ノン・フィクション ―嘘だと気付かなければ幸せな虚像の物語―   作:彩白 莱灯

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【依頼票】

 名前: 相馬(そうま) 俊生(としき)

 職業: サラリーマン

 相談内容:


 交際相手とうまくいくか不安。
 今まで真面目な交際経験が少ないため自分に自信がない。
 相談に乗ってほしい。


【コメント】

 男性の小さな字。
 自身のなさがそうさせているのか。
 自己肯定感は少ないか。
 私に依頼してくる人は人目を気にすることが多い。





人間編②-2 山羊と馬

 

 

 とある森の中。

 鬱蒼とは程遠い、爽やかな木陰とそよ風、木の葉の隙間から射す陽光が気持ち良い。

 時期としてはまだ冬だが、日中は日が射せばしっかりと温かい。

 少し開けた場所にベンチを置き、小説を読みながらその人を待つ。

 

 草を踏む足音がして、手元から視線を上げた。

 

 

「初め、まして」

「あ、どうも……初めまして」

「失礼ですが、お名前は?」

「あ、相馬(そうま)です」

相馬(そうま)様。ご足労頂きありがとうございます。こちらへどうぞ」

「あ、これはどうも……」

 

 

 スーツ姿の、垂れ目な男性。

 少し弱弱しい雰囲気がある。

 けれど仕事への姿勢は評判がよく、信頼度も高い。

 

 隣に座った男性はネクタイを緩め、大きく一呼吸を吐いた。

 

 

「すぅー……はぁー……。初めてここに来ましたが、いい場所ですね」

「森林浴は気持ちが落ち着きますよね。冬は空気が澄んでますし、晴れてれば温かいですし」

「そうですね。僕、森林浴よくするんです。家の近くの公園ばっかりなんですけど、ここは足を延ばしてでも来たいと思いますね」

「お気に召していただけて良かったです」

 

 

 そこからはお互いに無言。

 その場の雰囲気を満喫されているよう。

 雰囲気的にもあまり積極的なタイプではないのだろう。

 促すと警戒されるかもしれない。

 相手のタイミングで話せるのを待つとしよう。

 いつでも話を聞けるよう、小説にはしおりを挟んだ。

 小鳥はいない。

 虫もいない。

 葉が擦れる音がする。

 

 

「……あの」

 

 

 蚊ほどの小さい声が風に混ざった。

 

 

「はい」

「相談、なんですけど」

「はい」

「僕、今付き合っている人がいて。大事にしたいんですけど、大事にできるか不安で。相手の子はすごく可愛いんですけど、僕と付き合ってていいのかなって……」

「お付き合いされてどのくらいですか?」

「三年目になりました」

「三年もお付き合いされていれば、相性は良いほうだと思いますが。大事にし、大事にされていると思いますよ? 何か不安に思うエピソードなどがおありですか?」

 

 

 ここまで、目線を下げたまま私の方を見ようとしない。

 目を合わせることができないというのは、恥ずかしさや緊張、隠し事、嫌悪などの理由があると本で読んだことがあります。

 今回のこの方もそれらが理由だと思いますが、『自信のなさ』も追加されるでしょう。

 

 

「あの、えっと……こ、交際している以上、将来的なことも考えてるんです……けど、本当に僕でいいのかと思って」

「……それは、お相手様にふさわしい相手、という意味でしょうか」

「はっ……はい」

「なるほど、なるほど。お相手様は本当に素敵な方なのでしょうね」

「それはもう! 僕にはもったいないほどなんです!」

 

 

 ベンチが揺れるほどの勢いで立ち上がり、そして目を合わせた。

 自信を持っている。

 確信がある。

 その目には光が宿っている。

 この人は本当にお相手のことを想っている。

 そして、眼が陰る。

 

 

「……だからこそ、何で僕と付き合ってくれてるのか……なにか裏があるんじゃないかと思ってしまって、期待している彼女に答えてあげられないんです」

 

 

