あなたのこと、好きだよ。そう言った次の日、彼女は死んだ。   作:ルヴレ

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君を好きになりたい

 

 

「君は、君の好きなように生きればいい。誰も、君を縛る権利は持っていないだろ」

 

 そうあなたに言われて、私がどのくらい救われたのか、あなたは理解していなかっただろう。

 私はその日、自ら命を断つつもりだった。けれど、あなたのその一言で、私は立ち止まれたのだ。

 

「もう少しだけ、頑張ってみよう」

 

 そう思わせたことの凄さを、あなたは知らない。そして、あの時私に声をかけたことを、あなたはきっと忘れているだろう。だとしても、私はあなたのことを二度と忘れない。

 だって、あの瞬間、二度と目覚めないくらいに深く、あなたに恋をしたのだから。

 

 

 

 

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 蝉の声が、耳を塞ごうとも意味がないほどに、鳴り響いている。空は、これ以上とない快晴。夏の強い日差しが痛く、風は湿っぽく暑い。

 私は、その空気を吸った途端、身体中の水分が全く無くなったような気がして、唾を喉の奥に流し込んだ。

 

「う……あ」

 

 私は、自分のお腹をさすった。血は、出ていない。傷は一切の凸凹すらもなく、消え去っている。

 まるで、あのことが夢だったかのように。けれど、激痛はまるで夢が続いているかのように、止まってくれない。

 

「……あお?どうしたの」

 

 友人は、突然立ち止まって呻き始めた私を怪訝に思ったらしい。私は「心配しないで」と言ったつもりだったが、飛び出してきた肝心な言葉は、それと大きく似つかないものだった。

 

「――ごめん、一人に、させて。今日は先に帰ってくれないか」

「え、いや、わかったけどさ。なんでなの」

「ごめん、本当に答える余裕がない」

「は?厨二病か何か?」

 

 私は、友人の問いを無視して、その場に座り込み、口元を手で覆った。そうしないと、今にも胃の中のものを全て吐き出してしまいそうだった。

 

「本当なんなの。感じ悪くない?」

 

 友人は、そんな私を見かねたのか、早足でその場を立ち去って行った。

 

「あれ……は。なんだった」

 

 私は一人になってようやく、ひと息をつく。

 

 二回目のループ。最後に私は、西田に殺された。しづの話をした途端にアイツの様子は、変わった。慌てて、激昂して、そして私を恐らく口封じに殺した。

 あの、恐ろしい激痛は、忘れられなかった。しづは、あの痛みを味わっていたのだと思うと、あまりにも救われない。

 

「……感情論はいい。それよりも、状況を整理しなくては」

 

 ――二回目のループで、しづは母親のせいで自殺したのだと考えていた。

 でも、恐らく違った。確かにしづは苦しんでいたが、自殺するほどには見えなかった。私が思っていたよりもずっとしづは大人で、そう言うものだと割り切っているように見えたのだ。

 しづを殺したのは、恐らく西田だ。しづの友達だと口に出した途端に豹変したのだから、しづに対して後ろめたい事情を持っていることは、間違いない。

 

 なら、西田を見張ればいい話ではないか。そう、安直な考えが脳内をよぎるが、何かが引っ掛かる気がして、私は首を横に傾げる。

 何か、重要なことを、見逃している気がした。まるで、そもそもの前提が間違っているような……そんな気がする。あまりに、理論が組み立てられていない考えだ。本来なら、嫌う思考ではあるが、こう言った本能的なものも、案外馬鹿にならないのだ。

 

 仮に、私が何かを見逃しているのなら、何を見逃しているのだろう。

 

「――あおちゃんっ!」

「……ん?」

 

 私が、地面に蹲りながら考えていたら、誰かにそっと頰に触れられた。

 ひんやりとした手の感触が、ほてった頰を冷やしてくれる。その手の温度と、鈴を転がしたような声で、誰が私の頰に触れているのか、すぐにわかった。

 

「どうしたの、体調が悪いの?あ、いや、悪いよね。えっと、こう言う時はどうすれば……あ、そうだ!AED!」

「……やめろ。私、死ぬぞ」

 

 私を電気ショックで殺すつもりだろうか。私は呆れて、頰にあるしづの手を取った。

 

「しづ」

 

 しづの手を握った途端に、制御できないほどの感情が脳内を行き交った。

 しづは、不思議そうな顔をしながら、胃もたれしそうなくらい甘い、あの瞳で私をのぞいてくる。前までは、この目を向けているのは、しづだけだと思っていた。けれど、きっと私も――。

 

「西田に、近づいちゃ、ダメだ。近づいたら、しづが、死ぬ」

 

