ベッドから起き上がると身だしなみを整えて、何時もの服を着てから朝食を取る。
その最中で前日の夜に記した今日の予定を確認しようとするタキトゥスだが、この世界において所謂『アナログ』な彼は、とある物を自室から持ってきた。
このキヴォトスにとっては当たり前の物だが、1880年代の彼にとっては『魔法』とも言える代物。
スマートフォンと呼ばれる端末を覚束ない手つきで操作しながら、今日の予定を確認していく。
とある所から貸し出されたモノであるものの、タキトゥスからすればこの『スマートフォン』と呼ばれるのを使う事に乗り気ではなかった。
このキヴォトスでやっていくには慣れるほかないのだが、彼からすれば生前にあまり受け入れる事が出来なかった『文明社会』とやらに染まりそうな気がしてならないのだ。
それでも使おうとしているのは練習を含めているのだが、もっと言えば予備の端末を貸してくれた近くの学園に通う少女らに色々言われるのが面倒だからといった理由が付いてくる。
写真も撮る事が出来て、メモを残す事が出来る上に離れた相手とも連絡が出来る非常に便利とも言える代物ではあるが、やはりあの時代を生きていた彼にといっては手書きと言ったものが馴染み深いのだ。
「…本当に慣れないな」
そうしないといけないと分かっていながらも、ため息をつくタキトゥス。
今日の予定を一通り確認すると、外へと出た。
空はやや薄暗いが向こうから朝日が昇り始めていた。
暗かった空が青色へと変わろうとしているそれを軽く一瞥しつつも、ふと思い出した様に彼は手を頭と腰にそっと手を伸ばした。
何時ものそこにあったもの。しかしそれはなく、手を空を切った。
「金に余裕が出来たら良さげなのを買うか…」
逃げる時も銃撃戦も繰り広げる中でも何時も被っていた帽子と身に着けていたバックがない。
それもその筈。あの場所から彼はジョンを逃がす際に、それら二つを託す形で渡している。
ここに流れて着いた時も身に着けてはいなかったので無くて当然とも言えるのだが、彼にとっては無いのはやはり寂しいといった所である。
(とは言え、暫くは無いままだろうな)
此処に着て早数か月経ったと言えど、資金が潤沢と言う訳ではない。
キヴォトスの地ではまだまだ知らない事が多く、慣れない事も多い上に生前の生活スタイルとこのキヴォトスでの生活スタイルは全くと言っていい程に違う。
見た事も聞いた事もない便利な道具を十全に扱う事すらままならない。
加えてこの地区以外の地理関係もそこまで頭に入っていない。そうなると近くの学園に通う彼女達の協力が必要になる。
金の問題に加えて、その他諸々の問題が降り注いでいる今、呑気に買い物などしていられないのである。
が、いずれは買い物をしておきたいと頭の片隅で思いながらタキトゥスは何時もの仕事場へと向かう。
鶏舎から聞こえる鶏の声がまるでこれから仕事だと伝える様に高らかに響くのを耳にしながら最初の仕事へと取り掛かる。
やる事が多い以上、早い内に終わらせないと後に響く。
生前の夢がこうして叶ったと言えど、こうも大変なものだと感じるのは今に始まった事ではないのだから。
「さて…行くぞ」
時刻は昼前。朝やるべき仕事を終えたとしてもタキトゥスの仕事は終わらない。
荷車の荷台に取れたての卵が入ったケースや牛の乳から絞ったミルクが入ったタンク、収穫したばかりの新鮮な野菜が入ったケースなどの積み込み作業を終えると荷車と繋がった馬を、とある場所へと走らせていた。
普及している車とは違い、そこまで早くない。
荷台に荷物を載せているのだがら尚の事、そのスピードは遅い方だ。
トラックなどが普及しているキヴォトスで荷馬車を用いるは時代錯誤も良い所。
しかしこの辺りは舗装されていない道路もそこそこある。
馬を飼育しているタキトゥスにとって、馬にとってもこの辺りの環境は最適なのだ。
「ゆっくりだ。ゆっくりで構わないからな」
ゆったりとした速度で、舗装されていない道を進んでいく中でタキトゥスは馬にそう言い聞かせる。
大きな馬体と強い力、そして脚のふさふさが特徴の馬の名は『ブラック・ボーイ』。
