満月が美しい月夜。
それは最も吸血鬼が狂う時。
ああ、なんて気分が高揚するのだろうか。
丸い月を見るだけでも胸が高鳴る程だ。
「──素晴らしい」
大きな蝙蝠の翼に、妖しく月光に輝く特徴的な金髪の13歳の少女。
屋根の上でただ一人、月にうっとりと酔いしれる吸血鬼。
それがオレだ。
ワイングラスに並々と注がれたそれをうっとりと見つめる。
紅い、液体。
甘くて、美味しくて、何よりも気持ちがいい。
こんな日にはこれを嗜むに限る。
一口含む。
うむ、今日も美味だ。
ああ、夜風が頬にあたって気持ちがいい。
火照った頬が冷やされるのは、なんとも言えない感覚だ。
こんな時間がずっと続いてほしいと思うのは罪なのだろうか、いや、罪ではないだろう。誰だってそう思うから。
と、そんな楽しい一人の時間に、侵入者が乱入してくる。
「──は、はは、見つけた。吸血鬼、それも……」
血走った目の男。
腰には剣をさしており、全身には魔力を纏っている。
纏う魔力の質は上々。中々の実力者だろう。
というか、そもそもこのオレを見つけ出せた時点で、それなりの実力者なのだろうが。なにせここは、魔物が徘徊する危険な森だからね。
「……面白い」
だがしかし、乱入者というのも面白い、というのが正直な感想。
久々にアイツ以外の人間を見た。なんて珍しいのだろうか。
「ふふ、やはりオレは運がいい」
こんなに気持ちのいい夜に、加えて人間まで。
今日はなんとも楽しい日だ。
吸血鬼に、それを打ち倒そうとする人間……これは楽しめそうである。
「殺してやる……」
こちらを殺気交じりににらみつける男。
ああ、怖い怖い。
だが……それがいい、それくらいの方がいい。
なにせ夜は長いのだ。話せる時間は多い方がいい。
だがしかし、これから始まるであろう楽しい時間は、不意に終わりを告げてしまう。
男の後ろから、フードを被った人間が近づいてきたのだ。
「──あ、後ろ」
「は?」
トン
フードを被った人間は、男にかるく首トンを食らわせる。よくアニメとかで出てくるように、男は首を叩かれた瞬間に意識を失ってしまい、地面に倒れこんでしまった。
うむ……これは酷い。抗議しなければ。
「ねぇ、せっかく犬養毅ロールプレイしようと楽しみにしてたのに、流石に首トンするのは酷いと思う」
「──この大バカ者、何の真似をしているのかは知らんが夜にこっそり抜け出してブドウジュースをちびちび飲むのはやめろ、虫歯になる」
あ、無視された。
そう言ってフードを下ろすと、そこには先ほどの男と同じ”人間“が。
それは,老けた人間だった。
顔にはしわが多く、白髪が目立つ。
そんな老人は、しかりつけるような表情でオレの方に近づいてくる。
そうして、老体であるくせに軽やかに屋根の上に上ってくると、オレの頭をこつんと叩いた。
「あぎゃ」
「コラ、また躊躇ったな。いつも言っているだろう?身の危険が差し迫ったときは躊躇いなく力を振るえ、と教えているハズなんだがな」
「えー、だってせっかくの人間だよ?今夜は月がきれいですねー、とか楽しいお話がしたかったんだけど」
「はぁ、お前は吸血鬼なんだぞ?人間と対話できる訳がない」
「……いやいや、お父さんとは会話できてるよ?」
「はぁ、それは特殊な例だ。そんな例、そうそう存在しない」
その老人は、やれやれという顔でこちらを見た。
▽▲▽▲
オレは転生者だ。
前世では、そこそこの大学を卒業し、そこそこの企業に勤め、そこそこの給料を受け取り、生涯独身だった男だ。まぁ、独身生活で調子に乗って食生活がクソみたいな事になってたから若くしてあっけなくガンで死んだけど。いやー、動画サイトとかで見る爆食いの人たちって凄いよね。よくあれで死なないものだと思うよ。マジで。
とまぁ、そんな事はさておき気づいたらこの世界に転生していた。
それも、吸血鬼の赤ん坊に。
……いや、メスの方だから吸血”姫”の方が正しいのかもしれないけど。
そう、オレは気づいたらこの世界にTS金髪美少女系吸血姫として転生していた訳だ。
さて、ここで重要なのは”魔物として”この世界に転生した事。
魔物とは何なのか。簡単に説明すると、人類に敵対する化け物、と言えばいいかな。
そして、吸血鬼とはそんな魔物の一種である。
多くの創作物に出てくるそれと同じように、人間を殺し、死体から血を啜る魔物だ。まぁ、創作物と大きく異なる点もあって、それは別に日光に弱くないという点。そもそも陸上生物なんだから日光に弱かったらダメでしょ、って感じでしっぽり日中でも普通に活動できたりする。
まぁ、よく考えてみたら当たり前か。日光に弱いだなんてよくよく考えてみたら生命として欠陥すぎるからね。うん、当たり前だね。
とまぁ、そんなことはさておき、そんな吸血鬼に転生した訳なのだが、一つここで問題がある。
前世で暴力とは無関係の世界でぬくぬく育ってきたジャパニーズがいきなり、”人間ぶっ殺しまくって血を吸いまくるぜえええええ!!!”な魔物に転生したらどうなると思う?
