート製のスロープがあった。

 深海棲艦と戦う際、艦娘たちは前線拠点となる護衛艦に乗せられ、戦闘海域へ向かう。したがって、鎮守府に岸壁は備えられていない。

 だが、緊急出撃に備え、岸壁から海へ降りられるよう、スロープが何か所かに設けられていた。

 そのスロープが海水へ消えていく中に――「それ」がいた。

「なに……?」

 海水に浮かぶ黒い球体。緑色の光がともる灰色の突起がいくつか。そしていびつな白い歯が並んだような(あぎと)

 それが何かはすぐにはわからなかった。ただ、それが地上のものではないことは、すぐにマックスも理解した。

深海(ティーフゼー)!」

 マックスは瞬時に手持ちの単装砲を実体化させ、その照準を黒い球体に合わせた。球体は脈打っているが、その動きは弱々しい。一撃で屠れる。マックスはそう確信した。

 半歩ずつ、ゆっくり球体に近づくマックス。単装砲を構えたまま、必殺の距離まで進もうとした。

 灰色の突起が一つ、マックスを向いた。いや、見たと言った方が正しいかもしれない。それが黒い球体の眼であることは容易に想像できた。

「動かないで……!」

 球体まで二メートルほど。マックスは単装砲の引鉄に少しだけ力を込めた。

 不意に、球体の眼と視線が合った。普段の彼女であれば、その視線に嫌悪感と忌避感を抱いただろう。だが、不思議とそんな感覚は湧き上がらなかった。むしろ、憐憫の情さえ抱いていた。

 ――助けて。

 そんな声は聞こえなかった。だが、マックスはそう聞こえた気がした。球体が喋った? いや、そんなはずはない。巡洋艦や戦艦クラスならともかく、小型の深海棲艦から意思を感じられたことなどない。まして、地上のものに助けを求めるなど。

 ――お願い、助けて。

 耳ではないどこかから感じる声。マックスはかぶりを振って、憐憫の情を振り払おうとした。

 だが――彼女は単装砲を撃たなかった。その砲口を下げ、恐る恐る球体に近づいていった。

「……あなた、ことばが解るの?」

 そっと語りかける。球体の口がわずかに動いた。頷いている。マックスはそう感じた。

「あなたは深海棲艦なの?」

 頷く。

「仲間とはぐれたの?」

 動かない。否定しているようだった。

「損傷したの?」

 動かない。

「……お腹を空かせているの?」

 頷く。

 深海棲艦が地上のもののように食事を必要とするかはわからない。だが、この弱々しく脈打つ球体は空腹だと答えた。

 マックスはしばらくそこにたたずんだ。どうしたらいいか、考えていた。

 深海棲艦は駆逐しなければならない。人類の、世界の敵だからだ。それは疑う余地もない。

 だが、この弱った黒い球体はどうだ。マックスに助けを求めてきている。空腹だと訴えてきている。

 罠かもしれない。艦娘にそう思わせて攻撃してくるかもしれない。

 しかし――マックスは耳ではないどこかから感じた声を、何故か信じてみたくなった。

「今はこれしかないけど」

 単装砲を格納したマックスは、制服のポケットに手を差し込んだ。そこから小さな包みを取り出す。包みを開き、茶色の飴玉をつまんで、ゆっくりと球体の口に近づけた。少しだけ開かれた球体の口へ、投げ入れるように飴玉を落とした。球体から聞こえる、飴玉を砕く音。

「それは舐めるものよ?」

 マックスの言うことを理解しているのかいないのか、球体はまた口を開けた。もう一度飴玉を落とすマックス。飴玉を砕く音。

「はあ……」

 マックスはため息をつく。もう飴玉は持っていない。これ以上何かを食べさせるなら、この球体を(おか)に上げるしかない。

「待っていて。何か、あなたを運べるものを持ってくるから」

 

*

 

 しばらく後。

 マックスの姿は船渠が収められている建物の裏にあった。ここはほかに行き場のなくなった資材の保管に利用されているが、それらが使われる様子はなく、言ってしまえばガラクタ置き場の様相を呈していた。

 周囲を見渡し、誰の姿もないことを確かめたマックスは資材の陰に入り込み、不自然に膨れ上がった大きなトートバッグを置いた。その中から黒い球体を取り出す。

 まじまじと球体を見つめるマックス。眼が五つに大きな口、そして四本生えた灰色の触手。奇怪と言えば奇怪な姿だ。だが、そこに奇妙な愛嬌を感じたマックスは、使われなくなった古い装甲板の上に、そっと球体を置いた。まだその動きは弱々しい。

