パラノイアシフト   作:アブラセミ

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5話

人には誰しもが固有の習慣を持ち得る。それらは偏り、口癖だったり仕草だったり、行動だったりに、所謂『癖』として表に顔を出す。

 

 癖は間接的に、そいつの持つひとつの性格を浮き彫りにするものだ。

 

 疲れたような溜息は、俺の息継ぎのようなもので、灰色の優しげな微笑みは、彼女が纏う強者の余裕だというのであれば、俺たちは一体、どのような性質を抱えて生きているのだろうか。

 

 例えば彼女はどうだろう。

 

 智者にして、武者。節約家にして、楽観主義者。余裕の中に更なる余裕を携えてみせる彼女のその態度に俺は、あるいは色の落ちた空虚を見る。

 

「明日、少し村をまわってみない?」

 

 典麗に背筋を伸ばし、流麗に箸を用いて朝食を口元に運ぶ灰色は、印象に違うことなく食器に乗った食材の全てを完食すると、予想外にそのようなことを口ずさむ。

 

 ふた月ほどの歳月にさしたる意味はない。幾分か積み重なったそれらの中に答えはなく、応えや呼びかけもまたない。

 

 人を理解するなど、自身ですら可能なのか怪しいところなのだから、彼女の言葉を枠の内に収める試みは無駄というより滑稽とすら形容できる事柄であるものなのかもしれないが、只人に無意識のソレを留める術はなく、「はあ」と、相槌混じりに放ついつもの溜息にそれ以上の意味はない。曲がりなりにも返事をすれば、彼女は湯呑みを啜りながら、「ええ」と頷き優しく微笑む。

 

「アイン、あなたとここ2ヶ月ほど同じ屋根の下でこうして食卓を囲っているわけだけれど、あなたが靴を履いて土を踏み、日光を浴びて人と会話をする瞬間を、私は一度たりとも目にしてはいないわ」

 

 人を出無精のように。全くもって、その通りなのだが。

 

 溜息。鬱陶しいと思いながらも、俺は適当に話題を逸らす。

 

「思えばお前、俺とは対照的にもよく外に出て、村へと繰り出してるよな」

 

 逸らした話題のように何処かへ行く視線と尖らせた唇に、灰色は変わらず微笑んで、続ける。

 

「人と話すのは嫌いじゃないもの。それがイデオロギーのかけ離れた人間だというのなら、殊更」

 

 殊勝な人格をしてやがる。尚更、無い意欲が削がれるほどに。

 

 唾を吐くように「普通逆だろ」と手を触れば、振ったところで、それは彼女も認めるところのようで、「そうね」と続く言葉に、俺は返す言葉を思いつけない。

 

「相手側からしたら、もしかすればいい迷惑なのかもしれないわね」

 

 灰色は優しげに、穏やかに笑う。それに苦笑が混じるわけでも、笑顔が濁るわけでもない。有象無象ごときに、彼女の心は少しのさざなみすら立たない。

 

 未だに知らぬことの多い灰色だが、その少なくとも態度に示している行動理念は酷く単純明快だ。

 

「それで不破を招いてしまったのだとしたら、私はその程度だった。ただそれだけの事よ」

 

 強者が故の、傲慢。強者が為の、達観。比肩する存在など存在せず、何処までも異端者にしか成り得ることのできなかったスイカズラとは、また違った歪の形。

 

 故に灰色、彼女はきっと、言葉通りに強者であるのだろう。比べ確かめ並べていって、自分を強者へ、誰かを弱者へと二元論的に切り分け続けた。余裕と退屈の楽観主義者。

 

 そんな要素は彼女のとある側面のとある一部分に過ぎなくて、だからこの2ヶ月にさしたる意味はないのだが。

 

「……」

 

 彼女といると、よく言葉を忘れる。

 

「ねえ、いくら出不精だからって完全に外界と接触を断つほどに、その欲を捨てたわけではないのでしょう?」

 

