Angel Beats! -The Reconnect Operation- 作:上海かに
――戦線本部。
かつては”校長室”と呼ばれていたこの空間には、死んだ世界戦線の主要メンバーが一堂に会していた。時刻にして17時、幹部メンバーに対して定められた、定例会議の時間である。
出入口である両開きの扉の向かい側、部屋の奥には戦線のリーダーであるゆりが革製の椅子に腰をかけており、艶のある執務机に肘をついていた。
「高松君、報告をお願い」
定例会議が始まるや否や、ゆりの口から発せられた指示に、戦線幹部の一人である高松が「はい」と応える。切れ長の瞳に理知的な佇まい(それとメガネ)から、彼が戦線の参謀に位置する人物なのが見て取れる。
「武器庫からの報告によると、弾薬の備蓄がそろそろ尽きるそうです。次一戦交える前には、補充する必要があります」
「新入りも入ったことだし、新しい銃も居るんじゃない?」
高松の言葉に、大山が続ける。昨夜のオペレーション・トルネードにおいて相当な数の銃弾を使ったことによるものだろう。報告を受けたゆりは「分かったわ」と返す。
「本日のオペレーションは、ギルド降下作戦と行きましょう」
「降下……作戦……」
聞いた途端に唾を飲み込んだ音無の顔を、日向が覗き込む。
「どうした音無?」
「高いのは得意じゃないっつーか……」
背中にパラシュートを括り付けて空高く飛ぶ軍用機から飛び降りる光景でも想像したのだろうか、その顔は青ざめていた。そんな想像を鼻で笑い飛ばし、ゆりは続ける。
「何言ってるのよ、空から降下じゃないわ。ここから、地下へ降下よ」
「なーんだ、地下か……って地下!?」
「あたし達は”ギルド”と呼んでる、地下の奥深くよ。そこでは、仲間達が武器を作っているの」
「じゃあ、天使にばれないようにってことか?」
「そうね。ギルドを抑えられたらあたしたちに武器支援は無くなり、あたし達に勝ち目は無くなるわ」
言いながら、ゆりは手に持った通信機を口元に当てる。
「あたしだ。今夜そちらに向かう。トラップの解除を頼む」
最低限の要件のみを伝えた簡潔なゆりの言葉。少しの間を置いた後に、通信機からは戦線の隊員と思しき男からの「了解、今晩だな。待ってるぜ」という声が返ってきた。その応答に「よし」と短く頷いたあと、ゆりはこの部屋に集結している戦線のメンバーを見渡す。
「今回はこのメンバーで行きましょ」
音無はその視線に釣られて部屋に集まっている戦線の幹部隊員達へと目を向ける。見渡した限りの隊員達の中でこの決定に異論を唱える者はほとんど居なかった――が、ただ一人、久居が「うぅ、ギルド……ギルドかぁ……」と不安げに零している。
その仕草に僅かばかり気を取られた音無だったが、それよりも昨日戦線のメンバーを紹介された時と比べると、少々数が少ないように感じられることが気がかりだった。
「あれ……何人か欠席してるみたいだけど、野田君達はいいの?」
すぐさま大山が切り出したため、その違和感に間違いは無かったようだ。17時の定例会議には参加するよう決められていた筈だが、どうやら遅刻している様子だった。
音無は自身の記憶を辿りながらこの場に居ない戦線幹部の顔を思い出す。どうやら一晩経って主要な人物の顔と名前は一通り憶えられたようで、この場に居ないのが岩沢、野田、真幸、武藤の4名であることが分かった。
その4人の顔を思い浮かべながら、日向は「あー……」と呆れ半分に頭を掻く。
「岩沢は多分バンドの練習が長引いてるとかだろうな、音楽キチだからよくあるんだ」
「となれば、真幸君はガルデモの身辺警護などと言って練習場所に張り付いているのでしょう。ガルデモキチなのでよくあることです」
日向の言葉に高松が続ける。そんな感じで大丈夫なのかとは思いつつ、昨夜の狂信ぶりを見るに、真幸という男が時間も忘れて岩沢の警護に没頭する姿はありありと想像できた。
「じゃあ、後の2人は?」
「……あのバカ共はどうせどっかで単独行動してんだろ。あの類の奴等の行動を一々予想しようとするのは、精神に毒だぜ……」
腕を組んでしばし考え込む仕草を見せた後、日向は諦めた様相で両手をヒラヒラと振った。
*
――体育館。
部活動も終わり、人気がすっかりと無くなった空間の中に、ゆり達戦線の面子は集結していた。薄暗い体育館の中で、松下を始めとした数人が演台の下の収納空間の引き戸を開け、中からパイプ椅子をぎっちりと積み込んだ台車を引っ張り出す。それによって現れた空間の中に、次々と隊員達が潜り込んでいった。
