Angel Beats! -The Reconnect Operation-   作:上海かに

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Guild-②

――ギルド連絡通路 B8階

 

音無は暗がりの広がる地下通路を恐る恐る歩いていた。ザリ……と、靴底が砂利と擦る音すら鼓膜を震わせる空間の中で、緊張の面持ちを崩さないまま一歩ずつ歩を進める。

 

ゆりによってギルドへの進軍が決定した後で彼等を待ち受けていた光景は、それはそれは凄惨な物だった。

 

まず後方から迫った巨大な鉄球によって高松が押し潰され、その次のレーザートラップにより松下の大柄な身体は無残にもバラバラに切り刻まれ、また次の部屋ではむざむざと入り込んだ侵入者を押し潰さんとする天井から皆を守るべくTKがその身を犠牲に捧げ…………。

 

なんだかんだと多くの仲間を犠牲にしながら、それでも歩みを止めずに進んだ面子に待ち受けていたのは、極めて古典的な落石トラップだった。先頭を走る藤巻の「マズい、走れ!」という叫びに次々と戦線のメンバーが駆け出す中、音無はそれまでの疲労もあり僅かに走り出すのが遅れてしまった。結果、彼等の頭上から降り注ぐ岩雪崩に押し潰されるような事態こそ避けたものの、ゆりを含めた隊員達と分断される形となってしまっていた。

 

狭い通路内に埋め尽くされる土砂の山。どうにか向こう側へコンタクトを取ろうと声を張り上げるも、それが向こう側へ届いた様子は無く、最早彼に残された選択肢は分断された本隊との合流を目指して別の道を進むしか無かった。

 

「うぅ……暗いなぁ怖いなぁ……ギルドは苦手なのになぁ…………」

 

不幸中の幸いなのは、ゆり達と切り離されたのが自分1人ではなかったことだろう。音無は、自分の前方を歩く薄橙色の髪をした少女を見て思案する。

 

彼女、久居は小型拳銃(デリンジャー)を両手で構えつつも、へっぴり腰でそろそろと洞窟内を進んでいる。何とも場慣れしていない様を見せつけているその姿はつい先日戦線入りした音無よりも遥かに頼りない物に見えたが、そこは戦線幹部と言うべきか、率先して進むその足取りに迷いは見られなかった。聞けば戦線でも相当な古参の部類に入る久居だ、この地下通路の地理もしっかりと頭に入っているのだろう。

 

いつどこから襲ってくるかも分からないトラップの脅威に戦々恐々としながら、音無は久居の背中を追う。その緊張を紛らわせるかのように、彼は声をかけた。

 

「しかし、本当に迷路みたいな場所だな。まさか学園の地下にこんな空間が広がってるなんて……」

「びっくりしたでしょ?私も最初は本当に信じられなかったからねー」

 

音無の言葉に振り返った久居は笑顔を作っていたが、垂れ下がった眉からしても無理していることは一目瞭然だ。

 

「でも、変な言い方だけど、皆とはぐれたのが私1人じゃなくて本当に助かったよ。1人だけで取り残されたら心細さでどうにかなっちゃいそうだったので……」

「それは新入りの俺が言うべき台詞なんじゃないのか?」

 

先程まで音無が抱いていた感情と全く同じ安心感を、相手からそのまま言葉にして出されてしまった。冷ややかな音無の一言に、久居は「うぅ……」と口ごもる。

 

「やっぱり頼りないよね私?銃だってゆりっぺから護身用として持たされてるけど、実際のところ引き金を引く力も無いくらいだし」

「裏方専門とは聞いていたが、そこまでなのか……」

 

言いながら、久居は銃口を通路の先にある暗闇に向けて狙いを定めるかのような仕草を取る。他の隊員達の佇まいと比べるとやはり驚くほど様になっておらず、彼女の自嘲的な言葉を否定することは難しかった。

 

「それに、個人的にギルドって苦手でね……結構前の話なんだけど一度今回と同じように皆とはぐれちゃったことがあって、そこから5日間くらい1人で地下を彷徨い続けたことがあるんだ……」

 

唐突に背筋も凍るような話が始まり、音無は思わず声を上げる。

 

「5日って、嘘だろ!?下手すればそんな迷い方するのか!?」

「流石にそんな迷い方はレアな筈だけどね?食べるも飲むもできずひたすらに彷徨い続けるあの日々がそれはもうトラウマになっちゃって……」

 

苦笑いを浮かべながらさらりと話す久居だが、それを聞かされた音無は気が気でない。今は久居という隊員が居たからいいものの、彼は自身の置かれている状況が如何に壮絶なのかを改めて噛み締めた。

 

「まあそういう訳で、早いとこゆりっぺ達と合流したいよね……はぁ、怖いなぁ……」

「そんなに苦手ならここまで付いて来ることもなかったんじゃないか?」

「まさかこんな状態の地下通路を強行突破することになるなんて思わないでしょ普通!平時なら皆に付いていけば迷わないんだし」

「じゃあ、入口で進軍が決まった時にでもお前だけ引き返せば良かったじゃん」

「それは……」

 

その問いかけにしばしの間口ごもった後、久居は再度大きな溜め息を吐く。

 

「言うに言い出せず……」

 

音無の言う事もごもっともだと感じたのだろう、久居は音無から視線を逸らして肩をガックリと落とした。

 

死んだ世界戦線に入隊した初日からの印象として、久居は人の良さこそ感じられるが他の面子と比べるとやや自己主張の控えめな少女だ。良く言えば善良、悪く言えば周囲に流されやすい普通の女子生徒といった雰囲気の彼女が、あの場面でも周囲の勢いに押されそのまま同行することとなってしまうのは、ある意味では当然だったかもしれない。

 

「なんか……苦労してそうだなお前」

 

入隊してから日の浅い音無にとっては、そんな久居の様子には少しながら同情を抱いてしまう。

 

「そもそも、何だってお前はこんな組織に協力してるんだよ。正直、久居が神への復讐なんて物騒なこと考えるような奴には見えないんだが……」

 

ふと湧いた疑問を、音無は投げかけた。自身よりも頼りがいのなさそうな久居の言動を見て、心中に僅かながら余裕が出来ていたのだろう。

 