正解は、”流石に人間ぶっ殺せないっす(泣き)”、だ。
いや、流石にこればっかりは仕方がないと思う。だって牛を絞めることすらできない小心者なのに、ましてや人間を殺す事なんてできるわけがないに決まっている。
しかし、普通の吸血鬼からするとそれはあまりにも異常な思考だったらしい。
あっさりと異常者として同族から追放され、今世でのパピーとマミーから見放されることとなった。そうして、一人ぼっちになった訳だ、オレは。
当然だが、人間から見たら吸血鬼は討伐対象だ。
同族にも頼れず、人間にも頼れない。
真の意味で、ボッチとなった訳である。
やったね、クソが。
さらには、吸血鬼は人間の血液を栄養とする生き物だ。それ以外の食べ物は基本的に消化できず、嗜好品として楽しむことは出来ても、栄養として吸収することが出来ない。
人間を狩ることも出来ず、さらに同族から追放までされたら、もはや死んだも同然。生血を得ることも出来ず、さらにはまだ当時のオレはまだよちよち歩くことしか出来ない5歳であったため、そのまま野たれ死ぬ運命を受け入れるしかなかった。
いやー、流石に今世ハードモードすぎませんか?いや、ルナティックかもしれない。こんなのクソゲーだ。やってられん。
いや、さ。普通、こういうのってさ、異世界テンプレ的には追放ありがとうってなる物だと思うんだけど、なぜかオレの場合は洒落にならないんだが。おかしいな。もしかして転生する世界間違えた?
しかして、偶然か運命か、路頭に迷っていたオレはたまたまとある男に出会う。
雨が激しいその日、水にぬれあまりの寒さに身を震わしていたオレの前に、あの人は現れた。白髪が目立つ、人間の老人だった。
オレは魔物だ。
人間はオレを見ると、容赦なく殺そうとするから、その時は死んだかと思った。
だがしかし、どういう訳かその老人はどういう訳かオレを抱きかかえ家まで連れて行った。
その後はなぜか、その老人──後でわかったんだけどウィンドって名前らしい──に娘として育てられることになり、今につながるのである。いや、本当になんで連れられてきたんだろうね。これが分からない……。
▽▲▽▲
「ふん、全くこの失礼な男め。愛しの娘に傷をつけようだなんて百年早いわ」
憎たらしそうに気絶した男の方を睨んでいる。
相当怒り心頭なのだろう、こめかみには青筋が浮かんでいる。
あーあ、また始まったかも……。
この人一回キレると結構めんどくさいんだよね。
「いや、別に傷つけられてはないけど……」
「いーや。傷つけようとした時点で許せん。俺の娘に一つでも傷がつけられてみろ、世界を滅ぼしてしまうかもしれない……」
わなわなと手を震わせるふりをするウィンド。
「あの、元勇者がそれを言ったら洒落にならないと思うんだけど」
「ははは、マジで滅ぼすつもりだぞ?」
「……あの、冗談もほどほどにしてほしいです」
そんな感じで、気絶した冒険者の真横でそんな会話をするオレたち。
傍から見たら人間と吸血鬼が楽しそうに会話しているように見えるだろう。
きっと、第三者からは異常な光景なんだろうね。
でも、これもオレたちの日常の一コマだ。
「なあ、ネスレ。お前は人間が嫌いか?」
ネスレ、とオレの名前が呼ばれる。
「ん?どうしてそんなことを聞くの、お父さん」
「いや、さっきみたいに人間はネスレを襲おうとするからな。ネスレは人間の事が嫌いなのかと思って」
