リビングに香るコーヒーの匂い。
学が無くて、審美眼がないと自負する。
そんな、どこか不愛想な貴方との会話は、何処か心地よかった。
時間が経てど、私はそれを決して忘れられずにいる。
「あの雨の日以来ですね。元気そうで何よりです」
「そうだな。…そっちも元気そうで何よりだ」
随分と変わった格好をしているが、と敢えてその事を口には出さずに胸の内で呟くアーサー。
彼とて気にならない訳ではなかった。
だが、それ以上に聞きたいことがあったのだ。
「…その、なんだ。どうしてここにいる?」
普通の生徒ではない。
そんな事は装いからしてアーサーは分かっていた。
あの雨の日で出会った時とは、その姿は余りにも違いすぎたから。
ただ、あの雨の日と今…どちらが本当の彼女なのか。
そこだけが純粋な疑問として残っていた。
「さて、どう思いますか?」
そんな問いに、アキラは惚けた様子を見せた。
答える気が無いのか、或いは当てて見せろと挑発しているのか。
どちらにせよ、そう簡単に答える気が無いという事だけはアーサーにも理解できた。
余裕があれば、考えてやってもいい。
だが、今はそうはいかない。ここで立ち止まっていれば何時しか敵に追いつかれてしまうだろう。
「悪いが、今は謎かけの相手をしてやれるほどの余裕がないんだ。先に行かせてもらうぞ」
故にアーサーは久しぶりの再会を喜ぶこともなく、ハヅキ達がいる後方車両へ向かう事を優先する事にした。
「…ここで何をしているかは知らんが、早い内にここを出る様にしな。この辺りは物騒な連中がうろついているからな」
アキラの横を通り過ぎる際に、列車外へと出るようにと勧めるとアーサーはそのまま出入口へと向かっていく。
そしてドアノブに手をかけた時だった。
「私の手元にあなた方が追っている相手の情報をまとめたものがあると言えばどうされます?」
「!」
ドアノブに触れるか、触れない所まで来た時にその手が止まった。
ゆっくりと振り返れば、確かにアキラの手には先ほど口にしていた敵の情報を纏めたものが握られていた。
それが嘘か、或いは本当か。それを見抜くほどの力はアーサーにはない。
ただ、自分たちがここを襲撃した理由の一つを何故彼女が知っているのか。
正体やここにいる理由など、疑問が更に増えつつある中でアーサーは問う。
「…何が欲しいんだ?」
自分たちが欲しているものを相手が持っている。
それも自身が持っていると態々明かした。
そこから考えられるのは当然取引だろうと思っての発言だった。
「欲しているものは別にありますとも。それにそれは既に私の手元にありますので。…これはあの時のお礼と申しておきましょうか」
だが、その予想に反しての答えがアキラの口から出た。
思わずアーサーは眉を顰めてしまう。
「あの時の?…こう言っては何だが、たかだか一泊させた程度だぞ」
「たかだか一泊程度でも、です。それに借りは必ず返す主義ですので」
「律儀な奴だな」
「それはどうも」
差し出されたそれを手に取るとバックに収めるアーサー。
内容が気になるところではあるが、今はそれどころじゃない。
目の前に立つ少女の事に関しても色々聞きたいことがあれど、先を急いでいる事には変わりない。
が、やはりと言うべきか。
気になるものは気になる上に、この機会を逃す事があればそれを知る事は出来なくなる。
アーサーの口からは気付けば疑問の声が出ていた。
「ここで何をしていたんだ?」
「おや…謎かけに興じる気はないのでは?」
「気が変わった。それに今ここで聞いておかないと次が無い気がしてな」
「ふふっ、そうでしたか。…狙いはこれですよ」
そう言ってアキラがアーサーに見せたのは、とある絵画。
審美眼をそこまで持ち合わせていないアーサーでも、そこに描かれた絵の良さが何となく理解できた。
「長い間、その行方を追っていたのです。そして漸くこの列車に積まれているのを知ってここまで来たのです」
「…つまり、盗みに来たのか」
「そうとも言いますね」
「なら目的は既に果たしたんだろう?何故すぐに逃げ出さない?」
目的は果たした以上、長居する必要はない。
それが犯罪であれば、尚の事。
