妖怪と蟲師 〜薬袋智深の旅情譚〜   作:深山碧

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第四話 仮面の芽吹き

 現代日本は情報社会。

 スマホの類は一人で複数台所持するのも当たり前。スマホを持っていないと、それだけで日常生活に支障を来す。

 

 蟲師であるトモミもまた例外ではなかった。

 全国を旅して回り、人里離れた山奥を歩く彼女も、スマホは使う。

 もっとも、現代っ子でありながら電子機器に滅法弱いトモミがスマホを使うのは、知り合いの蟲師と連絡を取る時くらいのものであったが。

 

 山道を歩いていると、懐に入れていたスマホが震えた。

 画面に表示されているのは、知らない番号。

 

 訝りながら通話に出る。

 

「はい」

「あ、トモミさんですか?」

「そうだけど」

 

 電話口から聞こえる女の声に、トモミは警戒を滲ませる。

 

「私。犬山まな!」

「ああ、まなか。私の電話番号はどこで?」

「ねこ姉さんから教えてもらったの」

 

 そういえば、ゲゲゲの森を発つ時に、ねこ娘と連絡先を交換していた。

 

 覚束ない手つきでスマホを操作するトモミの手元を覗き込んだねこ娘は、通話やネット検索といった最低限のアプリしか入っていないトモミのスマホに若干引いていた。

 アンタそれでも現代人? と呆れ返るねこ娘に、トモミは閉口するしかなかったのである。

 

「それで、どうだい。その後のみんなは」

「うん、もうめっちゃ元気! ——って、そうじゃなくて!」

「うん?」

「なんで何も言わずに出発しちゃったの!? お見送り行きたかったのに!」

「なんでまた見送りなんて」

 

 トモミがまなと会ったのは、初対面を果たしたあの日の夜が最初で最後。

 見送ってもらおうなどとは考えてもみなかった。

 

「どうして? 友達でしょ?」

「友達……」

 

 蟲師というやつは、どうも一匹狼の気質が強いらしく、人間関係に頓着しない者が多かった。

 トモミもその例に漏れず、出会った者に対する好悪の感情的かかわらず、淡交を基本とするスタンス。

 

 まなの口から飛び出した『友達』という単語は、トモミの中の不思議な感情を喚起させた。

 

「そうだね、友達だ。すまなかった、何も言わずに出発したりして」

「ううん。トモミさんは悪くないよ。ただせっかく会えたのに、ちょっと寂しかったから」

「そう……。まあ、また遠くないうちに調布には立ち寄るつもりだから」

「ほんと? それじゃあ次は、ねこ姉さんも入れて3人でご飯に行こうよ」

「ああ、是非」

 

 女子会だー! と息巻くまなに、トモミは含み笑いを浮かべる。

 

「トモミさんは、どの辺にいるの?」

「今は東京の——」

 

 トモミが言いかけたところで、何の前触れもなく通話が切断される。

 

 スマホの画面上部には『圏外』の表示。

 山道を歩きながら話しているうちに、電波の範囲から外れてしまったらしい。

 

「ま、いいか」

 

 電波の届く位置まで行ったら、また掛け直せばいいだろう。

 トモミはスマホを懐にしまって、山道を進んでいった。

 

 ◆◆◆

 

 夕方。

 木々が立ち並ぶ山道は既に暗く、夜の気配がすぐそこまで迫っていた。

 

「まずいな、どこかで道を間違えたか……?」

 

 手にした地図を睨みつけるトモミ。

 本当なら、もう2時間前には峠の街道に出ているはずなのだが。

 街道はおろか、人家の明かりらしきものすら見えない。

 こうしている間にもどんどん陽は落ちていく。

 夜に野山を歩き回るのは危険だ。ただでさえ視界も覚束ないし、夜行性の獣や妖怪と遭遇する確率も上がる。

 

 今晩はこの辺りで夜を明かすことになるかもしれない。

 野宿は初めてでもないので、それほど抵抗はない。現在地の検討がつかないというのは、あまり気分のいいものではないが。

 

「ま、仕方ないか」

 