ゆりが確固たる意志で掲げるその目的に共感して……と考えるのが当然のことではあるのだが、その結論は久居の朗らかな人柄とは相反するような印象を受ける。

 

音無の問いかけに、久居は「んー……」と少々の間を置いた後で答える。

 

「おっしゃる通りと言うか何というか、実際私個人としてはあんまりそういう考えは持ってないんだよねぇ。あ、ゆりっぺには内緒ね、怒られちゃうから」

「じゃあ、なんで戦線なんかに?」

「私、この世界に来てからしばらくは何も知らずに普通の一般生徒やってたの。ところがある日ゆりっぺから勧誘を受けて」

 

当時の光景を懐かしんでいるのだろうか、思い出話を話す久居の表情は先程までのように緊張に満ちておらず、穏やかさを含んでいた。

 

「『凄惨な人生を強いられたあたし達には、神をぶん殴る権利がある!』なんてすごい剣幕で言われて、それでこう、なし崩し的に戦線の隊員になった訳ですよ」

「結局言われるがままに入ったってことか」

「当時から不良生徒の巣窟と名高いあのグループに急に投げ込まれて、これからの私の学園生活は一体全体どうなっちゃうんだーって、あの時は不安で仕方なかったよ実際」

「じゃあ、何で今も戦線に居るんだ?」

「うーん、色々と理由はあるんだけど……」

 

少しの間考え込んでから、久居は笑顔を浮かべた。

 

「ゆりっぺ達と居ると楽しいから、かな」

 

その笑顔から嘘は感じられなかった。予想だにしない答えが返ってきたことに、音無は訝しげな顔を見せる。命懸け(死にはしないのだが)の状況の最中にあることも相まって、今の音無にとっては、復讐以上に理解に苦しむ理由だった。

 

「楽しいって……そんな理由で戦ってんのか?」

「音無君も、皆のことを知ればきっと分かるよ。日向君も、ガルデモの皆も、野田君達幹部メンバーも、これから会うギルドの人達も、皆ちょっとだけ滅茶苦茶だけど、楽しい人達ばかりなんだ」

 

音無はその言葉を飲み込むことが出来ずに渋い顔を見せる。しかし、目の前の心底楽しそうに友人達のことを語る少女の姿には、その言葉を信用しても良いのではないか、と音無の心に訴えかける程の説得力があった。

 

僅かに目を細めながら、久居は言葉を紡ぐ。

 

「私は皆を近くで見られるこの場所が好きだし、この場所に引き合わせてくれたゆりっぺには本当に感謝してる。だから、できるだけゆりっぺの力になってあげたいっていうのも理由かな」

「ゆり……あいつか」

 

音無の脳裏に、戦線のリーダーである赤色の髪をした少女の姿が思い浮かぶ。

 

久居の言う所の”滅茶苦茶な”人物達を纏め上げる彼女は、外見だけで言うと目元のはっきりとした美少女である。確かに人の目を惹く存在ではあるとは感じたものの、音無にとっては未だに戦線のメンバーから信頼を寄せられる程の理由を見出せずにいる。

 

外見だけでは説明のつかないカリスマ的な魅力があるのかもしれないが、その正体が判然としない現状ではゆりのことを信用し切ることも出来なかった。

 

「お前、あいつのこと相当好きなんだな」

戦線(ここ)の人達は皆ゆりっぺのことが大好きだよ」

 

しかし、実際に戦線隊員である久居からそのようなことを聞かされては、ゆりの人望については疑いの余地は無いのだろう。友人のことを語る久居の瞳は、爛々と輝いていた。

 

あの見るからに癖の強い面子から一様に信頼を得ているというのは即ち、皆を引っ張る強引さだけではない、相応の魅力があるということか。と、ゆりという人物への興味がにわかに出始めたところで、前を歩く久居は再びどこまで続くか分からない暗がりの先へと意識を向けた。

 

「それにしても、なかなか合流できないね。ゆりっぺ達、もしかして先に進んじゃってるかも……」

「なあ、今更なんだがゆりのあの感じだと合流よりも先に進むことを優先してそうだし、俺達も下を目指した方が何かと都合がいいんじゃないのか?」

「それが出来れば苦労しないんだけどねー。下の階層への梯子を上手く見つけられるかどうかも分からないし、何より、今は私と音無君しかいないんだから、焦ってトラップを踏むようなことがあったら十中八九共倒れになっちゃうよ。運頼みなのは間違いないけど、ここは皆と上手く鉢合わせることを信じつつ、下への道が見つかることを祈りつつで進むのが一番だと思うな」

 

む……と、音無は言葉を呑んだ。確かに、周囲が静かであるため音無は忘れかけていたが、今歩いている通路の中には踏んだら一巻の終わりな即死トラップが犇めいているのだ。先程まで屈強な戦線メンバーを次々に屠っていた(死んでないが)物と同じようなトラップに今襲われたら、彼女の言う通り今度こそひとたまりも無いだろう。

 

先程から頼りなさばかりが目に付いていた久居だったが、こういった慎重な判断を下せるのは彼女だからこそなのかもしれない、と、音無は心の中での久居への評価を改めた。孤立した状況で、新入りである音無に対して明確な方針を提示して先導できる判断力からは、陽動部隊を取り纏める幹部としての力量を感じられた。

 

ましてや、久居の言うように下の階へ続く道が何処にあるのかも分からない状態である、ここで無理に先を急ぐのは確かに逆効果であると――

 

「――――ん?」

「どうしたの音無君?」

 

不意に、音無はあることに気が付いた。久居への評価を改めている最中のことである。

 

久居の言ったことは1つの選択肢としては理に適っていると思われたが、しかしそれは1つの前提条件があってこその物である。つまり――

 

「なあ久居、まさかとは思うが……」

 

恐る恐る口を開く音無の頬には、一筋の汗が流れ始めていた。

 

「ひょっとして下の階層への道を知らないとか……そんなこと、無いよな?」

 

音無は先程まで、前を進む久居に付いて行っただけである。それは、彼女が迷いの無い足取りで進むからであって、彼女がこの地下通路の構造をある程度でも把握しているのだと判断したが故だ。

 

その根拠が全くの勘違いだったとあれば……

 

