ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
翌朝――報道各局のトップニュース
朝の光がまだ優しく差し込む時間。
ニュース番組のテロップには、明るい色のフォントが踊っていた。
アナウンサー(TV音声)「“浜辺の恋人、奇跡のキス”と題して、昨日午後、意識を失った少女を男子高校生が人工呼吸で救出。その姿がまるでドラマのワンシーンのようだったと、SNSでも話題になっています!」
画面が切り替わる。
波打ち際、倒れ込む少女(千棘)の身体を、楽が必死に支える場面。
続いて映るのは、泣き崩れながら彼にすがりつく千棘の姿。
その髪は濡れて頬に張り付き、瞳は真っ赤に腫れていたが、それでも見る者の胸を打つ強い感情の瞬間だった。
さらに、救急車に乗せられる場面、病院の前で並んで取材に応じる二人の姿が映し出される。
千棘はタオルを肩にかけたまま、楽の隣で少し照れくさそうに俯いている。
楽(映像)「いやー、マジでビビりましたよ。とにかく無我夢中で。助かってくれてホッとしたって感じですね……」
千棘(映像)「……だからってあんな何度もされたら恥ずかしいんだけど……」
楽(映像)「いやいや何度もって……まぁお前の肺が丈夫でよかったよ」
スタジオには笑い声が響き、柔らかいBGMがフェードインする。
ニュースとしては明るい話題としてまとめられ、人々の間では「愛の奇跡」として語られ始めていた。
ーーーーー
小野寺家・小咲の自室
テレビの電源を切ると、画面が黒くなり、自分のぼんやりとした顔が映った。
小咲は、言葉を失ったままリモコンを握りしめていた。
部屋は静かだった。
外は朝の光がカーテンの隙間から差し込んでいるが、
その柔らかさが、今はむしろ胸に沁みる。
今日は登校日。
一応、制服には着替えた。
だが、全く行く気が起きない。
小咲「……」
ゆっくりとスマホを取り出し、スライドして写真フォルダを開く。
そこに映るのは楽と遊園地や縁日、海辺で撮ったツーショット写真の数々。
ちょっとぶれてるけど、嬉しそうに笑っている自分。
あの時は、心の底から幸せだと思っていた。
その思い出が少しずつ褪せていく感覚。
小咲「仕方ない、よね……」
言い聞かせるように呟いた。
思いの丈を押し殺すように、でも口元はかすかに震えていた。
小咲「一大事だったんだもん。あのまま……何もなかったら、もしかしたら……千棘ちゃん、死んじゃってたかもしれないんだよ……?」
そう。
楽が助けなければ、取り返しのつかないことになっていたかもしれない。
彼が飛び込んだのは当然のことで、彼女が無事だったのは奇跡。
小咲(わかってるの。頭では、ちゃんと)
小咲「だから、助かって……本当に良かった。うん。心からそう思ってる。これも嘘じゃない」
目を伏せ、スマホをぎゅっと抱きしめた。
だけど、胸の奥が痛む。
どうしようもなく、チクチクと刺さるように。
スマホの画面は、まだ温かい。
でも、その温度と反比例するように、心の中は冷たい雲に覆われていった。
部屋の時計が、カチカチと秒針を刻んでいた。
いつもなら、朝ごはんの香りが階下から漂ってくる時間。
だけど、今日は何も感じなかった。
いや、感じたくなかった。
どうしても拭いきれない感情が胸を締めつける。
素直に笑うには、彼女の心はまだ追いついていなかった。
目の奥が、熱い。
言葉にならない感情が、少しずつ溜まって、溢れそうになっている。
小咲「……偽の恋人……って、なに?」
楽と千棘。
最初は、形式だけの偽装カップルだったはず。
千棘はどう思っているか曖昧だが、楽は恋愛感情なんてないと言ってくれた。
そして、その裏付けとして、しっかりと自分を本物の彼女として選んでくれた。
楽『千棘と俺が付き合う?! いやいや! ないないないww』
その言葉を信じ、何度も自分に言い聞かせてきた。
小咲(だけど、昨日の光景……あれは、どう見てもーー)
命を懸けて飛び込む姿。
涙ながらに抱きしめ合う姿。
どこにも“演技”なんて感じなかった。
小咲「……ううん、違う……。何言ってるの、わたし。命のかかったことなんだよ。比べるようなことじゃない……。だめだよ。一条くんは、そんなつもりでやってない」
彼女は両手で顔を覆った。
それでも思考は止まらない。
小咲「口と口をつける。そういう意味では一緒になるけど、あれはあくまで蘇生を目的とした応急措置……感情が入ったキスではない……だから安心して? 一条くんなら、きっとそう言うよね」
遊園地で見せてくれた笑顔。
髪についた糸くずを取ってくれた、さりげない優しさ。
手を繋いだ時のぬくもり。
その全てが、うまく思い出せない。
スマホの画面が、自動でスリープ状態になる。
まるで、その笑顔をもう見るなと言われているようで、彼女はぎゅっとスマホを胸に押しつけた。
小咲「……っうぅ……っ……うう……!」
こらえていたものが、限界を迎えた。
膝を抱えて、顔を枕に押し付けて、声を殺して泣き出す。
涙は、枕の生地に染みて形がわからなくなっていく。
でも、痛みだけは、どこまでも鮮明だった。
小咲「わたしは……本当に……幸せなの……かな?」
心の奥で、そんな疑問が静かに生まれていた。
窓の外には青空が広がっていた。
セミの声が遠くから聞こえ、夏の匂いが風に乗って部屋をすり抜けていく。
だけど、小咲の心の内側には、晴れ間など見えなかった。
テレビをつければ、今日も「奇跡の恋人たち」の話題が流れているだろう。
学校へ行けば、記者たちがカメラを構えているかもしれない。
クラスメイトは、もう“あの二人”を「お似合い」と囁くかもしれない。
“偽物”だったはずの関係はーー世間の中で、“本物”として勝手に彩られていく。
そして、「本当」の「本物」のはずである自分は、世界に置き去りにされていくような感覚。
小咲「どんな顔して一条くんや千棘ちゃんと接したらいいんだろう……?」
小咲「……。分からない」
小咲「わたし……学校……いけないや……」
制服の袖をギュッと掴む。
静かな呟きは、誰にも届かない。
ただ、朝日の中で、彼女の涙だけが、確かにそこにあった。