キヴォトスの亡霊 作:枝那
ハフバ前に人の心とかないんか?
しかもルミは少なくとも一年待たないといけないなんて残酷過ぎる……
アビドスでの騒動から2週間ほどたったある日。
アビドス高校の生徒や、便利屋68、ゲヘナ風紀委員会なども当番として業務に従事するようになり、シャーレという怪しい組織は、地道に信頼を積み重ねていた。
“ふーー………”
今日までに終わらせなければいけない業務はひとまず片付き、先生は伸びをして深く息を吐いた。
目を瞑って物思いに耽る。
先生の思考を占めているのは、先日アビドス砂漠で規格外の力を見せつけたムクロのことだった。
今も彼の調査は続いている。
アビドスに出張している間手をつけられなかった仕事が片付き、ようやく再び着手できる。
背もたれに倒れていた上体を起こし、先生はある所に電話をかける。
“…もしもし。ちょっといいかな?”
◇
<ゲヘナ学園・風紀委員会執務室>
「こちら、粗茶ですが」
“ありがとう、チナツ”
先生はゲヘナ学園を訪れていた。
お茶を用意してくれたチナツに礼を言うと、先生は自分と同じようにソファに座っているヒナに顔を向けた。
「呼んでくれたらこっちから出向いたのに」
“いやいや、ほとんど私情みたいなものだから。気にしないでいいよ。それに、ヒナ以外にみんなからも話を聞きたいしね”
「そう。……それで、ムクロについて聞きたいのよね」
“うん。駄目かな?”
「いいえ。彼のことはいずれ話さなければと思っていたから。ちょうどいいわ」
ヒナは口につけていたティーカップを机に置くと、すこし俯いて口を開いた。
「ムクロは1年生の頃、ゲヘナ風紀委員のメンバーだった。これは知ってる?」
“うん。雷帝って人のシンパを追う任務に就いて、それから失踪したということも”
「そこまで知っているなら、説明は不要ね。『雷帝』絡みの任務の時に彼は姿を消し、戻って来たら別人のように変わっていたの」
“…風紀委員にいた時のムクロはどんな子だったの?”
「そうね…真面目な人だったわ。口は悪いけど正義感が強く規律を重んじて、風紀委員としての責務を全うしようとしていた。戦場では率先して前に出て、彼を慕う生徒も多かったわ。ただ…」
“ただ?”
「少し危うさを持った人でもあったの。彼は悪人に対して過激になることが時々あった。よくいる不良や問題児相手ならそうでもなかったのだけど、ヤクザやマフィアといった人殺しに手を染めるような連中には本当に容赦がなかったわ」
先生の脳裏に、先日邂逅した
「でも、私を含め当時の風紀委員たちはそこまで問題視していなかったの。悪人に厳しいけど、それも咎めるほどではなかったから。どんな犯罪者もルールの上で裁くし、私刑に走るなんてことはしなかった。まして、人を殺すなんて……」
“………”
ヒナの声が微かに震える。彼女の傍に立っているアコも暗い顔をしている。
二人は『亡霊』となる前のムクロのことをよく知っている筈だ。風紀委員としての役割に従事し、仲間からの信頼も厚かった彼がああなったのだ。きっと余人には想像もつかない程胸を痛めているに違いない。
“…みんなは、どう?彼のことについてどう考えてる?”
