ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
放課後――帰り道
茜色の空がゆっくりと藍に染まりはじめていた。
校門を出て、まばらになった通学路を、千棘は一人歩いていた。
風が少し冷たくなってきた春の夕暮れ。制服の袖を握りながら、彼女はふっと小さく息を吐く。
千棘「なんか最近……ずっと、外側にいる感じ。“公認カップル”なのに、気づけば私は蚊帳の外。……んで、あの転校生。自分のこと“許嫁”だとか言ってるし。あのバカもバカで……なんかまんざらでもなさそうな顔してさ。ほんと、チャラい男……」
??「――悪かったな、チャラい男で」
声がした。
一瞬、鼓動が跳ね上がる。
千棘「ぃえええっ?! な、な、な、なに?! いつからいたのっ?!」
振り返れば、ほんの数歩後ろに楽がいた。片手でポケットをまさぐりながら、煮え切らない表情。だが、どこか気にしているような目だった。
楽「今さっき来たとこ。お前が歩いてるの見えて、声かけただけだっての」
千棘「……ふうん。わざわざ駆け寄ってきたんだ?
もしかして、そんなに私と話したかったとか?これはこれは……光栄なことだわねぇ」
楽「はぁ? なんだよ……ムカつくなぁ、お前」
千棘「はいはい。どうせ私は、あの橘万里花とかいう高飛車お嬢様の言う通り、“野蛮で暴力的で育ちの悪いゴリラ”ですよ」
楽「……ああ、そうだな」
千棘「いや少しはフォローしてよ?! 泣くよ!? マジで!」
振り返った千棘が、半ば本気で目尻を潤ませて抗議する。
楽は少しだけ肩をすくめて、ため息をついた。
楽「確かにお前は暴力的で、言葉も荒いけど……いいところ、ちゃんと俺はわかってるよ」
その一言が、何より不意打ちだった。
冗談のつもりで投げた自虐が、急に真っすぐ返されて、千棘は言葉をなくす。
千棘「……なによ、それ。急にそういうの、ずるいわ……」
口をとがらせながら、前を向いて歩き出す。
並んで歩く二人の影が、細長く伸びていた。
楽「ま、何がいいのかって言われると……俺にも上手く説明はできねーけどな」
千棘「……うーん、顔? あと、スタイル?」
楽「どんだけ自信過剰だよ」
千棘「いやいや、わたし、普通にモテるからね!? この前もね、廊下で――」
楽「はいはい。……でもな、教室ではあんまり橘と揉めんなよ」
声が少しだけトーンを落とした。
千棘もその変化にすぐ気づく。
楽「小野寺の顔、見てただろ? 引きつってた。あの子、繊細だからさ。ああいうピリついた雰囲気見せられると、気まずいっていうか、何も言えなくなるんだよ」
数秒の沈黙。
千棘は立ち止まり、楽の顔を見ずに呟いた。
千棘「……なーんだ。珍しく私に話しかけてきたと思ったら、結局、小咲ちゃんの話なんだ」
楽「は? 別にそれだけじゃないけど」
千棘「いいって、いいって。どうせ私は“偽物”なんだから。あの子と違って、最初から“嘘”の関係でしょ、私たち」
楽は言葉を詰まらせ、それからふっと息を吐いた。
楽「……お前さ、そうやって自分のこと“偽物”“偽物”って、自分で下げるのやめろよ」
千棘「……だって事実じゃん」
楽「俺はそんなこと、考えながら話しかけたわけじゃない。お前がそうやって何でも突っぱねてくるから、こういう雰囲気になるんじゃん。俺はただ――純粋に声かけたかっただけなんだよ。話したかっただけ。そこに偽物も本物もない。それじゃダメなの?」
その言葉に、千棘の横顔がわずかに震える。
それが、嬉しさなのか、悔しさなのか、自分でもよくわからなかった。
でも――ほんの少しだけ、頬が緩んだ気がした。
千棘「……バカ」
二人の足音が、帰り道に静かに響いた。
何もない夕暮れの空に、ぽつんと風が吹き抜けていった。
ーーーーー
千棘・自宅にてーー夜
部屋の中は灯りがともり、机の上には開いた教科書と、飲みかけの紅茶。
だけど、そのどれも、千棘の視線には映っていなかった。
千棘「はぁ……ムカつく」
吐き出すように、言葉が漏れた。
ソファにだらりと座ったまま、天井を仰ぐ。
千棘「あのチャラ男も……あの橘万里花とかいう、どこの高貴な生き物だか分かんないお嬢様もさ……!」
ふいに立ち上がって、ぐるぐると部屋を歩き回る。
千棘「何が“許嫁”よ。ぶぶっ、アホじゃない? 冗談は顔だけにしなさいって感じ」
口元を引きつらせながら笑う。
千棘「大体さ、親同士が勝手に結婚決めるとか……そんなの今どき明らかに憲法違反だし? “婚姻は両性の合意のみに基づいて成立する”んだよ!親の意思とか関係ないし!あんたら何時代の人間なのよって話!」
そのままベッドに倒れ込み、枕を抱きしめるように顔をうずめた。
千棘「……で、楽はなに? あんだけケンカしてばっかでさ、言いたいことズケズケ言ってくるくせに、たまに妙に優しかったりして……。なに? 小咲ちゃんが本命で、私は保険?“一応ハーフ美女だしキープしとくか〜”的な? ワンチャン狙い? ふざけんじゃないわよマジで……!」
勢いよく枕を殴る。
千棘「……ムカつく。めちゃくちゃムカつく。なのに……私、怒ってるはずなのに……なんで、こんなに変な気持ちになるの……」
言葉がだんだん弱くなる。
机の端に目をやると、そこには小さな銀の鍵が静かに置かれていた。
千棘はそっと、それを手に取る。
千棘「楽……あんたは知らないんだろうけど。私も、持ってたんだよ、鍵」
月明かりの下で静かに光るその鍵。
指でなぞるように、千棘はその形を確かめる。
千棘「本当は……何度も言おうとした。伝えようと思ってた。でもさ……どうしても言えなかった。言ったところで、もう大した意味もないし」
目を閉じる。
すでにペンダントは小咲によって開けられた。
つまり自分の鍵は“偽物”だった。
それが、すべてを物語っていた。
千棘「私は“約束の女の子”じゃなかった。この鍵も……全部、偽物だったんだ」
そっと、胸元に鍵をあてる。
冷たさがじんわりと伝わってくる。
千棘「鍵も偽物。関係も偽物。……じゃあ、私のこの気持ちも――偽物?」
小さな声だった。
誰にも届かないように、そっと、静かに呟かれた言葉。
だけど、その瞳には確かに涙が滲んでいた。
千棘は、ひとりきりの夜に、何も答えのないまま、静かに目を閉じた。