パラノイアシフト   作:アブラセミ

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3話

力を持つ存在は、その力に準じた重さの責任を背負うべきだ。

 

 ならば産まれた時から力を持つものは、また誰かを致命的な迄に歪めてしまったのだとしたら、それは一体、どう責任を取ればいいというのだろうか。

 

 それはどの動物にも作用しない論理であり、人が社会的動物であるが故に、法典には書かれない無数の常識、マナー、義務が掘られ、刷られ、照らされる。『人』という群を殺さない為の複雑な仕組みはそこら中に根を貼り、場を整え、少なからず個を殺す。

 

 俺が思うに、産まれ持った力が過ぎたもので、誰かを、また自分にその力の矛先が向いたとして、それは誰も悪くないだろう。ただ無数に在るだけの理不尽なそれらを防ぐ手立ては何もなくて、結局のところ不幸は均され、大数は定数へと収束する。

 

 だから誰も彼も、そのことについて気に病む必要なんてものは欠片もない。ただ目を閉じ、耳を塞ぎ、「私は悪くない」と呟けば、そいつの世界は護られる。

 

 だというのにどうして、何故、彼らは往々にして全てを受け入れるのだろうか。その先が破滅だったとしても、救済なのだとしても、続く旅路が苦難に彩られていることは考えずとも明白なのに。

 

「私は悪くない」

 

 耳は塞ぎ、でも目は開けたまま。

 

「私は悪くない」

 

 目を塞いでも、耳から少しだけ隙間風。

 

「私は悪くない」

 

 穴という穴を全て塞ぎ、固め、殺し、埋める。

 

「私は悪くない」

 

 人は元々孤独な生き物だ。知性を持ち、社会性を獲得する過程でその本質は更に強まった。孤独にして、孤高。孤高にして、最弱。『人』という群を成立させる為だけの駒とも言える有象無象。それは本能であって義務ではない。だから「私は悪くない」「君は悪くない」「誰も悪くない」

 

 熱湯に触れれば火傷をする。そんな当たり前のことに気付けなかった。

 

 今は遠い過去。そんな少し考えれば分かることを見逃していた。

 

 生きていれば死ぬ。そんな必然から目を背けていた。

 

 悪くない。悪くない。多分、悪く は ない。

 

 災害に被害者以外がいないとするのならば、人災に加害者がいることだって道理が合わないだろう。

 

 勝手に壊れただけだ。

 

 俺のせいでも、ましてやあいつのせいでもない。勝手に壊したんだ。誰のせいでもない。ひとつでも悪を決めるのだとすれば、それはこんな状況を作った世界自身だろう。

 

 だから俺たちはここに長居するわけにはいかない。何処にも根を貼ってはいかない。浅く、広く、秋に満ちる蒲公英の綿毛のように、時期が来たら風に乗って。

 

『根無し草は、深く根を張るほど土を苦しめ、殺す』

 

 魔法使いの予言は、相応の努力なしには覆すことは叶わない。研鑽の方向だって定まらない今、取れる選択肢なんてふたつにひとつ。

 

 だから俺たちは溺れるように、来たるべき終わりを眺め続けている。

 

 

 ◆

 

 

 最近ひっきりなしに続いて止まなかった悪夢の呼び笛は、昨日あたりからめっきりと聞こえなくなってしまった。

 

 起きた理由も知らぬのだから、終わる理由も分からないことは全くの同義なのだが、せめて理由は知りたいものだと終わったあとも思ってしまうのは、猫をも殺す好奇心故の代物なのか、それともなにかの予感なのか。

 

 寝起きの悪いこの身体にはとてつもないほどに意味も益体も詮もない話であったが、自己の連続性すら曖昧で蒙昧である状態の俺以外には重要な話だったのかもしれないと考えると、少し勿体がないような。微睡みの中で俺はそう思った。

 

 相も変わらず雨は続いている。調度良い肌寒さが布団をより心地好く感じさせるが、しかし娯楽の少ない田舎の完成されたルーティンの強制力は強い。なんとなく申し訳がないような気持ちが次第に湧き出て、俺はもそもそと布団から這い出でることにする。

 

 床を踏み窓を開け少し冷たい空気を吸うと、意識は随分と晴れやかに冴え渡った。

 

 エネルギーを補給すべく廊下を歩けば、食欲をそそる匂いが進むにつれて強くなる。居間には▇▇が調理場にいて、俺に気付いた▇▇は無邪気な視線だけをこちらに向けた。

 

「ご飯、できてるわよ」

 

 「ああ」と、俺は返事をする。ほかほかの食料は完璧な温度調節がなされており、まるで俺がこの時間に席へと付いたことで料理が完成したかのような。そんな神業的出来栄えだった。

 

 ぼやける眼を擦りながら朝食を頬張れば、▇▇は「喉に詰まらせても知らないわよ?」とよく通る声でコロコロと笑う。笑って、穏やかに静かな沈黙へと続く。

 