「ほら、突っ立ってないで行くぜ」
「こ、この中にか?」
日向によって肩を押された音無も戸惑いがちに演台の下へと潜り込もうとするが、ふと、一人の隊員が後に続く様子を見せないことに気が付いた。
「あいつは連れて行かなくていいのか?」
音無が促す先には、隊員達が入っていく演台の脇に佇む少女、遊佐が居た。明るい金髪をツインテールに纏めた美しい顔立ちの少女は、しかし不気味な程の無表情でその場に直立不動している。他の隊員達に続こうという仕草を一切見せないその姿は、もしかしたら精巧なマネキンか何かなのではないかとさえ錯覚させ得る物だった。
「遊佐さんは戦線の通信士だから、わざわざギルドまで付いて来て貰う必要もないでしょ?」
音無と日向の横を通り過ぎた久居が口を挟む。日向もそれに頷きながら続けた。
「あいつはゆりっぺの言うことにだけ従うからな、今回はここで見張りを言いつけられてんだろ」
「なるほど……」
言っている間にも、遊佐はその場から動かず隊員達を見送っていく。その姿に(余りにも無感情ではないか……?)という疑問が浮かんだが、それについて思案する状況でもないことをすぐ思い出した音無は、彼もまた演台の下へと潜り込んでいった。
腰を屈めて入っていった先には、床下へと続くであろうハッチが開け放たれており、他の面子はその下へ入っていったものと思われる。薄暗い中でその中を覗き込むと、更に深い暗闇へと続く梯子が取りつけられていた。
意を決して梯子に手をかけて下へ降りて行くと、やがて坑道のような地下通路へと辿り着いた。道の脇に等間隔で置かれている電灯の灯りは、日の光が届かない通路内を頼りなく照らしている。
地面に足をつけて周囲を見渡すと、先んじて梯子を下りていた面子は、皆同じ方向を向いていた。そちらが進行方向なのだと判断し、音無も後に続こうと歩を進める。
「おい、誰か居るぜ!」
しかし、先頭に立つ藤巻から放たれた言葉に音無はピタリと動きを止めた。僅かながら警戒心を走らせつつ、藤巻の持つ懐中電灯が照らす先を追いかける。
「ふっ……」
そこに居たのはハルバートを片手に携えた戦線隊員、野田だった。まるで自分達がここに降りてくるのを待ち構えていたとでも言わんばかりのドヤ顔で面々の前に立ちはだかる。
「あー、アホが居た」
日向の辛辣な一言は意に介さず、野田はその三白眼の向ける先を音無に定め、得物の刃先を向ける。
「音無とか言ったか、俺はまだお前を認めていない」
「わざわざこんな所で待ち構えてる意味が分からないよな……」
「野田君はシチュエーションを重要視するみたいだよ」
「意味不明ね……」
要するに新メンバーである音無の存在が信用に足るかを試しているのだろう。「今やることか?」という疑問は野田以外の全員が感じたことだが、あえて口にはせず外野からひそひそと話すばかりだ。
「別に、認められたくもない」
いきり立つ野田に対して、音無は冷めた様子で返す。音無にとっては記憶を取り戻すまでの間とりあえず協力しているだけの関係だ。そこに認めるだの認めないだのといった関係の深化を求める余地は、今のところ無かった。
そっけない態度が神経を逆撫でしたか、野田は額に青筋を浮かべながらハルバートを構え直し、音無に向けて一歩踏み出す。
「貴様ァ……今度は千回死なせてやろうかブヘラァッ!!」
次の瞬間に起こった出来事を理解するのに、僅かな間があった。威勢よく足を踏み出した野田は、天井から降りてきたハンマーによって吹き飛ばされていたのだ。芸術的な吹っ飛び方で壁に叩きつけられ、振り子の要領で戻ってきたハンマーの無慈悲な追撃までもが直撃する。そのままぐったりと地面に崩れ落ちた野田の身体は、そこから再び動くことは無かった。
「臨戦態勢!!」
あの啖呵からは想像だに出来ないあっけない様に音無の心中には焦りより呆れの方が先に来たが、ゆりの口から放たれた迫真の指令によって緊急事態であることを察する。
周囲の隊員達は咄嗟に懐から拳銃を取り出し、各々周囲を警戒するよう構えを取った。状況が呑み込めずその場に立ち尽くしていた音無だったが、日向に襟を引っ張られ半ば強引にしゃがみ込まされる。
「トラップが解除されてねぇのか!?」
藤巻の叫びが狭い空間に反響した。