 もう一つのトートバッグから、酒保で買った菓子やパンを取り出す。それらを差し出すと、球体はあっという間に食べ尽くしてしまった。

「少しは落ち着いたかしら」

 球体は頷いた。

「そう」

 マックスはトートバッグを丁寧にたたみながら、短く答えた。

 この球体をどうするか、彼女は考えた。食べ物まで与えておきながら、この球体を破壊するのは気が進まない。かといって、深海由来と思われるものを無許可で鎮守府に持ち込んだことが知られたら大騒ぎになる。マックスは処罰されるかもしれない。

「……しばらくはここにいなさい」

 この球体をどうするか、結論は少し先延ばしにする。ここなら雨風もしのげるし、人目にもつきにくい。マックスは立ち上がり、球体を見た。球体は自身を触手で支えながら、少しだけ口を下に向けた。まるでお辞儀しているようだった。その様子がおかしくて、マックスはわずかに表情を緩ませた。

 

 

*

 

 謎の球体を鎮守府に持ち込んでから数日が経った。

 訓練と座学、休息の合間に資材置き場へマックスは足を運んだ。トートバッグの中にはいつも菓子やパンが入っていた。

「あれ、もしかして食事が足りてないのかい?」

 酒保で何回か出会った時雨にそう訊かれたこともあったが、マックスは「育ち盛りなのよ」とごまかして球体のところへ急いだ。

 ある雨の日。球体のとなりに腰を下ろし、本に視線を落としていたマックスは、不意に背中を触られた。

「何?」

 球体は五つの眼で何事かをマックスに伝えようとしていた。何故だか、名前を聞かれていると思った。

「そういえば、名乗ってなかったわね。……駆逐艦Z3。マックス、でもいいけれど」

 何度か頷くような動きを見せる球体。どうやら、本当にマックスの言うことを理解しているらしい。

「……あなた、名前はあるの?」

 球体は動かなかった。否定している。

「そう、ふーん」

 この球体を「あなた」としか呼んでいないことにマックスは気づいた。そして、奇妙なことを思いついた。

「いいわ、名前をつけてあげる。あなた、女なの?」

 動かない。

「じゃあ、男?」

 頷く。こんな物体に性別があるのか少々疑問を抱いたが、本人がそう言うなら、この球体は男なのだろう。

「……エルンスト」

 マックスは呟いた。球体が一度頷く。

「あなたは今日からエルンストよ。いい?」

 球体――エルンストは何度か頷いた。喜んでいるようだった。

 

 

*

 

 そしてまた雨の降る日。

 マックスは合間合間の時間に資材置き場へ訪れていた。エルンストへ食事を与え、その隣で静かに読書する。

 それが、日常のようになっていた。

 本へ視線を落としているマックスの背中に、エルンストが触れた。

「何?」

 エルンストの触手が本を指し示している。

「エルンスト、これに興味があるの?」

 頷く。

「……ふーん」

 自分が読んでいたページを開いたまま、マックスは本を手渡した。日本語の教科書だった。触手で器用に受け取ったエルンストは、五つの眼でじっとページを見つめていた。

 数分は経っただろうか。エルンストの触手がページをめくった。数分、またページをめくる。

 やがてマックスは気づいた。エルンストがページをめくる速さがどんどん上がっていることに。少し唖然とするマックスに、エルンストは本を差し出してきた。手渡してから一時間も経っていない。

「あなた、まさか……」

 エルンストの触手がマックスの背中に触れた。ゆっくりと動く触手。それは文字を描いていた。

 まっくす

 平仮名でそうマックスの背中に触れたエルンスト。マックスはさらに唖然とした。

 

 

*

 

 

 エルンストの学習速度は尋常ではなかった。あの日以来、何十冊もの本を持ち込んでみたが、それらをエルンストはすべて読み込んだ。ドイツ語と日本語の本ばかりだったせいか、エルンストはその二つのことばをすっかり使いこなせるようになった。あるときはドイツ語で、あるときは日本語でマックスの背中に文字を書いた。単語だった文字が、文章に成長するまで、それほど時間はかからなかった。

