焺祥燈祷(しょうしょうとうとう)   作:Halnire

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エピローグ1

 

 

 深く、深く没入する。

 目蓋を閉じて視覚を遮断すれば、それにつられるようにして聴覚もだんだんと遠ざかっていく。先ほどまで聞こえていた風の音も消えていった。自分の呼吸音と心音だけが大きく聞こえていたが、肺と心臓そのものが次第にゆっくりと静かに動くようになっていく。しばらくすれば風が肌を撫でる感覚も薄れていくだろう。

 演劇稽古の一環として長年の鍛錬を続けているヨガのたまものだった。野外にいても、落ち着いた姿勢で座っていなくても、若葉(わかば)(むつみ)はこうして自己の内側へと没入していくことができる。とはいえ、睦はヨガの達人というわけではなかった。

 達人は自己の本質部分(アートマン)に触れることができるという。〝内なる声〟を聴くことができるとも。しかし睦の内側には本質部分などなく空っぽだった。加えて内なる声ではなく、他者の声が実際に聞こえてしまっていた――昨年くらいまでは。

 

「やはりこちらにいらっしゃったのですね」

 

 背後から穏やかな男性の声がかけられ、睦は閉じていた目を開いた。

 視界は大きな御影石の墓石が占めている。刻まれた〝若葉家之墓〟の文字には――未だに実感がないが――睦の両親がここに永眠している、という意味がある。

 睦の両親は父母ともに芸能界で大成功した有名人だった。

 父親は大御所コメディアンで、相手の表情をよく読みつつ豊富なボキャブラリーでまくしたてる芸風から有名になり、名が売れてからは司会業で引っ張りだこだった。

 母親は演劇の申し子と言われた大女優だった。生まれつきの芸術家肌で、人を魅了する仕草と発声が自然に出来てしまう天賦の才を持っていたが、母性という素質は持ち合わせていない人であった。

 あの二人がこんなところに大人しく眠っているなんて似合わないな、と思いながら睦は口を開いた。

 

「うん」

 

 呼びかける声に聞き覚えがあったので、こんな短い返事でも失礼だとは思っていない。ゆっくりと振り返ると、品よく仕立てられた薄茶色い千鳥格子の背広に身を包む初老の男性が立っていた。予想通り、祥子(さきこ)に仕えていた執事だった。

 

「ほとんど毎日のようにこちらにお見えになっていると、お家の方からお聞きしましたのでな」

 

 ちょうど穏やかな風が墓地を吹き抜け、植えられた満開のソメイヨシノの枝を揺らす。無数の薄紅色がはらはらと舞った。

 睦が思わず花びらの一枚を目で追いかけると、ちょうど背広の肩にほとりと落ちた。趣味の良い佇まいに似合っていて、睦はしばらく目を止めてしまう。彼の顔はよく覚えていたが、いつも黒の燕尾服姿だったので印象がだいぶ違って見えた。

 

「今日はお休みの日?」

 

 今日は非番の姿なのだろうと睦は思ったが、彼の答えは予想と異なった。

 

「いえ。つい先日、お勤めは引退させていただきましてね。息子に後を継がせました。私は若隠居の気楽な身分を楽しませて頂いております」

 

 そう言われて睦は彼の頭髪をちらと見上げる。丁寧に撫でつけられたその髪は、記憶にある姿よりも少し白いものが増えていて、月日が経ったことを物語っていた。

 

 あの(・・)ライブの日から、もうすぐ一年になろうとしていた。

 

 睦もこの一年は久しぶりに慌ただしい日々を過ごしたが、執事だった彼は一年間かけてやるべき仕事はすべて処理し、綺麗さっぱり片付いたところで自分の息子に執事の家業を譲ったのだという。

 息子が新しい主人とともにこれから豊川(とがわ)の家を支えていくのだからそこに自分は必要ない、と飄々と語る元敏腕執事の横顔を見て、睦は問いかけた。

 

「仕事がつまらなくなっちゃった?」

 

 男は目を細め、わずかに口角を上げた。

 

「めっそうもございません。今のご当主様は大変優秀でいらっしゃいますし、人望も篤くていらっしゃる。豊川を引っ張っていくのに十分な資質を備えた方でいらっしゃいます。不満などございません」

 

 それでも、と小さく呟いて彼は沈黙した。睦はその後を引き取る。

 

「……(さき)が居なくて、寂しいのね」

 

 睦の言葉に、男はたぶん無理をして保っていたのだろう、微笑みをみるみるうちに歪めていった。そのまなじりで陽光が小さく反射するのが見えた。

 

「睦様にはかないませんな……正直に申し上げますと、あの跳ねっ返りのじゃじゃ馬が恋しくて恋しくて、たまらないのです」

 

 仮にも元は自分が仕えていた主人、しかも身分のとびきり高い年上の女性に対して使って良い表現ではなかったが、だからこそこの男が彼女に注いでいた親愛の情がどれほどのものだったのか、睦にも理解できた。

 彼の主人であり、睦の幼馴染であり生涯の友だった豊川祥子は、あのライブを終えて間もなく、この世を去った。

 ライブが終わったその日の夜、祥子は精も根も尽き果てた様子で深い眠りに入った。そのまま三日間眠り続けると、朝日が差し込む頃、寝台の上で静かに息を引き取った。睦も付き添っていたから彼女の死に顔ははっきりと覚えている。それは未練を欠片も残さなかった者だけが浮かべられる、心から満たされた笑顔だった。

 一方自宅で家族に見守られていた高松(たかまつ)(ともり)も、その生を穏やかに終えたという。母親に抱かれた赤子のような、一切の不安を知らない無垢な笑顔だったそうだ。

 離れた場所で逝去した二人の臨終時刻は、申し合わせたかのように同じだった。その奇跡に世間からは驚く声も多数あったらしいが、睦は全く驚かなかった。あのライブで最後まで二人と伴走したのは他でもない睦だった。二人はあのライブをやり終えたらそのまま現世(うつしよ)から旅立とうとしていた。その背中を押して送り出したのは睦なのだ。

 睦はあれから二人の姿を何度となく夢まぼろしにみた。 お互いに固く手を握り合い、空いたほうの手を仲間たちに引かれていく二人の背中を何度も何度も見送った。悲しい気持ちもあったし、寂しいという感情も抱いた。しかし何よりも強く覚えた感情は嫉妬だった。睦は二人が羨ましくて仕方なかった。

 

「お隣に失礼させていただいても?」

 

 初老の男は睦にそう断り、持参していた花と線香を墓前に献げるとしばらく手を合わせていた。手を下ろしてもまだ墓石を向いて穏やかな微笑みで佇む彼の横顔を見ているうちに、睦はこの男になら心の内を少し晒してもいいか、と思ってしまった。それでこんなことを呟いた。

 

「私が死んだら、豊川の墓地の片隅に埋めてほしい」

 

 彼は驚く様子もなく、睦のほうを向いて静かに次の言葉が続くのを待っている。さすがは名家豊川の筆頭使用人だっただけのことはある。人は誰でも咄嗟に言葉を発してしまうことがある。男の態度は、それを本人が無かったことにすることも、心を落ち着けて言い直すことも許容すると自然体で表明してくれている。睦は彼の厚意に甘え、少し間をおいてから再び口を開いた。

 

「私は、結局この二人の娘にはなってあげられなかったから」

 

 それから睦は、今まで誰にも、幼馴染だった祥子にさえ語ったことのない自分の身の上話をした。

 

 

 

 




続きます。
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