「何事だよ!?」
「見ての通りだ。ギルドへの道のりには、対天使用の即死トラップがいくつも仕掛けられてある」
未だにぶらりと揺れているハンマーを指差しながら、日向は続ける。
「その全てが、今も尚稼働中って訳さ」
「ということは……」
「トラップの解除忘れかな?」
「まさか俺達を全滅させる気かよ!」
周囲への警戒を続けながら、大山と藤巻が声を上げた。その場で片膝立ちになっているゆりは、「いえ……」と推測を立てる。
「ギルドの独断でトラップが再起動されたのよ」
「何故?」
音無達の背後を警戒しつつ、松下が訪ねる。
「答えは一つしか無い。天使が現れたのよ」
「この中にか!」
「Just Wild Heaven……」
「不覚……」
松下に続き、TKと椎名が次々に無念の声を上げる。
「ギルドの連中は、俺達が居るのを知っててこんな真似をするのか?」
音無が疑問を呈する。目の前で繰り広げられた野田の惨状を見た彼にとっては、あえて自分達を危険に晒すような行いの方が不可解だった。その疑問に高松が眼鏡の位置を直しながら返す。
「あなたはまだ分かっていない様ですね。何があろうと私達は死ぬ訳じゃない。死ぬ痛みは味わいますが」
「それが嫌なんだが」
「しかしギルドの所在がばれ、拠点が陥落すれば、銃弾の補充も壊れた武器の補填も効かなくなる。それでどうやって天使と戦えと言うのです」
その説明に、音無は言葉を失った。つまりは、ギルドの防衛は音無達の身の安全に勝るということである。今の状況は、彼が想像するよりも遥かに切迫しているであろうことは理解できたが、だからといって納得までは行かなかった。
「ギルドの判断は正しい」
しかし、音無の心中とは裏腹にゆりは毅然と言い放つ。意を決したように立ち上がる彼女に、日向が声をかける。
「天使を追うか?」
「トラップが解除されてねぇ中をかよっ」
日向の言葉に、すかさず藤巻が待ったをかける。それに音無も同調するように割って入った。
「天使はそのトラップでどうにかなるんだろ!戻ろうぜ!」
必死に抗議するが、その言葉にも久居が「残念だけど……」と言葉を被せた。彼女は他の隊員と比べるとやや慣れない様子で身を低くしながら、小ぶりな拳銃を両手で握っていた。
「トラップは一時的な足止めにしかならないの。天使の力があれば、少し経ったら進軍されて、やがてギルドに辿り着いてしまう」
そう続ける久居の声は僅かに震えていた。慣れない荒事に巻き込まれたことによる緊張が表に出ている様子だ。
音無は、天使の力――ガードスキルと呼ばれる人知を超えた能力の数々――を思い返す。それに加え、今までの経験から察するに、天使の身体能力そのものまでもが何かしらの強化をされている様子であり、小柄な体躯でありながら、その膂力や俊敏性は音無達隊員を遥かに凌駕している。(もしかしたら、それ自体がガードスキルの一種なのかもしれない)
一度は身体で覚えさせられたこともあり、久居の言葉は受け入れざるを得なかった。
ゆりは通信機を手に持ち、マイクをオンにする。
「遊佐さん、直ちに真幸君と武藤君を招集、天使の追撃を伝令して頂戴」
梯子の上で待機する遊佐に向けて、端的に要件を伝えると、間髪入れずに『了解しました』という声が返ってきた。
遊佐の応答を確認すると、通信機を腰のベルトに引っ掛け、罠の犇めく通路へと一歩踏み出した。
「ギルドは何としても死守しなければならない。
よって、追うわ。進軍よ」
ゆりの号令により、死んだ世界戦線の幹部達は覚悟を決めた様子で立ち上がる。
こうして、ギルド防衛のための、命がけの行軍が始まった。
*
――学習棟A棟・空き教室。
日が遠くの山間の中へと吸い込まれ、辺りが薄暗くなってきた夕暮れ。学園全体が部活動も終わろうとしている空気を纏う中で、学習棟の一角にある空き教室ではとあるロックバンドが、日課である練習に勤しんでいた。
計4人の少女によって構成されたロックバンド――Girls Dead Monster――の面々は、汗をかきながら各々のパートの音を懸命に鳴らしている。その中心で、岩沢はギターを弾きながら力強い歌声を発している。
先日行われた作戦行動時と比べても全く見劣りしない熱量で、四つの楽器と一つの歌声は周囲の空気を震わせる。ライブの際と明確に違うのは周囲に人気が無いことだが、それでも彼女等4人が演奏の手を抜くことは無い。(手を抜いたと判断された場合もれなくひさ子の折檻が待っているからである)