 食器洗いを終え、洗濯物を畳む作業に移り変わる▇▇の行動を肴に楽しむ朝食は何度やっても飽きそうにない。「ご馳走様」と手を合わせれば▇▇は微笑んで、「お粗末様」と食器を片付けて背中を見せる。

 

 「なあ」と▇▇を呼べば、「どうしたの?」と可愛らしく返事をする。

 

「お茶、欲しいな」

 

「ん、分かったわ」

 

 踵を返す▇▇を視界の端で捉えながら、今日の予定を思い出す。さしたるやることも思いつかない俺は、読書でもするかと席を立った。

 

 適当に積んである未読の本のうちの一冊を手に収め、再び席に座ってペラペラと本のページを捲っていく。

 

 「はい」とタイミングよく湯呑みが傍らに添えられる。啜れば温度も調度良く、苦みも少ない。淹れ方が良いのだろうと思った。

 

 開いて読んで、理解し初めてこの本についてを思い出した。『四次元世界における物理的触媒と儀式について』と表紙に書かれたこれは、「興味深そうだ」と俺が受け取ったスイカズラが所持する魔導書のひとつだ。

 

 はて、一体どうして、どのようにしてこの本はここで積まれるに至ったのだったか。彼女の話を頭の中で掘り下げる。いつの事だったか。数年前か、数ヵ月ほど前か、口煩く知らない知識を、声高らかに誇るように、反芻するように寂しそうに、語っていたのを思い出す。

 

「永久機関は永久に完成しないんだよ」

 

 彼女は行儀悪く足を組んで、どこかで聞き齧った知識の真偽と是非を問う俺にそう言った。

 

「なにせ、エネルギーは生み出すものではなく、また消え去るものでもなく、零の値からどこかへ動かそうというのなら、エネルギーは最終的に、再び零へと立ち返らなければいけないものだから」

 

 話にあまり興味を持てなかった俺は「うん」と頷いてそれっきり。でも彼女は暇潰しがてら話し続けて、俺は合間に相槌を打ち続ける。

 

「それは魔法においても同じこと。化学では説明のつかない事象を、確かに魔法は引き起こすけど。それならって、知らない人達はこの学問に希望を抱くけどね。魔法は『法』なんだ。成り立つ基準があって、それは世界よりも外にあるものじゃない」

 

「うん」

 

 世界は俺たちの都合に合わせて変わったりはしない。魔法がどんなに不可思議でも、雨が人を殺しても、それらは全て『そう思いたいだけ』の集積でしかなくて、人為的に起こす自然現象に後から名前をつけただけでしかないのだろう。

 

「だからあの『雨』や『境界』、そのいくつかある魔法使いの引き起こした『変革』たちだって、絶対じゃない。エントロピーは拡散し続けなければならないから固定には相応のエネルギーが必要で、今もどこかに楔はあるはずなんだよ。だからなにって話だけど…いや、そうだね……」

 

「うん」

 

 目を瞑って、続きを待つ。

 

 スイカズラがなにをしたいのか。別に知らない訳じゃなかったけれど、己の口から改めてそれを聞くのは、この日が初めてだっただろう。

 

 その言葉は取るに足らなかった。意思だって別に目を見張るものじゃない。態度だって悪いし傲慢で、向う見ずだ。ただ何となく、今でも思い出せるってだけの。

 

「アイン」

 

 名前を呼ばれ顔を上げる。1ページも進んでいない進捗を、栞も挟まずパンと閉じて、温くなったお茶を胃に垂れ流す。

 

「どうした?」

 

 と湯呑みを置いて聞けば、▇▇はこくりと頷いて、視線をゆっくりとどこかへ向ける。

 

「お客さんね」

 

 そんな言葉に、俺は「ふぅん」と軽い調子で流す。なにせ、今更この家を訪れるような人間への心当たりはふたり程度。そして状況を鑑みた消去法を用いればひとりにまでその数は絞られる。

 

 むしろ関心は、俺よりも早くその客人の来訪に気付いた▇▇の鋭さの方に向けられるのだが。

 

「……」

 

 スイカズラが無遠慮に居間へと続く扉を開けるものだから、質問は永遠に飛ばせず終いとなった。

 

 無言で▇▇を見つめる彼女。竹馬の友とも言える間柄であるはずの彼女らは、片や微笑み、片や胡乱げに眉を歪めている。

 

 「……誰」と怯え混じりに彼女が言えば、俺は「知らない」と答えざるを得ない。

 

 顔も知らないし性格も知らない。そして何より、名前も知らない。▇▇とは単純に、『なんとなく名前を呼んだ気になっている』だけの話なのだろう。

 

「お前は誰だ?」

 

 知らないものは、分かる人に聞けばいい。

 

 誰でも知っている常識に、彼女は微笑んで答える。

 

「見た通りに、好きに呼んでくださって構いませんよ。アイン」

 

 その言葉が呼び笛だったのか、彼女を見つめるその目に違和を感じる。『違和感を感じないという違和感』、『彼女が一体、どのような姿をしているのか分からない』

 

「……ノンイグジスト(不存在)?」

 

「それを名前として扱う感覚はとても洒落ているとは思いますが、もう暫し辛抱なさってくださると嬉しいですね」

 