 自信のなさが疑惑に転じている。

 彼女さんが可哀想と思いそうになってしまう。

 実際の所は裏があるかはわからないが、三年という月日をこの方に捧げているのならば、裏があるようにはそうそう思えないのだが。

 

 

「では、その『裏』がないと確証が得られれば、貴方は前に進めますか?」

「……わかりません。けど、今よりかは……」

「そうですか、それでは、私がお力になりましょう」

「ほ、本当ですか!?」

「はい。相手を大事に思うがあまりに二の足を踏んでしまっている貴方の道、(ライター)が正しく灯して見せましょう」

「あああ、ありがとうございます!!」

「いえいえ、とんでもない。お相手様がどんな人か、教えていただけますか?」

「あ、はい! 写真が……この子です!」

「拝見いたします」

 

 

 セミロングの髪。

 恐らく私服で、食事中に正面から撮ったのだろう。

 移った彼女様は照れながらピースサインを作っている。

 その指の先は、口元の、横の、黒子(ほくろ)

 

 

「名前は、羊木(ようき) 灯里(あかり)と言います」

 

 

 私の知る彼女の名前は、山羊(やぎ) (ひとみ)なのだが。

 相馬(そうま)様は、つい最近調査した岡平(おかひら)様と同じ外見でそう言った。

 

 

 

 

――――― ❀ ―――――

 

 

 

 

 【調査票】

 

 名前: 羊木(ようき) 灯里(あかり)

 

 職業: 社会人

 

 依頼主: ♢♢ 様

 

 調査内容:

 

 ♢♢様の関係者様。

 仕事はとある企業の受付。

 愛想はよく仕事もプライベートも真面目な様子がうかがえる。

 企業を訪れる人や同僚からの評判は良い。

 交友関係は広いが線引きがしっかりしているという印象を持たれている。

 駅に近いわんるーむ(・・・・・)で暮らしている。

 同居人がいそうな雰囲気はなし。

 仕事後は友人、会社の関係者と食事をするか、♢♢様と会うことが多い。

 

 

羊木(ようき)さんは人気過ぎてまさに高嶺の花」

「ランチの美味しいお店も、ディナーの素敵なお店もよく知っている」

「一緒に出掛けると道案内してくれる。同時に、危ない場所も教えてくれるからとても安心できる」

「色々な経験をしているみたいで話題が尽きない。物知り」

「昔のことは話したがらない」

「家には招いてくれない」

「一人旅が好きなようだが、行先は教えてくれない。秘密の場所らしい」

「出身地は知らない」

 

 

 

 

 

――――― ❀ ―――――

 

 

 

 

 

 調査をまとめながら考えていた。

 

 今回調査した『羊木(ようき) 灯里(あかり)』という人間というのは。

 つい先日『山羊(やぎ) (ひとみ)』という名前で私に依頼してきた女性と同じ人間だった。

 双子、または人違いというわけではなさそう。

 そして今回。

相馬(そうま) 俊生(としき)』という名前で私に依頼してきた男性。

岡平(おかひら)達馬(たつま)』という名前の男性と同一人物であった。

 

 二人はお互いに偽名を使いながら私に依頼を出し、その裏で逢瀬を続けていた。

 ――これは何かの罠か?

 人間如きに罠にかけられたところでどうということはないが、『罠』という時間を無駄にしてしまう行為には怒りを抑える自信はない。

 もちろん、『罠』と決まったわけではない。

 視野と考えを狭めるな。

 

 ……。

 

 二人は生命体で声帯を持っている。

 けれど自分では言おうとはしないのが今。

 それでもユズを連れてくれば、二人の欲求(考え)は容易にわかるだろう。

 だが、何故かそれをする気にならない。

 意地、ではない。

 私にそんな概念はない。

 ではなぜか。

 

 ……。

 

 二人が嘘をついている様には見えなかったからだ。

 隠し事はあるだろう。

 けれど、話していること、つまりは内容に偽りは感じなかった。

 その直感を信じるのが意地というのならば訂正しよう。

 私にも意地という概念はあったのだと。

 