「やだなぁ音無君。言ったでしょ?私は前にここで何日も彷徨ったことがあるんだから、二度とそうならないようにちゃんと準備してるって!」

「そ、そうだよな!疑っちまって悪かった、ちょっと、無償に不安になってだな……」

「大丈夫大丈夫、ねえ音無君――」

 

しかし、どうやらそれは杞憂だったようだ。久居は音無の抱いた不安をかき消すような笑顔で胸を張った。

 

「左手の法則って知ってる?」

「待て待て待て!!」

 

そして次の瞬間に放たれた言葉は信じられない物だった。

 

「嘘だろ、本当に当てずっぽうであんなに迷いなく進んでたのか?どこからそんな自身が湧いてくるんだよ!?」

「当てずっぽうじゃないよ!ほら、分かれ道を左に曲がり続けるといずれはゴールに辿り着くっていう数学的な理屈に基づいた迷路の攻略法でね……」

「左手の法則ってそういうのじゃないからな。ってかそもそもお前何回か右の道選んでなかったか!?」

「そりゃあ、左ばかり選んでたらそのうち元居た場所に戻っちゃいそうじゃない?」

「何も理屈に基づいてない!!」

 

こんなことなら早いうちに久居に確認するべきだったと、声を荒げながら音無は激しく後悔する。トラップや通路の雰囲気を怖がっている割に妙に迷いなく進むため、完全に道案内を任せてしまっていたのだ。

 

「でも、あのまま分断された地点でじっとしてる訳にもいかないでしょ?」

「いや別に進むこと自体に異を唱えている訳じゃなくてだな……」

「それに、この辺りの通路はなんとなく見覚えがあるんだ!きっと前に迷った時に通ったことがあるんだと思う。だから前と同じような道を辿ればきっと下の階層への道が見えてくるはず!」

 

何もかもがあやふやな理論建てで指差す方向へ歩き出す久居。最早戻ることも叶わない状況の中、音無は絶望感に近い物を胸に抱えながらも久居の背中を追うしかなかった。

 

トラップや天使の陰に怯えながらも久居は足を止めない。やがて分かれ道に出くわすと、久居は自分の人差し指を咥え、唾液に湿った指を頭上に掲げた。

 

「……こっちの道から風を感じる!」

 

また次の分かれ道では分岐の中心にあたる地面にボールペンを突き立てて、手を離した際にペンが倒れた方向を指差す。

 

「こっちだよ音無君!」

 

次の分かれ道では、久居は唐突に大声を上げ、その後耳に手を当ててしばし目を閉じた。

 

「音の反響具合から……こっちだ!」

 

そしてある程度進んだかと思えば、おもむろに足を止め、「むぅ」と考え込む仕草を見せ始めた。

 

「もしかしたら、道を間違えたかもしれない」

「なあ、間違えたか否かの次元の話をできる状況なのか今は?」

「うん、一度引き返そう音無君!あ、待って。前の分かれ道では右に曲ってその前も右に曲ってたから……この斜めに伸びてる道を通れば手っ取り早く元の道に戻れるんじゃないかな?」

「もう好きにしてくれ……」

 

そうして久居の案内によって通路を進んでは引き返し、引き返したかと思えばまた進んで、どれだけの曲がり角を曲がったかも分からなくなってきた頃。またしても彼等の前に立ちはだかった分かれ道の中心に立って、久居は大きく深呼吸をした。

 

「……音無君」

 

そして、何か覚悟を決めたかのような間を置いた後、音無の方へと振り返る。その表情は――

 

「ここどこ?」

 

今にも泣きそうであった。

 

久居と音無の置かれている状況は、誰がどう見ても”道に迷った”としか言えないだろう。先程までやたらと確信めいた足取りだった久居も、それを認めざるを得ない様子だった。

 

「なぁ、さっきから思ってたんだけどお前――」

「待って!言わないで音無君!」

 

辟易した様子で開いた音無の口を、久居の両手が必死に塞いだ。

 

「別に方向音痴とかじゃなくてね、私は私なりの道の覚え方をしてるの!学園の中でも滅多に道に迷うこととか無いし!音無君からしたら不安に感じるかもしれないけど!きっと、多分、おそらく、きっと大丈夫だから!」

 

何一つ大丈夫な要素が感じられない言い訳だった。自身の口に押し付けられている手を払いのけ、音無は溜め息を吐く。

 

「たまに迷うのかよ……っていうかこんな所で変に強がってないで、何か目印付けるとかしながら進もうぜ?そうすれば一度通った道くらいは分かるし……」

「いやいや、前には進んでる筈なんだよ!?長年の勘から察するに、そろそろ下の階層への道がにわかに見えてくるような気がしなくもなくも……」

「前ってどっちだよ」

「よぉーしここの分かれ道はこっちだぁ!」

 

ムキになり、とうとう勘に頼っていることを隠さなくなってきた久居だったが、それでも自身の感覚を信じ切っている彼女は強引に音無との問答を打ち切り、進行方向を指差す。その決断には、既に何の根拠も感じられなかった。

 

「俺ここから出られないのかな……」

 

音無が久居の背中を追いながらも諦観の表情を浮かばせ始めた時だった。

 

久居が勢いだけは立派に一歩二歩と足を進める中、その足が数歩目にして何の前触れも無く地面を踏み抜いたのだ。

 

「――――えっ」

 

予想だにしないタイミングで地面が抜ける感覚に、久居は素っ頓狂な声を発する。そして今何が起こっているか把握する間もなく、すっかりトラップの存在が頭から抜け落ちていたこの時に、

 

「ええええええぇぇぇぇぇぇーーーーー――!!!!」

「久居ぃーーーーーッ⁉」

 

彼女は自身が踏んだ落とし穴の中へと落下していった。

 

音無は目の前で急に地面に吸い込まれた久居に驚愕の声を上げ、慌てて彼女が落ちていった穴を覗き込む。直径1メートル程度の穴に簡易的なカモフラージュが為されていたようだったが、それも久居と共に穴の中に消えていったようだ。

 

穴の中は深い暗闇で覆われ、底がどうなっているのか一切伺うことができないが、久居の絶叫が瞬く間に遠くなっていっており、今となっては全く聞こえない。そのことを踏まえると、音無は穴の底がどうなっているかなど考えることも憚られた。

 