彼のことを直接知る者以外の印象も知りたいと、その場にいた風紀委員たちにも尋ねた。
「怖い」
「強すぎ」
「意味不明」
“あ、あはは……”
あまりに身も蓋もない意見に先生は思わず乾いた笑みを漏らす。その様子を見たイオリが呆れ気味に口を出した。
「正直、
“禁じられてる…そう言えば、トリニティも彼との接触が禁止されてたっけ”
ブラックマーケットでのヒフミとの会話を思い出し、先生は不意に呟く。
「そうね。ゲヘナと仲の悪いトリニティは特に厳しいけど、ミレニアムや他の学校でも彼との接触は禁じられているわ」
“そんなに”
「元々彼は有名人でしたから。キヴォトスでは唯一と言ってもいい男子生徒で、次期風紀委員長と名高い実力者。多くの学校が彼を要注意人物として注目していました」
「それを抜きにしても、彼は危険な殺人鬼よ。しかも強すぎて誰も彼を捕まえられなくて、野放しの状態になっている。各学校の上層部が彼を危険視するのも当然だわ。彼の悪名は一学校に留まる話ではないの」
「全くです。エデン条約も彼のせいで危うく破算になりかけたんですから!」
“エデン条約…”
腹立たしげにアコの口から放たれたその言葉を先生が反芻する。
「ゲヘナとトリニティの平和条約のことよ。今は失踪した連邦生徒会長が発案したものなんだけど…」
「知っての通りゲヘナ学園とトリニティ総合学園の仲は最悪です。
「ムクロが殺人をしたということが知れ渡って、それを口実に反対派の勢力が大きくなったのよ。「殺人鬼を出すような学校と仲良く出来るか!」といった具合にね」
「結局反対派はティーパーティーによって鎮圧されたんですが。今思い出しても本当に腹立たしい……!なのに渦中のムクロさんは素知らぬ顔をしていますし!」
顔を赤くし、八つ当たりにも近いことを言うアコを、ヒナやイオリらは冷ややかな目で見つめた。
「まあアコちゃんの言うことも分かるかも。アイツって色んな所で好き勝手するくせに、全然話が通じないからな」
「風紀委員が現場に到着するより先にあの人が全て解決していたなんてこともよくありましたね……」
アコに同調したイオリの言葉に、チナツも遠い目をしながら付け足した。
段々話が逸れていっているのをヒナがコホン、と小さく咳払いをして話を戻す。
「私たちから話せるのはこれくらいかしら。大した話が出来なくてごめんなさい」
“いいや、良い参考になったよ。ありがとう”
先生がソファに腰掛けながら彼女に頭を下げると、少しばかりの沈黙が流れる。すると、意を決したように、再びヒナが口を開いた。
「これはあくまで私の憶測に過ぎないから、聞き流して構わないのだけれど」
“良いよ、続けて”
「1年生の時の彼も強いは強かったけど今みたいな人外染みた強さじゃなかった」
「ずっと不思議だったの。確かに彼は正義感が強くて、悪人に対して容赦がなかったけど、だからといって殺人に手を染めるような人じゃなかった。もしかしたら、今の彼の中にいるのは、
“違う人格……映画とかに出てくる二重人格ってこと?”
耐え難い苦痛から逃れるために、別の人格を生み出す。二重人格――解離性同一性障害。そう考えると、腑に落ちる点がいくつもある。ヒナたちから聞いた彼の人物像では、彼が殺人に手を染めるとは考えにくい。
風紀委員として最後に就いた任務で、彼は耐え難い苦痛をもたらす『何か』を目撃し、あるいは体験し、今のムクロの人格が生み出された。突拍子もない話だが、あり得なくはない。
しかし、そうなるとまた一つ新たな疑問点が浮かび上がる。
“人格が変わったくらいで、普通あそこまで強くなるかな?”
「…そこはなんとも。でも、そうとしか考えられないのよ」
いくら別人格とはいえ、肉体は元のムクロのもののはず。あの常軌を逸した強さが二重人格によって得られたものだとはどうしても思えない。
“………”
暫し黙考。その後、
“分かった。その線で調査してみるよ。時間取らせてゴメンね”
先生は姿勢を崩し、ソファの背もたれに軽く体重を預けた。重苦しかった空気がフッと消え、彼女たちの表情も柔らかくなる。
「いいえ、気にしないで。それと」
帰る準備を整えている先生に向けて、ヒナが最後にと引き止めるように言う。
「今の彼を他の生徒と同じように考えたら駄目。子供とか大人とか、『亡霊』になった彼にそんな枠組はもう当てはめられない」
それは今と昔のムクロを知るヒナからの忠告だった。
「もしもの時の為に覚悟はしておいて。いざとなれば『生徒』ではなく『敵』として彼を終わらせる覚悟をね」
“………うん”
彼女の冷徹な警告に、先生は表情を暗くしながら返事をして、執務室を立ち去った。
◇
「あら?」
“アレ”
ゲヘナ学園からの帰り道、その途中で先生は見覚えのある4人組と遭遇した。
「先生じゃない。久しぶりね」
“アル、それにみんなも。奇遇だね”
便利屋68である。
「先生は出張の帰り?」
“うん、ちょっとゲヘナ学園に用があってね。ついさっき終わらせてきたんだ”
「へぇ…あそこにね」
“そういうアルたちは?任務の帰りかな?”