 では。

 その概念を信じたうえで、また同じ場所で森林浴に勤しむ相馬(そうま)様に結果を報告するとしよう。

 

 

「はぁー……良いですねぇ」

 

 

 まるで温泉にでも使っている様に没頭する姿。

 少し申し訳なくなってくる。

 けれど、私の時間も大切。

 このような複雑な案件、欲しいのは確かだが、私が関わった上で複雑になるのは御免被る。

 

 

相馬(そうま)様」

 

 

 意を決して呼びかけた。

 

 

「ふぇ?」

 

 

 腑抜けた返事が返ってきた。

 多少、苛立った。

 

 

「ご報告なのですが」

「……あ、ああ、はい。はい。そうですね」

 

 

 忘れてたなコイツ。

 

 

相馬(そうま)様がご心配されていた『裏』というものは見つかりませんでした」

「え、ほ、本当に?」

「はい。人当たりがよく交友関係は広いようですが、男性とお二人になるという機会がまずありませんでした。集団で食事、というものはありますが、現地解散後、その日のうちに自宅へ帰宅されています。怪しさの欠片もない、疑う余地のない女性です。まさに清廉潔白と言っていいでしょう」

「……そ、そうか……そうなのか……っ!」

 

 

 静けさに似つかわしくない、力のこもった声と拳。

 自信がないというご本人の問題はさておき、お相手が遊びではないとわかったのはやはり嬉しいようだ。

 いや、彼女が自分に対して真剣な交際をしているということが、自己肯定感を上げているのだろうか?

 人間の恋心は男も女もよくわからない。

 

 

「じ、実は、彼女から同棲を持ちかけられているんです……。僕、女性にひどい目にあわされたことがあって、不信だったんです……。でも僕、彼女のために頑張ります!」

 

 

 ……何を?

 

 

「とても素敵な女性です。大事にしてあげてください」

「はい! ありがとうございます! ライターさん!」

 

 

 不安が取り除かれたからか。

 考え方が変わったのか。

 森林浴の効果か。

 意気揚々とスキップを踏んで森の外へ抜けて行った。

 

 私はしばらくその場に留まることを選んだ。

 私も森林浴をしながら、今後を考えることにしよう。

 

 偽名を使っている理由。

 そもそもどちらが本名でどちらが偽名なのか。

 普通に考えれば……いや、どちらかと言えば、私に名乗っている方が偽名の可能性はある。

 私のような怪しい奴が、『幸せ本舗・ハッピーエンド』という怪しい相談所で、こんなよくわからない場所に案内されるのだから。

 普通は依頼すらしないだろうし、案内状を出してもバックレてしまう客だっている。

 それでも来るのは、相当切羽詰まっているか、対価にしり込みしているのか、普通(・・)の手段では普通(・・)の相談所や探偵が使えないのか。

 

 ……。

 

 はてさて。

 本当ならばこの依頼はすでに終了している。

 だが、やはりどうにも腑に落ちない。

 このまま気にしているようでは私の時間に支障が出てしまう。

 ……となれば。

 

 

「調べるほかありませんね」

 

 

 山羊(やぎ)様も、相馬(そうま)様も。

 向こうから再度依頼があるか、私からアクションを起こさない限りは接触する予定はない。

 ならばユズたちに頼ることは難しい。

 たまには自分の足で稼いでみましょう。

 日ごろの運動不足を解消しましょうか。

 

 ―― 二カ月後。

 とある廃墟にて。

 その女性がいた。

 

 

「こんにちは」

「っ!? ぁ……」

 

 

 ……泣いていた。

 

 

「偶然ですね」

 

 

 もちろん偶然ではない。

 本名、山羊様が廃墟の場所に向かったので、追いかけてきただけ。

 ここは私が案内状を出すときと同じように、特殊な道程でないと辿り着けない。

 だから基本的には誰も寄り付かない。

 早速泣いていた、そしてやつれている理由も聞いていいのだが、私はよくても相手はそうではないだろう。

 やはりまずは警戒心を解かなければ。

 