「ひ、久居、無事か⁉」

 

一応、音無は深い闇に向けて大声を上げる。もしかしたら周囲が薄暗いだけで思っているより深くは無いのかもしれない……という希望的観測から発せられた声は、無常にも穴の奥へ続く闇に吸い込まれていき、当然ながら何の反応も返ってくることは無かった。

 

「ってか、どんだけ深い落とし穴だよ!!」

 

続いて、音無は誰にでもなく声を張り上げた。一体何を考えてただでさえ地下深い通路の中に大がかりな落とし穴を作ろうとしたのか、彼には理解が及ばない所業だった。

 

道に迷った挙句焦ってトラップを踏み抜いてリタイアという、先程の慎重な判断は何だったのかと問いただしたくなる久居の行く末を見届けた音無は、仕方なく落とし穴を避け、通路の奥へと進んでいく。

 

そこからは何時間もあてどなく彷徨ことになる……かと思われたのだが、さほど掛からない内に音無の耳に大勢の足音が届いた。

 

「居た!音無君だよ!」

 

そして、道の向こう側から見えた複数人の人影と、同じようにこちらの姿を捉えた大山の声により、音無はようやく本隊との合流を果たしたことを悟った。皮肉にも、久居が適当に選んだ道はある程度仲間達に近づいていたようだ。

 

他の隊員との再会により緊張の糸が解けた音無は「はぁ~」と溜め息を吐きながら全身の吐力が抜け、その場にしゃがみ込む。

 

「無事だったか!流石は期待の新人だな」

 

場の雰囲気にそぐわない軽い笑顔を浮かべながら、日向と大山は音無に駆け寄った。

 

「久居さんと一緒に分断された時はどうなることかと思ったよ~。すっかり忘れてたんだけど久居さんは信じられないくらいの方向音痴で、前にも5日間くらい地下で遭難したことがあるくらいなんだ」

「だから、そういうのはもっと早く思い出してくれよ……」

 

大山の能天気な言葉に力なく返す音無。本人はあれほど否定したがっていたというのに、周囲からの評価はさもありなんだった。

 

大山達の後ろからゆりが歩みより、周囲を見渡し音無に尋ねる。

 

「それで、久居さんは?」

 

日向の手を借りて立ち上がった音無は、彼女の身に降りかかった災難をゆりに説明した。といっても、話した内容としては『彼女の道案内に従ったらさらに迷って、挙句自身満々に案内した張本人は焦ってトラップを踏んで落ちた』という余りにも情けない物だったが。

 

その顛末を聞いたゆりは悔し気に拳を握り締める。

 

「くっ……そんな、久居さんまでもが犠牲に……」

「なったっていうか、勝手になりに行ったっていうか……」

 

兎にも角にも、(1名を除いて)無事に合流を果たした戦線の面子は、程なくして下の階層へと続く道を見つけ、更なる罠の待つ地下へと進んでいくのであった。

 

*

 

――ギルド連絡通路 B1階

 

真幸と武藤が梯子を下りた先にあったのは、地下通路の地面が大きく抉れた光景だった。自然に出来たものではないことが一目瞭然なそれは、最初にここに降り立った者が早々にギルドの洗礼を受けたことを意味している。

 

人間1人はゆうに吹き飛ばせる程の衝撃が加わったことが伺える地面と、未だ微かに漂う火薬の匂いでトラップの発動を確信した2人は念のため辺りを見回すが、やはり天使の姿は見当たらない。この程度のトラップは天使にとっては足止めにすらならなかったようだ。

 

トラップの痕跡をまじまじと見つめながら、武藤は肩を竦める。

 

「これは僥倖。闇雲に天使を探す必要は無さそうだ」

 

彼の言葉の意味を、真幸はすぐさま理解した。つまりは、発動したトラップの痕跡を辿れば2人が目指す背中は自ずと見えてくるということである。

 

「地の利はこっちにあるっつっても、この様子じゃ時間稼ぎになるかも怪しい。急ぐぜ武藤」

 

この場に目標の相手が居ないと分かるや否や、真幸は先へと歩を進める。その隣に武藤も並んだ。

 

細心の注意を払いながら進む2人だが、予想通り、その道中で危険に晒されることは無かった。彼らが進む道のりで待っていた物は、既に侵入者の撃退を試みた後の残骸ばかりである。

 

巨大な刃物がギロチンの如く天井から降ってくるトラップは空振りに終わっており、壁の穴から火炎放射器が口を出し標的を焼き尽くすトラップも既に燃料が切れた後で何の成果も得られていない様子だ。そしてギルドの英知を結集して作り上げた”三重県出身の著名人50人答えよ”という問題に回答するまで決して開くことは無い扉までもがきっちりと開け放たれていた。どうやら、天使は律儀に全てのトラップを正面突破している様子である。

 

数多の痕跡を辿りながら、真幸は呟く。

 

「にしてもこりゃ酷ぇ、どれもこれも殺意に満ちてやがる。ゆりっぺ達の方は大丈夫かね?この勢いでトラップに襲われちゃ全員無事とはいかねぇだろうに」

「だろうね、しかし今はゆりっぺさんが無事に辿り着くことを祈るしかあるまい。気がかりなのは――」

 

 

その言葉に頷きながらも、武藤は物憂げな表情を浮かべていた。

 

「久居さんが無事なのかどうか、だね」

「お前はいつもそればっかだな……」

 

真面目な表情で何を言い出すかと思えば、清々しい程一途に想い人の身を案じる男の顔をしているだけだった。それ自体は大層立派な話なのだが、真幸にはその心意気に素直に賛同し切れず呆れた表情を浮かべた。

 

「当然さ!あの見る者全てを包み込む春の陽射しのような笑顔が今も危険に晒されていると思うと、逸る心を抑えきれなくなる!天使の猛攻を乗り越えギルドに辿り着いた僕は、あの人に向かって囁くんだ、『僕のこの身は、貴方の呼び声に引き寄せられてここまで来られた。貴方が僕を天使から守ってくれたんだ』とね。縮まる2人の距離、重なる視線、吹き抜ける風に揺られ僕の鼻をくすぐる太陽のような髪、拍手喝采と咽び泣く声に溢れるギルド、花束を抱えて現れるゆりっぺさん、そして僕はポケットに忍ばせた――」