 気づいた時には、私は勢いよく立ち上がって、しづにそう言っていた。

 私は、ハッとして口を押さえる。きっと、おかしなことを考えていると、思われるだろう。

 

 けれど、しづは驚いた様子もなかったし、不思議そうにすることも、一切なかった。

 ただ、まるで知っているとばかりに、ふわりと小さく微笑むだけ。その微笑みに、どこか苦しそうな色が見えるのは、私の勘違いだろうか。

 

「――――しづは、知っていたのか」

「ふふ、どうだろうね」

 

 しづは、曖昧に返事を返す。知っていないなら、驚いたり、不思議がったりするはず。この反応は、知っていたと言っているのに、等しい。私は、思わずしづの肩を掴んだ。今度こそ、しづは驚いたのか、目をほんの少しだけ大きくさせた。

 

「知ってるなら、なんで生きようと思わないわけ。なんで、なんでしづは何もしない。死を享受でもするつもりなの?バカ。ちょっとは、生きようとしてよ」

 

 珍しいくらいに、大きな声で叫べば。しづは、目を細めながらまた、笑った。

 どこか諦めたような、そんな笑いだった。

 

「だって、もう、何もできないから」

 

 しづと、目が合う。

 黒い。私は言葉が出なかった。あまりにも、暗くて、まるで死んでいるようで、何もかもを映さない。この世の闇や黒い部分を全部詰め込んで、さらに限界をこえて押し込んだみたいな、そんな色をしていた。その色に、私は目を惹きつけられて、しばらく呆然と固まっていた。

 

「何も、できないって、それってどう言う――」

 

 体を固まらせたまま、ひとりごとのように、私はしづに尋ねかける。けれど、途中で言葉を止めた。

 しづに言葉の意味を尋ねる前に、しづは瞬きをした間に消えていたからだ。幻のようだが、頰に残る冷たい感触が、今のは幻覚ではないと、主張する。

 

「何もできない……そんな状況は、あるのか」

 

 しづ本人に聞くことは叶わなかったので、自分で考えてみることにする。きっとこれは、しづを救うための、大きなヒントだ。しづは、わざと私にヒントを与えてくれたのだろう。

 けど、何も、思いつかなかった。生きたくても、何もできない、そんな状況が。

 しづもループをしていて、自分の人生を変えようとしたけど、無理だったとか?考えてみるが、それだったら、「何も、やれることはない」や、「何も、思いつかない」と言うはず。

 

「何も、できない」それには、当てはまらない。だって、やれることは、探せばなんだってあるはずだし、流石に、誰かに助けを求めるはずだ。

 それこそ、物理的に、何もできないんじゃないか。その結論に至る。それを掘り下げれば、しづの言ったことを、理解できるはずだ。

 

「関係がらありそうなのは……やっぱりドラム缶か。あれは一回目のループでも見たし、二回目のループでは西田が持ってた。あれの中身は――なんだったんだ」

 

 あれの中身を見ようとした途端、しづは私を止めてきた。正確には声をかけてきただけだが、あのタイミングの良さは、間違いがないだろう。中身を見られたくなかったのだ。恐らく、あれの中に、何かがあった。

 

「それに、ホテルでもおかしかったな。ホテルのスタッフが、二人で来ているのに、わざわざ勿体ないなんて言って、一部屋にしてきたのもおかしかった。それから、しづの分の朝食がなかったのも。

 ――これって、まるでしづがいなかったみたいな……いや、それは、ないはずだ。それなら、さっきのしづの手の温度が残っているのも、おかしい」

 

 私は、集中させるために、頰に手をやった。すると、ひんやり冷えていた頰が、手の温もりで、ほかほかと温まった。しづの手の冷たさが、余計に強調される。

 ……冷たい?私は、思考を一度ストップして、一つの事項に着目する。今まで、気づいていなかったけど、しづの手の温度は、夏にしては明らかにおかしかった。

 

「ああ、そうだ。しづの手は、いつでも冷たかった」

 

 私は、その手の冷たさで、嫌な結論が思いついてしまう。

 

 今までのしづの行動や、さっきの言動にぴたりと当てはまる、結論を。

 こんな、非現実的な結論、あり得ない。そう思いたいが、ループというひどく非現実的な出来事に巻き込まれているせいで、完全に否定できない。

 まさか、しづはもう死んでいたなんて、そんなこと、あるわけがない。

 

「……確かめなければ」

 

 私はずっと止めていた、足を進める。

 行き先は、もう決まっていた。

 

 

 

 

 

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 ジリジリと日差しが、肌を刺激する。こんな時に限って、今日、明日と猛暑日だ。