 数歩前に立ち尽くしていた山羊様の隣に並ぶ。

 眼は兎のように赤い。

 瞼は腫れている。

 頬には流れた涙の痕があり。

 こけた頬に影が残る。

 

 

「ライターさん……」

「穴場ですからね。ここは。廃墟マニアの中でもなかなか知る人はいないでしょう」

「そう、なんですね……。それは、特別感ありますね」

 

 

 まだ冬の寒さが本領を発揮している時期。

 外で廃墟を楽しむのは体が冷える。

 しっかりと防寒着を着ているものの、野ざらしでは寒いのだろう、体が微かに震えている。

 さすがに居合わせただけでは何も話そうとは思わないだろう。

 けれどさすがに炬燵の用意はない。

 北風が一瞬、強く吹いた。

 

 

「冷えますね」

「……はい」

「水筒に温かいものを入れているんですが、よろしければ一緒にいかがですか?」

「…………嬉しいです」

「では、風がない所で」

 

 

 廃墟の奥へ進む。

 北風が遮られる壁に沿って、かつ座れそうな場所へ偶然を装って案内する。

 山羊様は黙ってついてきた。

 

 

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 

 水筒のキャップに入った、湯気の立つフルーツティーを差し出した。

 両手で口元に寄せ、湯気や香りで暖をとって……飲んだ。

 はぁ、と吐かれた息は、冷たい外気に晒されて白くなっている。

 

 少しずつ、少しずつ。

 水筒の小さいキャップに入る程度の分量を、時間をかけながら飲んでいる。

 どこを見ているのかわからない目線で、ただただその動作を繰り返す。

 まるで螺子巻き人形の様だ。

 

 キャップの器を大きく傾け、一際大きい息を吐いた。

 固くなっていた肩の力が抜けたように見える。

 それを機と判断した。

 

 

「何か、ありましたか?」

 

 

 脱力した体の動きはなかった。

 けれど、瞳が揺れたのは見えた。

 白い息を吐く小さい口が、震えながら開かれていく。

 

 

「私……昔、良くないことをしてて……」

「はい」

「……あの……」

「言いにくいことは省かれても大丈夫ですよ?」

「……すみません」

 

 

 間を空けながら、山羊様は語りだした。

 再調査によって判明した、過去の『美人局(つつもたせ)』について。

 

 

「人を騙してたんです」

 

 

 とても、すごく、相当にぼかして。

 どれほどのものかを聞き手側に任せる言い方をして。

 語り手は、今はもう飲んでしまって中身の戻らない器を見つめる。

 

 

「誰かの好意を利用して、私や私の周りの人が笑っていました。その人はひどく辛いのに。ひどく、辛くなることをわかっていたのに。むしろその姿をどれだけ辛いものにできるかで競っていたのかもしれません。

 

 そのために、私はその人を喜ばしました。喜ぶ言葉を言い、喜ぶ格好をして。喜ぶことをした。苦でもあったけれど、その区の先には私の『喜び』が待っていると思ったから頑張れた。向こうを喜ばすのだから私も喜んでいいでしょう、と。

 

 タダで喜ばしてあげるつもりなんて全くなかった。だから、私に対価をもらう権利はある。そう思っていました。思って疑わなかった。好意に有償も無償もないなんて、全く考えてなかった」

 

「なぜその様なことを始められたのですか?」

 

「……私が当時交際していた人が、そういうことに詳しかったんです。私はチヤホヤされるのが好きで、たった一人に、じゃなくて、みんなに愛されたかった。だから、その……当時の彼氏が私を褒めてくれることをやりたかった。それが成功すると、彼だけじゃなくて彼の周りも私を褒めてくれた。

 

 逆に、悲しむのが一人だけ。誰かが悲しんでいるとわかっていても、見えないようにいろんな人に褒めてもらいました。みんなが褒めてくれれば、他の誰かのことを考えずに済む。それに気づいたのはもう随分前です」

 

「あなたはその悲しんだ人についてどう思うのですか?」

 