「オッケー分かった、もういい。一旦黙れ」

 

呆れ顔から発せられた言葉に釣られて突飛かつ遠大な計画を語り始めた武藤だったが、いよいよもってプロポーズに差し掛かる気配を察知した真幸によって中断させられた。

 

今のは迂闊に久居の話題を振った自身の落ち度である……と、真幸は額に手を当てる。僅かに硬直した後で仕方ないとばかりにスンと黙った武藤は、このギルド侵攻作戦から始まる人生設計を放棄して真幸に目を向けた。

 

「……まあ、その人の為に命を懸けられるという意味では君にとっての岩沢さんと同じさ。そう言えば少しばかりは分かってくれるかい?」

「あぁ?いや岩沢さんへの貢献とお前のそれを一緒にすんじゃ……いや、まぁ言ってることは分からんでも……いやしかし同一視されんのはなんかなぁ……」

 

今度は口元に手を当てて、真幸は神妙な面持ちを浮かべる。

 

特定の人物の為に身を挺する覚悟を持つ点に関しては彼にも覚えはあるため否定しきることは出来ないものの、武藤の理解したくない恋愛感情と同じ系統とするには激しい抵抗を覚える。

 

「君なら分かってくれると思っていた」

 

しかし、武藤はそんな微妙な感情の揺れ動きから返答を濁すような反応は基本的に肯定と捉えるポジティブシンキングの持ち主である。ほぼ一方的に同じ考えを持った者とされ、静かに肩に手を置いてくる武藤に、真幸はまたも呆れ顔で天を仰いだ。

 

「だからこそ申し訳ないとは思っているよ、ゆりっぺさんからの指令とは言え、岩沢さんの為に使う時間を奪ってしまったことについては」

「いや、流石にギルド陥落の危機に俺だけが尻尾蒔いて逃げる訳無ぇだろうがよ。仲間達(あいつら)も進んでるんだ、くだらねぇこと言ってないでさっさと俺等の仕事をこなそうぜ」

 

表情を変えないまま真幸は武藤の言葉に返す。

 

真幸自身は何の気も無く当たり前であるかのように発したその言葉に、武藤はしばし口を噤んだ後でフッと笑みを零した。

 

「……違いない」

 

どこか虚を突かれたかのような反応の武藤。真幸は今の言葉の一体何が琴線に触れたのかを理解出来ず訝し気な表情を浮かべるが、既に彼の手は真幸の肩から離れていた。

 

「さて、随分進んだが今どの辺りか見当は付くかい?」

「今までの道のりからすると地下12階辺りか?この辺は見覚えがあるな」

 

気を取り直して現状把握する2人は、足を前に進めながらも周囲に目を走らせる。

 

「確か、もうちょい進んだ先にトラップ整備用の隠し通路があった筈だ。ハッキリ言ってここまで侵攻されてるのは相当ヤベェが、あそこからギルドへ先回りして迎撃態勢を整えられるなら却って好都合だぜ」

「それはいい。無事にそこまで辿り着くことが出来ればいいが――」

 

真幸の提案に膝を叩きかけた武藤だが、その直後、通路の奥から轟音と振動が2人の胸を叩いた。狭い通路内に伝播する振動は、その発信源がかなり近くにあることを嫌でも感じさせられる。

 

「――そうも行かないようだね」

 

2人の身体に一層の緊張が走る。攻撃対象のすぐ近くにまで迫っていることを確信しながらも、その歩調は緩むことなく暗闇の奥へと進んでいった。

 

そこから進運すること僅か数分、2人の視界はとうとう目指すべき人物の姿を捕捉する。視界の悪い中ではあるが、通路内の照明の中でさえ際立って映える銀色の髪は、彼等にとってはそれが何者であるかを判断するには十分すぎる物だった。

 

「ようやく追いついたぜ」

 

真幸の言葉に反応して、前方に居る人物が振り向く。髪の色と対極を成す金色の双眸がこちらを捉えた。思わず、真幸の右手が懐に忍ばせた銃に伸びる。

 

ここに至るまでに数々のトラップを乗り越えてきたからなのだろう、生徒会長に貸与される真っ白な制服は至る所が汚れていた。しかし、それは同時に数多のトラップをその程度の被害で乗り越えてきたということも意味している。

 

「貴方達は――」

 

少女――死んだ世界戦線の宿敵たる天使――は、2人を見て透き通るような声を発する。真幸達が直接聞くことはあまり多くないその声色は、外見と同様に神秘的な雰囲気を纏っていた。

 

「これはこれは生徒会長さん。こんな物騒な迷路に迷い込んで一体どうしたと言うんだい?今夜は星が綺麗だ、他の生徒達と一緒に天体観測でもおススメするよ」

「学園の地下に見覚えの無い地下通路を見つけたから、調査している所よ。逆に聞くけど、戦線隊員(あなたたち)と何故こんな所で出会うのかしら?」

 

真幸が臨戦態勢を取るよりも早く、武藤が前に出た。先程まで太腿に括り付けたホルスターに伸ばしていた両手を大きく広げ、天使の方に歩み寄る。少なくとも現在こちらに攻撃の意志は無い――そんな意図を天使に対して見せつけているかの様だった。

 

淡々とした天使の問いに、武藤はいかにもとぼけた様子で首を傾げる。

 

「夜風に当たっていたらおもむろに冒険心を擽られてね、血に滾る欲求を発散させるために友人と探検をしていたんだよ。男の子にはよくあることさ」

「そう、よくあることなのね」

「ああ、満月の夜なんかは特に多いね」

 

よくあることな訳あるか。真幸は心の中で愚痴を飛ばすもその場から動かない。

 

迂闊に動けば天使はガードスキルを発動し、戦闘が始まる。そのつもりでここまで来たとしても、こちら側が少人数である以上は仕掛けるタイミングに慎重にならざるを得なかった。真幸は強張った表情のまま武藤の様子を伺う。

 

「じゃあ、この通路の中にある色々な仕掛けについて何か知っているかしら?」

「はて、何のことやら」

「この地下空間はともかく、こんな厳重な罠を造れるとしたら貴方達のグループしか考えられないわ。もしかして、この奥に何か隠したい物でも?」

「残念ながら、皆目見当もつかないね。仮にそうだったとして、貴方はそれを見つけてどうしようと言うのかな?」

 

