持たざる少年 作:交渉人
朝。
レイはゆっくりと
(……車で寝た割に、全然バキバキじゃないな)
首を回す。肩を動かす。腰を伸ばす。──どこも痛くない。むしろ、体が軽い。
使い捨てのマットレスとは明らかに格が違う。座席に敷かれたシートは、衝撃吸収と姿勢補正が同時に効くように設計されているのだろう。車両の中まで、ハンター向けの仕様だった。
(……マジで、なんなんだこの車。すごいな)
火華の、にまにま、とした表情を思い浮かべながら身支度を整えると、レイは車外に出た。今日はまず、やるべきことが一つある。
徒党の拠点内。管理担当であるミナトの元に向かう。レイは軽く咳払いをしてから、声をかける。
「ミナト、さん。相談があります」
ミナトは端末をいじっていた手を止め、顔を上げる。
その表情は穏やかだが──わずかに眉が動いた。
「……なんだその口調。どうした、お腹でも痛いのか?」
「いえ、その、言葉遣いって大事かなって思って……」
「いや、気持ち悪い。無理してるなら戻せ」
「そ、そうか……」
レイはどこか気まずそうに頭をかいた。近くでニナが見てたら、絶対に笑われていただろう。
「それで、相談ってのは?」
「ああ、ミラの依頼が終わって、車を貰ったんだが、停めるところがない。駐車場に無理やり詰め込んだが、出入りがやばい。あとちょっとで壁ごと壊すとこだった」
「見たよ。ギリギリだったな」
ミナトは苦笑する。すぐに端末を確認すると、何かをタップしてスクロールした。
「ちょうどいい。別の徒党が放棄した一帯をうちが買い取った。そこの施設が、空いてる。使っていいぞ」
「本当か?……利用料とかは?」
「それについてだが。お前、ミラの依頼で稼いだろう。上納額もでかいことになってたが──あれを活用した。ボスも喜んでたぞ」
ミナトは真面目な口調でそう言うと、レイの目を見て付け加えた。
「だが、今後はわからない。ハンター稼業は不安定だ、安定した上納は見込めないと考えている」
「まあ、そうだな」
「だからこうしよう。新しい方は利用料なし。その代わり、拠点にいるとき──特に夜間とか、何かあったときには、防衛に出てもらう。それでどうだ?」
レイは一拍置いてから、軽く頷いた。
「……了解だ」
「交渉成立だ」
ミナトは笑顔を見せると、レイの端末に新拠点の座標を転送した。
レイは端末を閉じながら、肩の力を抜いた。
(──やっと、ちゃんとした拠点が持てるな)
まだ仮の地ではあるが、少なくとも足場にはなる。
そう思うと、少しだけ胸が軽くなった。
◇
起きてきたダグ達に状況を説明し、荷物をまとめる。ミナトに部屋の鍵を返却したのち、座標の指定通り、スラム街の一角に車両を滑り込ませた。
目の前に現れたのは、三階建ての廃ビルだった。
表面はひび割れ、窓ガラスの半分は割れている。屋上のアンテナは傾き、外壁の一部は崩れかけていた。だが、配管やケーブルは整備されており、外見のわりに設備は生きている。
「……なるほどな。見た目は廃墟、中身は現役ってわけか」
レイが呟く。
スラム街でも、この辺りの上下水道は、都市による維持管理がされるエリアに含まれている。水道以外の電気、簡易給湯──どれも最低限のインフラは通っている。こういった物件は人気で、普通は手放すことなどない。
だが今回は、管理しきれなくなった別の徒党が縄張りごとオーラムでシジマの徒党に売却した形だ。スラム街の秩序もオーラム次第だった。
「拠点にするには、上出来すぎるな……」
敷地の奥には、屋根付きの駐車スペースがあった。レイは車両をゆっくりと滑り込ませると、情報端末を操作して防犯設定を確認する。
「……最低限が施錠。標準が、警告から威嚇射撃。高度設定で光学迷彩と自律防衛。追従並走もできんのか、こいつ……」
情報端末からの連携で、防犯レベルを設定できる。今回は──「標準」、つまり治安が悪い地域向け──東部では一般的な──設定を選んだ。
パネルに警告が表示され、周囲に脅威となる存在を感知した場合、段階的に対処が行われるよう切り替わる。
数秒後、センサーが反応した。建物の影からこちらを窺っていた男が、車両の兵装を視認した瞬間、慌てて走り去っていく。
「……防犯ってレベルじゃねぇな、これ」
ダグが呆れ混じりに言いながら、車体をぺしぺしと叩いている。
「ま、舐められるよりはマシだろ。車、盗られたらどうにもなんねぇしな」
マルが応じる。レイは車両の鍵を確認してから立ち上がった。
