持たざる少年   作:交渉人

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29.交渉の手札

 翌日、朝。

 レイは端末の着信音で目を覚ました。

 寝袋から半分だけ体を出したまま画面を覗き込むと、「査定完了」の文字が浮かんでいた。

 

「……早いな」

 

 寝ぼけ眼のまま確認ボタンを押すと、評価欄に「売却額:五億オーラム」と表示されている。

 

「は?」

 

 一瞬、数字が目の錯覚に見えた。

 だが桁を数えても変わらない。間違いなく五億だ。

 

 寝床から完全に飛び出して、レイは姿勢を正した。

 詳細欄を開くと、素材評価の内訳に「特殊金属」の文字があった。

 その横に記されていた評価額は――四億オーラム。

 

「え、どれ?……紅かったやつか?」

 

 声に出すと、ようやく現実味が出てきた。

 リョウがよくわからんと言っていた素材だった。どうやら相当な代物だったらしい。

 

 (だが、火華は買い取らなかった。立場と場所で、価値は変わるってことか)

 

 画面をスライドすると、更に別の通知が現れた。内容を開くと、細かい条件付きの文面が並んでいた。

 

【査定結果に関する追加情報】

 即時支払い額:一億オーラム

 特殊金属素材に関する残額四億オーラムは、素材の附帯情報に関する交渉をもって確定とする。

 交渉を辞退した場合、残額を確定支払いとする。

 詳細はクサカベまで連絡されたし。

 

 (……なるほど、そう来たか)

 

 レイは口の端をわずかに上げた。

 交渉を辞退すれば四億確定。

 応じれば更に上がる可能性がある。

 要するに、「素材の出所を知りたい」という話だった。

 

 即時入金の通知を確認すると、合わせて開設の通知がされている、徒党(チーム)の口座に一億オーラムが入金されている。

 それでも、金額の巨大さに胃がざわつく。

 スラム育ちには現実感がなさすぎた。

 

 (今動かせるのは一億。手札としては十分だ。残りは……伏せる)

 

 情報端末を手に、レイは共同スペースへ向かった。

 既にマルとダグ、ニナの姿がある。

 それぞれ朝食を取りながら情報端末を見ており、誰もが似たような顔をしていた。

 

「……見たか?」

「見た」

「いや、見間違いかと思ったわ」

「ダグ、読めてるか?」

「五億。ご、お、く。読めるわ」

 

 軽い冗談が飛び交うが、空気はどこか落ち着かない。

 全員が金額の異常さを理解していた。

 

 マルが端末を弄りながら呟く。

「口座に一億、入金済み。ハンターオフィスの対応が早いな」

 ダグが続けて問いかける。

「でも、残りの四億ってのはなんだ?」

「その辺は……後でだ」

 レイは短く答えた。

 

「上納は?」

「まだだ。……今回は少し寝かせる」

「寝かせる?」

「話してから渡す」

「話?」

「ああ、ミナトとな」

 

 その言葉に場が静まる。

 上納は自動的にやるものだと誰もが思っていた。

 だが今回は違う。

 

 ニナが小さく息を吐いた。

「……また厄介なこと考えてる」

「柄にもねぇが、今回はそれでいいと思う」

 レイは肩を竦める。

「今のままじゃ、いつまで経ってもスラム止まりだ」

 

 誰も否定しなかった。

 マルもダグも、心のどこかで同じことを思っていた。

 

 沈黙の後、ニナが問う。

「ミナトさんには、どう伝えるの?」

「そのままだよ。どうせ上にはすぐ伝わる。なら、俺の口で言った方がいい」

 

 そう言って椅子から立ち上がると、情報端末をポケットに仕舞う。

 外からはスラムの雑踏が遠くに聞こえていた。

 金の匂いを嗅ぎまわる気配を感じた。

 

「さて……どう転がるか、だな」

 小さく呟き、レイは拠点を後にした。

 

 

 ミナトがいつものように執務しているのは、徒党の一階にあるオープンスペースだった。

 

 金属板の床の上に、簡素なデスクが並び、数人の構成員が報告書を纏めたり、依頼の処理をしている。

 空気はざらついているが、妙に規律がある。

 