「まぁ、そんなところよ」
アルは言葉を濁す。よく見れば彼女たちの体は汚れているが、傷などは無く火薬の匂いもしない。大方猫探しか何かだろうと結論付け、それ以上は追及しないことにして話を続ける。
キュルルー……
すると、彼女の腹が小動物のように可愛らしく鳴いた。
「あっ……」
アルは顔を真っ赤に染め、両手で自身の腹を抑える。
「……任務が長引いたからまだお昼食べれてないのよ……」
言い訳するように、アルは声を細めて言う。他の社員たちも同じようで、頬を薄く赤らめている。それを見て先生は苦笑しながら、ある方向を指さした。
「ほ、本当に好きなのを頼んでいいのかしら…?」
“うん。遠慮しないでじゃんじゃん頼んじゃっていいよ”
キヴォトス最大手のファミレスチェーン。高品質、低価格の料理を提供する、圧倒的な人気を誇る飲食店に先生と便利屋の4人は来ていた。
アルたちは種類豊富なメニューを見て唸っている。正直どれも美味しそうだ。
「…本当に良いの?奢りなんて……」
“良いんだよ。お腹を空かせている生徒に食べさせてあげるのも仕事の内だからね!”
隣に座るカヨコが申し訳なさそうに耳打ちすると、先生はそう笑いながら答えた。相変わらずだなこの人は、と内心微笑みつつ、カヨコもメニュー表に目を向けた。
「ふー…美味しかったわぁ……」
「こんな幸せ、良いんでしょうか……」
「ファミレスで大げさな」
提供された料理を頂き、至極満足そうな表情を浮かべている便利屋一同。
先生はその様子を微笑ましそうに見つめ、氷で薄くなったコーヒーを口に含んだ後、真剣な表情で口を開いた。
“…みんな”
「何かしら、先生」
“少しだけ聞きたいことがあるんだ。大丈夫かな?”
「ええ。奢ってもらったんだし、それくらいなら」
“ありがとう。…聞きたいことというのは、ムクロのことだ”
その名前が出た瞬間、ガラスが割れるような音を立て、さっきまでの和やかな雰囲気は冷たく変貌した。満腹感による幸せそうな表情からは一転、今の彼女たちの顔には緊張、恐怖、戸惑いが浮かんでいる。
「…なんで、彼のことを知りたいの」
アルが動揺を押し殺したような声でその意図を問う。
“少しでもムクロのことを知りたいんだ。みんなもあの時砂漠にいたし、それに昔から面識があるようだったから”
「先生、あの時の忠告をもう忘れたの?」
カヨコは鋭い目を向ける。ムクロの危険性をこの中で一番理解しているのはカヨコ。
“もちろん。彼の力も、みんなが彼を危険視する理由も分かってるよ”
「分かっているなら尚更…」
“でもね、私もあの時言ったよ。「彼を諦めるつもりはない」ってね”
微笑む彼に、カヨコは言葉を詰まらせた。
「…はぁ、そこまで言うなら、もうこれ以上は無駄だね」
溜息をつくカヨコ。もはや先生には何を言っても無駄だと諦めた。
アルもまた先生の思いを汲み取り、口を開いた。
「私もそこまで彼を知ってるわけじゃないの。依頼とかで会ったのも数えるくらいだし」
「私あの人ニガテー。風紀委員やヒナより話が通じないんだもん」
いたずらっぽい笑みは消え失せ、ムツキはコップに残ったドリンクを音を立てて吸い込んだ。ハルカは特に話せることはないのか、気まずそうに黙っている。
“そっか。みんなから見て、彼の印象はどうかな?”
