ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
楽「いってえ……マジか……」
浴衣の裾はぐしゃぐしゃ、髪はぐしゃり、どこからどう見ても“祭りの敗者”という風貌で、楽は人波に揉まれた直後の地面から、のろのろと起き上がった。
楽「……雪崩に巻き込まれると、たぶんこんな感じだろーな……」
腰を押さえながら、地面に散った綿菓子の残骸や無数の足跡を見渡して、軽く笑ったその時だった。
楽「って……ん?」
目の前に、ひとりの女の子の影。
千棘「……なにやってんの、あんた。めちゃくちゃボロボロじゃん」
楽「うおっ……千棘?!」
楽は目を見開いた。まさかこのタイミングで彼女と遭遇するとは思っていなかった。
楽「お前も来てたのか! 言ってくれれば、一緒に回ったのに! さっき小野寺も、千棘ちゃんは来てないのかな? って寂しそうにしてたぞ」
千棘「は? なにそれ。よく言うわ……アンタ、誘ってくれなかったくせに」
楽「だってお前、最近俺のこと避けてるだろ? どうせ一緒に回ろうって言っても来ないだろうなと思ってさ」
千棘「避けてないでしょ、別に……! 呼んでくれたらふつうに行くけど。暇だし。それに……一応、恋人だし……」
ぼそりと呟いたその声は、屋台のざわめきにかき消されそうになりながらも、楽の耳にはちゃんと届いた。
楽「そっか。それもそうだな」
千棘「……。それよりこれ」
千棘は、懐から小さな布のお守りを取り出した。
千棘「さっき、拾ったんだけど。これ……アンタの?」
楽「あ、それ……俺が作った偽物の“恋むすび”だわ」
千棘「……は?ww」
楽「いや、ちょっとした作戦のためにねww あれで人混み分断して、突破したんだよ、俺ら」
千棘「って、これ……自作? へぇぇ、結構作り込んでんじゃんww」
楽「テキトーだよテキトー。裁縫のセンスは壊滅的だからな、そんなのでも3時間かかったわw」
千棘「かかりすぎww……これ、もらってもいい?」
楽「え? いいけど…お前、こんなの欲しいのか?ww」
千棘「うんw 割とこういうのに弱いかも、わたしww」
楽「あれか、形や味が微妙でも、手作りチョコであることに価値があるみたいな?w」
千棘「そんな感じww」
偽物の恋むすびを握りしめ、一息置いてから千棘は続けた。
千棘「……うん。わたしには、むしろ、これがお似合いなんだよ。関係も偽物、お守りも偽物……ちょうどいいんだ」
楽「あのなぁ……ったく、そういうこと言うなって言ったのに」
少し呆れたように笑って、頭を掻こうとしたその時だった。
楽の手の中に、何かが握られていることに気づく。
楽「ん? なにこれ……え?」
開いた掌に、ずっしりとした感触。
そこにあったのは――艶やかな赤い糸が丁寧に結ばれた、“本物”の恋むすびだった。
楽「え? は? え……?!」
目を丸くしながら、掌を凝視する
楽(なんで?! 買ったのは小野寺なのに、なんで俺の手の中にあるの? あ、もしかして…さっき人混みの中でボロクソにされた時に、誰かが落とした恋むすびを偶然握り込んだいたってことか? そんな奇跡的なことありえる?!)
千棘「……どうしたの? なんか驚いた顔して」
楽「いや……別に……」
楽(これ。どうしよう? 俺と小野寺で1個ずつ持っててもいいけど……それじゃあ、なんか欲張りか……? それに……)
千棘はどことなく切なく遠くを見ていた。
それはもう既に完売した、恋むすびの売り場の方向だった。
楽「……。ああ、もう……いいや」
千棘「え?」
楽「……欲しいか? 本物の“恋むすび”」
千棘「……は? い、いきなり何よ……」
提灯の灯りが揺れる夏の夜。
打ち上げられる花火の音が遠くで鳴り響く中、千棘はほんの一歩だけ楽から距離を取った。
楽「いや、真面目に聞いてんだって。お前が今持ってんのは俺がテキトーに縫った“偽物”で、こっちはちゃんとした“本物”」
楽は掌を開き、赤い糸が結ばれた小さな布袋を見せた。
千棘「え? なんでアンタが本物持ってんの?!」
楽「なんか……人波に揉まれてる時に偶然拾ってたっぽいw」
千棘「……?! なんつー強運よww」
楽「だろ? でもそれより! ほら、見ろよ。しっかりしてんだろ? なんかさ、願いが叶うらしいぜ。“恋が実る”って」
千棘「……いいよ。私はこれでいいの」
そう言って千棘は、小さな“偽物”の恋むすびを胸元でぎゅっと握った。
千棘「だって、私とアンタの関係だって、最初から偽物だったじゃん。それに、私が本物なんて持ったら……なんか、ズルいって思っちゃうんだよね」
楽「ズルい……? どういう意味だよ」
千棘「さっき、あの橘万里花に説教されたの。“情けない”って。たしかに……そう思ったよ、自分でも」
風が通り抜け、千棘の浴衣の袖がふわりと揺れる。
千棘「私、自分でもよく分かんないんだよ」
視線を落としながら、千棘は続けた。
千棘「ある人が私のこと、ちょっとでも気にしてくれると……嬉しくて、なのに恥ずかしくて……いつも、顔を背けちゃうんだよ。“そんな資格ない”って、思っちゃうんだよ」
楽(ある人? なんだこいつ、好きな人いたのかよ……俺はてっきり……)
千棘「だからいいの。本物のお守りなんて、私には似合わない。持っちゃいけない気がする」
そう言って、千棘は口元だけで微笑んだ。
でもその笑みは、どこか無理をしているように見えて、楽はしばらく黙って千棘の顔を見つめた。
照れ屋で、不器用で、でも本当は誰よりも真っ直ぐで。
口を開けばガサツで乱暴だけど、本当は誰よりも繊細で、傷つきやすくて。
楽「……じゃあさ」
ふいに、楽はそっと千棘の手を取った。
そしてそのもう片方の手のひらに、そっと“本物”の恋むすびを握らせた。
千棘「っ……!? な、なんで……!」
楽「どっちが似合うとか、自分で決めてんじゃねーよ。お前がどう感じてるかは知らねえけどさ。でもな、俺は――」
言葉を切って、まっすぐ彼女を見つめる。
楽「どっちも、お前に似合うと思ってるよ。“偽物の彼氏”の言うこと、たまには信じてみたら?」
千棘は視線を逸らしながら、手の中のふたつのお守りを見つめた。
ひとつは、楽が縫ったちょっと不恰好で、でも温もりのある“偽物”。
もうひとつは、誰もが欲しがる“本物”。
両手に抱えたそれらは、不思議と同じ重さがあった。
千棘「……拾い物をプレゼントにするなんて、ほんと最低」
楽「……はぁ?! じゃあ、返せよ!」
千棘「……無理。もう、わたしのだもん」
口を尖らせながらも、千棘の表情はどこか穏やかだった。
そして、ふっと小さく笑ったその横顔に――楽は、何も言わずそっと寄り添った。
小さな灯りの続く、夜の縁日。
千棘は、“偽物”だったはずの関係が、ほんの少しずつ、“本物”に近づいていく気がした。