持たざる少年 作:交渉人
ハンターになった翌日、レイはミナトの前に立ち、簡潔に言った。
「ハンターになった」
ミナトは一瞬視線を動かしたが、表情は変えない。
「……ランクは?」
「10だ」
ミナトは無言になる。わずかに眉が動いた。
(スラム出身者は普通、ランク1から始まる。なのに、コイツはなぜかランク10)
だが、ミナトはそれについて何も言わなかった。
「オーラムを口座に移したい」
レイはそう告げる。
ミナトは短く頷いた。
「手続きは簡単だ。データを移すだけだからな」
端末を軽く操作し、残高を更新する。
レイは短く息を吐いた。
「……そういえば、文字を読めるようになりたいんだが」
ミナトは無表情に視線を向ける。
「情報端末で覚えられる」
レイは少し眉をひそめる。
「……そんなに簡単なのか?」
「簡単なわけないだろ」
ミナトは淡々と言いながら、レイの端末を手に取った。
「じゃあ、学習コンテンツを入れといてやる」
端末を操作する。素早く数秒の入力。短く確認。
「はい、完了」
レイは違和感を覚えながら端末を受け取る。
「……?」
画面に表示された通知。
『第一種識字視覚学習体験購入完了 - 料金:2000オーラム』
「……何をした?」
ミナトは軽く肩を竦めた。
「お前の名義で文字の学習コンテンツを買っておいた。何事もただじゃない」
レイは呆気にとられる。
「……」
ミナトは端末を閉じ、短く言った。
「自分で覚えろよ」
「勝手に人の口座から……」
「文句があるのか? 文字が読みたいんだろう?」
ミナトの視線が冷たい。
レイは歯を食いしばる。
(……言い返せない)
「……ない」
思うところはあるが、前には進める。
気持ちを切り替えたレイが歩き出そうとした瞬間、ミナトの声が静かに響いた。
「ちょっと待て」
レイは無言で足を止める。ミナトの視線が鋭く向けられた。
「ハンターランク10になった理由はなんだ。数日前までハンターですらなかっただろ、お前」
(……俺も知らないよ)
「……どうしても言わなきゃダメか?」
ミナトの目は動かない。
「ダメだ」
淡々とした言葉の中に、わずかに冷たい圧が滲む。
「秩序に関わることだ。お前がどう思ってるか知らんが、これはスラム街じゃ異常事態だ」
レイは無言でミナトの顔を見つめる。
「……まあ、ハンターランク10自体は珍しくない。問題なのは、その経緯だ」
レイは短く息を吐き、心の中で思考する。
(どうせ、いつかはバレることだ。隠し通せるわけがない。なら、最初から話した方がマシだ)
「ヤツバヤシにハンター登録された」
ミナトの眉がわずかに動いた。
「……ヤツバヤシだと?」
レイは無言で頷いた。
「その時にハンターランク10で登録された」
ミナトは短く息を吐く。だが、その視線には微妙な警戒が混じっている。
「なんでそんなことになる?」
レイは短く答えた。
「死体を売ることになった」
一瞬の沈黙。
ミナトの表情がわずかに揺れる。
「……待て。順序立てて話せ」
言葉は静かだった。だが、その視線は鋭く、何かを見定めようとしている。
ヤツバヤシの名前が絡む時点で、慎重になるべきだ。あの男は都市との裏で何かを持っている。
徒党の連中はヤツバヤシのことを知っている。だが、それは「頼れる医者」としてではなく――スラムに根付いた異端の存在としての認識だった。
スラムに生きる者なら、一度は聞いたことがある。ヤツバヤシに関する妙な噂。
「怪しい液体を治験と称して飲ませようとしてくる」
「ヤツバヤシの診療所に行ったら、よく分からない薬を試させられた」
「飲んだら腹が冷えた気がするが、結局何だったのか分からない」
「俺は飲まなかった。あいつ、やたら熱心だったがな」
「見た目が旧文明のセンス」
「なんであの髪型なんだ? いや、それより服装が……」
「都市の研究者っぽいって言うやつもいるが、正直ただの変人だろ」
「診療所の内装、異様だよな。あれ、古い時代のものじゃねえか?」
「倫理観が皆無の医療従事者」
「治療費を払えないと、何か別の方法で払えって言われるらしい」
「前に、死にかけた奴が運び込まれたが……治療されたんだろうか?」
「都市の医者は患者を選ぶが、ヤツバヤシは選ばない。だが、その理由が問題だ」
都市の裏との繋がりを持つ者は、そう簡単に信用できるものではない。都市の管理に馴染まない技術。スラムの倫理から外れた価値観。治療と治験の境界線が曖昧な診療所。
ヤツバヤシの名前が絡む時点で、徒党としては慎重にならざるを得なかった。
ミナトは静かに息を吐く。そして、短く言った。
「……続けろ」
レイは淡々と経緯を語る。死体を見つけ、ヤツバヤシから都市の回収ルートを聞かされ、識別タグを打ち込んで金を得る。報酬の受け取りのために口座が必要になる。ハンターになる。
ミナトは無言で聞きながら、わずかに指を動かす。そして、静かに息を吐いた。
「……納得できるかは置いておいて、経緯は分かった」
ミナトは一瞬目を伏せて考える。