 私は、一つの家の前で立ち止まっている。私の手には、護身用のカッターが握られていた。

 

 私の目の前にある家からは、大量の煙がもくもくと出ている。煙は、何かが焼き焦げるような、そんな嫌な匂いを発していた。私は、正面から入ろうとして、止める。

 ――庭が、ガラ空きだ。庭には、見たことのあるドラム缶があるだけで、小さな柵こそあるものの、問題なく入れそうだった。

 

 ただ、そのドラム缶から煙が出ているせいで、鼻が曲がりそうなくらいに焦げ臭かった。

 私は、顔を顰めながら、ドラム缶に近寄る。何か、黒いものが入っていた。ただ、炭のようになりかけていて、それが何かの判別が難しい。

 

「……あ」

 

 けれど、私は見つけてしまった。

 燃える火の隙間に、ほんの少しだけ見えた、人の手を。

 

 その手を、私は散々見たことがあったし、何度も触れた。ひんやりしていたから、海水浴をした時には、氷代わりに使ったりもした。その手は、ゴツゴツとした私の手と真反対に、華奢で、細くて、今にも折れそうだった。だから、手を繋ぐ時、ちょっとだけドキドキしたりもした。

 それが、今は黒ずみになって、燃え上がっている。

 

「……気色悪いな」

 

 私は、ドラム缶を蹴り飛ばした。綺麗なあの子の手を、少しでも早く守りたかった。汚されるのが、嫌だった。

 けれど、ドラム缶から出て来たのは、手だけじゃなかった。

 

 黒ずんだ、人間。顔の判別はできないほど、焦げて燃えている。その骨格は、一眼で女の子だとわかるくらいに、華奢で。

 ドクン、ドクンと心臓が脈打つ。死んで、いる。目の前の人は、海上しづは、もうとっくに命を散らしている。

 

 海上しづは、三日後に死ぬんじゃない。三日後に、死体が発見されるだけだ。

 私がループを開始するときには、とっくにもう命を散らしていたのだ。私が見ていたしづは、幽霊だった。

 

 私が立ちすくんでいたら、後ろから焦ったような怒鳴り声が、聞こえた。それが、私の意識を現実に引き戻す。

 この声、間違いがない。

 

「なんだ、お前!勝手に……中身を見やがってッ!警察に通報する気……ひっ」

「お前は、海上しづを知っているか」

 

 私は迷わず、背後にいる西田に、カッターナイフを向けた。そして、勢いよく飛びかかり、首元に刃を突きつける。無様に、西田は地面に転がった。

 この前は、やられたけど、今度はこっちの番だ。私は歪んだ笑みを浮かべた。

 

「答えろ。海上しづに、何をした。言わないなら、殺してやる」

「そ、そんなに、怒るな。き、きちんとした、事情があるんだ。俺はな、しづちゃんと、両思いなんだよ」

 

 西田は、ポツポツと冷や汗を流しながら、語る。暑い外気のせいで鉄板のように熱いアスファルトに、汗が滴り落ちて、すぐに乾いていく。

 両思い。それを本気で言っているのだとしたら、あまりにも馬鹿げている。私は、ありえないことを言い出した西田の首をカッターで刺しかけた。が、なんとか理性で抑えて、ほんの少しナイフを食い込ませるだけで、止まった。

 西田の首元から、少量の赤が流れて、汗と混ざり合う。

 

「しづちゃん、日が明けたばかりなのに、この辺りを制服で歩いてたんだ。それってつまり、俺のことが好きなんだよなぁ。アピールして、俺に毒親から助けて欲しかったんだよな、奪って欲しかったんだよな」

 

 西田は、引き攣りながら笑った。

 

「だから、しづちゃんの初めてを奪ってあげたのに。しづちゃんが、逃げようとするんだから、つい殺しちまった。女の子は、キスしたら喜ぶって聞いたのによ、なぜか嫌がったんだよ。おかしいだろ、両思いなのに。

 ひ、ひひっ、別に俺、悪くないよな。逃げようとするしづちゃんが、悪いんだよ、そうだ……ろ……」

「死ね」

 

 私は、迷わず西田の右目にカッターナイフを突き刺した。

 西田は、声にならない悲鳴をあげる。

 

 それなら、一回目のループの海水浴で見た、あの赤い虫刺されは。

 こいつが、つけたのか。こいつが、しづを犯した挙句、殺したのか。しづの目が最後に映したのは、こいつの姿なのか。こいつの目が、しづの最後を唯一見つめたのか。

 

 気に入らない。とにかく、気に入らないし、気持ちが悪かったし、許せなかった。

 彼女の視界を、私が独占したかった。彼女の死を見守るのは私がよかったし、彼女の唇を最初に奪うのも、私がよかった。

 独占欲に、脳内が満たされる。その分だけ、西田を許せなく思った。

 