 どうせ動き回れるようになるのは、明日の朝からだ。

 あれこれと気を揉むよりも、さっさと休んだ方がいいだろう。

 

 トモミが背負っていた木箱を下ろそうとしたその時、近くの茂みでガサリと音がした。

 鳥や小動物の類ではない、もっと大きなやつだ。熊か、もしくは猪か。

 

 音がした茂みの辺りを凝視する。陽が完全に落ちる前でよかった。人並み以上に夜目が利くトモミには、夕闇の中でも十分見える。

 

 茂みから何か棒状のものが飛び出している。

 木の枝だろうかと、トモミがその棒を見ていると先端の形が独特で——。

 

 ——違う。あれは人の脚だ!

 

 警戒はそのままに、トモミはじりじりと茂みの方へ歩み寄る。

 

「誰かそこにいるのか?」

「……だれ、なの……?」

 

 返ってきたのは、か細い女の声だった。

 茂みをかき分けると、人が倒れている。近くには杖が転がっていた。

 

「安心していい。通りすがりの旅人だよ」

 

 見たところ外傷はなさそうだ。背格好と声からして若い女らしい。

 らしい、というのは、その女の顔が包帯で隙間なく覆われていたからだ。

 見るからに怪しい格好だが、助けぬわけにもいかない。

 

「体、動かせるか?」

「何とか……」

「肩を貸そう」

 

 そう言って、トモミは女の腕を掴む。その拍子に、女が着ている長袖の上着と手袋の隙間から、ほっそりとした手首が覗く。

 

 それが目に入った瞬間、トモミは息を呑んだ。

 

 ちらりと見えた肌に、木の芽のようなできものが生えていたからだ。

 ちょっと失礼、と声をかけ、トモミは女が穿いているズボンの裾をまくる。足首の辺りにも、手首と同じように、ぽつぽつと芽が生えていた。

 

「もしかして、手足に痺れがあるんじゃないか」

「なんで知ってるの?」

「手足に骸草(むくろそう)の芽が生えている。痺れはそれによるものだ」

 

 女は警戒を露わにした。

 

「あなた何なの? 記者? どこの雑誌よ?」

 

 なぜ『記者』という単語が出てきたのか分からなかったが、もちろんトモミは記者ではない。

 

「違う、私は蟲師だ。トモミという」

「むしし……?」

「そうだ。キミのその症状を和らげる薬も、すぐに用意できる」

 

 しかし、女はトモミを押し除けて、杖を拾い上げた。

 

「いいえ、結構です」

「信用しにくいのは分かるけど、そのままじゃ辛いでしょ。その症状は普通の病院じゃ治せない」

「放っておいて。病院なんか行かないから」

「でも——」

「助けてくれたのには感謝します。でも、もう私に関わらないで」

 

 取り付く島もない。女はくるりと背を向けて、山道を行こうとする。

 しかし、数歩進んだところでよろめき、また地面に倒れ込んでしまった。

 

 トモミはため息をついた。

 骸草に寄生されて生じる足の痺れは、立っていることすらままならないはず。

 あんな調子でこんな山奥まで歩いてきたのだろうか。だとすれば凄まじい執念だ。一体何があの女にそこまでさせるのか。

 

 うめきながら立ち上がろうとする女を支えながら、トモミは再び提言する。

 

「もう夜になる。そんな調子で歩き回ったら、取り返しのつかないことになるよ?」

「……放してよ」

「分かんない奴だねキミも。そんな体でどこに行こうって言うのさ?」

 

 苛立ちを滲ませてトモミが尋ねると、女はか細い声で答えた。

 

「知り合いがこの近くに住んでるの。あの人ならきっと治してくれる」

「さっきも言ったでしょ。普通の医者じゃそれは治せない」

「あの人は普通の医者じゃないから」

 

 女の物言いは、やけにきっぱりとしている。骸草を取り払うのは蟲師しかできないはずだが。

 まさか、この辺りに蟲師が住んでいるというのか。

 トモミは、この女が会おうとしているという人間に興味が湧いた。

 

「分かったよ。それじゃあキミの目的地まで送っていく。その脚で行くのはしんどいだろう」

「あなた、本当に記者じゃないんでしょうね」

「違うよ。さっきから何を警戒しているんだ?」

 