 彼女がそう言い終える頃には、確かにピントが定まるように、またヴェールがほどかれるようにその容姿は顕に現れた。

 

 床に届かんとばかりのその髪は、輝くほどに美しく、その穏やかな美貌が半分ほども隠れようとも、その髪が足を引っ張ることはない。古めかしく厳かな丈の随分余るローブ身に纏う姿は、女性としても低めな身長と相まって一見滑稽にも思えるが、穏やかで余裕を携えた風格とでも形容すべき圧力は、彼女を只人と呼ぶことを躊躇わせる。

 

 そして何より、彼女は、彼女の髪は、灰色だった。白と黒の中間という意味ではない。灰を直接髪という形に落とし込んだのではないかと思わせる。文字通り、言葉通りの

 

「……『灰』色」

 

 するりと出た言葉は彼女を満足気に頷かせた。そして少しだけつまらなさそうに、言葉を連ねる。

 

「ええ。大抵の人は私を見れば、見てしまえばそう私のことを呼称しますね」

 

 全てを燃やしきったような色をした目を俺に向けて、彼女、灰色は変わらず、穏やかに微笑んだ。

 

「……それで、灰色さんは何しに来たの?」

 

 壁にもたれて、語気を荒らげ、怒気を孕んだ溜息は分かりやすく彼女の排他的性格を表しているといえるが、その面倒臭い性分に真っ向から対立しようとも思えない俺は、自分に向いている訳でもないその矢印に援護射撃を撃ち込むわけでもなければ、また逆に間に入って取り持つ気もない。ただ同一の疑問を抱いてはいたから、関心があると視線だけで灰色に伝える。

 

 どんな色であれ、バイアスのかかった人間と行なうコミュニケーションほどに無価値で無意味な行動はない。俺であればそのまま帰ってしまいたくなるような案件ではあるが、しかし灰色は、あえてさざなみを立てるほどに愚かというわけでもないようで、「ええ、おふたりの質問に答えましょう」とどこを見るでもなくそう喋り出す。

 

「なにやら辺境にお住まいの若き魔法使いさんが、少しばかり面倒な粗相をしでかすかもしれない。といった内容の予言が告げられまして」

 

 澱みなく語る灰色。声色からさしたる意思を感じることは出来ないが、その迂遠な言い回しは少々スイカズラの機嫌を損ねるに至ったようだ。

 

 「チッ」と、スイカズラの舌打ち。

 

「中央か。流石に手が早いね」

 

「ええ、そうです。どこのお国もこれ以上話が拗れないようにするために、何気に必死なのでしょうね。遣わされる身にもなって欲しいというのが私の内心ですが」

 

「少し考えただけですら窘めの言葉が飛んでくるんじゃあ、窮屈でしょうがないよ」

 

「龍は身じろぎひとつで都市を壊滅させると言うでしょう?むしろもっと気をつけるべきだと私は思いますよ」

 

 二者は一足触発の空気を漂わせつつも、存外にまともな会話を繰り広げている。応酬はしばらく続き、ふたりの熱は片や上がり続け、片や一切の変化を見せず、怒り疲れたような溜息がきっかけもなくスイカズラの口から漏れ出たのを最後に、会話は終わりを迎えた。

 

 不満足げに帰路を辿るスイカズラの背中を見つめる。いつの間にか隣の椅子へ腰をおろし、お茶を啜って「こういうのもまた、いいものですね」と独りごちていた灰色は、居間の扉が閉じられると同時に呟いた。

 

「面白い子ですね。彼女」

 

「……それは、嫌味ってやつか?」

 

 穏やかで優しげな雰囲気は、どんなに強い言葉に当てられようとも終始変わることがなかった。

 

 隠しているのでなければ、抑えているのでなければ道理に合わない。尚相手を褒めるような言葉を使う行為に俺が知っているいずれかが当て嵌るとすれば、それは嫌味くらいだ。

 

 しかし彼女は平然と、変わらぬ調子で「いいえ」と首を振る。

 

「浅慮に見えるそれは罠。深慮と映るその思考回路をも罠。ともすれば、最初に君へ接触したことすらも、あまりいい手とはいえなかったのかもしれませんね」

 

 「どうぞ」と渡された湯呑みに口をつける。ひと息つけば「どう思います?」と問われたので考えてみるが、そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。としか思わなかった。

 

 つまらない答えを言うのも華がない。俺は「最初みたく、砕けた感じでいい」と話を逸らした。

 

 灰色は「そう?」と首を傾げ、「それは有難いわね」を穏やかな笑顔を咲かせる。

 

「アインは私が日常に滑り込んでも、そして唐突に外れても、大して顔に変化はなかったわよね?」

 

 「あれは、内心ではどう思っていたの?」と、灰色は問う。俺は考える。なにを思っていたのだろうか。なにを思えば良かったのだろう。

 

「本当に料理が上手だなあと、確かそう思った気がするな」

 

 その応えに、灰色は優しく笑う。

 

「君もまた面白い子ね。アイン」

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