 私は、何度も何度も西田の首を刺す。西田が全く動かなくなっても、私は無言で西田の首を刺し続けた。

 

「あおちゃん……もう、辞めて」

 

 数時間も経ったように思えた頃だった。

 ひんやりした手が、私の頰にまた触れる。ふんわりとした、甘い香りが血の匂いに包まれたこの場で、酷く浮いていた。

 

「止めるな。君は、自分がされたことを分かっているのか。これは、正当な復讐だよ」

「うん、でもね、あおちゃんに、手を汚してほしくないの」

「それなら、どうしてずっと黙っていた。どうして、先に死んでいると、教えてくれなかったわけ」

「――――だって、生きたかったんだもん」

 

 淡々と背を向けたまま、やり取りを続ける。私の手はすっかり血に染まっていて、あたりにはむせ返るほどの血の匂いが充満していた。しづの甘い香りも、血の匂いが全て飲み込んでしまった。

 

「もっと生きて、あおちゃんと過ごしたかった。死人として扱われたくなかった。生きている人として、隣に立ちたかったの。

 ごめんね、あおちゃん。私があなたを好きになったばかりに、こんなバカみたいな、人生の延長に巻き込まれた。もう、辞めるから。潔く、次のループで地獄に行こうと思う。

 安心して。あおちゃんが、西田さんを殺したことも、全部無かったことになるから。迷惑かけてごめんね。今までありがと――」

「――――しづ、君はわかっていない。ああ、それはもう、全く分かっていない」

 

 私は勢いよく後ろに振り向いて、立ち上がる。ポタポタと、返り血がアスファルトに落ちていく。

 私は、しづの肩を強く掴んだ。強く掴んでいるのに、しづは痛みを感じている様子はない。痛覚は、もうないのだろう。

 

「私は、君の人生の延長に巻き込まれたことを全く迷惑に感じていない。勝手に決めつけないでくれない?それに、君が起こしたループなら、しづが死ぬ前に戻ることは、できないの?まぁ、無理だから、戻ってないんだろうけど」

「できるよ。私はいつでも、生き返れる」

 

 私は言葉を止めて、目を限界まで大きくさせた。しづは、穏やかに微笑むだけだ。

 しん、と場が静まり返る。ぽたぽた滴る血の音と、微かなそよ風の音が、嫌に大きく響いた。

 

「じゃあっ、どうしてそれをやらないっ!」

「だって、私、必要なかったから」

 

 しづは、困ったように、へにゃりと笑った。

 

 もしかして、しづは今、うまく笑えていると思っているのだろうか。だとしたら、それは間違っている。

 私は、しづの目から溢れていく涙を、そっと拭った。しづは泣いていると思わなかったのか、ぱちぱちと瞬きをして、それからまた、「幽霊も泣くんだね」と、目尻を下げた。

 

「期待なんて、もう辞めたはずなのにね。私、ちょっと期待しちゃったんだ。

 流石のお母さんも、私が死んだら泣いてくれるって」

 

 しづの髪を、そよ風が揺らす。しづは、髪を耳にかけた。その仕草一つにさえ、今の私はひどく吸い寄せられる。

 

「お母さん、私が死んでも、悲しんでくれなかった。それどころか、今度は散々邪険にしていた弟を、私みたいに扱い始めたの。お母さんの理想を、次は弟にぶつけて、まるで私はいなかったみたいに過ごしてた。

 

 私、お母さんに愛されてたから、たくさん英才教育を受けてたんだって、信じちゃってた。でも、違ったの。

 お母さんは、私が好きなんじゃない。子供を愛する、自分が好きなだけだった」

 

 一回目のループ。あの時、葬式はやらない、と話をされたのをよく覚えている。

 あれは、しづの母親が決めたのだろう。娘の命が散った途端、きっと娘に対する興味を一切失ってしまったのだ。

 死んでしまったら、これ以上愛することもできないし、理想を押し付けることもできない。しづの母親にとって、しづは自分が良き母親であるための、道具でしかなかった。

 

「お母さんには、もう期待してないつもりだった。でも、やっぱりお父さんの浮気が発覚する前の、優しいお母さんが忘れられないの。昔のお母さんに、戻って欲しかったし、まだちょっとだけ、優しいお母さんは残ってると思ってた。そう信じたかったの。

 信じてたから、こんなに辛いんだけどね」

 

 しづは、もう笑みを浮かべる余裕すらもないようだった。

 唇の先は、全く上がっていない。だからといって、下がっているわけでもなく、無を浮かべていた。

 

