焺祥燈祷(しょうしょうとうとう)   作:Halnire

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その10

 

 

 会場の熱がゆっくりと冷えてゆく。

 ピアノの響きは余韻を伴いながら緩やかに消えた。予定された九曲はすべて終了した。アンコールは無かった。終わりを惜しむように拍手はなかなか鳴り止まなかったが、やがてそれも鎮まるだろう。AveMujicaとMyGO!!!!!はここにその長い歴史を終えるのだ。この場に集う誰もがそれを悟っていた。

 そのはずだった。

 

 拍手が徐々に小さくなってゆく中で、マイク越しにはっきりとしたお声を発せられた方がいらっしゃった。睦様だった。

 

『――ご来場の皆様。本日は誠にありがとうございました』

 

 祥子様と燈様はお身体を動かすこともお出来にならない様子だ。睦様はお三方を代表し、お客様方に深々とお礼を申し上げになり、さらに言葉を続けられた。

 

『AveMujicaとMyGO!!!!!の音楽が消えないよう、ここに遺してゆきます……それが、みんなの願い』

 

 今日までの音楽は、これからの人たちの音楽だと、そうお告げになられた。

 睦様はさらにお続けになる。それは意外なお言葉だった。

 

『――でも、これからうたう詩だけは、遺してゆけません。これは、この曲だけは最期にライブで終わって欲しいという、ただの私の、我儘』

 

 睦様は燈様に視線をお送りになった。次いで祥子様をご覧になって小さく首肯かれた。疲労困憊のはずの祥子様だったが、迷わずに鍵盤に腕を伸ばされた。

 優しい旋律が耳に届いてきた。睦様も前に向き直られ、ギターを爪弾かれる。

 私はきっと口を開いたまま、立ち尽くしていたのだと思う。全く予定になかっただけでなく、リハーサルどころか祥子様が睦様と練習をなさっていた時にも聴いたことがない曲だったからだ。曲名がまったく判らない。

 客席も私と同じ様子で、皆呆然としているようだった。たぶん既存曲にはない曲なのだ。

 

『――』

 

 皆が戸惑う中、燈様の歌が加わった。

 歌詞を知らないので、なんと歌っていらっしゃるのか正確には判らない。ただ、幼いころの出会いを懐かしむような、居場所がいつまでも続くことを無邪気に願うような、拙くて稚く、過ぎ去りゆく春の陽だまりのように切なく温かい歌だった。

 

『――』

 

 私の視界は次第にぼやけてきていて、ステージの上が霞がかって見えた。滲んだ視界の中で、うたう燈様は車椅子の老女ではなく、まだあどけなさの残る少女だった。祥子様も楽しげに鍵盤を弾き軽やかにペダルを踏む世間知らずのお嬢様だった。そして睦様のお顔は、今までどんな舞台上でも、ステージ上でも、そして祥子様と談笑されているときでもお見せになったことがないお顔をされていた。まるで子供ように無邪気な笑顔でいらっしゃったのだ。

 

『――』

 

 いつしか私の頬をとめどなく涙が流れていた。静かな嗚咽が会場のあちこちから聞こえてくる。お客様たちも私と同じらしかった。これは、あのお三方にとって何よりも大切な歌なのだと、その場の皆が感じていたのだった。

 

 ほどなくして曲は呆気ないほど簡単に終わり、拍手もないまま会場は再び静寂に包まれた。

 

『睦は……満足できましたの?』

 

 祥子様がマイク越しに睦様に問いかけられた。そのお声はまだ少女のように無邪気に響いた。

 

『うん……ギター、とても上手に弾けた』

 

 睦様も曇りのない笑顔でお答えになった。

 

『……よかったね』

 

『うん。ありがとう、燈』

 

 心から満たされた三つの笑顔が、お互いを見つめ合う。

 

『ありがとう、……』

 

 三つの唇から同時にこぼれた感謝の言葉は、何に向けてのものだったのか結局判らなかった。

 込み上げた嗚咽がお三方の唇を歪め、言葉がかき消えてしまっていた。

 おそらくは歌われた曲の名前だったそれが、もう永遠に知られることはないことを、その場の全員が知っていた。

 

 まぼろしにまだ憑かれていたのだろうか、私には白いかけらがホールの天井から舞い落ちてくるように見えた。

 無いはずの窓をくぐり、そよぐはすのない風に吹かれて舞い落ちるそれは、ハクウンボクの散った花たちのようであった。

 

 

 

 




本編終了です。
エピローグに続きます。
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