ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
夜の旅館。
ほの暗い廊下に、柔らかな行燈の光がぽつぽつと灯る。
温泉から上がった生徒たちは、みんな浴衣姿に着替えて、思い思いに自由時間を満喫していた。
縁側に腰かけてアイスを食べる女子たち。
ロビーの隅でトランプに興じる男子グループ。
あちこちから、笑い声と、時折はしゃぐ声が弾ける。
まるで修学旅行みたいな、浮かれた夜。
楽も、その一人だった。
浴衣の胸元を少しだけはだけさせながら、旅館の長い廊下を、落ち着かない様子でうろうろ歩く。
楽「……小野寺、どこだろ」
きょろきょろと周囲を見回す。
楽「温泉出たら、少し話そうって言ったのに……どこで待ち合わせするか、決めてなかった……。俺はバカか……!」
手ぬぐいをぎゅっと握りしめながら、自分にツッコミを入れる。
ふわっと、夜風が廊下をすべり抜け、
浴衣のすそを揺らした。
楽(少し離れただけなのにもう恋しいぜ……早く会いたいな、小野寺に……)
そんなことをぼんやり思った、その時ーー
ぽんっ。
肩を軽く叩かれた。
楽「うぉあっ!?!?」
飛び跳ねるように振り返ると――そこに立っていたのは、長い髪をきゅっとまとめ、ピンク色の浴衣を纏った千棘だった。
月明かりに浮かび上がったその姿は、いつものギャングの娘とは思えないほど、しっとりとして見えた。
楽「て、千棘かよ……! なんか用か?」
千棘「……へぇぇ、そんな露骨に残念そうな顔されると、かえって清々しいわね……?」
細く目をすぼめて、ちょっとだけむくれた表情。
楽「いや、そんなつもりじゃ……」
焦って手を振る楽に、千棘は手持ち無沙汰そうに浴衣の袖をいじった。
千棘「ま、いいわ。……ちょっと、話さない?」
楽「……ん、ああ。ちょっとなら」
二人は、廊下を少し歩いて、外に面した縁側に腰を下ろした。
そこは、月がよく見える静かな場所だった。
外からは虫の音が風に乗って運ばれてくる。
夜空には、澄んだ星と、丸い月。
楽(……意外と、悪くないな)
そんなふうに思った矢先。
千棘「さっき、小咲ちゃんと温泉で話したの。順調みたいね。本物の彼女とは」
どこか皮肉めいた言い方をする千棘。
楽「……ああ。おかげさまでな」
楽(すまん……実際は、後ろでずっと聞いてたけどな)
苦笑いを浮かべながら、楽はうなずく。
千棘は膝を抱えるようにして座りながら、静かに続けた。
千棘「……あの子、すごいね。アンタの話になると、目に力が宿るっていうか……“この人を信じてる”って顔、してる。そこまで誰かを好きになれるって……素直に、羨ましいなって思っちゃった」
ぽつりと、零れる本音。
楽は、驚いた顔で千棘を見た。
千棘がこんなに素直な言葉を口にするのは、珍しかったからだ。
楽「……へぇ〜? あらあら、あなたにもここに素敵なダーリンがいるじゃあ、ありませんか〜?」
わざと軽口を叩いて、冗談っぽく場を和ませる楽。
千棘「ふふ……そうだったわね」
にっこりと微笑む千棘。
でもその笑顔は、どこか空々しくて、心の奥に触れないように、上手にできた作り笑いだった。
楽(あれ……突っ込んでこなかった……?)
内心、不思議に思いながらも、楽は黙って聞いていた。
千棘「とにかく。小咲ちゃんの気持ち、ちゃんと大切にしてあげて。あんないい子、泣かせるようなことがあったら、たぶんアンタ、誰かに刺されるわよ?」
楽「へいへい……肝に銘じときますよ」
少し茶化しながら答える楽に、千棘は「ふん」と鼻を鳴らして立ち上がった。
月明かりに照らされたその浴衣姿は、どこか、寂しそうだった。
千棘は縁側からすたすたと数歩歩き出し、楽は、その後ろ姿をなんとなく目で追う。
楽(……やっぱ、今日の千棘、ちょっと変だよな。腹でも減ってんのか……?)
そう思った、その瞬間。
ガンッ!!!!!!
乾いた鈍い音が、夜の静寂を破った。
楽「うわっ!?!?」
何事かと目を見開く楽。
目の前で起きていたのは――振り返るでもなく、千棘が、旅館の木の柱に向かって、本気の頭突きをかましている光景だった。
木の壁が、みしみしと震える。
千棘「……っ!!」
額を押さえながら、千棘は顔をしかめる。
千棘(なにやってんのよ私っ!!!!!)
千棘(なんで素直に「このまま少し歩かない?」とか、言えなかったの!? 空、綺麗だねって、ただそれだけでもよかったじゃん!!!)
千棘(なに冷静キャラ気取ってんのよ!? 逆にださいっつーの!!?)
千棘(あああああ……ほんっと、自分が嫌になる!!!!!)
千棘(……って、え、ちょっと待って。なんで私、楽ともっと話したいって思ったの?)
千棘(なんで、「まだ一緒にいたい」って思ったの……?)
手でぐしゃぐしゃに髪をかきむしりながら、千棘は顔を真っ赤にして、心の中で絶叫していた。
千棘(ま、まさか……私……)
千棘(いやいやいやいやいやいや!!!)
千棘(ありえないありえないありえない!!!)
千棘(私は、そういうんじゃない!!!)
千棘(じゃあ、なんでこんなこと考えてるの?! 私、頭おかしくなった!?!? 温泉でのぼせて、ついに頭壊れた!?!?!? ねえ、死ぬの!?!)
千棘(あー!!もう!!!今すぐ地面にめり込みたい!! もぐらとして生きていきたい! 今後一生!!)
必死に自分に言い聞かせながら、千棘は、頭を冷やすように(というかぶつけた頭を押さえながら)早足で廊下を駆けていった。
楽は、ぽかんと口を開けて、遠ざかる千棘の背中を見送った。
楽「……な、なにやってんだ、アイツ……ま、まあ……元気そうで、何より……なのか?」
夜の風が、ふわりと吹き抜けた。
月は、静かに煌々と輝いていた。