「死んでから、気づいちゃったの。私、友達もまともにいないし、家族からも道具みたいに思われてて、誰も私がいなくたって、困らないって。誰も私を必要としてないなら、もう生きてる意味なんてないって、思った。だから、もういい……の――――」

 

 気づいた時には、私はしづの唇を奪っていた。

 

 しづの柔らかい唇の感触を、直に感じる。初めての口付けは、まるで冬にしたみたいに、ひんやりとしていて、私のせいで血の味がした。けれど、嫌な感じは全くなくて、それどころか、心臓がありえないほど、高鳴った。

 しづは、涙を流したまま、真っ赤になって固まっている。目はうるうると、熱と涙で潤んでいる。

 数秒口付けをしてから、ようやく私は唇を離した。

 

「もういいとかっ、誰も必要としてないとかっ、そんなこと二度と言うなっ!」

 

 吐息がかかるくらいの至近距離で、私は叫ぶ。

 しづは、目を大きくさせたまま、ポロポロと涙を流した。その涙は、どんな意味の涙なのか、私にはわからない。突然叫ばれて、怯えたかもしれない。けれど、ここで言わないわけには、いかなかった。

 いや、正確には、ストップもかからないほどに、私は理性を無くして、頭の中を怒りに染めていた。

 

「必要としてない?そんなことない。目の前にいる私が、見えないのか!勝手に死んでいかれて、せっかく助かるのに命を粗末にして、それで置いていかれる私の気持ちを、考えてよ!私は君を守ろうとしてた!それなのに、死んでいい?そんなわけないに決まってる!なぜ君を助けようとしたのか、わからないのか!

 私は、しづを、必要としてるんだよ!」

 

 全てを一息で言い切って、私は荒い息を吐き出した。私の荒い息だけが、響く。この辺りは田舎なせいで、人は全くいなかった。

 しづは、どう言えばいいのかすらも、わからなかったのか、ただ至近距離のまま、立ちすくんでいた。涙は枯れてしまったのか、もう流していない。そのせいで、感情が伺えなかった。

 

「……どう、して」

 

 しづは、絞り出したようなか細い声で、つぶやく。ここまで至近距離でも、しづの吐息は一切当たらない。

 

「どうして、あおちゃんは、私が必要なの」

「……思ったより、しづは鈍いんだね」

 

 私は、呆れた顔でため息をつく。しづは、どうしてため息を吐かれたか、よく分かっていないようだった。

 私はしづの瞳をまっすぐに見つめて、それからほんの少しだけ目尻を下げた。

 

「君が、好きだからだよ」

「………………え」

 

 しづは、間抜けな声をあげて、ポカンと口を開いた。はくはくと、空気だけを吐き出している。それから、どんどんと顔を赤くさせて、やがて手を口元に当てて、手で頬をつねり始めた。

 私は、小さく笑いながら、頬をつねるしづの手を、そっと取った。

 しづは、リンゴのように顔を赤くしていた。

 

「私は、君に向けるこの感情を理解していなかった。しづを見ると、心臓が高鳴るし、君が心から笑えば、なんだか嬉しかった。それに、君が傷付けば、私は君をどんな手を使ってでも助けたくなるし、君に最初に口付けるのも、本当は私がよかった。

 ここまでヒントはあったと言うのに、私はこの感情に名前をつけることができていなかった。

 

 でも、ようやく分かったよ。私は、君に恋をしている。    しづが、好きだ」

「……ずるい。ずるいよ、あおちゃん。私、もうこの恋心を殺そうって、思ってたのに」

 

 しづは、掴まれた手を、今度は自分から握った。強く、強く握られる。ひんやりとした感触さえなければ、彼女はまるで生きているようだった。

 

「だって、女同士だよ。あおちゃん、そもそも恋愛なんて興味無さそうだし、女同士なんて、もっと、可能性ないと思ってたんだもん」

「私の肉体は、確かに女性だけど。私の心の性別は、自分でもわからない。区別を、つける必要性も、感じていないからね。私は速水あおだ。それ以上でも、それ以外でもない。君が性別を気にするなら、私はこれを断言しておくよ」

「じゃ、じゃあ。わ、私、汚れてるよ。全部、奪われたんだよ……?」

「なら、私が全部上書きするよ」

「……う。私、もう死んでるんだよ!死人と付き合うなんて、嫌に決まって……」

「嫌じゃないよ、君が君である限り。それに、しづは生き返れるんでしょ。そんなの言い訳にすらならない」

「それならっ、私が生き返ったら、あおちゃんはループしてた間のことを全部忘れるなら、どう」

 

