焺祥燈祷(しょうしょうとうとう)   作:Halnire

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エピローグ3(終)

 

 

 睦は次いで、両親以外の人間で睦に愛情を注いでくれた存在を探した。それは身近に見つかった。

 かつては気づくことができなかったが〝自身のこと〟という自覚に芽生え始めた睦は、彼女たちの愛に気づくことができた。

 一人目はかつてのバンドメンバーであり、大学卒業まで同級生として共に過ごした長崎そよだった。彼女は睦の中の人格が〝第三の人格〟となっていることを自然に察した。そしてそのことを余人に漏らさず秘密を守ったままでなお、それまでと同じように接しようとしてくれていた。ただの若葉睦として対等に向き合ってくれた。真実の友愛だった。

 もう一人は生涯をバンドメンバーとして、また演技の腕を競い合うライバルとして過ごした祐天寺若麦(にゃむ) だった。彼女は睦の演技の才能に嫉妬し畏怖していたことでは睦の母親と同じだったが、怯まず正面からぶつかってきてくれた。睦の中の人格が誰であるかなど問わなかった。常に睦の一番近くに居ることを求め、そのために全てを捧げることを躊躇わなかった。無償の愛だった。

 最後の一人が、豊川祥子だった。

 

「祥とは、私の中にまだたくさんの〝私〟が居たころに出会ったの」

 

 睦はかつて祥子の側近だった男に少しずつ打ち明けていく。

 

「そのころの祥は、私のこと、喋ったり笑ったり踊ったりと賑やかで、そうかと思えばずっと静かに黙ってたりと、目まぐるしい子供だと思ってたらしいわ」

 

「そのうち祥子様もお気づきになられたのですな」

 

「ううん、祥もさすがに私の中がそんなになってるなんて知らなかった。当時は私も自覚なかったし。祥も私も、はっきり知ったのはさっき言った十五歳のとき」

 

「ギターに出会ってほとんどの人格が消えてしまわれた、とおっしゃっていましたが」

 

「うん、そこから話すね」

 

 大人しくて従順で人形のような〝睦ちゃん〟で生活することが多くなったころ、睦はとあるギタリストの演奏に出会い、その音色に心酔した。元々社交性に乏しい人格だったことが、自己表現の手段を欲することにつながったのだろう。

 ギターを得てからは演奏できる技法、曲が増えることに純粋な喜びを覚えた。もっと新しい技法を学びたい、難しい曲にも挑戦したい、上手になりたい――〝睦ちゃん〟の人格は強固な自我を持つに至り、他の人格はほとんど表出することは無くなっていった。唯一、〝睦ちゃん〟人格そのものに執着を持っていた社交性人格の一つが残った。

 

「そのお方が〝モーティス〟ですか」

 

 この礼儀正しい男は、交代人格を呼ぶときにも敬意を払ってくれる。その心遣いが素直に嬉しかった。

 

「ううん。そのときはまだ名乗ってなかったの。ひょっとしたら人格として居たのかもしれないけど、憑依できるほどじゃなかった」

 

 〝睦ちゃん〟人格が演技やパフォーマンスを披露しなければならない場面で、睦の代わりに行動してくれた。

 やがて十五歳のAveMujica公演のとき、祥子の采配で睦が極度のストレスに晒された結果、〝モーティス〟として表出、憑依し、一ヶ月以上その状態が続いたのだった。

 

「祥子様のご差配が失敗だった訳ですな」

 

「あのときの祥は壊れる寸前だったの。――お母様を喪い、心の拠り所を求めてバンドを作った。そのころ豊川家当主に関わる問題が起きて祥も巻き込まれ、バンドの継続はどうやっても不可能になったわ」

 

 睦は一度言葉を切った。次の言葉を話すことは睦にとっても少し痛みを伴った。つい沈黙を弄んでいると、意外なことに元執事の男が口を開いた。

 

「そのバンドに……燈様がおられた。燈様は祥子様にとって魂の伴侶でいらっしゃった。燈様を忘れるために祥子様はAveMujicaをお作りになった……」

 

 睦は思わず目をみはる。

 

「――祥から聞いていたの?」

 

「いいえ……しかし、あのライブを聴けば私でも判りました」

 