通しで一曲分の演奏を終え、しばらくの間教室内に沈黙が訪れる。演奏の余韻が完全に収まった頃、関根が口を開く。
「……どうっすかひさ子先輩、ここ最近の中でも相当キマってたんじゃないですかね!」
「最初のBメロの時に若干ズレてた。また何かアドリブ挟もうとか考えてただろ。あと入江も、サビ前の部分が微妙に急ぎ足だった。一番重要な所なんだからそこでズレるのは問題外だぜ」
肩に掛けたギターを持ち上げながら放たれたひさ子の評価は何とも辛口だった。想像していたもの(百点中五百億兆点!!さっすが関根さんとこのしおりんだぜぇーーーーーーっ!!!!といったお褒めの言葉)とは全く違った言葉に関根は「うっ」と口ごもり、更に追加でダメ出しを食らった入江も肩を委縮させた。
「いいじゃないですかちょっとくらい褒めてくれても!」
「あたしもそうは思ってるさ。その水準に達しないお前等が悪い」
「鬼!悪魔!天使!!」
いつもの調子で口を膨らませる関根を横目に、入江は演奏で汗ばんだ顔を手でパタパタと仰ぎながら窓の外へと目を向ける。
「あれ、もしかして5時過ぎちゃってません?」
と、屋外の風景が夕暮れを過ぎつつあることをようやく察した入江に始まり、四人はそれぞれ顔を見合わせた。
しばしの沈黙の後、岩沢が腰に手を当てて部屋の壁に掛けられている時計を見て、そしてその視線を天井へと移す。
「やべ」
非常に端的な言葉で、岩沢は自分が定例会議をすっぽかしたことを察した。時計の短針は既に5の数字を通り過ぎてしばらく経っている。
入江の気付きにより自分達の練習に熱が入り過ぎたことを認識したのか、ひさ子も頭を掻きつつ後片付けの準備に入る。
「……悪い、ちょっと練習に入れ込み過ぎたな。またゆりっぺにどやされる」
「いや、仕方ないさ。あたしもひさ子達も、それくらい音楽に打ち込めていたってことだろ」
「それはそうなんだが……あたしももうちょっと自制しないとな」
言葉とは裏腹に、岩沢は慌てた様子を見せていない。陽動部隊のリーダーとして定例会議の参加義務こそ架せられているものの、今日のように練習が長引くことはままあることだった。
ゆりも彼女にとって音楽が他の何にも勝る優先事項なのは重々承知しているため、(ライブが絡む事柄を例外として)遅刻を強く咎めることは基本的に無い。しかしながら没頭するあまり予定を踏み倒してしまったことは事実のため、ひさ子は少々ばつの悪そうな顔をしていた。
「それじゃあ、今日はお開きにします?」
「そうだな、良い時間だしこの辺で切り上げるか」
入江の言葉に岩沢が同意すると、4人はいそいそと楽器やスピーカー等の設備を部屋の隅に寄せていく。特に用途の無い教室を間借りしているということもあって、この空き教室は実質的にガルデモの練習場所として楽器や簡易的な設備を保管する場所となっていた。
「――てわけで、真幸さんも遅刻確定だよー」
ある程度の片づけが済んだ頃、関根は廊下へと続く引き戸を開ける。そして、教室への出入り口のすぐ傍らに勝手に置いた学習椅子に腰を掛けた戦線隊員、真幸へと声をかけた。
まるで警備員かと言いたくなるような場所に腰を落ち着かせる真幸の目からは、一筋の涙が流れ、彼の頬を伝っていた。
「今、世界平和が成就した……」
「うおっ、泣いてる」
真幸が身辺警護と称してガルデモの練習場所の付近に勝手に居座るのは、日常茶飯事の光景だった。
岩沢を敬愛している彼は、その音楽の邪魔をする者は誰であっても噛み付く番犬の如き振る舞いをしており、その心意気を実行に移した結果として常日頃からガルデモのガードマンの真似事を行っている。
……実際の所、練習を邪魔してくる可能性のある天使は日中は授業のため、その練習を脅かす者というのは、現時点で存在しない。ガルデモメンバーはおろか、真幸本人もそのことは自覚しているため、誇張なく彼の自己満足故の行動である。(一応、見学に来た野次馬を追い払う程度の効果はある)
今回も、いつの間にやら真幸が練習場所に来ていたことを知っていた関根は一応とばかりに声をかけたのだが、何やら感極まって泣いている真幸を見て若干引いていた。
「…………ん?何か用かよ関根。外野に構ってる暇があるんだったら練習に集中しろっての」
「今終わったよ!」
「ほー、そいつはお疲れさん」