 こちらを見つめるしづの目は、慎重だった。

 その返答は予想外だったが、私は全く迷わずに、言うことが決まった。

 返答を待つしづは、緊張しているようだった。私は、そんなしづが可愛らしくて、つい小さく唇にキスをした。そして、ぎゅっとその細い華奢な体を、抱きしめる。

 しづは、二回目なのにも関わらず、一回目のように、顔を真っ赤にさせた。

 

「それなら、もう一度しづのことを好きになるよ」

「私を生き返らせないって選択肢はないの?」

「ない。私は何よりも、好きな人に生きて欲しいと思う。それに、私は、しづを縛り付けたいわけじゃない。しづに、愛を与えたいだけだから」

 

 しづは、ぎゅっと強く唇を噛んだ。それから、またポロポロと涙を流し始めた。

 私は、なぜ泣いているのかすら、わからないまま、あやすようにしづの背をそっと摩った。しづは弱々しくて、でも叫んでいるような、そんな声でぽつぽつと話す。私の胸に顔を押し付けているせいか、声は少しくぐもっている。

 

「私……も。私も、あおちゃんが好き。大好きなの。一緒に、生きたいよ……。でも、時間を戻したら、あおちゃんが、忘れちゃうから……私のこと、好きじゃなくなっちゃうから……。辛いよ。嫌、だよ……。もう、私をひとりにしないで……」

「――はは、そっか。しづを好きじゃなくなる……そうか。なら、その時は」

 

 しづが言ったことは、本当なのだろう。けれど、しづはとんだ勘違いをしているようだ。

 私は、きっとおかしそうに笑っていることだろう。しづは真面目に受け止められていないと思ったのか、ぷくっと頬を膨らませている。

 

「それに名前をつけるのなら、何が正しいと思う、と尋ねて欲しい」

「え?それってどう言う意味なの?」

「未来の私がきっと教えてくれるよ」

 

 私が珍しく柔らかく微笑めば、しづは、こくりと小さく頷いた。疑う様子は、一切ない。心から、私を信じてくれているようだった。

 そして、今度は自分から背伸びをして、口付けをしてくる。小さな音がして、しづの顔が、一気に近づいた。

 

「また、私のことを好きになってね」

 

 ――――その途端。私の意識は一気に朦朧としてくる。時間が、戻るのだ。私はポケットの中のビー玉を強く握った。もし、しづを傷つけてしまったらと思うと、ひどく不安になる。

 けれど、例え忘れたとしても、私がしづを好きじゃなくなることはない。

 だって私は――――。

 

 

 

 

 

✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎

 

 

 

 

 

 ぱちり、と目が覚める。アラームの音は、鳴っていなかった。もしや、アラームがすっかり鳴り終える頃に、起きてしまったのか。

 不安に駆られた私は、急いで時計を確認した。そして、あまりに珍しく早起きしたことに気づいて、小さく息をつく。

 

 このまま、二度寝をしても良さそうだ。そう思って横になりかけて、けれど何かまだ気がかりなことがある気もして、結局ベッドから抜け出した。

 

「……もう、制服着ちゃうか」

 

 朝早く起きすぎて、暇になった私は、学校の制服を着てしまうことにした。

 寝巻きのポケットから、ビー玉を取り出す。これは、私の一番の宝物だ。片時も離したくないくらい、大切なものである。

 寝ぼけた頭で、ビー玉を転がしていると、なぜか突然、頭の中にノイズが走った。

 

「……け!」

 

 まるで、耳元で誰かに叫ばれたみたいな気がして、私は肩を震わせた。

 幻聴、だろうか。けれど、私が気のせいだと思い、制服のポケットにビー玉を入れかけた途端に、また叫ばれる。

 

「し……の……うみ……の……えに……け!」

 

 何かを、訴えかけるような声だ。なんだか、私の声と少し似ている気がして、私は思わず手を止める。

 耳元の叫び声は、どんどんと明瞭になっていく。

 

「しづ……の……海上しづの家に、行け!」

 

 海上、しづ?なんで、彼女が?