 答えを聞けば睦も納得できた。言ってみればあのライブはそのために開催されたものなのだ。彼はここまで祥子を慕って仕え続けた。当然、彼女の真意に気づかないわけがなかった。

 

「悔しいけれど、そういうこと。私にとって祥は半身だったけど、祥にとってはそうじゃなかった。祥の心の穴を埋めてくれたのは燈の言葉だった」

 

 睦はそう打ち明け、祥子の話を続けた。

 〝睦ちゃん〟が主人格を務めるようになってからは、祥子は睦にとって一番大切な依存の対象だった。祥子は成長すればするほど眩しく光り輝いて見えた。睦が思い描く『こんな子供になりたかった』という要素を全て持っていた。睦は祥子に自分を重ねていった。そのうち感情が伝わってくるようになった。祥子の喜びは睦の喜びであり、祥子の痛みは睦の痛みであった。

 その祥子が立て続いて起こる苦難の連続の中で摩耗していく姿を、睦は見続けた。母親の死と父親の零落、心の拠り所だったバンドの解散、苦しい生活の中で突きつけられた燈との離別。それら全てを忘却するために祥子が作ったAveMujicaを、睦が破壊した。そのとき極限まで追い詰められた〝睦ちゃん〟人格が表層人格から逃げ出す際、入れ替わりで睦に憑依した人格が〝モーティス〟だった。

 

「〝モーティス〟は〝睦ちゃん〟のことが大好きだったから、〝睦ちゃん〟が愛した祥のことを憎んでた。〝睦ちゃん〟と〝モーティス〟はよくケンカしてた。今でも記憶を探ればはっきりと出てくるくらい、大事件だった。私の中で人格同士があそこまでぶつかりあったことって、あのときだけなんだと思う」

 

「さぞや大変だったことでしょう……諍いは決着したのですか?」

 

「うん。争いで二人とも少しずつ弱っていったから。〝睦ちゃん〟 はそのうち消えちゃった。自分の存在が祥を過去に縛ろうとするものだって気づいたんじゃないかな。それで自滅した。〝モーティス〟も〝睦ちゃん〟を追うようにして消失した。そして〝私〟が生まれた」

 

 第三の人格として表出した今の睦は、祥子への慕情も執着も何も持ち合わせなかった。ただそういう感情をかつて自分が持っていたことは知っていた。

 祥子の方も、睦の中から長年共に過ごしてきた〝睦ちゃん〟の人格が失われたことは知っていた。だが祥子はそれでも睦に対して献身的だった。かつて自分が睦にしたことと、今の睦の状態を招いたことに対して大きな責任を感じていたのだ。

 祥子にとっては罪滅ぼしから始まった人間関係のやり直しだったのかもしれないが、睦にとっては他に得難いものだった。今の自分の内面のことも、過去の経験や性格も全てを知った上でなお、人生をかけて共に歩もうとしてくれた。寄る辺のない、産声を上げたばかりの自分を守ろうとしてくれた。それは愛以外では有り得なかった。

 

「私も長く生きてきて、やっと彼女たちからの愛を実感できるようになった。私も彼女たちを愛してる、って噛み締められるようになった」

 

 男はじっと耳を傾けてくれている。睦は続けた。

 

「にゃむには愛を伝えられた。愛を返せたのかもしれない、と願ってる。でもそよには間に合わなかった。そのころ私はまだ、愛を伝えられるほど私に成れてなかった。今はそよに会いたくてたまらない。ちゃんと愛を返したい。伝えたい」

 

 でもまだ向こうには行けない、と睦は呟く。

 

「だから祥には、精一杯の力で伝えたかった」

 

 睦はあのライブで残る人生全てのぶんのギターを弾いた。それくらいに渾身の力を振り絞って弾いた。実際、あのあと睦はもうギターが弾けなかった。腕が動かなくなっていた。

 

「最後の曲――切なくて美しい歌でした」

 

 初老の紳士はしみじみと呟いた。

 彼は、最後にあの曲を演った睦の願いを察してくれていたのだろう。

 あれは、愛する祥子への、燈、立希、そしてそよへの、手向けだった。

 

「……そう。気に入ってくれて良かった」

 

 睦は礼を言うと、再び打ち明け話を続ける。

 睦の長い述懐も終わりに近づいてきた。

 