 だからこうして、奔放で灰色な言い分に耳を傾け、最後にはいつだって応えてしまっている。

 

 吐く息と共に「騒がれんのは嫌いだ」と呟けば、「じゃあ、私と同じね」なんて返答が微笑み交じりに繰り出された。

 

「……」

 

 黙する俺に、灰色は言う。

 

「明日は晴れるといいわね」

 

「…雨乞いでもスイカズラに頼むか」

 

 そんな見苦しい悪態のひとつですら、灰色は上手く返して見せる。

 

「なら、昼食はいらないのかしら?」

 

「……」

 

「大概に、あなたも大物よね」

 

 存外に、彼女は強かだ。

 

 そして、その生来にまで刻みつけられた性質故に愚かしく、今までもこれからもそうであるように、どうしようもなく苦難を呼び込むのだろう。

 

 ◆

 

 歴史は進み、世界はうねり、人は様々な進化を遂げた。医術において、呪いと恐れられたものの約半数は微生物による影響であると判明し、街灯の光は電気によって賄われて、そこらの下民ですら文字を操り、4、5冊程度の本を教養として持ち合わせていたりする。力学も科学も化学も、昔とは比べるのも烏滸がましいほどに進歩し、生活は昔と比べ、不便と評するにはあまりにも効率化の一途を辿っていた。

 

 だというのにも関わらず、辺り一面、何処を見渡しても木組みの家、家、家。釘などといった金具の一切を使わず──否、使えず、昔日と一切様相に変化を見せない画一的な景色。衣装や装飾や所持品ばかりが目まぐるしく変化を見せて、それらだけが今の時代を確かめる数少ない手がかりでしかない。

 

「……」

 

 久しぶりに大勢の人を見た。初めて視線を集めずに外を歩いた。

 

 村を彩る人々は目まぐるしく蠢き、誰も彼もが三様に色付いて映る。

 

 友人と小狡い笑みを浮かべる2人組。駆けずり回る無数の子供たち。朗らかに物と物を交換する妻帯者に、退屈を紛らわせる為に本を読む中年女性。

 

 ああ。

 

「…これが」

 

 その先に続く言葉を、俺は自分でも知らなかった。それは正しく、言葉通りに万感の思いであり、斑に色付いたそれらを切り分け、分類し、区別するだけの余力が俺にはなかった。

 

「どうかしら?」

 

 傍らで灰色が如何を問う。穏やかな声は相も変わらずながら、何処か悪戯をかました子供のように音は響いていた。

 

 「術の為に必要なの」と握られた手が汗ばんで気持ちが悪い。

 

 なんでもないことのように景色を流し見る灰色が恐ろしい。

 

 かつては俺も、あの輪の一員であったのだろうか。あるいは、彼女と出会ったことが全ての始まりだったのか。

 

 燦々と輝く太陽が彼らの生活を鮮烈に照らしている。雲ひとつ無い快晴は、あたかも彼らの心持ちを表しているようでもあり、曇天に色付いた俺の心と対比されているようにも思えた。

 

 「灰色」と、彼女を呼んだ。「ん?」と彼女は返事をする。

 

「結局お前は、何をしにここへ来たんだよ」

 

 ただの気を紛らわす雑談。本当は、何を言いたかったのだったか。

 

 本当に言いたかったことが本当にそんな言葉だったのかも分からぬまま、彼女は穏やかに、優しげに、だというのに。

 

「さあ」

 

 にべもなく、口を開く。

 

「……」

 

「私にこれといったスタイルは無いもの。だから信念も、矜恃も、観念も持ち合わせてはいない。面白そうだったから以外に理由を挙げるとするのならば、そうね……」

 

 彼女は俺の握った手を持ち上げ、穏やかに優しげに、灰色の笑みと共に手の甲へ口付けを交わす。

 

「あなたが思うより、私はあなたのことを気に入っているのかもしれないわね」

 