「うーん、まぁ、別に嫌いじゃないよ。いや、むしろ好きかもしれない」
手を繋ぎながら、ウィンドと家を目指す。
傍から見たら、祖父が孫の手を引いているかのように見えるだろう。
まぁ、実際にそうなんだけどね。
オレはウィンドの娘なのだ。
もともとオレは成人した大人だった。
だから、最初こそこうして手を繋ぐことすら恥ずかしかった。
だけど8年も一緒に過ごしたことにより今ではすっかりウィンドの娘として振舞うことに慣れたし、恥ずかしさもなくなってしまった。いやはや、人間の慣れというのは恐ろしい。
「……そうか、ネスレは人間が好きなのか。でもな、言わせてくれ。俺はお前に戦い方を教えていないわけじゃない。いざってときは躊躇いなく自分の身を守ってほしいんだ」
「……はいはい」
「人間を傷つけたくないという気持ちは分かる。だが、俺は何よりもお前の事を愛しているんだ。だから、お前が傷つくのは悲しい」
「……うん」
「ネスレ、お前はすこぶる微妙な立ち位置だ。なまじっか俺などという人間に育てられたせいで吸血鬼として生きていくことも出来ず、かといって人間として生きていくことも出来ない」
ウィンドは悲しそうな顔をした。
「……お前には一人で生きていけるようになってほしい」
「うん、分かった」
まぁ、ウィンドが言わんとすることも分からないわけじゃない。
オレはこの世界ではすこぶる微妙な立ち位置なのだ。
どこの陣営にも所属できないし、どこまで行っても一人ぼっち。
そんなオレの身を案じてくれているのだろう。
「はぁ、分かったならよろしい──」
と、その時だった。
グギュルルルル
オレの腹の音が盛大に鳴った。
「腹が減ったか」
「うん、森の中を歩いてるとお腹が減るんだ」
やれやれ、という顔をするとウィンドは言った。
「お前も13で成長期に入った。いやはや、子供の成長期というのは恐ろしい。すぐに腹が減るな」
そうぶつくさと言いながら、オレの手を引き体に近づけた。
「吸いなさい、だが、俺も老体だから加減はしてくれ」
「分かった」
ゆっくりと抱き着き、首筋に口を近づける。
吐息が首にかかった。
人間の肌がすぐそこに。
吸血鬼としての本能がくすぐられる。
食欲とは別の、肉欲なる欲求がくすぐられる不思議な感覚。
吸血鬼として13年生きてきたが、未だにこれにはなれない。
おもむろに牙を首筋に挿す。
血を啜った。
相変わらず気持ちがよかった。
「おい、また顔が恍惚としてるぞ」
「えあ?」
吸血中の吸血鬼は、たいてい理性を失う。
オレもその例外ではなく、ちゃんと理性を失う。
それをしている時は快楽に全身が支配され、顔が無意識のうちに快楽に歪んでしまうのだ。
そんなオレの様子が面白かったのか、ウィンドは頭をごしごし撫でてきた。
「ちょっと、吸血中だから、あんまり、ゆらさないで」
「はは、別に少しぐらいいだろう。可愛い娘だ。頭をなでるくらい親の特権だろう」
いや、本当にやめてもらいたい。
吸血中に頭を撫でられると本当に吸いづらい。
というか子ども扱いされるのも、微妙にくすぐったいのだ。
ウィンドの方を見ると、なんとも嬉しい顔をしていた。
……でもまぁ、こういうのも嫌いではないかもしれないけどね。
ウィンドの顔を見てしまったせいで、そう思わざるを得なかった。卑怯である。