持たざる少年 作:交渉人
翌日、朝。
レイは端末の着信音で目を覚ました。
寝袋から半分だけ体を出したまま画面を覗き込むと、「査定完了」の文字が浮かんでいた。
「……早いな」
寝ぼけ眼のまま確認ボタンを押すと、評価欄に「売却額:五億オーラム」と表示されている。
「は?」
一瞬、数字が目の錯覚に見えた。
だが桁を数えても変わらない。間違いなく五億だ。
寝床から完全に飛び出して、レイは姿勢を正した。
詳細欄を開くと、素材評価の内訳に「特殊金属」の文字があった。
その横に記されていた評価額は――四億オーラム。
「え、どれ?……紅かったやつか?」
声に出すと、ようやく現実味が出てきた。
リョウがよくわからんと言っていた素材だった。どうやら相当な代物だったらしい。
(だが、火華は買い取らなかった。立場と場所で、価値は変わるってことか)
画面をスライドすると、更に別の通知が現れた。内容を開くと、細かい条件付きの文面が並んでいた。
【査定結果に関する追加情報】
即時支払い額:一億オーラム
特殊金属素材に関する残額四億オーラムは、素材の附帯情報に関する交渉をもって確定とする。
交渉を辞退した場合、残額を確定支払いとする。
詳細はクサカベまで連絡されたし。
(……なるほど、そう来たか)
レイは口の端をわずかに上げた。
交渉を辞退すれば四億確定。
応じれば更に上がる可能性がある。
要するに、「素材の出所を知りたい」という話だった。
即時入金の通知を確認すると、合わせて開設の通知がされている、
それでも、金額の巨大さに胃がざわつく。
スラム育ちには現実感がなさすぎた。
(今動かせるのは一億。手札としては十分だ。残りは……伏せる)
情報端末を手に、レイは共同スペースへ向かった。
既にマルとダグ、ニナの姿がある。
それぞれ朝食を取りながら情報端末を見ており、誰もが似たような顔をしていた。
「……見たか?」
「見た」
「いや、見間違いかと思ったわ」
「ダグ、読めてるか?」
「五億。ご、お、く。読めるわ」
軽い冗談が飛び交うが、空気はどこか落ち着かない。
全員が金額の異常さを理解していた。
マルが端末を弄りながら呟く。
「口座に一億、入金済み。ハンターオフィスの対応が早いな」
ダグが続けて問いかける。
「でも、残りの四億ってのはなんだ?」
「その辺は……後でだ」
レイは短く答えた。
「上納は?」
「まだだ。……今回は少し寝かせる」
「寝かせる?」
「話してから渡す」
「話?」
「ああ、ミナトとな」
その言葉に場が静まる。
上納は自動的にやるものだと誰もが思っていた。
だが今回は違う。
ニナが小さく息を吐いた。
「……また厄介なこと考えてる」
「柄にもねぇが、今回はそれでいいと思う」
レイは肩を竦める。
「今のままじゃ、いつまで経ってもスラム止まりだ」
誰も否定しなかった。
マルもダグも、心のどこかで同じことを思っていた。
沈黙の後、ニナが問う。
「ミナトさんには、どう伝えるの?」
「そのままだよ。どうせ上にはすぐ伝わる。なら、俺の口で言った方がいい」
そう言って椅子から立ち上がると、情報端末をポケットに仕舞う。
外からはスラムの雑踏が遠くに聞こえていた。
金の匂いを嗅ぎまわる気配を感じた。
「さて……どう転がるか、だな」
小さく呟き、レイは拠点を後にした。
◇
ミナトがいつものように執務しているのは、徒党の一階にあるオープンスペースだった。
金属板の床の上に、簡素なデスクが並び、数人の構成員が報告書を纏めたり、依頼の処理をしている。
空気はざらついているが、妙に規律がある。
その中をレイが歩くと、周囲の視線が動いた。
誰も声は掛けない。だが、明らかに見ている。
数か月前まで同じ雑用をしていた顔もある。
今や彼はハンターで、徒党の外で稼ぎを上げる側の人間だ。
羨望でも敵意でもない――ただ、「何をしに来た」という距離を取る視線。
レイはその空気を受け流しながら、奥にいるミナトへと歩みを進めた。
ミナトはタブレットを片手に、部下と話をしていた。
レイに気付くと、軽く手を挙げて部下に合図を送って下がらせる。
「……久しぶりだな。ハンター稼業はどうだ? 最近は、上納もないが」
「ちょうど、遺跡探索で稼いできたところだ。それについて話がある」
ミナトが片眉を上げる。
レイの声音に、いつもの淡々とした響きがないのを感じ取ったのだ。
「……なるほど。なら、ここじゃ話しづらいな」
ミナトは立ち上がり、レイを奥の個室へと案内した。
狭い部屋だった。壁は薄く、簡易ソファと小さなテーブルが一つ。
それでも扉を閉めれば、外の喧騒は遠のく。
「さて」
ミナトはタブレットを机に置き、腕を組んだ。
「何かあったか?」
レイは軽く息を吐き、情報端末を取り出して机の上に置いた。
画面には査定結果の数字が浮かんでいる。
「……一億だ」
その瞬間、空気が止まった。
ミナトは最初、冗談かと思ったようだったが、
レイの表情にそうではないことと理解し、無言で画面を覗き込む。
やがて、低く息を吐いた。
「一億オーラム、だと? 間違いないのか?」
「ハンターオフィスによる査定結果だ。間違いはない」
数秒の沈黙。
ミナトはソファに深く腰を沈め、額を押さえた。
そして、微かに笑う。
「……お前、やったな。もう億超えか」
その言葉には、賞賛と警戒が混じっていた。
徒党の中でも、億を超える稼ぎを生み出すハンターはいない。
その領域はもう、普通の稼ぎでは踏み込めない場所だった。
表情は冷静を装っているが、指先が僅かに強張っていた。
ミナトの様子を観察しながら、レイは続けた。
「それと、コロンも手に入った」
ミナトの動きが止まった。
「……コロン?」
「ああ、旧世界の通貨だ。まあ、言わなくてもわかるか。ミラの知り合いの伝手でな」
静寂。
(あの時のミラ、か)
異常なくらい親しみやすい声が脳裏に蘇る。ミナトの視線が鋭くなり、レイの顔を真っ直ぐに射抜いた。
そして、低く呟いた。
「……駆け出しのハンターが触れていい領域じゃないな」
「そうかもな」
「お前、どこまで知ってる?」
「断片くらいだ。旧世界の通貨で、企業通貨とは価値の基準が違うってことぐらいだ」
会話の温度が、一気に下がる。
ミナトは短く息を吐き、天井を見上げた。
そして、静かに立ち上がる。
「……上に報告する。お前の判断で金を動かすな」
「上、ってのは?」
「決まってるだろ。ボスのシジマだ」
その名を聞いても、レイの表情は動かない。
むしろ、わずかに口角が上がった。
「……ああ。ちょうど話がしたいと思ってたところだ」
ミナトは短く目を閉じ、息を吐いた。
「……そうか」
一息付いて続けた。
「わかった。俺から伝える。お前はここで待て」
そう言い残し、ミナトは部屋を出ていく。
扉が閉まる音が、やけに重く響いた。
レイは机の上の端末を見詰める。
そこに浮かぶ数字――一億オーラム。
その裏にあるものの重さを、誰よりも理解していた。
(これで、ようやく動く)
小さく呟き、背もたれに体を預ける。
遠くで、ミナトの声が聞こえた。
通信越しの報告。
その先にいるのは――シジマ。
交渉の場は、近い。