 女はしばらく躊躇っていたが、やがてトモミの肩に体重を預けてきた。

 

「キミ、名前は?」

「…………きらら」

 

 ——『きらら』。どこかで聞いた名前だが、トモミは思い出せなかった。

 

 ◆◆◆

 

 きららと名乗った包帯女に肩を貸しながら、トモミは夜の山道を歩いた。

 きららはトモミのことをかなり警戒しているようで、会話は一言もなかった。

 

 やがて、人家と思しき明かりが見えてきた。

 山の木々に隠れるようにして、古くて小さな一軒家が建っている。

 

 送り届けたついでに、一晩の宿も頼めるかもしれないとトモミは思った。

 

 戸口の前に立つと、きららが戸を叩き中に向かって呼びかける。

 

「ずんべら、私よ。きらら」

 

 間を置かずに、戸がすっと開く。

 

 中から出てきたのは、目が覚めるような美女だった。

 女のトモミですら見惚れてしまう、ぞくりとするほど妖艶な美女。

 

 ずんべらと呼ばれた女は、きららとトモミを交互に見て、手招きした。

 

「よく来たね。上がりな」

 

 きららに続いて家へ上がったトモミは、ずんべらに案内されるまま、囲炉裏の側に腰を下ろした。

 

 煙管を吹かすずんべらは、江戸時代の花魁もかくやとばかりの色気を醸している。

 

「今日はどうしたんだい? 貼り替えはまだ先だろうに」

「その、体が……おかしくて……」

「体が?」

「何日か前から手足に芽みたいなのが生えてきて、気付いたら顔からも……。霊形手術の副作用とかじゃないの?」

「ふぅん? 霊形手術でそんなことは起こらないはずだが。どれ、見せてみな」

 

 ずんべらがきららの手を取り、できものを観察し始める。

 

 二人のやり取りを、トモミは黙って眺めていた。

 『貼り替え』や『レイケイシュジュツ』など、意味の分からない単語が並んでいたことが、トモミの不安を煽った。

 この二人、何かよからぬことを企んでいるのではないか。

 トモミはきららとずんべらに対する警戒心を高める。

 

 骸草の芽をしばし眺めていたずんべらは、やがて首を横に振った。

 

「植物のように見えるけど、こいつは私の理解の埒外だ。お手上げだね」

 

 きららがずんべらに掴みかかった。

 

「そんなの困る! なんとかしてよ。このままじゃ仕事に戻れない!」

「そんなこと言われてもねぇ……」

 

 きららを苦しめているものは骸草だ。蟲師からすればそれほど珍しい蟲でもないし、対処も比較的容易だ。

 ここから分かることは、ずんべらが蟲師ではないということ。そして、きららの治療はトモミがするしかないということ。

 

「そいつは骸草の芽だよ。さっきも言ったけど、私ら蟲師に見せてくれなきゃ治らない」

 

 口を挟むと、ずんべらがトモミの方へ向き直った。

 

「そうか。お前、蟲師だったのかい。これはまた懐かしいものと会ったもんだ」

 

 まるで顔馴染みと再開したかのような口振りだ。

 

「蟲師を知っているのか」

「ああ。何百年か前に世話になったことがある」

「何百年……?」

「そうさ。私は妖怪でね、ずんべらと呼ばれている」

 

 なるほどそれならば、彼女の人外めいた色香も、こんな人里離れた場所に居を構えていることも、納得がいく。

 

 それでは、きららとずんべらはどういう関係なのだろう。見たところ、きららはずんべらが妖怪であることを知っているらしい。

 その上で一定の信頼を置いているようにも見受けられる。

 妖怪と人間が友情や愛情で結ばれる例もあるが、二人から親愛の情は感じられない。

 

「蟲師よ、お前はこの子を元に戻せるのかい?」

 

 トモミが頷くと、ずんべらが満足そうな笑みを浮かべた。

 

「きらら。その芽は蟲師に取ってもらうのがよさそうだよ」

「え、でも……」

「安心しな。蟲師って奴らは総じて世俗に疎い連中でね。お前のことなんざすぐに忘れちまうさ」

 