「私は演劇稽古の一環でヨガを嗜んでいるのだけど、何十年も続けていると自分の内なる声が聴こえるようになる、って言われてるの」

 

 最初は演技の役をつかむためにたまたま始めたものだったが、思わぬ成果があったのだ。

 

「私も深く瞑想していると声が聞こえるようになった。内なる声じゃなくて本当の声がね――そこでは〝モーティス〟と〝睦ちゃん〟と会話ができた。ちゃんと私の中に彼女たちは居た。彼女たちは今の私をずっと見ていてくれて、支えてくれていた。私は何度も何度も彼女たちに感謝を伝え、愛を伝えた」

 

 あのライブには、彼女たちも〝連れて〟いった。一緒に演奏をした。全員の力を合わせて渾身のパフォーマンスをした。

 彼女たちは満足してくれたのだろうか。あのライブの後、睦が自分の中に潜っても彼女たちの声は全く聞こえなくなっていた。ひょっとしたら祥子や燈と手を携えて旅立っていったのかもしれなかった。ギターも一緒に連れて。

 

「私もみんなと逝きたかった。――でもまだ逝けない。あの子たちは必死にもがいて生き切ったけど、私はやっと自分自身の人生を生き始めたばかり。私はまだ、やり切っていない」

 

 あのライブを終えて、睦はまだ自分が、彼女たちと共に逝く資格がないと痛感したのだ。

 

「それにまだ、この人たちの愛に、応えられていないから」

 

 睦は墓石を見つめる。

 元執事の男は少し口元を歪めて睦に問いかけてきた。

 

「先ほどは豊川の墓にお入りになりたいと仰ってましたが」

 

「解ってて訊いているんでしょう、意地悪ね。――あれは八つ当たり。私の目標はまだまだ果たせそうにないから。あと何年生きなければならないのかと思うと、愚痴の一つも言いたくなるわ」

 

 あのライブが終わり、本当に一人きりの人生を歩み始めた睦は、必死になって自分の足跡を辿ってきた。ふたたび両親と向き合うことに決めた。だからこうして毎日のようにここに居る。

 

「これで私の話はおしまい――ところで貴方はどうして私を探していたの?」

 

 初老の紳士はこれまでの述懐に対して礼儀正しく感謝の言葉を述べると、目を細めて言った。少し照れくさそうでもあった。

 

「私も同じですよ。自分が仕えていた主人のことをもっと知りたくなったのです。何より、あのライブのことを共に語り合える人間が欲しかった」

 

 そう言って彼は笑った。

 

「それなら今日のお話は満足できた?」

 

「はい、お陰様で。感謝の言葉ではとても足りませんな。ですが私は強欲なのでしょうね。一つ満足するとまたもう一つ、ときりがございません。あの演奏そのものの素晴らしさをもっとお聞きしたい、と思ってしまうのですよ」

 

「それなら私が貴方から聞かせてもらうべきじゃないかしら。私は演者だったのよ」

 

「おお、それは全くもってご(もっと)も……まずはここで長時間立ち話いただいた無礼をお許しください。ところでこの後のご予定は?」

 

「空いています。いくらでも」

 

 二人は墓前を後にする。

 若葉家墓所の鉄扉をくぐると睦は後ろを振り返った。あげた線香はもうすっかり燃え尽きていて、献花のキンセンカが風に揺れている。

 自分に着いてくる初老の紳士の肩に目が止まった。ソメイヨシノの花びらは、まだしぶとく男の肩に乗ったままだった。

 

 

 

  〈了〉

 

 

 

 

 

 

 




お読みいただき、ありがとうございました。

さきともの分かれた線が交わるときは人生終局の時しかないかもしれない。
死を書かないといけないが、どうしても書きたい。
何が何でも二人を一緒にさせてやりたい。
だから書く。
そんなエゴをぶちまけた小説です。

睦には一人残ってすべてを見届ける役割を背負わせましたが、モーティスと睦ちゃんをどこかに秘めたまま、一生自分探しをしていかなければならない睦があまりにも不憫で、彼女が人生の最後には自分自身をやり切って救済されるお話を書きたかったのです。

お付き合いいただき、恐縮です。
重ね重ね、ありがとうございました。
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