 

 私は混乱して、頭を抱える。海上しづとは、そこまで仲良くはなかったはず。

 今の関わりといえば、席が隣なくらいだ。

 

 いつもなら、こんな幻聴は無視して二度寝するはずだった。けれど、なぜか何かに突き動かされるように、私は素早く制服を着て、家を飛び出した。

 ビー玉に触れると、また幻聴が聞こえ出す。次は、彼女の住んでいる家についてだった。ただ、その情報は、はっきりと伝えてくれなかった。車掌の駅名を告げる声と、それから、うっすらとカラスの声が聞こえるくらい。けれど、それでも何駅かくらいは、伝わった。

 まだ、日が昇って少ししたくらいの時間なのに、私は電車に乗り、幻聴に従う。

 

 馬鹿らしいことをしている、と思う。それでも、海上しづに何かがあったかと思うと、どうしても動かずにはいられなかった。

 

「南禅……南禅です」

 

 駅員さんが、幻聴と同じ駅の名を言う。私は迷わず、少し知っているくらいの、その駅に、降りた。

 そこは、とんでもない田舎だった。見渡す限り、一軒家か田んぼしかない。こんな場所では、海上さんの家は分かりそうになかった。

 私は、少し迷ってから、ひとまず歩き出す。彼女の家なんて、見当もつかないが、とりあえず歩くしかない。

 

「……海上さん、いないな」

 

 歩いてはみたが、海上さんどころか、他の住人も見当たらない。本当に、海上さんはここに住んでいるのか。

 疑心暗鬼になってきたところで、隣の家からおかしな声が聞こえてきた。

 

「……だ!やめ……」

 

 女の子の声だ。何かを嫌がっているのか、大事で叫んでいる。

 その声にどこか聞き覚えがある気がして、ダメだとわかっていながら、私はその家にそっと近づいて、耳をそばだてた。

 

「……あお……ちゃ……助け……」

「海上……さん?」

 

 間違いがない。この、鈴を転がすような声。海上さんだ。

 私に、助けを求めている。なぜ、私に?なんて考えすらも思いつかない。頭の中は、海上さんを助けることでいっぱいになった。

 ちらりと窓を見てみるが、カーテンで見れないようにされていて、全く何が起きているのか、見えない。

 けれど、私は諦めなかった。カーテンの隙間が少しでもないか、庭に不法侵入してでも、探し始める。そして、家を一周しかけたところで、ようやくほんの小さな隙間を見つける。

 

「……は」

 

 そして、全く見覚えのない、目つきの悪い男に縛り付けられて、無理矢理服を脱がされかけている、海上さんの姿を見つけてしまった。

 私は、しばらく息ができなくて、数秒してからようやく小さな呼吸を繰り返した。

 犯され、かけている。海上さんが、無理矢理。きっと、これは、誘拐だ。私は頰を手で覆った。

 

「……冷静になれ、速水あお」

 

 とりあえず、警察に連絡するのが最善だと思い、私は震える手で警察に電話し、状況と住所を冷静に告げた。

 そして、やることを全て終えてしまい、目の前で海上さんが犯されかけているのを、見せつけられる。

 

 どうしようもないくらい、イライラした。

 何もできない自分にイライラするとか、そんなものではない。無理矢理海上さんを犯している、アイツが許せなかった。

 綺麗な感情ではない、どす黒い感情が渦を巻く。今にも、ガラスを割って男に殴りかかりたくなる。

 私は、理性と戦い、そのまま感情を抑えた。いや、抑えるつもりだった。

 

「――あおちゃんっ!嫌だ……助けてっ!」

 

 海上さんの声が、耳に入った途端、私は正気を失った。

 

 気づいた時には、窓ガラスを怒りに任せて蹴り飛ばし、男が驚いている間に、ガラス片を手に取って男に刃先を向けていた。

 

「あお……ちゃん」

 

 海上さんの、安心と驚きの混ざった声を聞いて、ようやく正気に帰る。

 私は、男の首筋にガラスを刺しかけていた。あと少し、正気に戻るのが遅れていたら、男を殺していたことだろう。私は自分のしかけたことがどうしようもなく怖くなって、荒い息を出す場所も分からず、吐き出した。

 

「お前……何をする!」

 

 男は、弱まった私の手を振り解いて、ポケットに手を入れた。そこから出てきたのは、ナイフ。それを、私の心臓に向かって迷わず振り下ろしてくる。

 けれど、私は完全に正気を取り戻したわけじゃなかったらしい。

 そのナイフが、心臓に到達する前に、気がついたら男の目をガラスで刺していた。

 

「……あ゙ああああ!!!!」

 

 男は、痛みのあまり、ナイフを地面に落とす。私は迷わずナイフを奪い取って、それをまた男の首筋に向けた。

 

「動いたら……っ、少しでも動いたら、殺して、やる」

 

 手は、らしくもなくガタガタと震えていた。気を抜かしたら、ナイフを落としてしまいそうで、私は両手でナイフを握り直す。

 男は片目を刺された痛みで、膝をついて、そして地面に転がった。私は、地面に倒れた男の腹を踏みつけ、また首筋にナイフを突きつけ直す。

 

「何……が、殺す……だ。震えてる……くせに」

「うる……さい。黙れ」

 