関根の声にハッと我に返った真幸は、教室の中から顔を覗かせる彼女の顔を見る。外ならぬ外野の立場で、先程まで感極まっていたというのに、もっともらしいことを言ってくる真幸に、関根は微妙な苛つきを感じた。
「あれ、真幸じゃん。居たんだ」
教室の中から岩沢が声を上げる。岩沢はここで初めて真幸の存在に気が付いたようだ。つい先程まで存在を認知されていなかった事実に一切動じることなく、真幸は椅子から立ち上がり、岩沢に向けて恭しく一礼する。
「本日もお疲れ様でしたぁ岩沢さん!岩沢さんのその素晴らしい歌声、俺の五臓六腑に深く深く染み渡ります!!」
「ありがと」
普段の不良染みた振る舞いとは180度異なる、芸術的な直角のお辞儀を前に、岩沢はいつもの調子を一切崩さず返す。
「きょ、今日も見事な一礼だねぇ真幸さん。その姿勢見習っちゃうなぁ」
代わりに、その光景を見た入江が苦笑を浮かべた。彼女等にとってはこれもいつもの光景ではあるものの、やりすぎなまでの岩沢への敬意には呆れの方が勝っていた。
真幸は入江の方に向き直ると、途端に肩の力を抜いて頭を上げる。その対応の差は、岩沢とそれ以外の相手で人格を切り替えているのではないかと思わせる程だ。
「これくらいは当たり前だろ。むしろ今岩沢さんへの感謝を伝えるのにこれくらいしか出来ない自分が無力で仕方無ぇ」
「いやいやいや……」
「そうだ、今俺には出来ることがある筈だ。岩沢さんの歌はこんな目立たない教室なんかで消費していいモンじゃない。よっしゃ、ギルドの連中と協力して武道館を作る!!」
「発想が飛躍し過ぎじゃないかな!?」
溢れるパトスを持て余しておかしなことを口走る真幸。しっかりとツッコミを入れる入江を横目に、他のガルデモメンバーは片づけに勤しんでいる。
「もうちょっとこう、何か手ごろなことで感謝を伝えてもいいじゃないかな?」
「それもそうだな……よし岩沢さん、僭越ながら俺に何かできることはあるでしょうか!」
岩沢は少し考え込んだ後、真幸に言う。
「じゃ、何か飲み物買ってきて」
「かしこまりましたぁーーーーっ!!」
それを耳に入れると、火が付いたかのように真幸が廊下へと飛び出した。その勢いのまま走り出すかと思いきや、岩沢以外のメンバーである3人を順に見る。
「つー訳で俺は岩沢さんへの貢ぎ物を買ってくるが、ついでだしお前等も何かいるか?」
「おっ気が利くねぇ真幸さんや。じゃ、あたしは炭酸。甘いやつで!」
「へいへい、入江は?」
「いやいやいや!あたしまで奢ってもらうのは流石に……」
両手をぶんぶんと振りながら遠慮しようとする入江だが、その肩を関根がガッチリと掴んだ。
「いーんだよみゆきち!これは真幸さんが勝手にやってることなんだから」
「人に言われると途端に腹立つが……別に遠慮する程のモンでもないんだから言っちまえ」
「ええと……じゃあ水でいいかな?」
少々控えめなオーダーとは思いつつも、真幸は「あいよ」と返し、視線をひさ子に移す。ひさ子からの飲み物の指定を待つ真幸だったが、彼女は壁にもたれかかって少し考え込む仕草を見せた後でふと口を開いた。
「んー……お前が良いなら、あたしも水を頼みたいんだが」
「何だよ、何か言いたいことでもあんのか?」
「いや言いたいことっていうか……なんか、暇そうだな真幸」
不意をついたかのようなその言葉に真幸は腰に手を当て、「はぁ?」と息を吐く。
「おいおいおい、何だよ急に。こう見えても俺ァ忙しいんだぜ?今日だってじきに始まる定例会議に出なきゃゆりっぺに……」
真幸からしたら脈絡の無いその発言に顔を顰めるが、言葉を紡いでいる内に何か妙な違和感が浮かんでくるのを感じた。
その違和感の正体を確かめようと、真幸は一度窓の外に広がる光景を見る。夕暮れは間もなく終わりを迎え、学園内には夜の帳が降りようとしているところだった。何か嫌な予感を察知しながら、その視線は再びガルデモの面々に戻り、彼は驚愕の声を浮かべた。
「今…………何時だ!?」
「だからさっきから遅刻だって言ってんでしょーが!!」
関根のツッコミが飛んだ。真幸は頭を抱えながら、しかし今しがたまで自身に架していた使命を思い出して唸り声を上げる。
「やべぇ、このまま遅刻の時間が長引けばゆりっぺの罰ゲームは免れないが今の俺には岩沢さんへ尊き貢ぎ物を差し上げるという使命が……」
「なんか悩み始めたぞこいつ」
「ひさ子先輩が急に現実に引き戻そうとするから……」