 悪びれもせず、随分な言い草だ。

 しかもあながち間違ってないところが、なおのことタチが悪い。

 

「何か事情があるのなら、口外はしない」

 

 トモミが言うと、きららは渋々頷いた。

 

 薬の調合をしながら、トモミはきららの正体について考える。

 トモミを記者と疑っていたことや、ずんべらの発言からして、おそらくは芸能関係者か。

 モデルか女優、歌手もありえる。何であれ、人前に立つ仕事であることは間違いないだろう。

 

 やはり分からないのは、きららが何のために妖怪と関わっているのかだ。ずんべらとのやり取りからして、短い付き合いとは思えない。

 

 トモミの思考は、きららによって中断された。

 

「あの、さっきから言ってるムクロソウって何?」

「今の時代の人間には、あまり馴染みのない生き物の一種さ。生き物の死体に根付いて成長し、泥状に分解する」

「死体を、泥に……」

「そう。骸草が死体を分解してできた泥を生体が踏むと、骸草に寄生されて芽が出てくるんだ。ちょうどキミのようにね」

 

 きららが身震いした。

 

「まさか、私も泥になっちゃうの?」

「いや、生きているものに付いただけなら問題はない。多少痺れは出るけど、それも薬ですぐに取れる」

「……死体が泥にならないようにする方法はあるの?」

「さあどうだろう。少なくとも私は聞いたことないね」

「…………」

 

 なぜそんなことを訊いてきたのだろう。

 

 きららが何か隠しているのは明らかだ。

 ちらりとずんべらを盗み見るが、澄ました顔で煙管を吹かすばかりで、何を考えているのかは分からない。

 

「さ、薬ができた。手を出して」

 

 できたばかりの薬を、骸草の芽に塗っていく。

 

 その効果は覿面だった。

 薬を塗られた骸草は、あっけなくぽろりと落ちて、元の綺麗な肌が現れる。

 

「痺れはどうだい?」

 

 手足の芽があらかた取れたところで、トモミは訊いた。

 手足を曲げ伸ばししてから、きららが頷く。

 

「全然ない。さっきまでのが嘘みたい!」

「ならよかった。——次は顔だね。包帯を取って」

 

 きららの動きがぴたりと止まる。

 

「でも、顔は……」

「顔にも骸草がついてしまったんだろう? 薬を塗らなきゃそのままだよ」

 

 この期に及んで何を躊躇しているのか。

 トモミはきららの返事を待った。

 

「あの、私ことを誰にも口外しないと、誓えますか?」

「随分と疑り深いね。さっきも言ったろ、口外はしないと」

 

 なおも逡巡するきららに、ずんべらが口添えする。

 

「この蟲師を信用してみたらどうだい? いざとなったら、口封じの方法なんざいくらでもある」

「随分な言い草だね?」

「私は妖怪だよ。蟲師一人を手にかける程度、なんてことはない」

 

 ずんべらは穏やかな微笑みを浮かべているが、やはり妖怪。トモミを殺すことに躊躇などはないだろう。

 

 そこまで言われて、きららはやっと首を縦に振った。

 震える手で己の顔を覆う包帯に触れると、しゅるり、しゅるりと解いていく。

 ついに露わになったきららの素顔を一目見て、トモミは息を呑んだ。

 

「これは……!」

「おやおや……」

 

 きららの顔にも骸草が生えていた。

 しかし、その様相は手足に生えていたそれとは違う。まるでツタが地面を這うように、骸草は異様な成長を見せていた。

 きららの顔をベールのように覆う骸草。このような例を、トモミは見たことがない。

 

 そして、トモミが驚いた理由はもう一つ。

 

「『きらら』という名前には聞き覚えがあったが、まさかキミがあの『房野きらら』だったとはね」

 

 房野きらら。

 日本発の世界的スター。若くして世界トップクラスの映画賞を次々と獲得。

 その人気は衰えることを知らず、今も第一線の女優として活動していると聞く。

 自他共に認めるほど流行に疎いトモミでも知っているくらいだ、日本では知らぬ者などまずいない。そんな有名人とこんな所で遭遇するとは。

 