 そして五月。よく晴れた、少し暑い午後。

 いつもと同じように菓子とパン、そして本を持って、マックスは資材置き場に現れた。古い装甲板の上で彼女を待っていたエルンスト。

「今日はこれよ。物理学(フィジーク)の本」

 エルンストはどこか嬉しそうにそれを受け取った。

「それから……」

 トートバッグに手を差し入れて、マックスは気づいた。もう一冊、書庫から借りた歴史書がない。書庫に置いてきたのかしら。そう思って、マックスは立ち上がった。

「待ってなさい、今、別の本を――」

「あ、マックスさん」

 誰かの声が聞こえた。マックスの意識が急激に緊張する。資材置き場を、長い黒髪と、どこか小動物を思わせるような顔立ちの少女が覗き込んでいた。書庫当番(としょいいん)の潮だった。

「この本、書庫に忘れていきましたよね。探し回っちゃいました。わたし、届けに……」

 潮の表情が固まった。彼女の視線の先にはエルンストがいる。まずい。マックスは瞬時に潮へ飛びかかり、その口を両手で塞いだ。

「……!!」

 マックスの掌を震わせる潮の悲鳴。エルンストはその様子に驚いたのか、装甲板の陰に身を隠したようだった。

 何度か潮は悲鳴を上げ、涙を流し始めた。どうにか彼女の悲鳴を抑え込んだマックスは、声に剣呑なものをにじませながら「静かに」と潮へささやいた。

 やがておとなしくなった潮の口を放し、マックスは自分の唇に人差し指を当て、もう一度「静かに」とささやいた。

「ま、マックスさん、それは……」

 涙を流しながらふるふると震える潮に、マックスはため息をつきながら、今まであったことを素直に語った。

「――そんなことがあったの。わたしもこの子をどうしたらいいかわからない」

 マックスが語り終えたとき、潮は涙こそ止まっていなかったが、どこか神妙な面持ちをしていた。

「そう、なんですか……」

「だから、わたしが深海の手先になったとか、そういうことじゃないから安心して。ただ……」

「ただ……?」

「エルンストを見られた以上、ウシオには共犯になってもらうわ」

 

 

*

 

 五月も半ばを過ぎた頃。

 マックスと潮は、一日に決まって二度、資材置き場へ菓子とパン、本を届けていた。最初はエルンストに怯えていた潮だったが、誰か(主に司令官)へ彼のことを漏らすこともなく、コミュニケーションがとれることがわかると、やがてエルンストを怖がらなくなっていった。エルンストもそんな潮の様子がわかったのか、彼女の背中に触れ、何事かを文字で伝えるようになっていた。

 五月十九日。マックスは訓練中でいない。潮が資材置き場へ菓子とパンと本を持ってきていた。

 空は雲に覆われている。もうしばらくしたら、雨が降ってきそうだった。

「そういえば気になっていたんですけど」

 エルンストの隣に小さく座った潮が、小首をかしげるように彼を見た。

「エルンストくんって深海棲艦……なんですよね」

 エルンストは頷いた。

「その、仲間っていうか、友達とか、きょうだいとかっていないんですか……?」

 エルンストの触手が潮の背中に伸びた。「きゃっ」と声をあげる潮。どうにも、彼に触られるのがくすぐったい。

 いない ぼくはひとり

 潮の背中に、そう書かれた。

「ずっと、ひとりぼっちだったの?」

 そう ぼくがぼくだとわかったとき ぼくはひとりだった

「どこで生まれたんですか?」

 わからない きづいたときには うみをただよっていた

「そう、なんですか……」

 潮は膝を抱えた。艦娘も転生したときは独りだ。だが、鎮守府に保護されれば、仲間や友ができ、やがて姉妹とも再会できる。

 孤独なまま海を彷徨っていたというエルンスト。その孤独を想像して、潮はどこか陰鬱な気分になった。

「寂しい、って思ったことはありますか?」

 少しの時間を挟んで、エルンストの触手が潮の背中に触れた。

 まっくすとうしおがいないときは さみしいっておもう

 

 

*

 

 

 梅雨時に入った、六月の半ば。雨が降りしきる日。

 雨具を着て、いつものようにエルンストのところに向かうマックスと潮。

 そして資材置き場が見えたとき、彼女たちの視界に動く人影が飛び込んできた。白い雨具を着ていたために誰かはわからなかったが、資材の中にそれが入り込んでいくのがわかった。