建物の中に入ると、吹き抜けのロビーがあり、右手には荷物用の昇降リフト、左手には鉄扉付きの階段があった。上階の個室へ向かう通路は暗く、壁には朽ちかけた案内板がぶら下がっている。
だが、建物全体には空気の流れがあり、配管の音が聞こえる。
照明は点灯していないが、スイッチを入れると淡く光り始めた。
「電気、通ってる……」
マルが感心したように呟き、壁の接続端子に端末を接続して何やら確認し始める。
「……お風呂は? トイレ? 重要」
「あるって。さっきの資料にあった。シャワー付きの給湯室と、簡易キッチンもあったな」
レイが答えると、ニナが満足げに頷いた。
「なら合格。あたし、銃よりお風呂のほうが大事だから」
「なんかニナ、様が偉そうだが、それはわかるかもな……」
レイは軽口を叩くと、建物内を一通り見回して、ふと天井を仰ぐ。
(広くなったな……)
ひとまず、雨風がしのげる場所があって、水も湧く。
ミラの依頼、ミナトの融通、工房の品々──全部が噛み合った結果、手に入ったこの場所。
(運が良かっただけだ。調子に乗んな)
そう自分に言い聞かせつつ、レイは一歩、奥へと足を進めた。
◇
昼下がり。荷物を簡単に整理し、最低限の生活導線を確保した後、四人は簡易な休憩スペースに集まっていた。と言っても、椅子は折り畳みの鉄製、机代わりは木箱に毛布をかけただけの代物だ。
それでも、屋根があり、水が通っているだけで、十分にマシだった。
「……で、装備の確認だな」
レイがそう切り出すと、他の三人も頷く。
「武器と強化服はある。車両兵装も問題ない。ただ、弾薬が……」
マルが手元の端末を操作しながら言う。
「AAH突撃銃の予備マガジンは一本だけ。弾数的に心許ない」
「予備がないのは流石に怖いな。車両があっても、生身の状況ってあり得るし」
レイも同意する。ミラの支援あってこその依頼だった今までとは違い、 これからは自力で動くことになる。
「あと回復薬。何かあってからじゃ遅いし、荒野じゃ買えない」
ニナが指を立てる。
「ついでに食料。都市の配給食、もう無理。あれ絶対なんか混ざってる」
「それはそう」
ダグが即答し、みな苦笑する。
レイは自分の端末を開く。口座残高を確認すると──2000万オーラム。 ミラから受け取った報酬の大半がそのまま残っている。
「……金の話、ついでにしとくか」
(……全部抱えてんのもな。分け前を寄越せと言い出すやつがいたら、それはそれだが……ひとまず100万で様子見だ)
レイは小さく息を吐きながら、軽く言った。
「とりあえず、一人あたり100……100万オーラムずつ分けとくか。欲しいもんとかもあるだろ」
ダグが最初に反応した。
「おお、マジで? よっしゃ、弾薬とメシと……あと、なんかいい感じの武器あったら買おう」
口では軽く言っているが、その目はわずかに引き締まっていた。
(そりゃあ、ありがてぇけど、これはもらったから動けって話でもあるよな)
彼なりに察していた。タダ飯じゃない。動ける立場になった分、義務がある。だからこそ、レイが配ると決めたことには、素直に従う。
続いて、マルが短く頷いた。
「理にかなってる。個人口座があるなら、緊急時の即応が効く」
口調は淡々としていたが、目線はレイの手元に注がれていた。
(この状況で頭割りか……。読みきれないな、こいつ)
依頼で稼いだ額の推定から頭割りと判断したが、それは誤認だ。しかし、100万オーラムが巨額であることに違いはない。マルの中で、いくつかのシナリオが即座に組まれては破棄された。だが結論は、既に決まっている。
(レイの運に張ると決めたんだ。それに……、分け前をどう使うかは、こっちの自由だ)
最後に、ニナが小さく肩を竦めた。
「もらえるなら、ありがたく。遠慮はしない」
言葉だけ聞けば軽いが、口調に誇張も甘えもない。
(どうせ、あたしが単独で動いたところで、せいぜい数千、運が良くて十万。稼ぎより、維持のほうがキツくなる)
そのくらいの現実は、身に沁みている。それでも、誰かの下に甘えすぎれば、どうなるかも知っていた。
(……だから、もらう。けど、依存はしない。逃げることも忘れない)
そう考えるのには理由がある。スラム街出身の女性の多くが、いずれどこに辿り着くのか──それは、この都市の中ではよく知られた話だった。
東部出身者は総じて容姿が整っているとされている。実際、都市のスラムであっても、その傾向は変わらず、美形とされる顔立ちを持つ者は珍しくない。そのため、磨けば光るという言葉は、この地域のスラムの若い女性に対して、ほぼ慣用句のように使われていた。しかし、その光は多くの場合、労働力としての価値を示すに留まる。スラムにおいて、徒党は生き残るためにあらゆるシノギを抱えている。中でも、飲み屋の経営や、それと繋がる娼館の運営は珍しくなく、実質的に出口として機能しているのが現実だ。