誰かに見られる前に逃げ出すのが利口な判断と言えるだろう。
「貴方がいたからですよ」
これまたアーサーが予想していなかった答えが出た。
絵画を盗みに来たとされる少女が、早々に立ち去らなかった理由にアーサーを待っていたというのだ。
「本来であれば情報を分かりやすい所に置いて去るつもりだったのですが…あの雨の日と貴方の事がどうにも忘れられずにいたものでして、ついつい此処に留まっていたのです。貴方が必ず此処に来るだろうと予測して」
「お前にとってあの時の事が思い出深いものになっていたとは思わなかったな…。あの時の会話も面白いものじゃなかっただろ?」
「芸術に関しての知識はさして無いこと位は一言、二言目の会話で察していましたとも。ですが、貴方が出会ったとされる写真家は聞いていて面白かったですよ。個人的には聞けずに終わってしまったシャルルという芸術家の話は聞いてみたかったですが…」
「あいつの事は…聞かない方がいい」
作品に罪はないものの…何分、そいつの性格やその行いに色々問題がある。
それを見てきたからこそ、アーサーは言わずにいた。
あまり人に聞かせるような内容でもない。そうだと分かっているのに、何故あの時の自分はその名を出したのかと今更になって疑問に思っていた程である。
「それはそれは……ふふっ、そうでしたか。貴方がそういうのであれば聞かない様にしましょう」
それでも少しだけ気になりますけどね、と口にした後、アキラは目の前に立つ大人を見る。
そして思い出すような様子を見せつつ、そっと微笑んだ。
「…今でも鮮明に思い出せますよ。外から聞こえる雨音、他愛のない会話、とある写真家の話、彩られた話の中で香るコーヒーの匂い、翌日の朝日の中で会わせてくれた馬…何より私の事を否定もしなければ肯定もせず、只々話を聞いてくれた不愛想なカウボーイ、…初めてでした、あの様な時間がいつまでも続いてほしいと願ったのは」
「俺からすれば、あの時に訪れた何処かの生徒がまさか怪盗みたいな事をやっているとは思わなかったがな」
そんな事を言いつつもアーサーは思う。
確かに、あの時の時間は決して悪いものではなかったと。
知的な少女であるという事は分かっていた。芸術に関しては特に博識と言っていい。
学がある方ではないと自負している点に加えて、今でもキヴォトスに対する常識や知識を勉強しているアーサーからすれば、そんな少女…清澄アキラとの会話は不思議と心地よいものだった。
「…そろそろ先へ行かせてもらう。早い内にここで出る様にしろよ?」
「言わずともそうさせてもらいますとも。…またコーヒーを頂きに訪れても?」
「安物で良いなら、いつでも──」
この時、アーサーは行動は早かった。
次の車両へと繋がる出入口から現れた、ヘルメットを被った複数の少女たち。
その全てに銃が握られており、アーサーと背中を見せるアキラを見るや否や無慈悲にもその銃口を二人へと差し向けようとしていた。
それにいち早く気づけたのがアーサーであり、その次に彼に気づいたアキラもすぐさま行動を起こそうとする。
だが、それよりも早くヘルメット団員が握る銃の引き金に指が掛かった。
「!」
撃たれまいと、尚且つ彼女にも攻撃が当たらない様にする為。
アーサーは腕を伸ばしてアキラを自身の元に抱き寄せた。
そしてそのまま地面に落ちる様に、その体を倒した時だった。
「ぐっ…!!」
アーサーの顔が苦痛に歪む。
羽織った灰色のコートの一部が滲むように赤く染まっていく。
強烈な熱と痛み。鳴り響いた無数の銃声、飛び交う弾丸の中で──
決して少なくない量の真っ赤な血が──
その身を庇われる様にして、アーサーと共に地面に倒れ行くアキラの眼前で舞い上がった。
長くなってしまうのであれ、あえて「.5」を入れたらいいじゃないと私の中の私が言ったので、今回は短めです。
また再現性の低さに加えて解釈違いもありますが…はい、慈愛の怪盗のこと、「清澄アキラ」の登場です。
タキトゥスことアーサーとの関りは、彼女の言う「あの雨の日」が端を発しています。
細かい部分を明かしていないのは…そこは皆さんの想像に任せようかなと。
そして最後の辺り…何が起きたかはわかりますよね?