半ば確信的な天使の言葉に対して、武藤はあくまで白を切ろうとしているのか、茶化した返答をするばかりだ。

 

武藤の飄々な言葉遣いとは対照的に、天使は真っ直ぐに彼を見つめて答える。

 

「これほどの罠を用意できる程の設備があるという時点で重大な校則違反よ。だから生徒会長として全て押収する必要があるわ」

 

その言葉を発する天使の瞳に揺らぎは無かった。そもそも法律に反しているというのに、あくまで校則という枠組みの中に判断基準を設けている辺り、彼女の愚直さを感じられる。(あるいは、神の遣いであるからこそ学園の校則を絶対の行動規範として刷り込まれているのかもしれない)

 

その言葉から交渉の余地も、ましてや誤魔化す余地も無いと判断したのか、武藤は軽く溜め息を吐く。

 

「やれやれ。流石、我らが生徒会長は仕事熱心だ。僕達としても助力したいのは山々なんだが生憎この地下迷宮が一体何なのか――」

 

――パァン。

 

武藤が言い終わるよりも早く、乾いた銃声が上がった。その正体を確認する間も無く、真っ直ぐに天使の眉間に目掛けて飛来した一発の銃弾が対象を貫く直前で弾かれたように軌道を変える。

 

天使に当たるはずだった銃弾は地下通路の壁にめり込み僅かな砂埃を立たせた。何の前触れも無く周囲を震わせたこの銃声に、天使は眉一つ動かすことなくその場に立っている。

 

「――おや」

 

天使の正面に立っていた武藤は、そんな彼女の様子に変わらず飄々とした声をかける。彼の腰辺りに構えた銃――右腿のホルスターから引き抜いたリボルバー拳銃、SAA(シングル・アクション・アーミー)――からは、細い煙が立ち上っていた。

 

「随分と無粋な真似をするじゃあないか。一発くらいは受けてくれるものじゃないのかい?」

 

先程から変わらない武藤の笑みは、どこか不敵な印象を孕んでいた。

 

「初手ディストーションかよ……」

 

後方から見ていた真幸は、その応酬を見て言葉を漏らす。

 

ホルスターから銃を抜くとほぼ同時に反対側の手で撃鉄を引き起こし、そのまま引き金を引く。武藤によって繰り出された0.3秒台の早撃ち(ファストドロウ)。タイミングも狙いも完全に相手の不意を点く物であったかに思えたが、それは天使に着弾することは無かった。武藤の動作に反応した彼女がガードスキル”ディストーション”を発動させたと見るべきだろう。

 

天使がその特異な力を行使するのはあくまで自衛目的である――というのは、戦線の中では常識とされている事項だ。先のトルネード然り、多くの場合において先制の一撃は真幸達戦線側から与えられる。

 

しかし、今回に関しては天使は自身に迫る脅威に対して先んじてガードスキルを発動させた。それはつまり、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()だったという事である。

 

武藤の放った弾丸は、ディストーションを発動させなければ確実に天使の脳天を貫いていた。それを、天使自身も察知したが故のガードスキルの発動。

 

「今の一発は関係を認めたと捉えていいのかしら?」

「そちらの解釈に委ねるよ」

 

武藤は左腿のホルスターからも銃を抜き、両手でガンスピンを始める。尚も思わせぶりな口調とは裏腹に、既に敵対の意志を隠そうという気配は一切感じられなかった。

 

両手の銃を弄ぶ武藤の隣に、真幸が並び立つ。

 

「すまないね真幸君、不意打ちは失敗に終わってしまったようだ」

「想定内だろ、天使相手に一発で終わるなんてハナから思ってねぇよ」

 

真幸もまた懐から拳銃を引き抜き、シリンダーに弾が込められていることを確認しながら答える。

 

「で、どうする?勢い勇んで挑みかかったはいいが、真正面からじゃ分が悪い所じゃねぇぞ」

「僕が接近戦で彼女の注意を引く。後ろを頼めるかい?」

 

武藤の口から一切の逡巡も無く言い放たれた言葉。真幸は思わず彼の顔を見やる。「正気かよ」と口から出かかったが、それよりも先に武藤の視線が彼を制した。

 

掴みどころのない薄ら笑いを崩さないまま武藤は真幸に目配せをして、直後、その視線を天使の背後に広がる地下通路の奥へと滑らせる。まるで真幸の意識を誘導するかのような視線に一瞬怪訝な表情を浮かべるが、それほど経たずに「……そういうことかよ」と、腑に落ちたように呟く。

 

「1人で誘導できんのか?」

「やって見せるさ。それに、君を信頼していない訳じゃあないんだが、こういうシチュエーションは1人の方がやりやすいのでね」

「……ま、テメェの場合はそうだわな」

 

どこか不服さを滲ませながらも、真幸はこれ以上の言及を止めた。武藤が提示した案は、確かにこの場においては最善案であると真幸自身も感じていたのである。

 

「それじゃあ、頼んだよ真幸君」

「テメェこそ、すぐにくたばるんじゃねぇぞ!」

 

簡潔な作戦会議を切り上げると、真幸は拳銃の撃鉄を引き起こし、天使に向けて引き金を引いた。武藤の持つSAAのそれよりも遥かに重厚な音が放たれるが、天使のディストーションを前にしては等しく明後日の方向へと弾は逸れていく。

 

しかし真幸が引き金を引くのに合わせて、武藤は先刻まで弄んでいた拳銃をしっかりと握り締め、天使へと向かって駆け出していた。大股で距離を詰め、体当たりでも仕掛けるかという勢いで天使の懐へと迫る。

 

『ガードスキル……ハンドソニック』

 

その場から動かないまま天使が呟くと、彼女の制服の袖口から光子状の刃が現れた。迫ってくる武藤を迎え撃つように、天使は片腕を横薙ぎに振り払う。

 

タイミングとしては武藤の胴体を真っ二つに出来る太刀筋。しかし、天使に接近し、その両腕が直に届くかという距離まで迫った武藤は大きく体勢を下げ、その刃を回避した。

 

