ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜   作:nemu1116

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命がかかってたら何も言えないけど、なんかね……


セイカン

浜辺・テトラポッド前

 

穏やかだった海が、突然凶器に変わったような気がした。

 

楽「……え?」

 

波打ち際で佇んでいた楽の表情が、一瞬にして蒼白になる。

視線の先、波の向こうに、それは浮かんでいた。

陽射しを浴びてきらきらと煌めく水面。

その中心に、金色の髪が、ふわりと波間にたゆたっていた。

うつ伏せで、動かない。

 

楽「あいつ……え? おい、嘘だろ……!」

 

喉が凍りついたように、言葉が喉に詰まる。

それでも数歩、無意識のまま砂浜を踏み出す。

 

楽「溺れてんじゃねえかっ!? 何してんだよ、マジで!!」

 

ドバァンッ!!

 

砂を蹴る音と同時に、楽は躊躇なく海へ飛び込んだ。

靴を脱ぐ暇もなかった。

ズボンもシャツも、ぐっしょりと水を吸い込んで重たい。

だが、そんなものは関係なかった。

考えるより先に身体が動いていた。

 

腕で水をかき分け、足で水を蹴る。

波が打ちつけ、視界を遮るたびに、心臓が喉元までせり上がる。

 

「沈むな……沈むなよ、頼むから……!」

 

ようやく手が届いたときーーその身体は、まるで人形のようにぐったりとしていた。

 

楽「千棘!? おい!! 千棘っ!!」

 

水をかき分け、背中に腕を回して抱き起こす。

顔は冷たく、唇は青白く、目を閉じたまま。

楽の鼓動が、瞬間的に跳ね上がった。

 

楽「ふざけんなよ……っ、バカ……っ!!」

 

歯を食いしばりながら、岸へと必死で泳ぎ出す。

水が重く、風が冷たく、足が攣りそうになる。

だが、抱きかかえた彼女の命を繋ぐために、ただそれだけのために、楽は懸命に岸を目指した。

 

ようやく浅瀬にたどり着いたときには、全身から力が抜けそうになっていた。

浜辺はいつの間にか、騒然としており、民宿のスタッフたちも集まり数人のレスキュー隊が全速力で走ってくる。

 

遠巻きには人だかりができていた。

ざわめきの中、千棘の名を呼ぶ声が混じる。

 

小咲「千棘ちゃん!? うそ……どうしよう……こんなことになるなんて……!」

 

万里花「……本当に。準備運動もせずにはしゃぐからですわ……。全く、早く目を開けなさいよ……」

 

腕を組んで千棘の前に立つ万里花。その後ろから心配そうに千棘の顔を覗き込む小咲。

いつも元気な千棘がピクリとも動かない緊急事態に、2人とも焦りの色が浮かぶ。

 

野次馬A「うわ、めちゃくちゃ美人! 露出もすげ〜」

 

野次馬B「俺が心臓マッサージしたいかもw」

 

心無い野次馬たちの声が、楽の背中に突き刺さる。

彼は振り返り、怒声を上げた。

 

楽「――ッ!見てんじゃねぇよ! 晒し者じゃねえ! 冷やかしてんなら消えろっ!!」

 

野次馬たちがたじろぎ、どよめきながら後ろへ下がる。

すぐそばまで来ていたレスキュー隊員が膝をつき、緊急対応を始めた。

 

レスキュー隊員「私はAEDを取りに行く! 君、彼氏だろ!? それまで胸骨圧迫を続けてくれ!!」

 

※胸骨圧迫とは心臓マッサージのことです

 

楽「……はいっ!!」

 

彼は即座に千棘の隣に膝をつき、震える手で彼女の胸元に手を置く。

水着の布越しにも、彼女の身体が冷えきっているのがわかる。

千棘の唇は紫がかっていた。

楽は汗をにじませながら、両手を組み直す。

 

楽「くそっ……! 戻ってこいよ、バカ……! なんでこんなことに……! 俺が、あんなこと言ったせいかよ……!」

 

心臓が凍りつくような恐怖の中、楽は迷わず圧迫を始めた。

 

ぐっ、ぐっ、ぐっ……!

 

何度も何度も、リズムを合わせて胸骨圧迫を繰り返す。

頭の中では、あのときの言葉がループしていた。

 

“本物の恋人だったら上手くいったと思う?”