 トモミを記者と疑ったり、顔を見せることに躊躇いがあったことも頷ける。

 

 きららは顔から生えた骸草を弄ぶ。

 

「これ、治るの?」

「手は尽くす。とにかくやってみよう」

 

 先ほどと同様、薬を塗ってみるが、変化はない。

 

 生い茂っている骸草のうち一本を摘み上げて観察する。この成長の仕方は、死体に生えた時と同じ反応。

 

 骸草は生体に泥を踏まれることで感染していくものなので、症状の大半はまず脚に出る。

 その芽を無理に取っているうちに、手、その手で顔を触ることで顔にも——と、広がっていったのだろう。

 しかし、顔のものだけが異様な成長を見せている原因は不明だ。

 

「症状が出る前に、山奥に行かなかった?」

「CMの撮影があって、キャンプ場に行った」

 

 ならば、そこで骸草の泥を踏んだのだろう。それが分かったからといって、きららの顔についた骸草の説明はつかないが。

 

 口元に手を当て、トモミは記憶を手繰る。

 

 生体についた骸草が、死体についた時と同じような成長を見せた例は、ごく稀にあったらしい。

 家畜を屠殺した直後に骸草を踏んだ時に、今回のような反応を見せた、という記録を読んだことがある。その記録では、骸草は生物の死臭に反応するのではないか、という考察が為されていた。

 

 しかしそれも、生体の顔に生えたものだけが成長する、という今回の事例の説明にはなり得ない。

 きららが死肉に顔を埋める、といった奇怪な趣味を持っていれば話は別だが——。

 

「手詰まりかい?」

 

 トモミが顔を上げると、ずんべらが鍋を囲炉裏の火にかけているところだった。

 鍋の中に入っているのは油のようだ。料理でもしようというのか。

 

「何をしているんだ?」

「お前が困っているようだから、手伝ってやろうと思ってね」

 

 すぐに戻るよ、と告げてずんべらは家から小屋から出ていく。

 戻ってきたずんべらは、タライを抱えていた。タライの中には淡く青白い光を放つ塊が入っている。

 

「それは?」

「人魂さ」

 

 そんなものどうするんだ、とトモミが尋ねようとしたその時、ずんべらは油の中に人魂を放り込んだ。

 

「何をしている!?」

「人魂を天ぷらにするのさ。——そう怖い顔するんじゃないよ、別に人は殺しちゃいない。墓場に行って集めてきたのさ」

 

 そういう問題ではない。

 目の前で繰り広げられる異様な光景に、トモミは狼狽することしかできなかった。

 

 ほどなくして、人魂の天ぷらをこしらえたずんべらは、それを皿に盛ると、きららに差し出す。

 きららは天ぷらを受け取り、躊躇なくかぶり付いた。

 

 人魂を食べる。

 一部の妖怪には、人魂を何より甘美な食事として喜んで口にする者もいると聞く。

 しかし、人間が人魂を食べてもいいものだろうか。倫理や道徳の問題ではない。明らかに人智を超えた行いによってもたらされる影響を、トモミは危惧しているのだ。

 

 やがて人魂をすっかり腹に収めたきららが、気を失ってぱたりと倒れ込んだ。

 

 ずんべらがきららを仰向けにして、その顔に指を這わせる。

 トモミは慌ててずんべらの肩を掴んだ。

 

「待て! 何をするつもりだ?」

「顔を剥ぐのさ」

「何だって?」

 

 すんべらはきららの頬の辺りをつまむと、思い切り引っ張る。

 

 信じがたい光景だった。

 

 きららの顔が、べりべりと剥がれていく。まるでカレンダーでも捲るようだった。

 顔を剥がされたきららは、目も鼻も口もない、のっぺらぼうになってしまった。

 

 いとも容易く剥がれたきららの顔を一通り眺めたずんべらは、ふんと鼻を鳴らすと、囲炉裏へ放り込んだ。

 きららの顔とそこから生えていた骸草は、あっという間に火に飲まれ、紙屑のように燃えていく。

 

 トモミは反射的にずんべらを見た。

 自分も顔を剥がれ、火にくべられてしまうのだろうか。

 