先生が聞くと、アルは腕を抱きながら答えた。彼女の表情には僅かに怯えが見える。
「アレはもう風紀委員とかアウトローとか、そういう次元じゃないわ。本当にもう、そういう生き物みたいな……」
「社長の言う通りだよ。今のムクロは怪異や怪談みたいな存在だと思う。正しく対処すれば問題ないし、対処法を誤れば殺される。近づかないのが一番な怪物だよ」
“怪異、か……”
亡霊、機械、怪異。彼に対する評価は軒並みそういう感じだ。否定は出来ない。あの理性ある人間とは思えない様相と、規格外の戦いを見れば、誰だってそのような印象を抱いてしまうだろう。
「先生は、『ガラ区』って知ってる?」
“ガラ区……確か、ムクロが拠点にしているブラックマーケットの区域だよね”
「そう。ブラックマーケットじゃすごい有名なんだよ。『銃声が響かない街』としてね」
“え”
カヨコの口から放たれたその言葉に、先生の口から素の驚きがこぼれる。
「まぁ普通はそうなるよね。
「もし銃撃戦をして、もしムクロに目を付けられたら?……そういう風に、そこの住民たちは自然と戦いを避けるようになったんだ。ムクロが何かをするまでもなくね。犯罪発生率も他の街と比べるとあり得ないくらい低いし、土地の価格もトリニティやミレニアムの一等地並みに高騰してるんだ」
“えぇー……”
恐ろしい子だ。彼の存在は図らずしも犯罪の抑止力になっているようだ。
「温泉開発部や美食研究会も、あそこにだけは近づかないようにしてるんだよねー」
「悪い事をすれば容赦なく叩きのめされて、何もしなければ攻撃されることはないっていうのが、大半の人の認識かな」
“………ねぇ”
「何?」
“そもそもの話……何でムクロは戦っているんだろう”
「―――」
カヨコが目を見開いた。アルたちは先生の疑問の意味が分からず、戸惑いながら答える。
「なんでってそれは……」
「別に理由なんてどうでもよくなぁい?」
「いや、そうでもないよ。『何故そうするか』を知れば、彼の正体に近付けると思う」
今まで欠けていた視点。ムクロの戦う理由。カヨコは口元に手を置いて考えこむ。
キヴォトスは3歩歩けば銃弾に当たるような場所だ。戦う理由などなくとも戦いに巻き込まれてしまう。戦いとはキヴォトスの人間にとって日常の一部なのだ。
それ故に、彼が何故戦い続けるのかを誰も考えようとしなかった。
戦いが身近にない、キヴォトスの外から来た先生だからこそ出せる問いだ。
“風紀委員だった時はともかく、停学中の今積極的に戦う理由は何なんだろう。巻き込まれたわけじゃなく、わざわざ戦闘に乱入する理由……”
「敵意に反応してとか?あの人敵意にしか反応しないし、戦場ならおあつらえ向きでしょ?」
“やっぱりそうだよね……”
先生はアルの言葉に同意する。敵意にのみ反応するというフィクションのような現象。だが、亡霊を知る者たちにとってはその空想はもはや常識なのだ。
だが、先生の本能が警鐘を鳴らしている。『これは違う』と。
何か一つ、大事なことを見落としている気がしてならない。
“ヒナは、彼が二重人格なんじゃないかって言ってた”
「……その可能性を私も考えてはいたよ」
先生がゲヘナ学園で聞いた考察を口にすると、頭の切れるカヨコも二重人格の可能性は考慮していたらしい。
“今のムクロは敵意や殺意に反応する。……多分、戦場に乱入するのは敵意に反応して……”
「風紀委員として犯罪者を取り締まってた頃の名残でもあるのかもね。それが二重人格で殺しのブレーキが無くなった……。二重人格説が合ってればの話だけど」
“ありがとう、みんな。またムクロの正体に一歩近づけたと思う”
「別に気にしなくていいわよ。奢ってもらったんだから」
会計を済ませ、店を出た先生たち。既に空は朱色に染まっている。店から少し歩いて、
「先生、ムクロには出来るだけ近づかないようにね……言っても聞かないだろうけど」
“あはは…善処するよ”
「もしアイツと何かあったらすぐに私たちを呼んでちょうだい。何があっても、先生のことは守るから」
“うん……ありがとう”
別れの挨拶を告げ、先生と便利屋はそれぞれ帰路に着いた。
“(ムクロ………)”
先生は歩きながら、今日一日の会話を振り返る。
風紀委員だった、正義感に燃えていた頃の彼。『亡霊』として、ひたすらに敵意を斬り裂く彼。多くの生徒が、彼のことを『手遅れ』だと認識していた。彼女たちの気持ちは十分に理解できる。
“(でも………)”
もしも、本来の優しい彼が、心の奥底に眠っているとしたら。
“(私は、絶対に君を諦めない)”
彼が生徒である限り、先生は亡霊の手すら取ってみせるのだ。たとえ、その身を切り刻まれようとも。
さて、先生たちはムクロの正体に近付いていってますね。一体先生はどうやってムクロの手を取るのでしょうか。
『SAKAMOTO DAYS』はどれくらい知っている?
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原作も読んでいる
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名前や大まかなストーリーくらいなら
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全然知らない