「いや、まさか真幸の頭からもすっぽ抜けてるなんて思わねぇよ」
意気揚々と飛び出した手前、ここで岩沢からの頼み事を反故するのは真幸にとってはあってはならないことである。しかしこれ以上遅刻が長引くと待っているのは、ゆりによる戦線名物”死よりも恐ろしい罰ゲーム”なのは間違い無いだろう。
入江の「まあまあ、気持ちだけ受け取っておくから……」という宥めるような言葉が、余計に真幸の精神を揺らす。
「おや、やはりここに居たかい、真幸君」
しかし、その逡巡は廊下の奥から放たれた声によって中断させられた。声のする方を見ると、そこには廊下の壁にもたれ掛かった武藤の姿があった。
何かと思えば見知った顔の登場に、真幸は「おう」と短く挨拶を返す。
「何だ武藤かよ、
「まあね、普段はガルデモの皆の邪魔になるし近づいたら君に叱られるしで中々来ないんだが、いやはやちょうど練習終わりのようで助かったよ」
金色の髪を触りながら、武藤は続ける。
「岩沢さん達もごきげんよう。教室棟の方から響く演奏は今日も心が洗われるようだったよ」
キザに言い放つ武藤に、教室から顔を出した岩沢は短く挨拶を交わす。続いて顔を覗かせたひさ子が、岩沢と真幸の2人を交互に指差した。
「武藤じゃんか。この遅刻魔2人を迎えに来たかい?」
「そう思うかいひさ子さん?実はこの僕も定例会議に大遅刻をしてしまっているのさ!いやぁ驚いた、僕が到着した頃には本部はがらんどう!まるで神隠しにでも遭ったかのような光景に、ゴミ捨て場の横に捨て置かれたか弱い子猫のような心境を抱いていたところだよ」
「アホが1人増えただけだったか……」
優雅かつ高らかに、自身も予定をすっぽかしたことを告白する武藤。ひさ子は頭に手を当てて、大きく溜め息をつくばかりだった。
「がらんどうって……何だよ、あいつらどっか行ってんのか?」
真幸が腕を組んで疑問を口に出す。”定例会議で特に話すことも無かったので即解散”といったのはよくあることだが、ゆりを含めた隊員が全て外しているというのはそうそう考えられないことだ。
「それについて、真幸さんと武藤さんにお話が」
「うおっ」
その疑問を追求しようとした矢先、無機質な少女の声が真幸の耳に入る。先程まで一切の気配を感じさせなかったにも関わらず、至近距離から聞こえてきたその声に真幸は肩をびくりと震わせた。
振り返ると、自身の背後には声の主である遊佐が不気味なまでの無表情で立ち尽くしている。
「なんだ遊佐かよ、毎度のことながら心臓に悪いぜ……」
「すみません、真幸さんの心機能に斟酌する余裕も無い状況でしたもので」
遊佐は天使もかくやといった無表情で淡々と言い返す。しかしながら、その無表情から放たれた言葉に真幸は怪訝な表情を浮かべた。
真幸の顔を見た武藤は一つ咳払いをする。端正な顔は先程までと同じ微笑みを作っているが、その青色の瞳には、先程まで無かった若干の真剣さを含んでいた。
「別件で立て込んでいた所申し訳ないが、真幸君にはこれから付き合って貰いたい用事があってね」
「用事だぁ?」
普段あまり見せない武藤の真剣な眼差しを受けた真幸は、内心理解しつつあった。彼は、遊佐からの指令によって自分を迎えに来たのだと。
通信士として多くの隊員達の橋渡しを行う遊佐は、しかしゆり以外の命令は絶対に聞かない。彼女が単独で武藤と真幸の2人を招集するというのも、それがゆりからの指令であることは容易に想像できる。(遊佐に限って、自己判断という結論はありえなかった)
遅刻した自分達にきつい灸を据えるつもりで呼んだか……とも考えたが、それにしては先程の遊佐の言葉が引っ掛かった。幹部メンバー全員が出払っており、遊佐が自ら真幸達を招集するような事態……もしや、
「緊急事態、という訳さ」
真幸の中で結論を導き出そうとしたのを見計らったかのように、武藤が言葉を紡いだ。。
*
――学習棟A棟、玄関口。
「マジかよ」
時間と共に仄暗くなってきた屋外では外灯が点き始め、それなりの数のNPCが行き交っていた。これから夜にかけて、大食堂へと向かう足が増えていくであろう時間帯である。
真幸達3人はガルデモの練習場所である学習棟の玄関先に場所を移し、改めて遊佐の口からゆり達の身に起こっている出来事を知らされた。
「事実です。現在、ゆりっぺさんを含めた戦線幹部の皆様は天使に先んじてギルドへ到着するために地下通路の中を進軍しています」