 その中をレイが歩くと、周囲の視線が動いた。

 誰も声は掛けない。だが、明らかに見ている。

 

 数か月前まで同じ雑用をしていた顔もある。

 今や彼はハンターで、徒党の外で稼ぎを上げる側の人間だ。

 羨望でも敵意でもない――ただ、「何をしに来た」という距離を取る視線。

 

 レイはその空気を受け流しながら、奥にいるミナトへと歩みを進めた。

 

 ミナトはタブレットを片手に、部下と話をしていた。

 レイに気付くと、軽く手を挙げて部下に合図を送って下がらせる。

 

「……久しぶりだな。ハンター稼業はどうだ? 最近は、上納もないが」

 

「ちょうど、遺跡探索で稼いできたところだ。それについて話がある」

 

 ミナトが片眉を上げる。

 レイの声音に、いつもの淡々とした響きがないのを感じ取ったのだ。

 

「……なるほど。なら、ここじゃ話しづらいな」

 

 ミナトは立ち上がり、レイを奥の個室へと案内した。

 

 狭い部屋だった。壁は薄く、簡易ソファと小さなテーブルが一つ。

 それでも扉を閉めれば、外の喧騒は遠のく。

 

「さて」

 ミナトはタブレットを机に置き、腕を組んだ。

「何かあったか?」

 

 レイは軽く息を吐き、情報端末を取り出して机の上に置いた。

 画面には査定結果の数字が浮かんでいる。

 

「……一億だ」

 

 その瞬間、空気が止まった。

 

 ミナトは最初、冗談かと思ったようだったが、

 レイの表情にそうではないことと理解し、無言で画面を覗き込む。

 

 やがて、低く息を吐いた。

 

「一億オーラム、だと? 間違いないのか?」

「ハンターオフィスによる査定結果だ。間違いはない」

 

 数秒の沈黙。

 ミナトはソファに深く腰を沈め、額を押さえた。

 そして、微かに笑う。

 

「……お前、やったな。もう億超えか」

 

 その言葉には、賞賛と警戒が混じっていた。

 徒党の中でも、億を超える稼ぎを生み出すハンターはいない。

 その領域はもう、普通の稼ぎでは踏み込めない場所だった。

 

 表情は冷静を装っているが、指先が僅かに強張っていた。

 ミナトの様子を観察しながら、レイは続けた。

「それと、コロンも手に入った」

 

 ミナトの動きが止まった。

「……コロン?」

「ああ、旧世界の通貨だ。まあ、言わなくてもわかるか。ミラの知り合いの伝手でな」

 

 静寂。

 (あの時のミラ、か)

 異常なくらい親しみやすい声が脳裏に蘇る。ミナトの視線が鋭くなり、レイの顔を真っ直ぐに射抜いた。

 そして、低く呟いた。

 

「……駆け出しのハンターが触れていい領域じゃないな」

「そうかもな」

「お前、どこまで知ってる?」

「断片くらいだ。旧世界の通貨で、企業通貨とは価値の基準が違うってことぐらいだ」

 

 会話の温度が、一気に下がる。

 ミナトは短く息を吐き、天井を見上げた。

 

 そして、静かに立ち上がる。

「……上に報告する。お前の判断で金を動かすな」

「上、ってのは?」

「決まってるだろ。ボスのシジマだ」

 

 その名を聞いても、レイの表情は動かない。

 むしろ、わずかに口角が上がった。

 

「……ああ。ちょうど話がしたいと思ってたところだ」

 

 ミナトは短く目を閉じ、息を吐いた。

「……そうか」

 一息付いて続けた。

「わかった。俺から伝える。お前はここで待て」

 

 そう言い残し、ミナトは部屋を出ていく。

 扉が閉まる音が、やけに重く響いた。

 

 レイは机の上の端末を見詰める。

 そこに浮かぶ数字――一億オーラム。

 

 その裏にあるものの重さを、誰よりも理解していた。

 

 (これで、ようやく動く)

 

 小さく呟き、背もたれに体を預ける。

 

 遠くで、ミナトの声が聞こえた。

 通信越しの報告。

 その先にいるのは――シジマ。

 

 交渉の場は、近い。

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