 戯言だ。戯言だ。そこには意味も意図も意思もなく、真実など何処にも存在しない。会話の意味など、なきに等しい。開始も完結もなく。そこにいるのはありのまま、ただ灰色である彼女が俺を外へと連れ出した結果と、彼女が何をすることもなく傍らに居続けているという事実が残っているだけだ。

 

「……」

 

 口付けは艶やかでも、嫋やかでも、淑やかでもなく、あくまでも何処か厳かで、故に儀式的だった。

 

 なにかと生傷の絶えない田舎者の手を添えると、陶器のような色白はとても対照的で、境界線上が見えてしまいそうなほどに、あまりにも違う。白と黒のようによく映えたソレを躊躇いなく手に触れるその姿は、彼女に清められているようにも、彼女を汚しているようにも思えてくる。

 

 負も正もなく、灰色な態度のままに顔を上げた彼女に、俺は是非を問うように視線を送った。

 

「なにしてるの?」

 

 ふたり同時に声のする方へ振り返る。高い、幼げな声に軽く視線を下げると、7つほどの子供が俺たちを見上げていた。大きな眼。亜麻色の短髪。なんとなく、懐かしいような。そうでもないような。

 

 物思いにふける俺を置き去りに、灰色は気負いもなく自然と、「まあ、告白みたいなものかしらね」なんて適当な言葉を設えてみせる。

 

「あなた、名前を聞いても?」

 

 ローブにシワをつけ、目線を同じに合わせる灰色。真正面を向いた子供は何をするでもなく、大きなガラス玉のような瞳を彼女に寄越す。

 

 「私はマオ」と子供は言った。勿論字名(あざな)ではないのだろう。ありとあらゆる意味合いで、魔法使いに本名を名乗る恐ろしさをほとんどの人は知る由もない。

 

「私のことは好きに呼ぶといいわ。好きなように見た通りに、ありのままを語るといいわ」

 

 マオ、確か何処かで止むや和らぐを意味する言葉だったか。あまりこの子供にそぐう名前のようには思えないが、人のただ一面を見ただけでそれを決めるというのは傲慢なのだろう。俺はそれを昨今、痛いほど思い知っている。

 

「じゃあ灰色のきれいなお姉ちゃん」

 

 子供はさしたる迷いも見せず、ただそこにあったものをそうであるとばかりに、また目的は別にあるのだと、さっさとタスクを片付けるように彼女をそう呼ぶ。

 

 子供相手だからだろうか。クスリと、灰色は初めて見る表情を幾つか作り、繰り出す。

 

 らしくない。と、俺は学ばずそう思う。

 

「あら、そんな風に私のことを称してくれたのはあなたで2人目ね」

 

 目を細め、柔らかく伸びた手のひらが亜麻色の小さな頭を撫でる。子供はされるがままに、特にその手を気にするでもなく好奇の視線を俺たちに向けたまま、「灰色のお姉ちゃん。こくはくってなに?」と聞く。

 

 まんまるで、真っ白いノートのような視線が灰色の思慮深き眼を見つめている。灰色は並行に交わる目線のままに口を開き、淀みなく言葉を並べ連ねる。

 

「内に秘めていた思いを打ち明けること。あるいは、宗教において罪を認め許しを求めることというのが、告白という単語における基本的な意味合いね」

 

 合わせた目線に意味などあるのだろうか。そう思わざるを得ない答えように俺は灰色へ視線を送るが、子供は特に気にすることもなく、「じゃあ灰色のお姉ちゃんはお兄ちゃんに、隠し事を打ち明けたか、悪いことをしてごめんなさいって謝ってたんだね」と、如何にも当然だと言わんばかりにボールが投げ返される。

 

 「少し違うわね」と、灰色は調子を変えずに頭を振る。「ええ!?なにが違うの?」と目を見開き飛び跳ねる子供の頭を抑えて感情を諌め、灰色はそっと言葉を連ねる。

 