「怖いのかい?」

 

 ここまで呆然と眺めていることしかできなかったトモミは、ずんべらから言われて初めて、自分の体が震えていることに気が付いた。

 

「驚いただけだよ。あんな奇妙な術があるとは夢にも思わなかった……。それで、これからどうするつもりだ? 顔を剥がされた人間はどうなる?」

「安心しな、命に別状はないよ。——顔はいずれ張り替えなきゃいけない」

「『張り替える』……?」

 

 ずんべらはきゅっと口の端を持ち上げた。

 

「お前も興味があるかい? ()()()()に」

 

 ずんべらはおもむろに立ち上がると、壁際の箪笥を開けた。

 中に収められたモノを見て、トモミは言葉を失う。

 箪笥の中には、びっしりと人間の顔が並んでいた。老若男女を問わず、祭の屋台で売られるお面のように。

 

「元の顔を剥がし、代わりに死体の顔を貼り付ける。そして理想の美しさを手に入れる——それが霊形手術だよ」

「まさか、房野きららの顔も……!」

「もう十年くらい前になるかねぇ。当時、あの子は自分の容姿に苦しんでいた。だから私が霊形手術で今の顔にしてやったのさ」

 

 骸草は死体に生え泥状に分解する蟲。きららは死人の顔を張り付けていたから、顔についた骸草だけが異常に成長した——ということか。

 

「なぜそんなことをした?」

「目的なんてありはしない。ただの趣味さ」

「趣味?」

 

 ずんべらは箪笥の中から顔を一つ取り出した。それは、まさしく先ほど剥がして火にくべた、あの顔と同じもの。

 それをまた新しい顔として、きららに張り付けるということか。

 

「死体の顔を複製するのは少し手間だが、きららとは短くない付き合いだから特別にね」

「タチの悪い趣味だね」

 

 トモミの言葉に、ずんべらは笑った。

 

「私はね、愛おしいんだよ。美を求め、美に狂い、そのためなら元の顔なんか捨ててしまう、そんな女の美に対する執着がたまらなく愛しくて仕方がない」

 

 死体の顔を手にしたずんべらが、横たわるきららへ歩み寄る。

 トモミはずんべらの前に立ち塞がった。

 

「何だい?」

「元の顔に戻すべきだ」

「今まさにそうしようとしてるじゃないか」

「違う。生まれつきの元の顔に戻せ、と言っている」

 

 ずんべらは薄く笑みを浮かべた。今度はトモミを小馬鹿にするような笑みだった。

 

「お断りだね。第一、きらら本人が望んじゃいない」

「だとしても、自分の顔を他人の死体と張り替えるなんて、するべきじゃない」

 

 ずんべらの笑みがすっと消える。

 

「『他人の顔で澄ましているより、自分の顔で思い切り笑っている方が』なんて白けたこと言うつもりじゃないだろうね」

「そんなことが言いたいわけじゃない。美醜にこだわるのは勝手だし、整形も好きにすればいいと思う」

「ふぅん?」

 

 ずんべらが軽く眉を上げた。目だけでトモミの言葉の続きを促してくる。

 

「死体の顔を生者に張り付ける、それは生死を無理やり混ぜ合わせ、生命の在り方から逸脱する行為だ。看過はできない」

 

 ずんべらは一瞬きょとんとしてから、腹を抱えて笑い出した。

 ひとしきり笑い転げてから、肩で息をしながらトモミを見やる。

 

「はー、はー。ふふっ、生命の在り方ね……。たかだか百年やそこらしか生きられない人間が、生命を語るか。冗談としては嫌いじゃないよ」

 

 トモミは頬が熱くなるのを感じた。

 二十余年、蟲をはじめとする生命たちと向き合ってきたのだ。奇跡的な均衡の中で成り立っている生命の在り方を容易く弄る行いを、賛成する気にはなれなかった。

 

「笑いごとじゃない。生き物の姿形や生死は長い歴史の中で時間をかけて形作られてきたものだ。それを個人の好みですげ替えるなんて、あっちゃいけない」

 

 早口で捲し立てるが、ずんべらは人を食ったような笑みを崩さなかった。

 