「つまり、それは、お前のシノギということだな」
レイは少し眉をひそめる。
「……? 多分な」
ミナトは短く頷く。
「わかった。上には報告しておく」
レイは安堵したように息を吐く。
「ただし――」
ミナトは静かに視線を向ける。
「ゴミ漁りもサボるんじゃねえぞ。それはお前に割り当てた徒党の仕事だ」
レイは無言で目を伏せ、短く答えた。
「……分かってるよ」
◇
ミナトは静かに扉を閉めると、一歩前に進んだ。
「ボス、報告があります」
シジマは無造作に端末を見ながら、軽く視線を向ける。
「聞こう」
ミナトは無駄なく言葉を並べた。
「下っ端のレイがハンターランク10になりました」
シジマの指の動きが止まる。ミナトは続ける。
「また、独自に死体売却のシノギを得ました。ヤツバヤシの伝手だそうです」
一瞬の沈黙。
シジマは短く息を吐き、軽く笑う。
「ヤツバヤシか?」
ミナトは無言で頷いた。
シジマは軽く頭をかきながら、言った。
「……あの旧世界のセンスのやつか」
シジマは端末を閉じ、無造作に座り直す。
「レイは得体の知れないやつだな。どう使う?」
ミナトは短く答えた。
「判断を仰ぎたい」
シジマは少し考え込む。そして淡々と言った。
「どうもこうもねえ。ハンターランク10なんざ至るところにいる」
ミナトは無言で頷く。
「素人同然じゃ使い物にならない。お前が上手く使え」
それは命令ではなく、判断の委譲だった。
ミナトは短く答えた。
「了解」
シジマは沈黙し、わずかに視線を伏せる。考え込むように指を動かしながら、静かに言った。
「……お前はどう見る?」
シジマの問いに、ミナトは一息付き、答える。
「都市のエージェントの可能性があると見ています」
シジマの表情がわずかに変わる。
「エージェント?」
ミナトは淡々と続けた。
「以前報告したDW-X11はレイから入手しました」
シジマは静かに頷く。
「ただ……」
ミナトは軽く眉をひそめる。
「そんな潜入捜査のようなことができるタマじゃない。ちぐはぐだ」
シジマはしばし無言で指を組む。
そして短く言った。
「この件はお前に任せる」
ミナトは静かに息を吐く。
「報告はしろ」
シジマはそこで軽く頭を傾ける。そして、わずかに口元を動かしながら付け加えた。
「使えそうなら使え。危険なら処分しろ」
冷静な命令。何かを決める時、そこに感情は不要だった。
シジマは淡々と続ける。
「価値があるかどうかは、使ってみなければ分からん。だが、危険だと分かれば即座に捨てる。――旧世界の遺物と一緒だ」
ミナトは無言で頷いた。
「了解」
ミナトの報告を聞き終えた後、シジマは無言で端末を指で弾いた。画面の数字が変わる。
徒党の管理データの一覧に、新たな名が加わる。
レイ。
ハンターランク10。
独自のシノギを持つ。
クガマヤマ都市との繋がりを持つ。
シジマは静かに息を吐いた。
(都市のエージェントなわけがねえ)
それは断定できる。スラム育ちの徒党の下っ端が、都市のエージェントとして活動する可能性など、限りなく低い。
だが――
都市のエージェントにスカウトされた可能性はある。
スラムの人間を使うケースは珍しい。だが、都市が情報収集のために下層に入り込むなら、可能性はゼロではない。
シジマは静かに指を組む。
「……この状況、何かに使えるか?」
冷静な思考。徒党の運営に影響を与えるなら、価値を見定めなければならない。
◇
夜のスラムは静かだった。遠くで誰かの話し声が漏れ、微かに足音が響く。
レイは雑多な布を敷き、壁に背を預ける。今日は何も収穫がなかった。
ただのゴミ。ただの瓦礫。
死体すら――見当たらなかった。
「……死体がなかったな」
低く呟いた瞬間、自分でも言葉の異様さに気付いた。
死体がない。それを収穫がない――と認識している自分。
レイは短く息を吐き、苦笑した。
「何を考えてんだ」
知らず知らずのうちに、死体を見つけることが日常になりつつある。妙な感覚だった。だが、考えても仕方がない。
レイは情報端末を取り出した。小さな画面が淡く光る。
ミナトの仕掛けた学習コンテンツが表示される。文字を読むための基本。都市の標準語での書き方。
「……さて」
レイは指を動かし、画面を確認する。
だが、周囲は暗い。照明はない。スラムの路上では、情報端末の光が唯一の灯りだった。
「この環境で学習か……」
僅かに苦笑しながら、画面を見つめる。
数日前まで、レイは何も持っていなかった。ただ、生きるためのゴミ漁りをしていただけ。
だが、今―― 手元には情報端末がある。ハンター証がある。
価値のあるものを保持している。
「……寝床をどうするか」
ふと、その考えが浮かんだ。
このまま路上生活を続けるか。徒党の設備を使うか。宿屋を検討するか。
(金はある。だが、それをどう使うか)
レイは短く息を吐いた。
「考えることが増えたな」
【本日の収支】
- **学習コンテンツを購入** → **-2000オーラム**
【現在の貯蓄】
18650オーラム
「今日は何もなかった」