魔法少女ほむら☆マギカ Live in a Twilight World/No Friends at Dusk 作:トマスアレポ
見知らぬひとよ、もし通りすがりにきみがわたしに会って、
わたしに話しかけたいのなら、どうしてきみがわたしに話しかけてはいけないのだ?
そして、どうしてわたしがきみに話しかけてはいけないのだ?
――ウォルト・ホイットマン「きみに」
開演前のチューニング音は、厚く垂れ込める曇り空のようだった。
里見那由他はそう感じながら、神浜市立劇場の3階ボックスシートの中を見渡した。開演までまだ時間があり、他にすることがなかったからだ。
ボックスシートはホール内の一般座席とは異なり、仕切られた個室に重厚な椅子が2脚置かれ、気兼ねなく観劇できる設計だった。そのうちの1脚には、那由他を招待した魔法少女――長身で銀髪をサイドテールにまとめた少女――が座っている。背後では、彼女の「友人」と称する魔法少女――黒髪のショートカットボブの小柄な少女――が入り口のドアに寄りかかっていた。
那由他はこれから起こることを考え、背後の魔法少女の監視をどう切り抜けるか思案しながら開演を待とうとしたが、突然の銃声で思考は途切れた。
銃声。
銃声。
銃声。
そして悲鳴。
コンサートホールは混乱の坩堝と化した。
銃を持った男たちが乱入し、指揮者を撃ち殺し、楽器を踏み荒らし、楽団員を殴り倒していた。彼らの首元には、魔女の口付けが不気味に光っていた。
ボックスシートからもその混乱は一目瞭然だった。那由他がホールを見渡すと、いつの間にか背後の魔法少女が右目に眼帯を付け、漆黒のジャケットに変身していることに気づく。しかし、隣の長身の魔法少女は冷静さを崩さず、まるで開演前の余興を眺めるような表情だった。那由他はただ混乱し、頭を抱えるばかりだった。
「見滝原の奴を起こせ」
「おい」
助手席の少女が後部座席に告げた。
神浜市立劇場の外に停めたワンボックスカーには、4人の魔法少女が乗っていた。
その中の1人――暁美ほむらは、手にしたグロックのスライドを引き、初弾装填を確認し、外の様子を伺った。
劇場の混乱はすぐに外に伝わったらしい。パトカーのサイレンとともに、警察車両が次々と停車し、警察官が降りてくる。
だが、それは一般人の視点での光景にすぎなかった。実際は異なる。警察車両にはマギウスの翼を示す札が貼られ、降車する「警察官」は全員黒いローブの魔法少女――黒羽根だった。
助手席の少女が警察車両の札を一瞥し、同じデザインの札をほむらたちに投げ渡す。ほむらたち魔法少女はそれをベルクロパッチのように肩に貼り、黒羽根の黒いローブ姿で車から降りた。
数多くの魔法少女に紛れ、ホールへの突入ポジションにつく。ほむらが横を見ると、「ウワサ」の形をしたガスボンベを運ぶ白いローブの魔法少女――マギウスの上級幹部、白羽根――がいた。給気口に設置された「ウワサ」がガスを放出するのは明白だった。ほむらを含む魔法少女たちは全員ガスマスクを着用し、人相は分からない。潜入にはこれ以上ない好条件だった。
里見那由他はボックスシートでホール内の様子を伺っていたが、観客が波のように倒れていく光景を見て脱出を思案しかけた。しかし、背後の魔法少女がいること、そして横に座る長身の魔法少女が懐から彼女の武器――白い宝石のようなもの――を取り出し、戦闘準備を整えるのを見て、脱出は不可能と悟った。
ホールに続くドアが開け放たれ、黒羽根が続々と突入する。ほむらたちは手筈通り3階に向かい、ボックスシートの各部屋を捜索した。