「今は本当に申し訳なかったと。心から謝罪したいと思っています。けれど、その人は私には会いたくないかもしれない。私は謝罪して、殴られても蹴られても、殺されてもいいと思っています。相手が何を望んでいるかは分かりません。今はもうどこにいるかもわかりません。もし機会があったら、そのときはあの人に従います」

 

「当時付き合っていた彼とはどうなったのですか?」

 

「連絡が途絶えました。数ヶ月前のことです。途絶える前から、私もいい年だし、いい加減、人を傷つけて笑うのはやめようと思っていました。

 

 けど、怖かったんです。世で言う裏の世界の人だったんです。だから、私が別れたいなんて言ってもただでは別れてくれなかったでしょう。それなら、近くにはいて、機嫌だけ取ろうと。

 

 けど、いなくなったんです。その組み自体もほとんど機能していないみたいで、だから、逃げるなら今だと思って。彼は下っ端だったから、上の方の人も私に構ってはいられないでしょう。念のため、表では私はなるべく偽名を使って生活しています。

 

 だけど、やっぱり怖くて。私の人となりが何かで伝わったらどうしよう、と思って。岡平さんには偽名を名乗ってしまっているんです」

 

「そうだったのですね。では、なぜここに?」

 

「……怖いんです。私が岡平さんを裏切ってしまうんじゃないかって。私が私を信用できないんです。それに、元彼が戻ってくるんじゃないかっていうのも。死んだと聞いたわけではないですし……」

 

「なるほど。なるほど。過去に追われ、今は首を絞められている。……では、私から一つご意見を」

 

 

 固く握られたキャップの器に、再度、紅茶を注いだ。

 山羊様と私の間に、一本指を立てる。

 

 

「まず、元彼さんのことは私が調査いたしましょう。故人ならばそれまで。存命ならば動向を見張ります」

「それは……嬉しいですが、いいんですか? 動向ということは、ずっとですよね?」

「ええ。ずっとです。その方が生きている間は見張りましょう。大丈夫ですよ。私は元彼さんよりも生きますし、簡単には死にませんし、もちろん山羊様よりも長生きします」

「え、いや、そういうわけじゃ……」

「詳しいことは企業秘密です。連絡はすまーとふぉん(・・・・・・・)で」

 

 

 有無を言わさず、二本目の指を立てた。

 

 

「今、山羊様がご自分を信用できないということですが、私としては『それで良いのではないか』と思います」

「え……?」

「自分のことは主観的にしかわかりません。いくら自分を客観的に見ようとしても自分が自分を見ている時点で主観が混ざります。誰かに客観的意見を聞いたとしても、理解する頭は自分なのですから「自分なりに客観的意見を理解した」ということになりますので、それも純粋な客観的意見ではなくなります。どうあっても自分が混ざり、信用できない。それは自分を律することができないということ。それがわかっているならばそれでいいんです」

「でも、それじゃあ……」

「裏切る可能性はもちろんあります。自分を信用できないなら可能性はもちろん。けれど、山羊様が信じられない自分を信じている人がいますね」

「あ……」

「その人を信じて行動してみてはいかがでしょうか。その人のために。その人が喜ぶために。あなたの行動でその人が喜べば、あなたに感謝するでしょう。そうなれば、あなた自身も満たされるのではないですか?」

「岡平さんを……」

 

 

 私を見上げる山羊様の目は、ここに来た時とは違う輝きを含んでいた。

 来たときは雫の。

 今は、希望の。

 

 好きな人に褒められたい。

 好きな人を信じたい。

 好きな人に感謝されたい。

 不思議なことはない。

 普通の感情でしょう。

 手段も特段変わったことではない。

 ただ『相手を信じる』というだけ。

『相手に誠実にいる』ために。

 どちらにも損失はないでしょう。

 得られるものも、もちろんのことながら。

 

 

「いかがでしょう?」

 

 

