ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
翌朝
まだ肌寒い春の空気に包まれた住宅街を、二つの影が並んで歩いていた。
楽と千棘。
どこから見ても、仲睦まじいカップルの通学風景。
しかし、話の内容は他者からは全く想像のつかないものだった
楽「……もう一度、整理するぞ?」
千棘「はぁ、何回目よ……」
楽は真剣な表情で、並んで歩きながら言葉を紡ぐ。
楽「お前がちゃんと理解してるか心配なんだよ。いいか? 学校では今まで通り、俺たちはカップルってことで通す。それに加えて、俺は小野寺とは付き合ってないことになってる。あくまで公には、な」
千棘は鼻でふんっと笑いながら、気怠そうに応じた。
千棘「はいはい。二股の噂を回避のためね」
楽「……で、ここが一番大事。親しい友達にも、誰にも言わないでほしい。俺と小野寺が本当に付き合ってるってこと。頼む」
その言葉に、千棘はぴたりと足を止めた。
朝の、静かな空気を切るように。
千棘「……それはいいけどさ。アンタ、さっきから聞いてりゃ……本気なの? それ」
楽「え……?な、なにが?」
千棘「小咲ちゃんとは本物の恋人なんでしょ? それなのに、付き合ってないフリをさせるの? 私は偽の恋人で、堂々と一緒に通学して、彼女扱いされるのに」
そのまっすぐな視線に、楽は思わず言葉を詰まらせた。
千棘「そんな扱い受けて、小咲ちゃん、ほんとに幸せ? それでほんとに、彼女だって言えるの?」
楽は黙ったまま、小石をつま先で蹴る。
ぽつりと、絞るように言葉が落ちる。
楽「……じゃあ、どうしたらいい?」
千棘「いやいや、知らないわよ。自分で考えなさい。
……小咲ちゃんが、アンタの約束の女の子なんでしょ?」
楽「……考えたさ。何度も、何度も」
俯いたまま、楽は言葉を重ねた。
楽「でも、これしか浮かばなかった。もし、“俺と小野寺が付き合ってる”ってことが広まったら、小野寺が恋人を奪った女として、悪者にされるかもしれない。それだけは、絶対に避けたいんだ」
千棘「……」
千棘は何も言わず、目を伏せた。
そして、ため息をひとつ吐くと、無言で歩き出した。
楽も遅れてその後ろを追う。
ふたりの間には、冷たい朝の風が流れていた。
そして、学校の門の前。
チャイムの音が、微かに聞こえはじめる。
そんな中、ふたりの前に現れたのは、制服姿の小野寺小咲だった。
小咲「あっ……い、一条くん……! お、おはよう……///」
小さな声。
でも、胸いっぱいの勇気を込めた、まっすぐな挨拶だった。
楽「お、おう。……おはよう、小野寺」
ほんの一瞬、ぎこちない間が流れる。
それは初めて、恋人として交わした朝の挨拶だった。
千棘「小咲ちゃん、おはよ〜!」
元気よく声をかける千棘。
その笑顔は、ぱっと見にはいつも通りだけれど――
小咲には、ほんの少しだけ、そこに漂う空気の違いがわかってしまった。
小咲「千棘ちゃん、おはよう! ……あ、あの……千棘ちゃん、わたし、ね……」
制服の袖を指先でいじりながら、そわそわと切り出す。
楽「大丈夫だよ、小野寺。全部、こいつには説明して納得してもらってる。だから、変な気使わなくていいぜ」
小咲「そ、そうなんだ……よかった……。……あの、ご、ごめんね……? なんだか、わたし……略奪みたいな形になっちゃって……」
千棘「え!? な、なに言ってるの!? 全然大丈夫というか気にしてないというか……! 私はこんな奴なんとも……ねぇ?! そもそもお互いに好きじゃないからね?! どちらかというと嫌いだし?!」
思わず大声を上げる千棘。
その勢いに、小咲はちょこんと肩をすくめる。
小咲「……そ、そっか(うぅ……でも、そうは見えないんだけどなぁ……)」
楽「でも、小野寺……。俺からも、お願いがある」
小咲「……?」
顔を上げた小咲に、楽は真剣なまなざしで続けた。
楽「……学校では、俺たちは付き合ってないフリをしてくれないか?」