品種は『シャイヤー』であり、タキトゥスが農場を営み始めた辺りからやってきた馬である。
タキトゥスの声にブラック・ボーイはぶるるっと、分かっているよと言わんばかりに鼻を鳴らした。
その姿にタキトゥスはそっと笑みを浮かべて、そのままブラック・ボーイを目的地へと向かわせていく。
「…」
雲一つない青空、緩やかに吹いた風に草木が揺れていく。
喧騒も無く、只々時間だけがゆっくりと流れていく田舎の風景。
実はここはキヴォトスじゃなく、アメリカじゃないのかと思ってしまうタキトゥスだが、そっと顔を空へと向ける。
青空の中に浮かぶ幾何学模様のそれ。どことなく少女らの頭に浮かぶヘイローの様にも見えるそれ。
その存在が彼に対して此処はキヴォトスだと示していた。
不思議なそれを見て、何かを感じ取ったのかタキトゥスは羽織ったジャケットの懐にしまっていた日誌を取り出し、空いたページに向かってペンを走らせた。
数秒程度でペンを握った手は止まり、ページにはあの空に浮かぶヘイローらしきものを綺麗に描いた絵と英語で一文が綴られていた。
─
生前と同様にその読み書きは衰える事無く、今も尚、タキトゥスは気になったものや不思議なものを日誌に書き写すというのはやっているみたいであった。
そのまま変わらぬ風景が続く道を黙々と通っていく荷馬車。目的地まであと半分といった所で、前方に制服を身に纏った二人の生徒の姿があった。その手にはタキトゥスが居た場所では見たことの無い銃。
二人を見つけたタキトゥスは手綱を引いて、ブラック・ボーイをゆっくりと減速させると近づいてくる荷馬車に気付いたのか生徒の一人が満面の笑みを浮かべて、大きく手を振った。
「タキトゥスさーん!」
そして大きな声でタキトゥスの名を叫ぶ。もう一人の生徒は元気な彼女とは違い、礼儀正しく一礼していた。
愛らしい笑みと元気はつらつとな少女と大人顔負けの落ち着きのある少女。
そんな二人にタキトゥスは小さく笑みを浮かべ、軽く手を上げて挨拶を返す。
ブラック・ボーイを二人の近くで停止すると、元気はつらつな少女がタキトゥスへと走り寄る。
「こんにちは、タキトゥスさん!今日も練習させてもらっていい?」
「声をかけて早々にソレなのはお前も変わらんな。…ほら、手綱を握れ。やり方は覚えているな?」
「うん!ブラック・ボーイ、今日は宜しくね!」
タキトゥスの隣に座り込み、ブラック・ボーイの手綱を握る少女の名は『元木 ハルノ』。
タキトゥスが今向かおうとしていた学校『カイナ農業学園』の生徒であり、良く空いた時間や休みの時に農場の手伝いに来てくれる生徒であり、彼が学校に来る日は決まって彼女が迎えに行く。
理由は馬の操縦をさせてもらう事と自分達とは違ってヘイローを持たないタキトゥスの護衛を務める事である。
「すいません、タキトゥスさん。ハルノがまた…」
「いいさ。何時も農場の手伝いに来てくれるんだ。これぐらいはさせてやらんとな」
「そう言ってくれると助かります。今日はよろしくお願いしますね」
「こちらこそ」
ハルノと挟む形でタキトゥスの隣に座り、軽く謝罪を入れる少女の名は『落合 クロカ』。
ハルノとは違って落ち着きのある生徒であり、同じく『カイナ農場学園』の生徒である。
彼女もまた空いた時間に農場の手伝いに行く一人であり、こうしてタキトゥスを出迎える理由もほぼハルノと同じといった所。
今日はハルノが馬の操縦を練習する日である事はクロカも知っていたらしいが、あくまでもそれはタキトゥスが許可した時のみ。
こちらから我儘を言わないと取り決めていた矢先、ハルノがそれを無視するものだからクロカからすれば申し訳ない気持ちで一杯だった。
が、タキトゥスはそれを気にしている様子もないので、内心ホッとしていた。
「今日は沢山積んでいますね。収穫時期が重なったのですか?」
「そんな所だ。いつも以上に買い取ってもらう事になるが頼めるか?」
タキトゥスがこうして『カイナ農業学園』に向かうのは、自身の農場で取れた製品を買い取ってもらう為である。
