『ありがとうございました』
一曲目が終わり、燈様が一礼された。
祥子様がその後を引き継ぎ、ご来場のお客様に向けてMCを兼ねたご挨拶をなさる。
『皆様、本日はご参加頂きまして心より御礼申し上げます。座った姿勢のままでご挨拶をさせていただく無礼を何卒ご容赦下さいませ』
祥子様はピアノの椅子から会場を向き、深々と頭を下げられた。
お言葉が続く。
『
祥子様は一度お言葉を切ると会場を見渡し、次いでステージの上の睦様、そして燈様を見つめられた。
『――今日の私は、豊川祥子としてここに居ります。豊川グループの会長でもない、ただの一人の女、豊川祥子です』
会場からは軽いどよめきが上がった。しかしすぐに温かい拍手へと代わった。お客様たちも先ほどの一曲目の歌で、何かを感じたのかもしれない。
『ギター。若葉睦です』
睦様がMCを引き取った。祥子様と同じく本名を名乗られた。しかし、睦様もさらにお言葉を続けられた。
『――私も、今日は〝睦〟〝モーティス〟と一緒に
祥子様が一瞬、はっとする表情をなさった。
会場が沸いた。睦様でもあり、AveMujicaのモーティスでもある、ということだろうと私は受け止めた。お客様たちも同様だろう。
睦様が燈様を促した。
燈様はゆっくりと口を開く。
『高松燈、です。……私はずっと、
燈様は胸の上で左のこぶしを握りしめ、そう仰った。
会場では頭上で両手を繋ぐハンドサインを掲げたお客様が何人も見えた。往年のMyGO!!!!!ファンたちだろう。私も燈様の経歴を調べて知ったが、それはライブ会場でいつしかファンたちが始めたサインだった。〝迷子でも繋いだ手を離さない〟という燈様のメッセージに応えているのだ。
『――でも今日は、睦ちゃんと……
客席がざわめく。
AveMujicaとMyGO!!!!!の過去にどんな関係があったか知っている者などほとんど居ない。だからMyGO!!!!のボーカルが二人を親しげに愛称で呼んだことに観客が驚くのも無理はない。しかし客席は間もなく落ち着き始めた。きっとMyGO!!!!!のファンたちだろう、理由は解らずともすぐに受け入れたようで、その空気が会場に伝播していったらしい。
『みんな、来てくれてありがとう』
燈様のこぶしは強く握られたままだ。
会場のお客様たちも、気づけば一人また一人と、胸の上にこぶしを握っていた。
燈様はゆっくりとうなずいた。
言葉を交わさずとも、一人舞台で歌う燈様を支え続けてきたファンたちは彼女のやりたいことが解っているかのようだった。
『AveMujicaのファンの皆さん……私は今日、
燈様はさらに言葉を続けた。
初華、というのは初音様のかつての芸名だったと父からは聞いている。
『私は……初華ちゃんに詩なら伝えられるって言ってもらえて……そのおかげで、今、ここにみんなと一緒に居る』
その告白に、真剣な面持ちのまま肯いたAveMujicaのファンたちもさすがだった。
私も、このライブの意味をやっとわかりかけてきたところだった。
同時に私は、迷い始めていた。
このライブを、これ以上本当に続けさせてよいものか――。
ちょうどそのとき観客がすっと静まり返った。
燈様がマイクを掲げている。
私の逡巡をよそに、燈様は二曲目を歌い始めていた。
『紡いでゆくの……かつてこの地が、幾多の文化を慈しんだように』
AveMujicaの世界観を世間に広く知らしめた一連のシリーズ曲で、初音様が己すべて捧げるようにして詩を書かれたと聞いている。この曲は大地をテーマにした歌である。
祥子様も睦様も何度も演奏された曲だけあって滑らかに音が紡がれてゆく。反対に燈様にとっては馴染のない歌だと思われたが、意外、と言っては失礼なほど苦もなくお歌いになっている。
燈様のお声は幾つもの震えが重なったような、深い響きを持っていらっしゃる。天性のものに加え、年を経て増した深みもおありなのだろう。それはまさに、地母神の声を聴くことがあるとすればこういう声なのだろう、と思わせるものだった。
『還ってゆくの――下腹部に耳を当て、星の鼓動を数えながら』
あまねく命あるものを受け止める豊穣の土のように、燈様の声は観客も、祥子様も睦様も、今は亡き仲間たちも、詩を遺して旅立った初音様の想いも、すべて抱きとめてゆくようだった。
続きます。