那由他がいる部屋に突入した瞬間、ほむらの能力――時間停止――で世界が静止する。横で待ち構える魔法少女の腰のソウルジェムに2発の弾丸を撃ち込み、長身の魔法少女の腕を掴んで時間停止を解除。小柄な魔法少女が崩れ落ち、その光景に視線を奪われていた長身の魔法少女に拳を叩き込む。5秒とかからず無力化。全て手筈通りだった。
那由他は背後に黒髪の魔法少女が立ち、ボックスシートの2人が倒れていることに気づく。
「黄昏に生きる」
凛とした声が響く。
「黄昏に、生きる」
声の主が繰り返すのを聞き、那由他はこれが事前に伝えられた「合言葉」だと悟る。
「宵に友なし…ですの」
「正体がバレたわ。このテロも魔女も偽装よ」
外では黒羽根の戦闘音が近づく。
「でも私は…信用されているはずですの」
「時間がない。2分で決めなさい」
黒羽根の足音が迫る。
「荷物は?」
ほむらの焦りに那由他が答える。
「クロークですの」
ほむらはボックスシートの窓を叩き割り、ロープを垂らす。「正気ですの?!」と叫ぶ那由他を小脇に抱え、一般座席へ降下した。
一般座席では、魔女の口付けを受けた男たちと黒羽根の銃撃戦が続いていた。ほむらは那由他を空き座席に座らせたが、跳弾が近くに着弾し続ける。
「これは…さすがに」
「ここにいて」
焦る那由他を押し留め、ほむらは通路を駆け上がり、クロークを目指す。
その途中、倒れた黒羽根のバッグから別の黒羽根が何かを取り出し、座席の下に置く。ほむらを見た黒羽根はバッグを指差し、「お前もセットしろ!」と叫ぶ。
バッグには爆弾が入っていた。
ほむらは自作の時限爆弾を扱った経験があったが、この爆弾はより精巧で、解除が難しいと直感した。爆弾の画面には『4:06』、『4:05』と起爆タイマーが進む。
なぜ黒羽根がこんなものを…と考える間もなく、
「おい、何してる!」
白羽根がほむらを見つける。白羽根はほむらの肩のマギウスの札を武器で剥ぎ取り、
「何者だ! 貴様、どこから…」
と言い切る前に崩れ落ちる。
白羽根には「峰打ち」だったが、背中に深紅の槍が突き刺さっていた。
槍の主――佐倉杏子も黒羽根のローブをまとっていた。
「宵に友なしか?」
ほむらは那由他を指差し、
「助かった。クロークは私が。彼女を安全な場所に」
「分かった」
ほむらは通路を駆け上がり、ホワイエのクロークへ急ぐ。流れ弾が飛び交う中、那由他のバッグを見つけ、中を確認する。
そこにはグリーフシード――通常なら下部が針状で球形のはずが、立方体の機械部品のような物体――が収められていた。
ほむらはそれを取り、地下のサービスルームへ向かった。
「服を交換して。迎えが待ってる」
巴マミが那由他と仲間の魔法少女――美樹さやかに告げる。
「本当にこれがグリーフシードなの?」
ほむらがバッグから取り出した立方体の物体を見せる。
「間違いなく本物ですの」
黒いローブをかぶった那由他が答える。
「逃げ道は?」
ほむらの問いに、
「共同溝から下水道に抜けられますの」
「分かったわ。上のワンボックスには美樹さんと暁美さんで。私たちは共同溝から脱出する」
マミの指示に、那由他の制服を着たさやかが「了解!」と応える。
「それより、この爆弾はどうする?」
杏子が手に持ったマギウスの爆弾を指す。
「中央同期型ね…暁美さん、解除は?」
マミの言葉に、ほむらは首を振る。
「恐らく証拠隠滅。一般座席だけを…」
「他にもありそうね」
「私が全て集めて、客のいない場所で爆発させる」
ほむらの提案に杏子が驚く。
「おい! そこまでしなくていいだろ」
「救出するわ」
ほむらの決意に、さやかが、
「なら、あたしも付き合うよ」
と応じる。マミはそれを受け入れ、
「分かった。私と佐倉さんと里見さんで脱出する。後はお願い」
