ウィンドはかつて勇者であった。
数々の魔王種を討伐し、かつての全盛期であった頃は、この大陸で彼の名を知らぬものはいない程の名声を恣にしていた。そして、冒険者と呼ばれる魔物を討伐し金を得る連中が、喉から手が出るほど欲してやまない”勇者”という称号を冠していたのである。
そして、同時に彼は強面であり無骨な男であったため、かなり怖い印象を見る者に与える。そのため、かつての仲間からは良くも悪くも恐れられ、同時に尊敬もされていたのだ。
きっと多くの人間が、彼の事を無骨で、魔物との闘いしか興味のない男だと思っていただろう。というか、実際に思っていた。
一体、彼らが今のウィンド見たらどんな反応をするだろうか。
背中から蝙蝠の生えた、いささか人間と呼ぶには相応しくないそれに対し、デレデレと溺愛しているウィンド。恐らくだが、かつての仲間たちはそんなウィンドを見て目を真ん丸にすることだろう。あの勇者ウィンドが、ここまでデレデレになるものなのか、と。
なにせ強面で有名なあのウィンドだ。もしもそんな彼の様子を見たら仲間たちも驚くに決まっている。尤も、ウィンドはそんな事お構いなしに驚く皆に、デレデレと娘の自慢を始めることだろう。親バカ極まりない、と言えば微笑ましいのかもしれない。
とまぁ、そんな吸血鬼の娘を愛してやまないウィンドであったが、最近一つの悩みを抱えていた。
それは、最近娘に成長期が来てしまった事。
人間の少女が10歳ごろから第二次性徴が始まるように、吸血鬼にも成長期と言うのはある。今のネスレは13歳であるため、かなり遅い成長期ではあるのだが、それでも最近になって急激に来たのだ。
かつてウィンドの膝までしかなかったネスレも、今では見違えるように身長も伸びてきた。それだけでなく、乳房も豊かに成長してきており最近では着ている服が苦しくなったと言い出したではないか。思わずウィンドも面食らい、慌てふためいてしまった。
ウィンドはネスレを除いて、娘と言うのを育てたことがない。いや、そもそも子供と言うのに接した事すらなかった。だからこそ何も分からぬ彼は、少女用の服を用意しておらず、普段ネスレには男物を着させてしまっていたのだ。
しかし、体が成長するにつれ男物はネスレには合わなくなってしまった。
下着を含め、体に合った物を買わなければならないのだ。
その日、ウィンドは森の近くの”ハイブ”という街を訪れていた。
「うーん、なんだこれは……女子って言うのはこういうのを着る物なのか……?」
眉間にしわを寄せ、一人でブラジャーを手に取る強面の老人。
文面だけ見れば不審者そのものである。
だが実際には、ネスレに着せる下着を探しているだけ。勿論、ネスレは吸血鬼であるため、このような街には入れない。そのためウィンドは彼女を家に一人置いて街に繰り出していたのだ。
「へえ、娘さんですかな?」
難しそうな顔をするウィンドに、屋台の店主が話しかけた。
「ああ、娘に買うんだ。最近、胸が大きくなってきたらしくてな、その、乳首がこすれて痛いらしいんだ……だからいい加減娘にも下着と言うのを買ってやりたくてな」
「なるほどなるほど……そういう訳ですか……」
「俺が女の趣味と言うのに疎いせいで、どんなものを買ってやったらいいのか分からないんだ」
じっと見つめる先には、様々なデザインの下着が。
闘いしか知らない男にとっては全くの未知の世界。
どれを買えばいいのかなんて、さっぱり分からなかった。
そんなウィンドの様子を見て、店主はアドバイスをすることにする。
「……娘さんも多感な時期なのでしょう。きっと恋愛と言うものに興味が出始める時期……ならばこういうのはいかがでしょう」
「うん?」
そういって店主が取り出したのは、なかなかに過激なデザインのそれ。
布地面積が極めて少なく、明らかに隠す気がない。いや、むしろ見せようとしているのだろうか。
当然、ウィンドはそれを見てムッとする。
「おいおい、こんなもの娘に着せられる訳がないだろ」
だがしかし、店主は自信満々な様子。
「いやはや、お客様はお分かりになられていない」
「……は?」
「少女、というのは父親の目を盗んで恋愛にうつつを抜かすものと相場が決まっているのです」
「はぁ?」
「好きな相手のために良い下着を身に着けようとするのは自然な発想。お客様はご抵抗を抱かれるかもしれませんが、そこは我慢すべきです」
「なるほど(?)」
店主の主張というのは、なかなかに説得力のある物。
なぜか、ウィンドは思わず納得させられてしまったのだ。
「なるほど、分かった。この下着をくれ」
「いい決断です。娘さんも喜んでくれることでしょう」
「ふふふ、あいつが喜んでくれると嬉しいんだがな」
真面目そうな顔をしているが実際には、どちらもバカなのではあるが。
だが、当事者である彼らにしてみれば真剣も真剣。自分たちがバカなことをしている自覚など抱きようもなかった。
▽▲▽▲
同時刻
その日は、ウィンドは街に出かけてしまっていて一人ぼっちだった。
森の奥の丸太小屋にオレたちは暮らしているのだが、ウィンドが出かけてしまったせいで家の中にはオレ一人。
一人と言うのには慣れているが、それでも暇であることには変わらない。