言った瞬間、小咲のまぶたが小さく震えた。
けれど、数秒の沈黙のあと。
小咲は、ふっと目を伏せ、
そして――やさしく微笑んだ。
小咲「……うん。大丈夫だよ」
小咲は小さく笑いながら、真っ直ぐに言った。
小咲「昨日ね。お風呂に浸かりながら、たくさん考えたんだ。何があっても、私は絶対に一条くんと離れないって。どんな形でも、一条くんのそばにいられるなら、わたし……それでいいの。付き合ってないフリをするのも想定内だったから」
楽「すまねえ……朝会って開口一番にこんな話……」
小咲「ううん、大丈夫。だって表向きは千棘ちゃんと付き合ってるのに、わたしとばかり一緒にいたら、そんなの不自然だもんね。ちゃんと理解してるし、覚悟もしてるんだ」
その言葉に、楽は思わず息を呑んだ。
千棘(……すご……小咲ちゃん、本当に……全部、受け止めるつもりなんだ)
柔らかく、でも確かな覚悟を宿した笑顔。
それが、小咲の本気の恋の証だった。
小咲(大丈夫。……やっていけるから)
彼のために。ふたりの未来のために。
小咲(学校ではただのクラスメイト……)
小咲(でも、心ではちゃんと、つながってるんだもん)
制服のスカートの裾をぎゅっと握りしめながら、小咲は自分にそう言い聞かせた。
だって、今日こうして――
彼と朝の挨拶をして。
彼が自分だけに向けたまなざしで微笑んでくれて。
それだけで、胸がいっぱいで、溢れそうで。
小咲(それだけでも、十分に幸せだよ)
渡り廊下。
楽と千棘は自然に並んで歩き、小咲は一歩だけ後ろから、それを追いかけるように歩いていた。
しかし、楽と千棘は目を合わせない。
その不穏そうな空気を見た生徒が少しざわつき始める。
千棘(やば……めちゃくちゃ態度に出てたかも)
ふと、千棘がわざとらしく楽に向き直る。
千棘「ねえ、ダーリン? 今日放課後どうするぅ〜?」
軽い冗談めかして、ひらひらと手を振る千棘。
楽「あ、ああ〜そうだな! とりあえずマックでも寄るか?(やべ、小野寺のこと考えてて完全にカップル設定忘れてた)」
千棘「ええ〜またマックぅ?でもダーリンとならどこでもいいよぉ〜(はぁ…どうでもよ。どうせ行かないのに)」
クラスメイトたちは、そのやり取りを笑いながら見守る。
生徒1「マジでラブラブじゃん!」
生徒2「お似合い〜!」
小咲は、それを少し離れた位置で見ていた。
目元に、ほんのりと切なさを浮かべながら。
小咲(……うん。こうしてるのが、一番だよね)
たとえ、隣に立てなくても。
彼女はもう、知っている。
彼が自分を想ってくれていることを。
小咲(だから――我慢できる。わたし、ちゃんと、頑張れる)
教室。
朝のざわめきの中、小咲は自分の席についた。
ノートを机に出して、教科書を揃え、いつも通りに、準備を進めながら。
ときどき、そっと、窓際の席の楽を盗み見た。
楽は、千棘とふざけあっている。
世間から見たらいつもと変わらない日常。
でも小咲の中では全く別物の世界。
小咲(……一条くん、わたしのほう向いてくれるかな)
心の中でつぶやく。
そして、思いが通じたのか、楽がふとこちらを見た。
小咲「……!」
一瞬、びくっとして視線を逸らしそうになったが、どうにか留まる。
楽は、ほんの一瞬だけ、誰にも見えないような角度で、そっと、微笑んだ。
あたたかく、やさしい、たった一人だけに向けた、特別な微笑み。
小咲(……あ……嬉しくて死にそう///)
胸の奥が、ぎゅうっと締め付けられる。
制服の胸元を、そっと押さえる。
心臓が、どくどくと跳ねている。
小咲(一条くんはいつも通り振る舞ってるけど、ちゃんと見てくれてる。それが伝わった。だから、わたし、頑張れる!)
小咲(この先、どんなに苦しくても、絶対に負けないから)
チャイムが鳴る。
新しい一日が、始まる。
だけど、小咲にとっては秘密の恋が始まる朝でもあった。
目を閉じて、小さく深呼吸。
そして、ゆっくりと目を開けた。
その瞳には、確かに未来へ続く光が宿っていた。