空を切る天使のハンドソニック。その手応えの無さに一瞬の戸惑いが生じた天使の胸に、2つの銃口が突きつけられる。武藤の持つSAAの銃口は、ディストーションの効果など意味を為さない程に近くまで迫っていた。

 

零距離で押し付けられた銃口。すぐさま、武藤は引き金を引いたまま2丁の撃鉄を引き、そして放す。しかし、天使は武藤の両手を払いのけると同時に身を翻し、彼女に当てられていた銃口の軌道を強引に逸らした。結果的に武藤の銃から放たれた弾丸は通路の壁に穴を開けるだけに終わる。

 

武藤の銃撃を躱した天使は、文字通り返す刃で翻した勢いのまま彼に切りかかる。しかし、それも武藤は身体を捻り紙一重で回避する。反対側の手に光る刃を振りかざすよりも先に、武藤の銃口が天使の鼻先に突き付けられた。

 

またしても響く発砲音。天使は首を傾げてその射線上から逃れ、再度ハンドソニックを突き出したが、武藤はSAAのバレルを刃の峰の部分に滑らせるように当ててその刺突を受け流した。

 

「手厳しいじゃないか!か弱い生徒のじゃれあいに加減の1つもしてくれないのかい?」

「加減ならしてるわ」

「それは男の名が廃る!!」

 

言いながら、武藤が向けた銃口から放たれた弾丸は、天使がその手を払いのけたことにより明後日の方向へと飛んで行った。

 

武藤小次郎は、久居に対しての余りにも理解し難い言動から戦線内では専ら色恋に狂った変態として名を馳せているが、彼が有する戦闘力に関してのみならば文句をつける物は極めて少ない。

 

戦線内においてはあらゆる意味で別格の椎名を除いて、肉体派筆頭である野田や松下と並ぶ身体能力を有しているというのもあるが、その真髄は彼の戦闘スタイルに在った。

 

銃撃戦の中に東洋武術の”形”の要素を組み込むことで、より洗練された動きで相手に銃弾を叩きこむことを可能とし、尚且つ自身への被弾は徹底的に抑える。本来は多対一での戦闘に特化したであろうその戦法を、武藤は対天使戦においても活用し得ると感じ、そして愛用するSAAでの使用も可能な程に最適化させた。これこそが、図書館のAVコーナーでの経験から着想を得た武藤の戦い方である。

 

“2丁拳銃を用い格闘を交えた銃撃戦”という一見して荒唐無稽な戦い方。しかしその洗練された動きは、短時間と言えど身体能力で遥かに勝っている天使との一対一での競り合いが成立する程にまで研ぎ澄まされていた。一太刀でも喰らえば致命傷になり得る密接した状況で、武藤は天使の動きを極めて正確に読み、すんでの所で攻撃を躱す。

 

洗練された一連の動作は、相手に対して次の動きを誘導する効果もある。動作によって生じた隙を突かれた際の返しの一手を幾重にも重ねることで、武藤は天使への対抗を可能にしていた。

 

「この距離ではお得意のディストーションも形無しかい!」

 

斬撃が僅かに脇腹を掠めたのを気にも留めずに、武藤は銃口を突き出す。この距離まで近づいてしまえば弾丸の軌道を逸らすことも不可能であることは彼も知るところだった。能力を行使している側の天使がその弱点を考慮していない筈も無く、彼女に向けられた照準はまたしても発射前にその手で振り払われ軌道を外される。

 

しかし、否応なしに銃撃に注意を向けさせられた天使の腹部に重い衝撃がのしかかる。銃による物とは明らかに違うその衝撃は、武藤が彼女を蹴り飛ばしたことによる物だった。

 

銃撃への対処に意識を割かれた瞬間を狙った、武藤の長い脚から繰り出されたしなやかな蹴り。それは天使の小柄な身体を浮き上がらせ、大きく背後の通路――彼等が目的地としているギルドへと続く方向――へと後退させた。

 

その膂力に反して軽く華奢な天使の身体はその衝撃でごろごろと地面に転がるも、すぐに受け身を取って武藤の方へハンドソニックを構え直す。ディストーションの効果範囲から蹴り出された天使に対し、同じタイミングで天使へ追撃を行うべく駆け出していた武藤が彼女に肉薄しており、再度2人の接近戦が行われた。

 

武藤の両手に持つ銃の弾は計12発。この攻防の中でリロードを行う隙などある筈も無く、今もじわじわと減っていくその残弾が尽きれば武藤に対抗手段は無くなる。しかし、それを温存した上で対抗できるような相手であれば、天使という存在は最初から”死んだ世界戦線”にとっての宿敵になどなっていない。

 

この戦いにおいて、始めから武藤個人に勝ち目は存在していなかった。彼の戦闘力を以てすれば多少渡り合えることは出来るものの、逆を言えばそれ以上の効果は見込めない。彼等に言い渡された”天使の足止め”という指令の完遂には、余りにも遠い。

 

そのことを証明するかのように、天使と対峙する武藤の身体には限界が来つつあった。力も、速さも遥かに凌駕する天使に対して軽やかに対処していたその動きは疲労によって鈍りを見せ始めており、徐々にハンドソニックによる斬撃を躱しきれず身体の至る所に切り傷を造り始めている。

 

既に残弾も尽きつつある。やぶれかぶれに左手の銃を天使に向けて撃鉄を起こしかけるが、それよりも早く天使の振り上げた刃が銃身を弾き上げた。武藤にはその衝撃を受け止める余力も無く、彼の手から離れたSAAが宙を舞う。

 

右手に残った銃を力なく握り締めながら、武藤はその場に片膝を付く。彼の鼻先に、天使の袖口から伸びるハンドソニックの刃先が突き付けられた。

 

「――続けるかしら?」

 

その状況は、紛れも無く武藤の敗北を意味していた。武器を一丁失い、それ以上に、目鼻の先で光るその切っ先をどうにかする程の余力は既に残っていない。しかし――

 

「……全く、雪辱を晴らすいい機会だと思っていたんだけどね」

 

――肩で息をしながら、武藤の目はそれでも明確な敵意を天使に向けていた。

 

「しかし残念ながら、貴方をどうあってもこの先に進ませることは出来ない。申し訳ないが、暫しここで眠って貰うよ」

 