 提案を話してから、ぽかんと間の抜けた顔になってしまった。

 両手で包んだ空のキャップを拝借する。

 抵抗なくするりと抜けた。

 紅茶を注ぐ。

 ああ、華やかな香りだ。

 一口、こくりと音を立てて飲み込んだ。

 なぜかそのタイミングで、山羊様ははっと体を揺らす。

 

 

「や、やや、やってみます!」

「おや、そうですか」

「は…………い。あの、調査もお願いしてもいいですか?」

「元彼さんですね? かしこまりました。それだは情報を頂けますか?」

「はいっ、名前は――」

 

 

 息を吹き返した山羊様はとても活き活きとしていた。

 苦しそうにこの場で泣いていた頃とは違う。

 初めて出会った時の様な雨は、今はもう止んでいる。

『相手を信じればいい』というだけのこと。

 それは、簡単なことの様で、とても深い沼だというのに。

 

 私は口角を上げ、目尻を下げながら山羊様の話に耳を傾けた。

 

 

 

 

 

――――― ❀ ―――――

 

 

 

 

「こんにちは」

 

 

 声をかけた先にいる男性は、木漏れ日の中でベンチに背を預けていた。

 背もたれではない。

 ベンチの足に背を預け、地べたに座っていた。

 傍らに酒瓶。

 顔は赤い。

 開き切らず、微睡んだ目。

 適当に投げ出された手足。

 ひゃっくり。

 見事な酔っ払い。

 

 

「んあぁぁー、らいたーすぁん……こんちゃーっす!」

「こんにちは。今日はとても陽気でいらっしゃいますね」

「うぃっす! きゅおもげんきっっっす!」

 

 

 寝そべりながら敬礼。

 口元だけ笑みを作り、私はベンチに足を組んで座った。

 

 

「今日はどうされたのですか?」

「んあーーー、聞いちゃいあす? 聞いてくれあすぅ? 聞いてくあさいよおー!」

 

 

 手に持った酒瓶に口づけ、大きく煽る。

 それを皮切りにして、以前会った時のように落ち着いて話出した。

 

 

「僕は昔真面目な人間でした。真面目に生きて、真面目に仕事して、真面目に人と関わった。恋愛だって経験は少ないけど、不器用ながらに真剣だった。

 

 裏切られた。結婚が決まった瞬間、一番若い時に結婚式を挙げたいという婚約者のために貯金を切り崩し、彼女の理想だけを詰め込んだプランを組んだ。振り込み期日まで余裕はあった。けれど急かす彼女に盲目だった僕はお金を渡した。

 

 雲隠れですよ。真剣な付き合いの果てがこれだ。

 

 ……ふざけるな。ふざけるなふざけるなふざけるな!!! 俺はお前のために大枚を叩いたんだぞ!! お前のために稼いだわけじゃない!! お前の我儘のために使ったんだ!! 俺の金だ!! 俺の金だ!! 俺の!! 俺の金だったのに!!!」

 

 

 再度、酒瓶を煽る。

 放たれた息はとても下品で、鼻をつまみたくなる。

 客ということで眉を顰める程度で耐えた。

 

 

「彼女はその時の彼女によく似ている。同じ人かはわからない。けれど、よく似ている。

 

 最初は探るつもりで偽名を使った。探っているうちに気持ちが変化してしまった。これは好意だと思う。そう思っている。僕も学びがない。学びはないが、知れば知るほど好きになってしまう。けれど同じだけ恨みもある。彼女が笑っているとき、僕は同じように笑い、裏では歯ぎしりを立てている。

 

 好いているのか嫌っているのかわからない。他人を信じるのが怖い。向こうが笑うのが辛い。怒りが湧いてくる。……傷つけたくはない。守りたい。だが、自分一人ではどうしようもない。

 

 そういう気持ちになると、決まって人のいないところに行った。そして落ち着くまで一人でいる。落ち着いてくるとともに絶望する。俺はこんな人間だったのかと。こんなにも人を恨み、呪える人間だったのかと」

 

 