「だめっ……!」

 マックスは駆け出した。慌てて潮も後を追う。白い雨具の人影にはすぐに追いついた。振り返る誰か。

「あれ、どうしたの、二人とも?」

 少しつり上がった目と鉄色の髪。明石と並ぶ工廠の主と言える軽巡洋艦だった。

「夕張さん?」

「あなた、ここで何をしているの」

 緊張した潮の声と、どこか鋭いマックスの声。夕張はいつも通りの明るい声で答えた。

「ああ、巡洋艦用のバルジがちょっと必要になったの。工廠にはたまたま在庫がなかったんだけど、ここにあることを思い出して……」

 視線を前に向けた夕張の声が途切れた。身体が固まっていた。

 彼女の前には、エルンストがいた。

 

 

 三十分後、締め切られた蒸し暑い工廠に集まった者たちがいた。マックス、潮、夕張。鎮守府の技術主任(テクニカル・オフィサー)である明石。そして彼女たちを預かっている壮年の司令官。

 沈痛な面持ちのマックスと潮。どうしたらいいか困惑している夕張。顎に指を当てて考え込む明石。

 司令官が一歩前に出た。彼の前には小さな作業台があり、その上に黒い球体が載せられている。

「えらく単純な質問なんだが、いいか?」

「どうぞ」

 考え込んだままの明石が答えた。

「これは一体、何なんだ?」

「うーん……」

 明石は即答を避けた。無理もない。彼女の目の前では生きた深海棲艦(と思われるもの)が行儀良く鎮座しているのだから。

「たぶん、機雷の一種かと」

「機雷の一種」

 どこか納得したように司令官は繰り返した。

「知性機雷っていう概念がありまして。簡単に言えば人工知能が組み込まれていて、遊弋しながら対象を識別、攻撃する高コストの機雷なんですけど」

「そりゃあ高そうだ」

「深海にも同じような概念があるんでしょうね。そして造られたのが言わば生体機雷とも言える……えっと」

「あの、エルンストくん、です」

 潮が申し訳なさそうに呟く。明石は「ああ、そうそう」と言ってエルンストの触手を掴んだ。

「これで対象に絡みついて、胴体内の炸薬を起爆させる仕組みなんじゃないんですかね。なんだか吸着地雷みたい」

「なるほど。それで、こいつが一向に起爆する素振りさえ見せないのはどういうことなんだろうな。そもそもマックスに拾われた段階で起爆しそうなものだが」

「まあ、これも推論なんですけど、バグかもしれません」

「バグ?」

 マックスが小さく首をかしげた。明石はエルンストの目をいくつか覗き込みながら続けた。

「バグっていうか、初期不良って言った方が近いかも。この子が知性機雷だとすると、深海の人工知能が組み込まれていると思うんです。どんな言語を使っているのか興味がありますけどね」

 司令官が少しだけ眉を動かしたことに、マックスは気付いた。

「悔しいかな、深海の技術は人類サイドより進んでいる部分もあります。エルンストに組み込まれている人工知能がこちらのものより先進的だったと推測した場合――この子が、自我に目覚めている可能性があります」

「自我……」

 夕張が呟いた。

「そう、自我。多分、深海からしたらイレギュラーな事態なんだと思う。人類サイドの艦船を破壊するために作り出したはずなのに、その任務を果たさないどころか鎮守府に拾われて自我に目覚めた。その上、二人との交流がより強く自我を育てた。……このタイプの機雷はいまのところ確認されていないから、エルンストは初期ロットと考える方が自然。実験的に投入した、初期不良を抱えたままの知性機雷……なんじゃないかなぁ」

 明石はマックスと潮を見た。二人は視線を下げる。彼女たちがしたことは、到底許されるものではないからだ。深海棲艦を見つけたにも関わらず、それを無断で保護し、なおかつ育ててしまった。処罰は必至だ。

「推論ばかりですが、この子は今のわたしたちと敵対していないと考えます、提督」

「状況はわかった」

 第二種制服の襟を少しだけ広げ、司令官はもとより細い目をさらに細めてマックスと潮を見た。

「もし、その機雷に情が移ったというなら、お前たちがしなければならないことは一つだ」

 破壊しろ。そう命令されると思い、マックスと潮は身体を強張らせた。そんな彼女たちの様子を察したのか、司令官は少しだけ表情を緩ませた。

「……海に、帰してこい」

 