「トラップが稼働してる中をだろ?想像するだけで恐ろしい……」
岩沢のお使いを完遂できないことに対して床を叩き割る勢いの土下座を見せ、渋々遊佐の招集に応じた真幸だったが、そこで聞かされた現状には流石に唸り声を上げた。
基本的に、自身にとっての事の優劣は岩沢への貢献が全てに勝ると自負している真幸だが、流石にギルドの存亡を天秤に掛けられて尚その言葉を貫き通すことは難しい。
「そこで、幸か不幸かあの場に居合わせなかったお2人を招集するよう、ゆりっぺさんから指令を受けました」
遊佐は真幸と武藤の2人を見る。
「真幸さんと武藤さんは、別ルートから進行中の天使を追跡、足止めを行って頂きます」
抑揚の無い声色から放たれたその伝令に、2人は真顔で唾を飲み込む。
片や即死トラップの犇めく道を強行軍、片や圧倒的戦闘力を誇る我らが宿敵に背中から喧嘩を売りに行く。一体どちらの方がマシだろうか……と真幸の脳内で比較を試みたが、どちらも地獄であることに変わりは無かったため早々に思考を切り替えた。
「事態は一刻を争う。ゆりっぺさん達より先に天使の到着を許してはならないし、何よりも、今この時も久居さんの身が危険に晒されている。協力してくれるね?」
「……まあ、こうなりゃ仕方無ぇか、分かったよ」
事態が事態だからか、僅かながらに張り詰めた様子の武藤の問いかけに、真幸は溜め息をついた後に腹を決めた。仲間達が身体を張っているというのに、自分だけ文字通り高みの見物という訳にもいかないだろう。
「そんで、天使の侵入経路に目星は付いてんのか?体育館からの侵入の形跡は無かったんだろ?」
「NPCへの聞き込みを行ったところ、武道場付近で目撃されたのが最後のようです」
「武道場……」
顎に手を当てて少しの間考え込んだが、すぐに心当たりに辿り着いたように声を上げた。
「ああ、そういやあの近辺のマンホールから連絡通路への侵入口があった筈だ。滅多に使われる場所でもなかったから、隠蔽が甘くなってたとしてもおかしくないぜ」
「はい、こちらもそのように推察しています」
淡白に返す遊佐の隣で、武藤が満足気に頷く。
「話が早い。そうと決まれば早速追撃に向かおうではないか」
目的地が決まるや否や、早々に促す武藤の後を追い、真幸も歩き出す。教室棟から運動場へと続く大階段を下りながら、武藤は前を向いたまま語りかけた。
「しかし、置いて行かれたのが僕だけでなくて助かったよ。ギルドの地理に詳しい君が居てくれなければ、あの中を進むのは難しかっただろう」
「詳しいっつってもな。自動生成でもされてんじゃねえかってくらい俺等の把握してないエリアが後から明らかになっていく場所だぜ?たまに顔出す程度の俺じゃ道案内になるかも怪しいってもんだ」
真幸は他の幹部隊員達と比べるとある程度ギルドへ続く道には詳しい。というのも、ギルドを纏め上げる戦線の古参隊員――”チャー”というあだ名で呼ばれた、到底高校生に見えないむさ苦しい風貌の男である――の元へ定期的に訪れ、”戦闘訓練”という名目で喧嘩の仕方を師事しているからである。
その縁もあってのことだが、しかしこの学園の地下に広がる広大な地下通路自体が、話に聞く限り戦線発足前には既に存在していた物である。あくまで時折顔を出す程度の真幸には、その全容を把握しているとは到底言えるものではなかった。
「つーか、そもそも武藤は何だって遅刻してんだよ。まさか岩沢さんの練習風景に陰ながらエールを送ってたって訳でも無ぇんだろ?」
頭を掻きながら、真幸は武藤に問いかける。目的地に着くまでの何気ない会話のつもりだったが、それを聞いた武藤は歩みを止めないまま、静かに息を吐きながら空を仰いだ。何か重要な話を始める前振りであるかのような張り詰めた空気が一瞬漂う。
「真幸君……キングコブラに噛まれたことはあるかい?」
「は?なに、噛まれたの?」
神妙な面持ちで語り出す武藤になにやら嫌な予感を過らせる。
「いや、噛まれてなどはいないさ。野生の蛇に不覚を取るような情けない男ではないつもりだからね」
「そもそも出たのか、この学園の敷地内に、キングコブラが」
「ランニング中に、ばったりとね」
その言葉に嘘が混じっている様子は無かった。軽い気持ちで振った話題が思わぬ方向へ飛躍しつつあることに真幸は内心で「しまった」と愚痴る。