あー、暇だ。
ひまひまひまー。
うーむ、ならば家には居ていられん。
なんて感じで暇だったので、いつものように森に繰り出し、遊んでいた。
まぁ、いつもの流れだ。
オレは吸血姫で、人間とは一緒にいられないから街には出られないし、ウィンド以外に話し相手もいない。だから、こうやっていつも森に出かけて一人で遊んでいるのだ。まぁ、森の中には危険な魔物がうろついたりしているけど、その辺は問題なし。
ウィンドにいろいろ仕込まれたおかげで、その辺の魔物くらいなら簡単に屠れるのだ。
……まぁ、この段階まで来るのはかなりキツかったけど。
だいたい護身の術は5年をかけてみっちりと仕込まれたから、このくらいできて当たり前と言えばそうなんだけどね。
とまぁ、そんなことはさておいて森での遊び方は無限大だ。
虫と戯れるのもよし、鳥を捕まえるのもよし、好きに駆けるのもよし。
何をするのも自由だ。
だが、数ある遊びの中でも一際気に入っている物がある。
それはオレが今やっているように自分の体に身体強化を施して、パルクールの要領で森を跳び回る事。この世界には魔力なんてものがあるから、やろうと思えばたいていのことはなんだってやれる。
10メートルくらい跳ぶことだって出来るし、岩を片手で持ち上げることも出来る。
なんだって自由にできるのだ。
前世にはスマホなどと言う最高の娯楽があったが、この遊びはそれに匹敵、いや、上回るほどのアドレナリンを得ることが出来るのだ。何といえばいいだろうか、ずっとジェットコースターに乗っている感覚?うーん、それだとあんまり楽しさが伝わらないな。
でもまぁ、この遊びが滅茶苦茶楽しいと言うのはだけは分かってもらいたい。
ドゥーユーアンダースタン?
ヒュウウウウゥゥゥ
甲高い風の音が耳をつんざく。
風が顔に当たって何とも気持ちがいい。
岩を蹴り、木の枝を蹴り、好きなように駆ける。
最高の気分だ。
今だけはこの、無駄に強い吸血鬼の体に感謝したいね。
「ん、なんだ?」
と、その時、何かが視界の端を通り過ぎたことに気づく。
動物とは違う、黒い何かを身にまとったそれ。
気になったので遠目にそちらの方をジッと見てみると、そこには人間が倒れていた。そして、その周りには四足歩行の魔物たちが群がっている。
──オレと同じ吸血鬼だ。
狩りでもしていたのだろうか。
恐らく、今は獲物を捕まえ生血を啜ろうとしているところだろう。
このまま放置していたらあの人間は死んでしまう。
流石にそれを放置するのは心が痛んだので、そちらの方へ急いで向かってみる。
獲物を捕まえ高揚している吸血鬼たち。
そんなところにいきなり、見知らぬ同族が現れる。
明らかに群れに所属する者ではない。
向こうからしてみればよそ者だろう。
「「「キキキ」」」
威嚇するかのように舌を鳴らす吸血鬼たち。
何を言っているのか分からないが、きっとさっさと去れとでも言っているのだろう。
「そうか、なら力で解決することにしよう」
人間を見放すことは出来ない。
なら、力ずくで解決あるのみ。
腰を低く落とし、拳を握った。
オレが臨戦態勢に移ったことを悟ったのだろう、吸血鬼たちもすぐさま戦闘態勢に移った。目の前に現れた邪魔者を屠るために。
「ギギギギ!!!」
吸血鬼たちは一斉に襲い掛かってきた。
1対多数。それも同じ種族であるためアドバンテージはなし。
だがしかし、そんな数だけではオレは倒せない。
「ふんッ!」
スローモーションで迫りくる吸血鬼たち。
身体強化は、単に身体機能を向上させるだけのものではない。
脳の知覚速度を速めることも出来るのだ。
限りなく研ぎ澄まされた感覚。
幾重にも施された身体強化。
それに加えて拳に、紅い霧のようなものが纏わりつかせる。
──吸血鬼の固有能力だ。
「【紅霧】」
自身の血を抽出し、拳の周りに霧として纏わりつかせる。
侵蝕効果があるそれを、吸血鬼たちの顔面に叩き込んでいく。
飛び散る血しぶき。
しかして、決して死に至ることはない。
オレは誰かを殺したりするのが嫌いなのだ。
たとえそれが魔物であろうと、絶対に殺さない。
だから、気絶するかしないかのギリギリのラインの打撃を加えた。
そうして、次々と吸血鬼たちを何もさせないままノックアウトしていき、最後の一匹を倒したとき、地面には血の花が描かれていた。
「あー、疲れた……」
さて、吸血鬼も倒したことなんだけど……。
チラリと気絶した人間の方を見てみる。
「うーん、生きてるといいんだけど……」
人間は、男だった。
頭は禿げており、なんとも胡散臭そうな顔をしている。
だがしかし、禿げているからと言う理由で見捨てるなんてことはしない。
「おーい、おきろー」
ぺちぺちと頬を叩いてみるが、一向に起きる気配はなし。
だがしかし、胸に耳を当ててみると確かに心臓の鼓動が聞こえてきたため、まだ生きているのだろう。というか、特にこれと言ったケガも見当たらないから、ただ単にショックで気絶しただけっぽい。
「……はぁ、連れて帰るか」
このまま放置していてもすぐに別の魔物がこの男を食らおうとやってくるだろう。仕方がないので、背中に担いで家に連れて帰ることにした。