 

*

 

 

 あれから、一年あまりが過ぎた七月一日。

 種子島東方沖二〇海里。

 二十四隻のタンカーやコンテナ船、一隻の海上自衛隊護衛艦、そして転生する前の姿となっていた九隻の艦娘が南へ航行していた。

 彼女たちは鎮守府内の符牒でTT輸送船団と呼ばれている。横浜で戦略物資を満載した民間船舶を沖縄・台湾まで護衛するのが彼女たちの任務だった。

 軽巡洋艦阿武隈を旗艦とし、第一水雷戦隊所属の駆逐艦が九隻。その中に、マックスと潮の姿があった。

 ドイツらしく角張ったデザインの船体。駆逐艦Z3。その舳先に立つZ3の本体――マックスは船団の最後尾を航行していた。合成風に髪を揺らされながらも、いつものようにクールな表情の少女。

<……?>

 彼女の視界に、ちかちかと小さな光が見えた。マックスから見て、二時の方向。同じく船団護衛にあたっている潮が、こっそり発光信号を送ってきた。

 ここに来てから エルンストくんのことをずっと考えてます

 マックスは瞳を閉じて、そうね、とだけ発光信号を返した。

 

 

 ――一年前の六月二十九日。演習の名目で屋久島沖までエルンストを連れていったマックスと潮。救命浮輪にありったけの食べ物を詰め込んだ袋をくくりつけて、それをエルンストの身体に結んだ。マックスの腕の中でおとなしくしていたエルンストは何度かマックスと潮を見たが、その触手で文字を書こうとはしなかった。

<許して、エルンスト。わたしたちにできるのは、これが精いっぱい>

 今にも泣き出しそうなマックスが、そうエルンストに囁きかけた。やがてマックスと潮の本体は自らの艦体から海に降り立った。静かにエルンストを見つめるマックス、エルンストを優しく撫でる潮。

 エルンストの触手が、二人の背中に伸びた。

 Es geht mir gut

 ぼくはだいじょうぶ

 そのくすぐったさに、潮は涙をこぼした。マックスはエルンストを抱きしめた。

 その日、その海が、彼女たちとエルンストの別れとなった。

 

 

 意識していないと言えば嘘になる。マックスも、ずっとエルンストのことを思い出していた。

 あの子はどうしたのかしら。今もどこかの海を漂っているの? 深海に帰ったの? それとも――

<全艦に警報! 電探にシュノーケルらしき反応! 方位二一〇、距離一五〇〇!>

<探信儀(ソナー)使用自由! 各個に爆雷戦よーい!>

 船団の左側、東を警戒していた浦風の叫びに近い警告に、旗艦の阿武隈が即座に反応した。シュノーケル、潜水艦だ。

<聴音機起動……>

 マックスは耳を澄ませた。彼女の聴音機はより精度の高い日本製のものに交換してあった。かすかに、魚雷を装填する音、スクリューが泡を潰す音が聞こえる。

<数は……六。群狼戦術(ヴォルフシュルーデルタクティク)の真似事かしら>

 その中の一つが後ろから急激に近づいている。潜水艦とは思えない航行速度だ。

<抜かれる……!>

 マックスがそう呟いた瞬間、彼女の右舷側で水が大量に吹き飛ばされた。沈降した爆雷が炸裂していた。吹き飛ばされた水の向こうには潮がいた。対潜を得意とする彼女が間に合ったのだ。

<大丈夫ですか、マックスさん!>

<あ、ありがとう、ウシオ>

 マックスは短く潮に感謝を伝えた。視線を前に戻すと、ほかの駆逐艦たちも潜水艦を追い回していた。上空から見ればまるで踊るような航跡がわかっただろう。だが、それは必死の踊りだ。一隻でも民間船を喪うわけにはいかない。船と人間と物資を護らなくてはならない。

 対潜戦闘は一時間以上に及んだ。実際に潜水艦を追い回していた彼女たちからすれば二時間も三時間も過ぎていたように感じただろう。艦娘たちが叫び、怒鳴り、悲鳴をあげるたび潜水艦はその数を減じていき――残り一隻になると、自身の不利を悟ったのか、海域から離脱しようとした。