徒党に所属している以上、外での働き口などほとんど無い。家族がいなければ、保護の名目で内部の仕事に就かされる。そして一度そこに足を踏み入れれば、抜け出すのは難しい。本人の意思などは、二の次だ。
ただただ、与えられた役割に従って生かされることが、この街で女性が選ばされる現実だった。
それぞれの思惑が交錯する中で、誰も言葉を重ねようとはしなかった。
レイは情報端末を操作し、三人の口座に100万オーラムずつの送金を完了させる。
「──よし、送った。あとは、買い出しの分はこっちが立てる。まとめてやったほうが効率いいしな」
「なら、食料と薬はリストにしとく」
「弾薬と工具も見てくれ。あと替えの服、今の一着しかないし」
「わかった。必要そうなもん、見繕っとく」
やりとりは実務的に進み、すぐにそれぞれの役割が決まっていく。
◇
都市の下位区画──その中でも比較的治安が保たれている商業エリアは、ハンター向けの物資を取り扱う店舗が軒を連ねていた。
「……結構、賑わってんな」
レイがハンドル越しに呟く。通りには武装したハンターがちらほら見える。
車両も物騒なものが多く、建物に突っ込まんばかりの武装したバイクすら停まっている。
(ここまで多いと、逆に紛れるな……)
視線を流しながら、レイは車両の防犯設定を「施錠」に切り替える。
これ以上の設定は都市内では無闇に使えない。商業区画では一発撃っただけで警備会社が飛んでくる。表示された警告アイコンがそれを念押しする。
駐車スペースに車両を停めると、全員が降車する。
強化服を着た状態の四人は、見た目の若さもあり明らかに異様だった。
だがこの区画の商人たちは、それに驚いたりはしない。ハンターとはそういう生き物だと割り切っている。
目当ての店は、少し先の通りにある万事屋系の物資店。看板は色褪せ、壁面にはひび割れが走っていたが、出入りするハンターの姿が多く、需要の高さを感じさせた。
「ここだな……入るぞ」
扉を押して入店すると、
店内は狭いが、棚にはきちんと分類された物資が詰まっている。
ハンター向け携行食、飲料水、医療キット、エネルギーパック、修理キット、各種弾薬、保存袋──命を繋ぐ道具が雑然と整然に並んでいた。
レイたちが入店してすぐ、カウンターにいた店主が一瞥をくれた。中年の男。眼鏡越しにこちらを見て、特に表情は変えない。
「見たいもんがあるなら、勝手に見てってくれ。質問があれば呼べばいい」
淡々とした応対。それ以上でも、それ以下でもない。商人として、相手が誰であれ売る。それが都市の店だった。
ただ──
(……その強化服、どこのメーカーだ? 見たことねぇな)
視線だけが、ほんの一瞬、ニナの着ていた強化服に止まった。
火華独自の設計。市場には出回っていない。だが、店主は何も言わなかった。自分の領分ではないと心得ていた。
「弾薬、これだな。AAH用、通常弾と……こっちは徹甲か」
レイが棚から弾薬を取り出す。隣でマルが端末を繋ぎ、性能と価格を照らし合わせていく。
「この価格帯、妥当だな。通常弾は百発単位でまとめ買いがお得だ。徹甲弾は拡張パーツがないと使えないみたいだな」
「回復薬、こっち」
ニナが棚の端で呼ぶ。
そこには注射器タイプの投薬セットが並んでいた。
「緊急用がこの赤。骨折と裂傷を抑えるのが青。あとは抗感染剤が少し……って、値段が洒落にならない」
「傷ひとつ回復するのに、飯十日分飛ぶ世界だからな」
ダグがぼやく。だが、誰も反論しなかった。
レイは棚の上段に並べられた、銀色のキャニスター入りパックに目を留める。
製造元は現代の企業だが、高グレードの名称が刻まれており、単価は──1個で100万オーラム。
「……これ、いけるな。5個行くぞ」
「は?」
ニナが思わず声を上げる。
「いや、いくらなんでも高すぎ。これ一本で、何食分買えるか……」
「だからこそ、持っておく意味がある」
レイは端末を取り出し、購入処理を始めながら言う。
「前に、ポリタンクに殺されかけた。マジで死ぬかと思った。……ああいう時、これが一本あれば、生き延びられるかもしれない」
「……臆病者が長生きする、ってやつか」
マルが皮肉っぽく言うと、レイは軽く肩をすくめた。
「そうだよ。命張るんだ。保険掛けるのは当然だろ?」
