某県某所の大きな屋敷、表札には『百地』の文字。縁側では、緑色の褞袍と臙脂色の羽織を着た男がくつろいでいる。脇に置いてあるのは、徳利とお猪口の乗った盆。男がお猪口を口に運ぶと、盆の上に新たに枡と一升瓶が置かれ、隣に1人の老人が座った。男がそれを見て口を開く。
「まだ昼だぞ叔父貴。」
「お前も呑んでただろうが。」
2009/5/31
「で、次の当主は決めたのか?」
老人が酒瓶を開けながら聞く。男は瓶を預かり、枡に酒を注ぎながら返す。
「気が早いな。万里はまだ14だし、千尋に至ってはまだ7つだぞ。」
それなりに酒が注がれたところで制し、枡を取って老人が言葉をこぼす。
「兄……お前の親父は8つで当主になった。」
「時代と状況が違うだろうよ。」
お猪口を呷る男を横目に老人はまた口を開く。
「千尋にしておけ。万里は危うい。」
「何がだい?」
「感性がだ。」
男のお猪口に酒を注いでやりながら、老人は続けた。
「あの子は人の心の機微というものに疎い。否、『疎い』で済ませて良いかもわからん。話す言葉の全てが、世間一般で求められている答えをそのままなぞっているかの如く思える。」
男はお猪口を口に持っていきながら少し考え込んだ。
「……ふむ。個人的には万里が継いでも良い気はするがなあ。」
「何?」
「正味な話、2人とも当主の器とは言えんよ。俺の血を引いているんだから間違いない。」
「偉そうに言うことじゃない。」
老人が苦虫を噛み潰したような表情でそう返すと、男はヘラっと笑って謝った。
「失敬。ともかく、それなら大きくコトを動かしてくれそうな万里を選ぶって話さ。千尋が手綱を握ってくれれば、きっと百地家はグッと力を増す。」
「あの子をずっと御し切れるとはとても思えん。100年先、再興を進められているのは間違いなく千尋の方だ。」
男は頬杖をついてため息をこぼした。
「100年って。そん時俺は死んでるよ。」
「万里を当主にして何かあれば、お前の代のような苦労が今度はお前の曾孫や玄孫の代まで続くぞ。」
「……そん時俺は死んでるよ。」
「……フン。」
老人は一度枡を呷って膝の上に戻す。
「……万里が百地に牙を剥いたらどうする。」
「そうだな。その時は。」
男はふと立ち上がり、何歩か歩いて大きく伸びをした。
「殺してでも止めるしか無かろうよ。」
男は振り返り、困ったように笑った。
「そんな話をしないでおくれよ叔父貴。今から気が滅入ってしまう。」
「……昔からお前には重荷を背負わせすぎるな。」
「おいおい、まだ何も決まっちゃないぞ。それに今までのも叔父貴の所為じゃなくて、親父の失態に端を発するものだろう。」
「そう言ってくれるな。あの時、兄貴は当主としての初任務だったんだ。」
「わかってるよ。それが切っ掛けに過ぎないともな。当時の百地は、既に落ち目もいいとこだった。」
老人は空の枡を見つめたまま何も言えない。男が自分の徳利とお猪口を拾って言う。
「まあなるようになるさ。あんまり心配ばかりしても寿命が縮むぜ叔父貴。」
男はそのまま屋敷の中へ消えていった。