取引先の高校もそれを了承しており、定期的に向かっているのだ。
「問題ありませんよ。ただ、少々時間はかかると思いますからタキトゥスさんは皆と交流していて下さい。皆、貴方とお話出来るとなると喜ぶと思いますから」
「こんな30代半ばの男と話をする事に喜べる所があるとは思えんがな」*1
そんな事を口にしながらもタキトゥスはふと思う。
このキヴォトスに来てからというもののこの数か月で人間かつ大人の男性を見た事がない。
そういうのもあって人間の姿した大人の男性というのが、少女らにとっては珍しいのでないかと思いながら彼はハルノの操縦の元、馬車に揺られながら二人が通う『カイナ農業学園』へと向かうのであった。
『カイナ農業学園』は数千はある学園の一つであるが、所謂無名校に該当する。
しかし無名校にしては規模は大きく、在校生もそれなりに在籍、農業や畜産を専攻している学園である。
学園内で作物を育てたり、牛や鶏を飼育。学園で取れた製品を各方面に売る事で、学園の運営資金を得ている。
無名校かつ周辺地区が自然に囲まれた田舎、加えて治安も良い事から日常のストレス、止むこと知らない銃撃戦などから解放されたくてこの地区を訪れる者も少なくない。
またゲヘナ・トリニティ・ミレニアムの三大学園にも製品を販売している事もあって、無名校にしては知られているという学園だったりもする。
そんな学園に、自身の農場で取れたものを買い取ってもらう為に訪れたタキトゥス。
必要な書類を渡すと持ち込んだ製品の査定が終わるまでの間、ブラック・ボーイを解放して学園の生徒らの相手をさせていた。
「ブラック・ボーイはいつ見てもおっきいよねぇ」
「タキトゥスさんから聞いたけど、そういう種類みたいらしいよ。大きくて、気性も穏やか。加えて力も強いから荷車を引いてもらうに適しているんだって」
「となると他の種類の馬もタキトゥスさんの農場に居たりするのかな?」
「どうなんだろ…そればかりは聞いてみないと。もしかしたらハルノちゃんが知ってるかも」
学園に牛や鶏が居ても馬はいない。
その珍しさもあってかブラック・ボーイの周囲には多くの生徒が集まって、彼を愛でていた。
ブラック・ボーイも生徒らが優しくしてくれるのを分かっているのか、暴れる様子も無く落ち着いている様子。
そんな中でタキトゥスは生徒らから離れた場所で静かに煙草をふかしていた。
その姿は何処か感じるものがあって、話しかけようとしていた生徒らも気を遣って近づかない。
「タキトゥスさん、今良いですか?」
が、そんなものを知った事ではないとクロカがタキトゥスへと歩み寄り声をかけた。
煙草の煙は生徒に良くない。それを分かっているからこそタキトゥスは一瞬煙草をポイ捨てしそうになるも、ここが1899年のアメリカではないと思い出して懐から取り出した吸殻を捨てるケースにそれを押し込んだ。
「どうした?持ち込んだ物に何か問題があったか」
「いえ、そんな事はないですよ。ただお話したかっただけです」
「こんな男に話しかけても面白くないと思うが?」
「そんな事はありませんわ。大人の方と話せるだけでも良い経験になりますから」
クロカの一つ一つの上品な所作に、タキトゥスはふとギャングのメンバーであった女性を思い出す。
裕福な生まれで上流階級を知る人物。しかしその最期は掟を従った者に撃たれて死んだ。
彼女に頼まれて手鏡を渡した以外、そこまでの交流はなかったが思い出すには十分だった。
「キヴォトスに来て数か月は経ちますが慣れましたか?」
「多少はな。今は魔法みたいな道具に振り回されてばっかりだ」
「ふふっ、いずれ慣れてくるかと思いますよ。今は焦らずに、ゆっくりが良いかと」
かもなと、返しながらタキトゥスは査定が終わるのを待つ。
ただ、この後に起きようとしている問題を除けば…この時間はタキトゥスにとって平穏とも言える時間であった。
二話続きました…。
やや長くなりましたが、ご容赦を。
今のアー…こほん、タキトゥスは帽子とバックはないままです。
武器は持っていますが、何を持っているかは次回辺りに。
ではではノシ