最早抵抗の余地も感じられない武藤から発せられたその言葉に天使が違和感を感じた直後。

 

ガコン、と奇妙な音が辺りから聞こえてきた。先程までなっていた発砲音とは明らかに毛色の違う、まるで()()()()()()()()()()()()()()()かのような音。

 

ハッと天使が顔を上げる。片膝立ちの武藤の背後に広がる空間、天使も未だ踏破していない通路の奥に、1人の男子生徒の姿があった。

 

最初の数発を撃ってから、一切天使に対して仕掛けて来なかったもう1人の戦線隊員、真幸。武藤と天使が勝負を繰り広げている間密かに先へと進んでいた彼は、天使の顔を見てニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべた。その右手は通路の壁に――正確に言うと、通路の岩肌の中に隠されたスイッチに――添えられている。

 

次の瞬間、細長い通路の両壁の一部が音を立てて崩れ落ち、鉄製の細長い筒のような物が顔を覗かせた。銃身のようにも見えるその形状の筒は、仮にそうであった場合天使の立つ地点を中心に前後3メートルは容易に蜂の巣に出来る程に壁面を埋め尽くしている。

 

「ギルドの奴等から聞いた話でな、トラップには通路内での遭遇戦を視野に入れた手動式の物も含まれてるんだと」

 

得意げに語る真幸は、壁を埋め尽くす鉄砲の範囲外に立っている。

 

普段感情の動きが感じられない天使の金色の瞳が、僅かに見開かれた。彼等の狙いは、始めから天使を確実に罠に嵌めることだったのだ。

 

武藤が注意を引きつつ範囲内まで誘導し、その隙に作動装置まで先回りした真幸がトラップ発動のタイミングを待つ。そして、戦闘の中で密かに天使に致命打を与えられる地点まで誘導した上でこれを発動させる。これが、天使を追う道中で真幸から手動トラップの話を聞いた武藤が、天使と対峙したあの時間の中で言外に提案した作戦だった。武藤がその地点へ辿り着くまで耐えられるかが大きな課題だったが、彼は息も絶え絶えながら遂行して見せた。

 

狙いに気が付いた天使は、速やかにトラップの範囲外へ逃れんと地面を蹴ろうとする。

 

――パァン。

 

瞬間、乾いた銃声と共に武藤の右手に残ったSAAの弾が天使の左腿を撃ち抜いた。唐突の出来事に、天使はガクリと膝を落とす。

 

「ようやく隙を見せたね」

 

片膝を付いた天使の目の前で、ふらつきながらも武藤が立ち上がった。先程とは真逆の構図で、武藤が変わらず不敵に笑って見せる。

 

「――そう!!全ては貴方を倒すために仕組んだことだったのさ!!貴方の不運は、死んだ世界戦線(ぼくたち)のホームグラウンドに足を踏み入れたことと、そしてこの地下通路に精通した真幸君がこの場に居たことだ」

 

今の今まで天使に対して不利な戦いを行っていた反動か、武藤はそんな体力など残っていないであろうにも関わらず額に手を当てて恰好をつけた仕草を取る。勢い余ってこの場がホームグラウンドであることを明言してしまったことに関して、この場に追求する者は居なかった。

 

『ガードスキル……』

「おっと、一応言っておくが、そこの矢筒から放たれるのは火薬を用いていない、ただの矢だ。戦線お手製のトラップがその辺りを考慮していないとは思わないことだね」

 

ディストーションの発動に被せるように、武藤は言い放った。一時的とは言え片足を潰された天使が、このスキルも無しに降り注ぐ矢を凌ぎ切れるかは極めて怪しい。

 

「卑怯とは思わないでくれたまえよ、天使さん。虎穴に入らずんば虎子を得ずとは言うが、貴方が相手をしている者達を束ねるのは、正に虎よりも恐ろしい人だ。君をここに張り付けにして僕達は先へと進ませてもらうよ」

 

勝ちを確信した武藤は、尚もその場に立ち尽くしたまま「はっはっは」と高笑いを上げる。

 

「それで思い出したが虎穴とは文字通り虎の棲む穴を指しているのだが――」

「いや何をもたもた喋ってんだアホーーーーッ!!」

 

唐突に、真幸の怒号が彼を襲った。間髪入れず、カタカタと不気味な稼働音を立てていた両壁の筒から夥しい程の矢が発射される。

 

天使の目の前に立っていた武藤は、その光景に対して精悍な表情を崩さないまま短く声を上げた。

 

「あっ」

 

そして、真幸が発動したトラップは範囲内の物全てを等しく串刺しにしたのであった。

 

一瞬の内に打ち出される矢の数々。衝撃で周囲を覆い隠す程に立ち上った砂埃。それが晴れた時に映し出された光景を前にした時、真幸は呆けた顔で固まっていた。

 

天使はその場に倒れ伏し、動いていなかった。片脚を潰されたあの状況で左右から迫る矢の数々を叩き落としていたのは驚嘆に値するが、それでも捌ききれなかった数本が彼女の肩、腹、そして胸に深々と突き刺さっている。

 

天使はその再生力すらも戦線隊員達を大きく上回っており、あれほどの致命傷を負っても少し経てば復活してしまうだろう。さりとて致命傷であることに間違いは無く、真幸達に架せられていた役割は十分に果たせたと言えた。ゆり達がどのような状況になっているかは定かではないが、これによって少なくとも天使がギルドへ到着するまでの時間は大きく稼げる。

 

「……行くか」

 

真幸は暫しの間拳銃を天使に向けて様子を伺っていたが、再び動き出す様子が無いことを悟ると得物をホルスターへと収め、踵を返した。天使を相手に一泡吹かせたことによる高揚感こそあるものの、それ以上に天使の近くで針山のような姿に成り果てた自身のルームメイトへの失笑の方が強く出てしまっている。途中までそれなりに上手く立ち回れていたというのにこの有様である。

 

既にかなりの深層まで来ている。ここからトラップ整備用の通路を辿ればギルドへはそう時間は掛からないことだろう。

 

そして真幸は沈黙した天使と、自分がトラップの範囲内に立っていたことを失念して延々と喋り続けていた武藤(大馬鹿者)の亡骸をその場に放置し、1人地下通路の最奥へと足を進めるのであった。

 

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