 長距離を走ったわけでもないのに、心臓が何十キロも走った後みたいに忙しなく動いて、息はゼエゼエと荒くなった。

 男は、冷や汗を流しながら、強がるように笑う。

 

「殺したいなら、殺せばいい」

「――――そうか」

 

 私が、怒りに飲まれて男に向かってナイフを突き刺しかけたその時。

 運良く、けたたましいパトカーの音が遠くに聞こえた。私は、安心して力が抜けて、地面に膝をついた。

 男は、痛みのあまり動けないらしい。私に襲いかかることもしなかったし、ナイフを奪おうともしなかった。

 

 ただ、諦めたように、横になっていた。

 

 

 警察がぞろぞろと入ってきて、男を連れて行き、縛られていた海上さんを、解放する。

 私と海上さんは、取り調べのために、警察署に連れて行かれた。そこまでの流れはまるで、非現実みたいで、気づいた時には、取り調べは終わって警察署をしづと共に出ていた。

 取り調べでどんなことを話したのかすら、全く思い出せない。自分が確かに、人間に刃を向けて、殺しかけたと言う、恐ろしい出来事を消したかったのかもしれない。

 

「あおちゃん、ありがとう。助けてくれて、嬉しかった」

「――そ。助けになれたなら、よかったよ」

 

 海上さんが話しかけてくれたおかげで、ようやく現実に戻ってきたような気がした。

 

「てか、なんで私に助けを求めてたの?私、別に海上さんと仲良くないよね」

「……それはね」

 

 海上さんは、その場で足を止めた。つられるように、私も少し遅れてから、足を止める。

 こちらをみる海上さんは、笑っていた。きっと砂糖を流し込んだら、こんなふうに甘ったるい目になるのだろうな、と思うくらい、海上さんは甘い目を私に向けていた。

 私の心臓が、どくりと音を立てるのを感じる。

 

「あおが、好きだからだよ」

 

 言葉が、出なかった。好き、好きか。それは、どんな意味の好きだ。

 色々考えてみるが、当てはまるのは、やはり恋愛的に好き以外ありえない。彼女の目が、それを体現している。

 私の血が、勢いよく体を体を巡っていく。率直にいえば、嬉しかった。海上さんに、好きだと言われて、高揚感が全身を駆け抜けた。

 

「それに名前をつけるなら、何が正しいと思う」

 

 私は目を見張った。言った本人の海上さんは、楽しそうにくすくすと笑っている。

 まるで、心が読まれたような、そんな気持ちになる。けれど、海上さんにそう言われて、ようやくしっくりとする言葉が、頭の中に浮かび上がった。

 

 ああ、そうか。この感情に何年も名前をつけられなかった。でも、なんて、簡単なものだったんだ。

 周りがみんな、噂してたじゃないか。好んで、話していたじゃないか。まるで他人事みたいに聞いていたけど、そんなことはなかった。

 

 そうだ、この感情の名は、恋と言うんだ。

 

「私も、君が好きだよ」

 

 私がそう言って海上さんに笑いかければ、海上さんは目を瞬かせた。最初に告白したのに、なんなのだ、その反応は。そう思い、私は少し呆れた笑みを浮かべる。

 

「……え。い、いつから?好きになるタイミングなんてあった?」

「あったよ。君は忘れていたかもしれない。でも、私はずっと君にこれをもらってから、無意識のうちに、何年も君に恋をし続けていた。……君は、忘れているかもしれないけど」

 

 私は、ポケットの中から、ビー玉を取り出した。それを見て、海上さんは、また目を瞬かせた。

 今日だけで、何度、海上さんを驚かせているのだろうか。数えるのも億劫なくらい、海上さんは何度も目を丸くさせている。

 

「それ、私がずっと前にあげたビー玉!え、も、もしかして、ずっと持ってくれてたの?」

「うん。私のいちばんの宝物だよ。君のことは、ずっと覚えていた。でも、てっきり私は海上さん……いや、しづが、忘れていると思ってたんだ」

「それは、私も!あおが忘れてるとばかり……。でも、そっかぁ。確かに、笑われるわけだよ」

 

 しづは、ぼんやりと、空に向かって呟く。なんのことか、全くわからないけど、その唇に無性に口付けたくなった。太陽のせいで、キラキラと光って見える。

 私は、本能のまま、しづの顎を片手で傾けて、小さくキスをした。

 しづの唇は、夏の暑さのせいか、ほんのり暑かった。

 

「え、い、いきなり、何!?」

「――いや」

 

 君の初めてを奪いたくなっただけだよ。

 

 私は、これ以上ないくらいに笑って、そう言った。




最後まで読了、ありがとうございました!これで完結です。質問等ありましたら是非感想ください!
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