「蟲師、お前は水銀を飲んだことがあるかい」

「何のために?」

 

 水銀は猛毒だ。そんなものを体内に入れれば無事では済まない。

 ずんべらは堂々と言い放った。

 

「美しくなるためさ」

「確かに大昔はそういうこともあったと聞く。でもそんなのは迷信だ。水銀を飲んだら死ぬ、それだけだ」

「そう、迷信だね。でもそんなものに縋りたくなっちまうほど、人の美に対する執着は凄まじい。美しさのためなら命も惜しくない、そう考える人間は昔からごまんといる」

 

 お前のような高尚な人間には理解できないだろうけどね、とずんべらが皮肉を込めて告げる。

 

「それに比べれば霊形手術なんて可愛いものだろう。顔を張り替えたところで、命の危険もない。悪くない話だとは思わないかい」

「だとしても、霊形手術は人智を越えた行為だ。そういった代物は、いつか致命的な歪みとなって跳ね返ってくるよ」

 

 ずんべらが目を見開いた。

 その眼差しは、遠い昔を懐かしむようだった。

 

「何百年か前、ある蟲師から同じようなことを言われたね。——名前は忘れちまったが、白い髪に翡翠のような緑の瞳をしていたのは覚えている。もしかするとお前のご先祖だったりするのかね」

「さあ、知らないね。そんな大昔の人間のことは」

 

 ずんべらはおもむろに煙管を手に取ると火をつけた。

 

「私も昔、美しさを求めて色々とやった。蟲を利用しようとしたこともあった」

「上手くいかなかっただろう」

「危うく蟲の世に囚われるところだった」

「そうだろうね」

 

 蟲はこの世の法則から大きく外れた所で生きるモノ。恣意的に利用しようとすれば、取り返しのつかないしっぺ返しを食らうことになる。

 

「その時に世話になった蟲師がいたのさ。いけ好かない男だったが、恩はある」

「それで蟲師のことを知っていたのか」

 

 煙をくゆらせながら、ずんべらが頷く。

 

「お前の魂を奪って、青臭い言葉を二度と吐けなくするのは簡単だが……あの男に免じて今回は許してやろう。感謝しな」

「許しを乞うつもりはない」

「そうムキになることないじゃないか。私はお前が全て間違っていると言うつもりはないのだから」

 

 煙管を置いたずんべらが、再びきららの側へ歩み寄る。

 顔を被せようとしたところで、はたと動きが止まった。

 目も鼻も口もないきららの顔面に、ぽつりぽつりと、小さく芽が生えている。

 

「どうやら、もう少しお前の助けが要りそうだね」

 

 トモミはため息をついて立ち上がると、残っていた薬をその芽に塗り込んだ。

 芽は全て何事もなく落ちていく。

 

 ずんべらが、今度こそ顔を被せる。

 世界的大女優、房野きららは()()()の姿を取り戻した。

 

 ◆◆◆

 

「お前、友達いないだろう?」

 

 煙管を吹かしながら、ずんべらは唐突にそんなことを言った。

 

「はあ?」

 

 眉をひそめたトモミに、ずんべらは笑いかけた。

 

「蟲を相手にするのは結構だけど、人間の感情はもう少し複雑なのさ」

「妖怪から人間の感情について講釈をいただくとは思ってなかったね。——覚えておくよ」

 

 トモミは木箱を背負って立ち上がる。

 

「行くのかい? 一晩泊まっていっても構わないよ」

 

 ずんべらの言葉にしかし、トモミは首を横に振る。

 懐から紙を取り出してずんべらに手渡した。

 

「何だい?」

「そこに骸草の対処法と薬の作り方を書いておいた。また今回みたいなことがあったら役に立つと思う」

「へぇ、助かるよ」

 

 それじゃあ、とトモミは扉に手をかけた。

 

「お前も顔を変えたくなったらいつでも来な」

「そんな日は来ないよ」

 

 振り返らずに告げ、トモミはずんべらの家を後にした。

 

 早いところ山を降りて、まなに連絡を入れた方がいいだろう。




6期鬼太郎だと、霊形手術の話が1番好きです。
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