<みんな、ちょっといいお知らせと激しく悪いお知らせがあるわ>

 逃げ惑っていた最後の潜水艦を沈めたジョンストンから、全艦に無電が届く。

<深海の潜水艦は無事制圧完了。それで、悪い方のお知らせね。……統合目標監視攻撃システム(ジェイスターズ)から入電。近海を遊弋していた深海水上打撃部隊がこちらへ接近中。タ級二隻を確認。クレから救援の艦隊と基地航空隊が急行してるけど、到着は早く見積もっても二時間後>

<え、戦艦……!?>

 初雪が愕然とした声を漏らす。それもやむを得なかった。彼女たち水雷戦隊が大型艦へダメージを与えるには魚雷を撃ち込むしかない。しかし、それは相手の警戒を掻い潜れる夜戦に限った話だ。太陽が出ている間は戦艦に近づけない。まして、彼女たちは動きの鈍い船団を護衛しなければならないのだ。

 痛みを伴うような沈黙。それを破ったのは、旗艦の阿武隈だった。

<水偵!?>

 誰もが空を見上げた。漆黒の機影が一つ。やがてその機影は、蜜蜂がそうするように、8の字を描き始めた。その意味を悟った艦娘たちは青ざめた。ここを撃て。そういう意味だ。

 数分後、水が爆発した。八十メートルはあろうかという高さの水柱が四つ。何隻かのコンテナ船が海水をかぶった程度で済んだが、水柱は船団を挟んで屹立していた。夾叉だ。次は当てられる。

 そして水平線の向こうから姿を現す深海棲艦。その数は、目視できるだけでも十二隻。むろん、そのうちの二隻は戦艦だ。

<衝撃に備え――>

 阿武隈が叫ぼうとしたとき、空を見上げたマックスには見えた。高空から落ちてきた二つの、黒い、何か。それが砲弾だと、自分と近くにいた潮を吹き飛ばすには十分な運動エネルギーを持った戦艦の砲弾だと気付いたときには――

<……あ>

 マックスの視界が真っ暗になった。そして聞こえる二つの炸裂音。伝わる振動。

 そうか。わたしは、撃たれたんだ。マックスはそう思った。痛みはなかった。衝撃もなかった。ただ、暗いだけで――

<マックスさん!>

 潮の声が聞こえ、マックスは目を開けた。生きている。彼女は生きている。傷一つ負っていない。

 やがて、マックスは視界を、空を遮っていた何かに気付いた。灰色の、大きな触手。それが、マックスと潮を吹き飛ばすはずだった砲弾を受け止めていたと理解するには、少しの時間が必要だった。

 触手がゆっくりと動く。やがていくつもの巨大な触手が海面に姿を現し、艦娘たちを、船団を覆った。まるで障壁のように。

 再び降り注ぐ深海の砲弾。それらは触手に阻まれ、破片一つ船団に当たることはなかった。タ級たちが接近してきたのだろう、砲撃は激しさを増したが、それでも触手はその内側にあるものを護り抜いた。

 やがて不自然な静寂が訪れた。艦娘たちはなにが起きたのかわからなかった。

 ただ――マックスと潮は、何かを感じ取った。この触手を、見たことがある。

 触手たちが海面に戻っていく。それと入れ替わりに、海が少しずつ盛り上がり始めた。やがて、水の下からゆっくりと何かが姿を現す。

 それは、ゆうに二〇〇メートルを超えようかという、巨大な黒い怪物だった。二つ並んだアンモナイトのような胴体と、それから生えた無数の触手。胴体の下部には、目と口が逆さまについたような異形の頭があった。

 艦娘たちは凍り付いているかのように動けなかった。マックスと潮を除いて。

<まさか……まさか……!>

 怪物の頭に埋め込まれたような何かに、潮が気付いた。小さな、赤と白の救命浮輪。

<……エルンストなの?>

 怪物の顎がわずかに動いた。肯定している。あのときのエルンストと同じ。

<エルンスト、エルンスト……!>

 マックスがエルンストへ近づいていく。それに続く潮。だが、二人の前に、小さな触手が二つ、姿を現した。Xの字を描くように触手が重なる。

 これ以上近づいてはいけない。そう言っているようだった。

<エルンスト……>

 二人を阻んでいた触手が動き、そっとマックスと潮の腕に絡みついた。愛おしそうに触れるマックス。

<無事だったのね。よかった>

 触手が二人の背中に触れる。

 