「人が人と行なうコミュニケーションと呼ばれるそれには、実は本当でないことが混じっていたり、言葉には表さずに気持ちを伝えたりするの。コミュニケーションとは利己的な情報伝達の手法であるからして、時に表情。時に行間。時に嘘を混じえて、世界を自分にとって都合のいいように書き換える術なのよ」

 

「……」

 

 ふむ。

 

 関心半分、呆れ半分の視線を灰色に向ける俺であったが、さも俺が間違っているのだと主張するかのように、子供はさしたる時間もかけず、また根本的な疑問を呈するでもなく、平衡に顔を並べて語る。

 

「つまり灰色のお姉ちゃんは、さっき私が言ったやつ以外に、それらが嘘やほうべん?ってやつを言った可能性もあるってこと?」

 

 首を傾げる子供。灰色は満足げに「聡い子ね」と頭を撫でる。それは、俺の前で説明していい話なのだろうか。本当に掴めない。どの像も形があるようで、ないようだ。もしくは彼女の言葉通りに、灰色は灰色らしく、確立されたスタイルなどというものは存在しないのかもしれない。

 

 物思いにふける間にも会話は進んでおり、思考にある程度の区切りがつけば、「うち、本屋さんなんだけど、遊びに来て欲しいな」と子供に手を引かれる灰色の姿が目に映る。

 

 ちらりと灰色はこちらを向いて、俺の意思を視線で問う。癖で溜息をつきそうになるが、子供を威圧するかと思い至り、自制する。

 

「どっちだ」

 

 そう道を子供に問えば、子供はこちらを向いて嬉しそうに、「こっち!」と、俺の手も引いて走り出す。

 

 右手を灰色に、左手を子供に。外出も悪くないと、そう思えてしまうような走り出しだった。

 

 ◆

 

 時が止まったままに、二桁に届かんばかりの年月が世を巡った。建築に一切の変化はなく、またこのような田舎のたかだか数年程度など何であろうとも変化することの方が稀な話だ。

 

 本屋と聞いて、予感はあった。

 

 子供の顔に、既視感があった。

 

 「ああ」と、よく見、知った感情が胸の内に逆巻き、うねる。

 

 記憶と一切の変化を見せず、寸分だって違わずに、それはまだ、こうして。

 

「どうかしたのかしら」

 

「……」

 

 灰色が覗くようにこちらを見ている。今俺は一体、どのような顔をしているのだろうか。

 

 きっと諦めたような表情なのだろう。眺め続けるだけの俺には、ほとんどそれしかできないのだから。

 

 子供を見る。短く切りそろえた亜麻色の後ろ髪が、見慣れた淡色の髪と重なる。

 

 俺たちが殻に籠り、外界を拒絶した歳月の数は、子が産まれ、二本の足で地面を踏み、利発にこの智者と対等な会話ができるようになるまでに長い月日だったのか。

 

 驚嘆よりも絶望が。恐怖よりも感動が。こんな時に身を襲う感情は何時だって複雑だ。灰色はただ隣に立って、何をするでも言うでもなく、ただ俺と同じ場所へと視線を向けている。

 

 ただ、雄大な自然の如く、無邪気というものもまた残酷だ。

 

 「どーしたの?早くおいでよ」と小ぶりに手招く子供、マオ。「ああ」と応え、歩を進める俺に手を引かれるように灰色は動く。

 

 大事な時には何時だって、時間が聳え立つ高壁として台頭する。

 

 心を整理する暇は無く、腹を括る時間も無い。それでも、俺はこの試練と対峙せざるを得ないのだろう。彼女が彼女であるが故に。それ以上に俺が為に。

 

 俯き、今度こそ盛大な溜息をつく俺の姿を、マオは観測することはない。普段通り。いつも通りの鉄面皮を努めたままに、灰色をその建物へと導いていく。親友の家でもあった筈の、その場所を。

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