焺祥燈祷(しょうしょうとうとう)   作:Halnire

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その3

 

 

 そのお方の第一印象は、ごく目立たない、お年を召した車椅子の女性というものだった。

 真っ白になった髪を短くカットし、装飾品の類も身に着けず、お化粧も最低限でそっけない。ただ、お迎えのご挨拶の際、静かにしかし真っ直ぐに私を見つめられたその大きな瞳の奥に、底知れぬ力強さを感じた。

 祥子様は燈様と顔をお合わせになると、両のお目を細めて笑みを浮かべ、ご挨拶なさった。

 

「燈……。ご老体に無理をお願いしてしまいましたけれど、お会いできて本当に嬉しいですわ」

 

 ご無理と祥子様が仰っているのは誇張のない事実だ。

 事前に伺っている情報によれば、燈様もまた、お命を蝕む病に(かか)られている。察するにお先がそう長いわけでも無いはずだ。

 燈様は祥子様のご挨拶を受けると少しお口を開いたまま、ふっと吐息をつかれた。やがて祥子様に向かって仰った。

 

「祥ちゃん……祥ちゃんも、私と一緒。おばあちゃんだね」

 

「……まあ……。久しぶりの再会で一言めがそれだなんて、燈らしいですわ……記憶の中の貴女と全く変わらない。ああ、なんて申し上げたらいいのかしら……言葉が出てきませんの」

 

 祥子様は一瞬目を見開き、すぐに笑み浮かべながらお答えになったが、そのお声に隠しようのない震えがあった。その笑みはみるみるうちに歪んでしまわれていた。

 祥子様は豊川グループの総帥として長らく人前で心の内をさらけ出すことが許されなかったお方だ。

 私がお側に仕えるようになってからもいくつもの修羅場をくぐり抜けてこられたが、顔色ひとつお変えにならずにいらっしゃった。ご自身の余命を宣告されても取り乱すことなど全く無かった。

 その祥子様が、込み上げる感情を抑えられずにいらっしゃる。

 たったひと目、ひと言で祥子様のお心を激しく揺さぶるお方。

 このお方が、高松燈様なのか。

 

 祥子様はもう何十年も燈様とは直接お会いになられていないと聞いている。遠く離れていてもすぐ近くに居るかのように対話ができる通信手段に溢れたこの時代にあって、お二人を繋げていたものは年に何度かやり取りされる数枚の便箋だけだった。それ以外をお二人は望まなかった。

 祥子様は便箋を大切に保管なさっていて、私も私の父も含め余人には決して触れさせようとはなさらなかった。祥子様にとってその便箋は、燈様と交わった祥子様の魂そのものであった。

 とはいえ、祥子様も燈様のことを全くお話にならないわけではなかった。

 燈様とは中学生の頃、五人組のバンドを一緒に組まれたことが馴れ初めだと祥子様からお聞きしていた。その後すぐに解散し、それぞれ別々のバンド活動を続けてこられたということも。しかし最初のバンドが解散してしまった理由も、別々のバンドとして袂を分かちながらもこれまで長きにわたって(えにし)を紡いでこられた理由も、祥子様は(つまび)らかになさろうとはしなかった。

 私は執事の仕事上必要だと判断して、やむを得ず自分自身でお二人のご関係を調べたことがある。

 そもそも祥子様は知らぬ者などほとんど居ない豊川グループの総帥であられ、しかも世界的に有名なロックバンドのリーダーでもいらっしゃった。AveMujicaのライブは『仮面舞踏会(マスカレード)』と呼ばれた。本当の自分自身や人の世のしがらみを仮面の下に隠し、忘却せしめる、一夜限りの享楽をもたらすものだった。言わば、苦悩からの救いを求める人々に与えられる劇薬であり幻想であり、甘美な夢そのものだった。

 燈様も、一貫してライブ中心に音楽活動を続けるパンクロックバンドを率いるボーカリストとして長い間、お名前が知られていた。だから少し調べれば燈様の足跡は私でも簡単に辿ることができた。

 燈様のバンド名は『MyGO(マイゴ)!!!!!』と言った。

 私は一度彼女たちのライブ映像を観たことがあるが、その音楽性は祥子様のAveMujicaとは真逆とも言えるものであった。

 現実から目を背けることを許さず、弱くてみっともない自分自身に否応なく向き合わせようとする残酷なまでに身勝手な音楽であった。どんな心地よい夢であっても目覚めさせ、夜闇の中に手探りででも歩かせようとする容赦のない叱咤激励の歌だった。迷いながらも前に進もうとする全ての人間たちへの賛歌だった。