カートに加えた高グレードの回復薬は、冷却パック入りの専用ボックスに収められていた。中和剤付き、抗ナノマシン中毒処理済み──生き残るだけの性能がある。
ニナは少し呆れたように言った。
「まあ、持ってくれるなら安心だけど……。いざとなったら、あたしにも一本、よろしくね?」
「擦り傷程度で使ったら100万だからな」
「やだー」
そんな軽口を交わしながら、買い物は続いていく。
他にも、ハンター向け携行食料、エネルギーパック、簡易照明弾、煙幕などの小道具、など、必要最低限に絞って購入していく。
「……とりあえず、こんなもんか。あとは実戦で足りなかったらその都度補充だな」
「買いすぎても荷物になるし、な」
全員が頷いた。
レイは端末を操作し、合計金額を店主に提示する。オーラムの引き落としが完了すると、静かに端末を返された。
「次は……無事に戻ってきたときだ」
淡々とした口調。それでも、最後の一言にはわずかに温度があった。
レイは短く頷くと、袋を肩に担ぎ、店舗をあとにした。
◇
拠点に戻る頃には、日はすっかり傾いていた。車両を駐車場へと滑り込ませ、施錠と防犯モードを再設定する。
一息ついたレイは、ふと思い出して運転席脇のコンソールを開いた。
「そういや、これ……マニュアル、あったよな」
冊子ではなく、ホログラフィック形式の操作ガイドだった。
慣れないUIに戸惑いながらも、目当ての項目を検索する。
「修理……あった。機械による修復?」
表示された概要を見て、レイは思わず口笛を吹いた。
「マジかよ……勝手に修理してくれんのか」
マニュピレーター付きの機械と連携し、状況に応じて自律的に損傷を補修、エネルギー系統の異常にも最低限対応可能とある。ただし、条件は一つ──修理キットを積み込んでいること。
「……あれ、買ってないな」
レイは一瞬悩んだが、すぐに首を振った。
「さすがに、いきなり壊れるような事態にはならないだろ。後回しでいいか」
根拠の薄い楽観。それでも、今は十分に満ちている感覚があった。
──そして夜。
簡易キッチンで湯を沸かし、保存食を温める。スラムの配給食とは違い、形がはっきりしている時点で感動ものだった。
「……うまい」
マルがぽつりと呟いた。端末をいじりながら、淡々と咀嚼している。
「保存食にしては悪くねぇな。缶詰よりイケてるかも?」
ダグががっつきながら、余ったパックを物色している。
「それ、明日の分。食べすぎ」
ニナは肩を竦めつつも、どこか楽しそうだった。
食事を終え、片付けがひと段落したころ。
レイは湯気の立つパックを置いて、静かに言った。
「──明日、荒野に出ようと思う」
途端に、場の空気が変わる。
「ちょっと待って。それって、もう?」
ニナの声はいつもより抑え気味だった。だが、その分だけ真剣味があった。
「さすがに早くない? まだ土地勘もない。戦ったこともない。……明日、無理して出る理由あるの?」
レイは、そっと情報端末を起動して見せた。画面には、汎用討伐依頼の項目。
「ある。これを見ろ。荒野を走って、そこに出てきたモンスター倒せば、討伐報酬が振り込まれる。何を倒せ、じゃなくて、そこにいるやつを倒すだけで金になる。何なら走り回ってるだけでそのデータが金になる。……流石に少額だけどな」
「……まあ、理屈は通ってるかもしれないけど」
「最初は近場にする。索敵も試す。何もなければ帰ってくるだけ。初回は、軽く踏み出すだけだ」
マルが情報端末を見ながら頷いた。
「筋は通ってる。物資も準備済み。車両も兵装も問題ない」
「それに、ぶっちゃけ──このまま拠点で飯食って寝てばっかじゃ、俺は腐る」
ダグが頭をかきながら笑う。
「戦う準備してんだから、戦わねぇと気持ち悪いだろ?」
ニナはしばらく何も言わなかったが、やがて、溜息混じりに言った。
「……最初は、絶対無理しないでよ。相手を見て、逃げられる距離を確保して」
「もちろん。突っ走るのが得意なのはダグだ」
レイは笑って答える。だが、その口調には決意も混じっていた。明日から、ハンター稼業が始まる。
「ニナは拠点に残っててもいいけど……」
「逆に危ない。却下」
【本日の収支】
- **分け前の分配** → **-300万オーラム**
- **弾薬費** → **-10万オーラム**
- **回復薬代** → **-550万オーラム**
- **消耗品代** → **-100万オーラム**
【現在の貯蓄】
1040万オーラム
0コロン
「回復薬は勢いで買いすぎた可能性」