 

楽(……どういうつもりで言ったのかわかんねーけど……そんなのが最後のやりとりなんて、俺は……ごめんだぜ!)

 

楽「もう、いい……やるしかねえ!!」

 

万里花「ら、楽様?! なにを……」

 

楽「人工呼吸だ!」

 

彼は覚悟を決めると、千棘の鼻をつまみ、顎をそっと持ち上げて気道を確保する。

周囲の視線を意識する余裕などなかった。

 

小咲「……!」

 

万里花「……楽様、待って! それは……」

 

楽「ーー待てない!!」

 

ふぅぅぅぅーーーー……!

 

真剣な表情で、息を吹き込む。

一度。

もう一度。

さらにもう一度。

そのたびに、千棘の胸がわずかに上下する。

 

楽「頼む……動いてくれ……!」

 

誰もが言葉を失い、ただ見守っていた。

楽は何度も、何度も、人工呼吸と胸骨圧迫を繰り返した。

焦燥に満ちた空気の中、潮騒だけが静かに鳴り響いている。

汗と海水と涙が混じり合い、頬を伝って滴り落ちる。

 

楽「頼む……千棘……まだ、俺に言いたいことあるだろ?! バカとか! アホとかさ! また、俺を怒鳴ってくれよ!」

 

その時だった。

 

ごぼっ、ごぼぼっ!!

 

千棘の口元から、大量の海水が溢れ出した。

肩がびくりと動き、全身が小さく痙攣する。

 

楽「〜〜っ!!」

 

千棘「っけほ、けほっ……!! うっ……ぐっ……!」

 

咳き込むと同時に、目を強く閉じた千棘が浅く息を吸う。

まだ苦しげなその息遣いに、楽の表情が崩れる。

周囲から一斉に歓声と安堵の声が上がる。

 

小咲「千棘ちゃん……! よかった……!」

 

万里花「まったく……心配かけさせすぎですわよ……! でも……無事で、本当に……」

 

千棘「っうぅ……うえぇぇ……っ!!」

 

涙が堰を切ったようにあふれ出す。

ぐしゃぐしゃに濡れた髪のまま、千棘は震える腕で楽の胸にしがみついた。

彼女の身体は震えていた。

恐怖も、後悔も、安堵も、すべてが交じった感情の洪水が、子どものように溢れ出していた。

楽は何も言わず、その細い肩をしっかりと抱きしめ返す。

その腕の中に、確かにーー命の鼓動があった。

 

楽「……良かった。っていうか、心からホッとしたわ……」

 

千棘「ばか……ばかばか……なんで……来るのよ……

見ないでよ、こんなの……かっこ悪いとこ……!」

 

楽「バカはお前だよ……! どんだけ無茶してんだよ!」

 

千棘「……でも……ううぅ……っ、だって……っ」

 

千棘は目を閉じたまま、ぎゅっと楽の服を握りしめた。

その手は小さく震えていたが、もう迷いはなかった。

 

レスキュー隊がそっと近づいてくる。

 

レスキュー隊員「搬送の準備が整いました。落ち着いたら病院へ向かいましょう」

 

楽「はい、ありがとうございます」

 

千棘「…………わ、わかりました……」

 

千棘、横目でチラリと楽を見る。

 

楽「はぁ……しゃーねーな……俺も付き添うしかないか」

 

楽は振り返り、万里花と並んでいる小咲の元へいったん向かう。

 

楽「……小野寺、悪い。ここにいないクラスメイトたちにこのこと伝えておいてくれ。病院にこいつ置いてきたら、すぐ戻るよ」

 

小野寺「……うん、わかった」

 

楽「あ……っていうか、小野寺も一緒に来る?」

 

小咲「ん……ううん。一条くんがついてあげれば、千棘ちゃんは大丈夫だと思う」

 

楽「そっか。じゃあ、またあとで!」

 

楽は小さく手を振ると、そのまま千棘と共に救急車の中へと消えた。

波はやさしく寄せては返し、いつの間にか海の怒りは、すっかり収まっていた。

救急車が去ってから、小咲は心にモヤを抱えながら静かにしゃがみこむ。

 

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二人の間にあった「偽物」の境界線が、曖昧になっていっていることに気がついたのは、小咲だけだった。

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