 Es geht mir gut

 ぼくはだいじょうぶ

 

 あのときと同じことば。マックスの(まなじり)に光るものが浮かんだ。

 そして、エルンストの触手が、また別のことばを伝えてきた。

 

 Als wir uns verabschiedeten gab es etwas das ich dir nicht gesagt habe

 おわかれのとき つたえていないことがあったんだ

 

 Vielen dank Meine wertvollen Freunden

 ありがとう ぼくのたいせつなともだち

 

 エルンストは大きな触手で、繊細に、二人の背中へそう触れた。

<ああ……!>

 涙をこらえきれなくなったマックスがエルンストの顔へ両腕を伸ばす。だが、あともう少しで彼女の指が触れそうになったとき、エルンストはそっと離れた。

<エルンスト!>

<エルンストくん!>

 マックスと潮の声に、エルンストの目が一度だけ瞬きした。さようなら。彼の瞳は――そう言っていた。

 エルンストは波を起こしながらマックスたちに背を向けた。巨大な、あまりにも巨大な黒い背中。そして海中から突き出した無数の触手と、大口径の連装砲を埋め込んだ二本の腕。今、彼は同族である深海棲艦へ牙をむこうとしている。友と呼んだ二人の艦娘と、その後ろにいる者たちを護るために。

 深海艦隊が動いた。彼女たちからしてみれば、エルンストは裏切り者に違いなかった。艦娘どもの前に貴様を潰す。深海のことばを理解できれば、タ級がそう叫んでいたことがわかっただろう。

 だが、エルンストは怯まない。砲弾の雨と無数の魚雷を受けてもなお、その場を退かなかった。大口径の連装砲が砲弾を放ち、一隻のネ級を粉砕した。

 それが深海艦隊の怒りを買ったようだった。エルンストへの砲撃は激しさを増し、アンモナイトのような装甲板が剥がれ始める。吹き出す重油のような血。やがて、要塞のようだったエルンストの身体が傾き始める。それでも触手と連装砲による反撃をやめないエルンスト。やがて深海の重巡が、軽巡が、駆逐艦がその数を減らしていき、一隻のタ級が爆発、横転した。

<もういい! もういいのよ、エルンスト!>

<エルンストくん、やめてくださいっ!>

 マックスと潮は必死に呼びかけた。だが、エルンストは振り返ることもなく、傾斜したまま、半壊した連装砲の腕で残っていたイ級を叩き潰した。

 そして――すべての触手が力なく水へ落ちていき、エルンストは横転し、沈んでいった。

<いやああああああああああああああ!!>

 絶叫しながらエルンストへ手を伸ばすマックス。だが、その手が届くことはなかった。

 エルンストが沈んだ波の向こう、中破したタ級が残っていた。艦橋と一体化した白い髪の女が笑う。もう邪魔者はいない、と言うように、生き残っている主砲をマックスへ、船団へ向けた。

 次の瞬間、轟音とともに灰色の触手がタ級を貫いた。真っ二つに折れ、急速に沈んでいくタ級。そして、触手も、最後の力を使い果たして沈んでいった。

 夕暮れに染まり始めた海の上。

 ただ、マックスと潮の泣き声だけが聞こえた。

 

 

*

 

 

 八月。

 蝉が鳴き、容赦ない陽光が降り注ぐ朝。

 あの資材置き場に、マックスと潮の姿があった。

 資材置き場はそのまま。ただ季節が過ぎ、エルンストの姿もなかった。

「……ねえ、ウシオ」

「はい?」

「……いえ、なんでもないわ」

 マックスは静かに目を閉じ、エルンストのために祈った。

 今日も暑くなりそうだった。

 

 

*

 

 

 戦後、公開された鎮守府に関するいくつかの文書。その中に司令官が統合艦隊司令部に提出したレポートがあった。

 深海棲艦の動向とそれに対する対処の方針をまとめたレポートであったが、その最後は以下のような文章でまとめられている。

 

 

 たった一発の知性機雷が、戦艦をはるかに上回る戦闘能力を持つ個体に成長しうる。これは我々人類に対する脅威が増したことを意味する。

 それと同時に、今まで不可能と思われていた深海凄艦との意思疎通の可能性、それを今回の事案は指し示したものと考えられる。

 恐らく今回の戦争は短期にせよ長期にせよ継続される。だが、人類はこの事案を一つの希望としなければならない。


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