 お二人とも、お互い正反対な方向性のバンドを率いながら、それぞれが数多の人々の生きる支えとなり、不確実で不安ばかりの世の中を生きる()()となられていた点では同じであった。

 私が調べた限り、AveMujicaとMyGO!!!!!メンバー間での交流はそれなりにあった。とくに睦様は頻繁にMyGO!!!!!のメンバーとお会いになられていた。元は一つのバンドが始まりであり、旧知の仲の方々もいらっしゃるはずでそれ自体はまったく不思議はない。しかし一方でお二人のバンドが合同で参加したイベントは無く、それどころか一所で出会うこともなかったようだ。MyGO!!!!!の活動を祥子様が周到にお調べになり、ニアミスを回避していたようだった。

 

「……燈はずっと、一人で歌ってきたんだね」

 

 私が思案に沈んでいると、言葉に詰まってしまわれたご様子の祥子様に代わるようにして、睦様が燈様に問いかけをなさった。

 燈様はそれに対してかすかな微笑みで返した。その右手はご自身の胸の上で握りしめられている。

 燈様はそのまま口を開かれなかった。

 再びお三方の間に沈黙が流れたため、私も思考の中に戻っていった。

 燈様は、私の調べた限りではもう十年近く、ソロでライブを開催していらっしゃる。つい最近も、一人きりのライブを敢行なさった後だったはずだ。

 AveMujicaとは異なり、MyGO!!!!!のメンバーは燈様を残して、全員他界なされてしまっていたのだ。

 最初にお亡くなりになった方のお名前は『(かなめ)楽奈(らーな)』様とおっしゃった。

 MyGO!!!!!のワンマンライブ会場でのことだった。彼女は最後の曲が終わると膝から崩れ落ち、そのまま息を引き取られたのだという。

 一時は各メディアで大きく取り上げられ、〝大人気バンドのメンバー、ライブ中に大往生〟という徒に感傷を煽るタイトルを見て内心で憤ったことを覚えている。

 大切な仲間全員と死別し、それでもなお、たった一人でステージに立ち続ける非業のバンドリーダー――それが私が燈様に抱いたイメージだった。

 感じた同情心を顔に出さないように注意しつつ私が再び燈様に目をやると、ちょうど彼女は口をゆっくりと開かれるところだった。

 

「……私は一人じゃない……。みんな、ここに居る」

 

 燈様は、胸の上の握りこぶしを見つめながらそう睦様に返された。

 私は最初、歌詞をお書きになる方らしく感傷を詩的な表現に封じ込めたのだと思った。しかし燈様は睦様、祥子様としばらく視線だけを交わしあった後、ゆっくりとこちらに顔を向けられ、それを見て私は己の認識の甘さを悟った。

 その瞳と表情には何の誇張も強がりも覗えなかったのだ。

 燈様はメンバー全員が今も供に居ることを、微塵も疑っていらっしゃらなかった。

 

「楽奈ちゃんは……あんなに頑張ってやってくれたけど、『まだおばあちゃんに〝やりきった〟って言えない』って。ライブ、やり足りないんだ、って。……だからいつも、今も、私の詩に音を乗せてくれている」

 

 燈様がぽつりぽつりとお続けになる。

 祥子様も睦様も無言で耳を傾けていらっしゃる。

 

立希(たき)ちゃんも、そよちゃんも、あのちゃんも、みんな居て……私の中の熱を、みんなが消さない。……私の火は、みんなで灯す」

 

 こうしてゆっくりと紡がれてゆくこの方のお言葉は、執事として内心を見せない努力を長年続けてきた私の心臓を容易く丸裸にさせ、深く深く沁み込んでくる。

 

「ずっと、一緒にいる」

 

 祥子様が息を飲む音が聞こえたような気がした。

 目を大きく見開かれ、唇をきゅっと結んでいらっしゃる。込み上げてくる激情を、なんとか堪らえようとなさっているのだ。

 

 ああ、祥子様があんなにも惹かれてしまわれる訳だ。

 大切なひとの命が失われたとしても、その魂が天に(かえ)ることを許さない。

 その執着は、神をも超越する。

 必然だと言わんばかりの自然体で、死を、輪廻を超えた絆を宣言する。

 何があっても手を離さないという、そのあまりにも強欲な在り方に私は心を打たれた。

 

 

 




続きます。
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