 はあ、と重い息を吐き出す。

 飲み終わったのか、飲む気もなくなったのか、酒瓶を放り投げた。

 開いた両手で顔を覆う。

 両膝を曲げて縮こまった。

 くぐもった声で嘆く。

 

 

「彼女を信じたいのに信じられない。過去のトラウマが邪魔をする。いっそのこと、過去の彼女がどうなったかわかればいい。別人だとわかれば。因果応報が起こっていれば。まだ彼女への感情はまともになると思うんです。真面目な自分に戻れる」

 

「疑えばいい。全てを」

 

 

 両手から外れた顔が、私を見上げる。

 

 

「疑って疑って、裏切られた時に備えるのです。その備えができていることが安心になる。無理に信じなくていい。それはあなたを苦しめるだけだ。

 

 逆に何を信じていますか? 自分の直感? 自分の直感が「彼女は大丈夫」と思える様に安心を積み重ねるのです。

 

 それはつまり疑い続けるということですが、いつか、疑わないで済む時が来るかもしれない。無条件に信じているかもしれない。信頼を得るというのは難しいですが、信じるということも同時に難しいのです。自分に害があるかもしれないのだから。

 

 それに疲れたらいっそのこと別れてしまいなさい。何十年と続く牢獄です。開放するのは自分自身です」

 

 

 この日も持ってきた紅茶を一息に飲む。

 私を見つめる熱い視線が突き刺さるが、それは気付かないふりをして。

 木漏れ日の暖かさを堪能する。

 

 

「はあ、美味しい」

「あの! ライターさん!」

「はい?」

 

 

 ベンチに身を乗せ、酔っている顔に光を宿した瞳で私を見据える。

 何を言うのかと待っていると。

 何も言わずに身を近寄せてくる。

 酒くさい。

 

 

「……なんでしょう」

 

 

 思わず仰け反りながら急かした。

 

 

「僕は彼女と幸せになれるでしょうか!?」

 

 

 知らんわ。

 

 

「それは貴方方の行動次第かと」

「そんな! はっきり言ってください! どうですか!? 上手くいくと思いますか!?」

 

 

 これは酒に酔っているせいなのでしょうか。

 話が通じていないような自分勝手さ。

 距離の近さ。

 息の不快感もあり……苛立ってくる。

 

 

「『信じる者は救われる』」

「え」

「疑い続ける自分を信じてみてはどうでしょう。そんなご自分が、「もう疑う余地はない」と思えたのなら、信じるに値するのではないでしょうか」

「え……ん?」

「とにかく、私から相馬様にお話しできるのはそれぐらいです。あとはご自分で考えてみてくださいませ」

「あ、らいたーさん……」

「あ、少し失礼します。仕事の電話が」

 

 

 救われたいと願う手を気付かないふりをして、私はその場から少し離れた。

 ようやく使い方に慣れてきたすまーとふぉん(・・・・・・・)を耳に当て、やや興奮気味の声を聞く。

 私の口角が今日一上がったのが分かった。

 電話を終え、来た道を戻る。

 

 

「失礼いたしました」

「あ、いえ……」

「落ち着かれましたね」

「う、す、すみません……」

「いえいえ」

 

 

 ベンチに腰掛け、紅茶を注いだ。

 差し出せば素直に受け取り、湯気を確認してから一息に大きく傾けた。

 

 

「あああああつい!!!」

「湯気が立ってましたでしょう……」

 

 

 酔いが醒めたのかと思いきや、まだ酔っていたような行動だ。

 暑い紅茶で本当に用意が醒めただろうか。

 

 

「僕……今、疑うことしかできないかもしれないです」

「はい」

「でも今はそれで、いこうと思います。信じるために疑って、本当に裏切られたときのために控えることにします」

 

 

 私が言ったことまんまですね。

 

 

「それでもよろしいかと」

「はい。ありがとうございます。少し、落ち着きました」

「それはよかったです。では、私はそろそろ」

「あ……はい。またお話しできるでしょうか?」

 

 

 ベンチから立ち上がり、深く会釈をして背を向けた。

 

 

 

 

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