5人は2手に分かれ、ほむらとさやかはホールへ戻る。マミら3人は地下の共同溝へ走り去った。
ホールには倒れた男たち、黒羽根、観客だけが残されていた。残りの黒羽根や白羽根は、爆弾設置後に退避したらしい。
「あたしはあっちを見る。あんたはそっちお願い!」
さやかが走り出す。
ほむらはホールの半分を駆け、座席の下から爆弾を見つけ、集めていく。
1つ、2つ…7個目をさやかと共に見つけ、手元に集める。タイマーは『1:06』、『1:05』と迫る。
8個目の爆弾を見つけた瞬間、背中に冷たい感触が突き付けられた。
「消えろ」
白羽根がほむらに告げる。
「観客に罪はないわ」
ほむらが呟く。時間停止を発動しようと盾に手を伸ばした瞬間、爆弾の横の壁に穴があることに気づく。
それは逆行だった。
通常、穴が開けば破片は外へ飛び散る。だが、この穴では破片が逆再生のように穴へ戻っていく。
破片が全て集まり、壁が元通りになると、ピンク色の光――魔法少女の攻撃か――が煌めき、白羽根の肩を貫く。光は背後の黒羽根、そのクロスボウに吸い込まれた。
驚いて振り返ったほむらが目にしたのは、黒羽根の魔法少女の背中だけだった。背中やローブの隙間から、長いピンク色の髪が揺れている。彼女は瞬く間に通路を下り、消えた。
「今のは誰?」
駆けつけたさやかが問う。
ほむらはタイマーを一瞥し、迷う暇はないと8個目の爆弾を拾う。
残りの爆弾をバッグに詰め、3階のボックスシートに投げ込む。
「急いで、爆発するわ」
さやかと共に通路からホワイエ、玄関へと駆け、ワンボックスカーに飛び込んだ瞬間、爆発音が辺りに響き渡った。
ほむらとさやかが乗り込んだワンボックスカーが急発進し、ほむらはドアに押し付けられる。
助手席の少女がさやかの顔を掴み、「こいつは違う」と言い、さやかの太ももにナイフを突き立てる。
車内はさやかの血と悲鳴に満ちる。ほむらは対処する間もなく、助手席の少女にナイフを突きつけられた。
「訓練した奴でも18時間が限界だろうな」
廃工場の廃墟。ワンボックスカーにいた2人の少女――グリーフシードを狙う二木市の魔法少女――が、縛られたほむらとさやかを前に立つ。
目に見える位置に目覚まし時計とソウルジェム――ほむらとさやかの2人分――が置かれ、拷問でかなりの濁りが見える。
「こいつは18分で堕ちた。情報のない癖に手間かけさせやがって」
助手席の少女が椅子を蹴り、さやかが倒れる。
「7時になれば仲間は助かるって寸法かい?」
ナイフを持った少女が、ほむらの服の首元を切り裂く。
中には銀色のカプセルが織り込まれていた。
「耐えるつもりかい? それともこれを飲んで死ぬか。見滝原らしいな」
少女がカプセルを咥え、吐き捨てる。
銀色のカプセル――巴マミが用意した、魔女化を防ぐための終焉の毒薬。
だが、この状況では役に立たない。魔女化しても、目の前の2人にソウルジェムを砕かれるだけだ。
「もう7時か。いや、早すぎたな」
助手席の少女が目覚まし時計を取り、時刻を逆回転させる。
ほむらは時間の感覚を失っていた。全身は血に染まり、精神とソウルジェムの限界が近づく。
「1時間戻すか」
少女が時計を見せつける。
ほむらは、背後でかろうじて生きるさやかの手が動くのを見た。
後ろ手に縛られたさやかの指に、銀色のカプセルが摘まれている。
その瞬間、残りの力を振り絞り、椅子を倒してさやかの指に食らいつく。
意図に気づいた2人の少女がほむらを抑え込むが、遅かった。
カプセルはほむらに噛み砕かれ、口内に杏のような甘い匂いと泡が広がる。
無限の周回がこの形で終わることに、絶望と安堵の混じる心境で、ほむらの意識は暗い底へ落ちていった。