「石畳の遊歩道に突如として飛び出してくる猛毒の大蛇、それに相対するは折しもジャージに身を包んだこの僕」
「なあ、まさか本当にキングコブラにやられて伸びてたとか言うんじゃねぇよな?」
「当然だとも。その眼光に怯んだのは僅か一瞬のことだ。すぐさま僕は目の前の脅威を打ち倒すべく構えた。蛇を倒すのに最も有効な手段は何だと思うかね」
「しらねーよ、頭掴むとかか?」
話しながら、武藤の手はまるで猫のような仕草を取る。
「猫のような身軽さ、そして鋭い爪さ。だから僕はこの構えを取った。そこから先は激しい攻防だったよ」
一体どこで得た知識だと言うのか。真幸は多少気になったものの、聞いたら聞いたで話が更に明後日の方向へと向かうことが容易に想像できたので口を噤んでいた。
「その時の僕は、まさに獰猛な獣だった。激しく威嚇する野良猫だ。しかし相手はその瞳に怯むことなく、この僕に巻き付き牙を立てようとしてきた。僕はそれをしなやかに躱し続け、反撃に爪を立てる、そんな攻防が幾度となく繰り広げられた。
だが、そんな攻防にも終わりが見えた。蛇の動きはやがて鈍くなり、その隙を見逃さなかったこの爪は、蛇の皮膚を切り裂いた!そう、猫の爪は凶暴な大蛇の牙を凌駕したのさ!僕は高揚感に打ち震え、腕の傷から広がる痺れと激痛も忘れ歓喜の声を上げた……」
「噛まれてんじゃねえか」
真幸は一応最後まで聞いてやったことに激しい後悔を抱いた。なぜ一回見栄を張ったのかなど、そもそも”猫が蛇を倒すときの動きを戦いの中に取り入れる”という話こそあれど、大の男が猫そのままの動きで蛇と戦ったところでただの変な取っ組み合いにしかならないだろうなど、真幸にとって言いたいことが多すぎて最早どこから突っ込めばいいのか分からい。
「という訳で、道端で泡を吹きながら痙攣して気絶している武藤さんを叩き起こして今に至ります」
いつの間にやら彼等の行く先に先回りしていた遊佐が補足を加えた。
真幸達と共に目的地に向かっていた筈なのにいつの間にか目的地で直立不動しているその光景は、戦線隊員にとっては慣れたものだ。戦線内では彼女が歩く姿を見た者が1人も居ないのではとまで言われており、実は幽霊的な何かであるという噂もある。
そんな幽霊のような少女の手は、自身の足元を指し示している。
「そんな無駄話はさておき、こちらから天使が侵入したと思われます」
武藤の華麗な武勇伝は儚くも”無駄話”として処理されてしまった。どこから突っ込めば比較的丸く収まるかを考えあぐねていた真幸は遊佐の容赦無い切り捨てに内心感謝しつつ、彼女の促す方――武道場付近のマンホールを見る。
「おや、もう到着したのかい?話すのに夢中で気が付かなかったよ」
「そりゃお前だけだよ」
言葉を投げかけながら、真幸は円形の蓋を持ち上げ横にずらす。空いた穴から地下へ伸びる梯子を下りると、大きなトンネルのような地下水道へと降り立った。
薄暗い空間の中を懐中電灯で照らしながら少し進む。地上へと続く梯子からそう遠くない場所まで進んで道の脇へ光を当てると、更に地下へと続くハッチが開け放たれた状態で放置されていた。
「ビンゴだな」
真幸が緊張した声を上げる。ハッチの周辺に1人分と推測される足跡が残っていたことから、この出入口から天使が侵入した可能性は極めて高かった。
後ろから付いて来た武藤はその開け放たれたハッチを見て「ふむ」と呟く。
「成程、まさかこんなところから地下通路へ通じていたとは。初めて知ったよ」
「立地としちゃ学園敷地のド真ん中でNPCの往来も多いからな、便利さよりも天使に見つかるリスクの方が重大だからそうそう使われることも無いって話だぜ」
真幸が言葉を返しながら、開けられた地下への穴を懐中電灯で照らす。多少の砂埃を被った梯子には、手で掴んだかのような真新しい痕跡があった。それによって天使の侵入経路を確信した真幸と武藤は、背後に佇む遊佐へと向き直る。
「……では、僕等はここから天使の追撃に向かう。それでいいね?遊佐さん」
「はい。ご武運を」
「おうよ」
相も変わらず感情の感じられない声色による激励を受け、2人は更なる地下へと続く穴に並び立った。
「うっし、やるか。目指すは天使の背中」
「ゆりっぺさん達がギルドへ到達するまでの時間稼ぎだね。道案内は頼んだよ、真幸君」
真幸は両手で自身の頬を叩き、武藤は大きく深呼吸をする。腹が決まると、2人は更なる地下へと続く梯子を下りて行った