ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
文化祭当日・体育館ステージ
体育館の中は、昼間の光が差し込むことのない薄暗がりに包まれていた。
その中心に設置された特設ステージを照らすスポットライトだけが、観客の視線を一点に導いていた。
客席は超満員。生徒、教師、保護者に加え、地域の人々まで立ち見で溢れかえっている。
その舞台袖ーー
小咲の手は小刻みに震えていた。
胸元で握りしめた両手は汗ばんでいて、呼吸も浅くなっていた。
小咲「いよいよだね、一条くん……」
その声はかすかに震えていたが、それでも、まっすぐに楽を見つめていた。
楽「おう。あれだけ練習したんだ。やるだけやってやろうぜ!」
楽は笑って答えた。
だが、心の内側では別の嵐が吹き荒れていた。
楽(……やべぇ。想像以上に客多すぎだろ……。いや、そんなの今さらだよな。それより……)
ふと、視線が空になった袖の奥に向けられる。
そこには他のクラスメイトと小道具の最終調整をする千棘の姿が。
楽(結局、あのバカとは……あれっきり、話してねぇ。口喧嘩して、ビンタされて、何かが途切れたような気がした。でも……仕掛けてきたのは、あいつだろ? 俺が悪いわけじゃ……うん……)
楽は無意識に、拳を握りしめていた。
楽(あいつ、小道具係やってるらしいけど……ちゃんとやれてんのかな。って、なんで俺こんなこと気にしてんだ? あいつの保護者でもあるまいし……)
その思考を断ち切るように、小咲の声が重なる。
小咲「う、うん。緊張しすぎてお腹痛くなってきた……。こんな大舞台、生まれて初めてだもん……」
楽「大丈夫だ、小野寺。俺だって緊張してる。だけど、俺たち2人なら、絶対にうまくいく。そうだろ?」
小咲「……うん///」
楽は、その頬を染める小咲の横顔を見て、少し笑った。
楽「なあ……小野寺。練習のときより、ずっときれい……だぜ」
小咲「えっ……!? な、なに言ってるの……もう……///」
顔を真っ赤にして小咲が口元を押さえる。
だけど、その表情は間違いなく“ジュリエット”だった。
楽(……うん、かわいすぎ。……よし、千棘のことはいったん置いといて! 今は、こっちに集中だ。この時間だけは、全部忘れて、“ロミオ”になろう)
放送部員(マイク越し)「それでは、これより――1年C組『ロミオとジュリエット』を開演いたします!」
体育館全体の照明が落ちる。
観客のざわめきがすっと引いていき、舞台だけが浮かび上がった。
小咲は深呼吸をひとつ。
そしてーーステージの中央へと、一歩、一歩、歩みを進めた。
スポットライトが小咲を照らす。
純白のドレスに包まれた彼女は、まるで本当に“ヴェローナの娘”のようだった。
わずかに揺れる前髪、緊張の滲んだ指先ーーしかし、その瞳はまっすぐ前を向いていた。
小咲(ジュリエット役)「……ああ、なぜ、なぜわたしたちの家は争わねばならないのでしょう? 本当なら、きっと分かり合えるはずなのに……」
その言葉が、しん……とした体育館全体に染み渡る。
誰もが息を呑み、耳を澄ませていた。
小咲「……もし、父と母が、ほんの少しでもあなたのことを見てくれたら……ロミオ様を……わたしの愛する人だと……!」
その瞳に浮かぶ涙は、演技ではなかった。
“ロミオ役の彼”への想いと、舞台に立つプレッシャーと、それでも進もうとする決意のあらわれだった。
舞台袖から、演劇担当の教師が小さく息をつく。
演劇顧問「……あの子、すごい集中力だ……。最初はセリフ一つで声が上ずってたのに」
その横では、楽が静かに袖を抜ける。
楽(ロミオ役)「ジュリエット……お前の想い、俺は誰よりも知っている。だから、どんな世界を敵に回しても、俺は……!」
その声が響いた瞬間、観客席から「おぉ……」という感嘆の吐息が漏れた。
舞台の上で、ジュリエットとロミオが向き合う。
彼女はうつむきがちに、けれど確かに彼を見つめ返す。
ーー演劇は佳境へ。
楽「お前と生きられぬなら、この命など……!」
小咲「ロミオ様……! そんなこと、言わないでくださいませ……!」
楽(やばい……これ、なんだ。演技なのに、どこか現実と重なってる気がする。目の前にいるのは小野寺……でも、“ジュリエット”でもある。俺のこと、本当に想って……)
そのとき、客席の奥で、誰かが動いた。
???「……お待ちなさいませ!ロミオ様ぁぁあ!!」
まさかの“肉声”が体育館に響いた。
楽「はっ……!?」
観客席がざわつく。
一瞬、舞台上の小咲も「えっ?」と楽に視線を向ける。
スポットライトが、反応するように観客席後方へ向く。
そこには――
スカートを翻し、悠然と舞台へ向かう橘万里花の姿。
その衣装はまるで高貴な貴婦人のようなドレス。
歩きながら、その顔には満面の笑み。そして、満ち満ちた“自信”。
万里花「わたくしは、ジョセフィーヌ!! このロミオ様の――“本当の恋人”でございますのよぉぉぉ!!」
客席「「ざわっ……」」
楽「お、おい橘!? お前、なにやって……!?」
小咲「……?!」
まさかの展開に、会場全体が空気を失ったように静まり返る。
万里花は、体育館後方の階段をゆっくりと、しかし堂々と下りてくる。
その姿はまるで、“今が自分のステージ”とでも言わんばかりの気品と自信に満ちていた。
衣装は鮮やかな紅のベルベットドレス。
袖にはフリル、腰には大きなリボン。頭には羽根飾りつきのカチューシャまでついているという、明らかに公式の“ロミジュリ”とは無関係な出で立ちだった。
万里花「まぁ、まさかお忘れとはおっしゃいませんわよね? あの夜の、情熱的な告白……! 交わした誓いの言葉……!」
楽「そんなの台本にねぇっての!? ていうか、誰に許可取って登ってんだよ!?」
舞台の進行係、袖のスタッフ、生徒会、放送部――誰もが一瞬フリーズしていた。
そして、ジョセフィーヌ(万里花)が舞台中央へ進み出る。
万里花「わたくしの名はジョセフィーヌ! このロミオ様の運命を握る、唯一の存在にして、真のヒロイン!」
小咲は完全に固まっていた。
小咲(え……えっと……これは……何? アドリブ……? 違う……? どうしたらいいのぉ?!)
楽(小声)「お、おい、そんなの台本にねぇだろ、どうすんだよこの先!」
万里花(ひそやかに)「ふふっ、楽様? 演劇とは即興こそ華ですわ。いいですこと? “感情”で動くのです。“愛”で押すのです。演技力とは、魂の炎……!」
楽(小声)「お前の魂、燃えすぎて劇場火事だよ……」
小咲(万里花の耳元で)「た、橘さん……!? ジョセフィーヌって、誰なの……?」
万里花(ひそやかに)「さぁ? わたくしの想像と愛と嫉妬と希望が産み出した、ひとつの奇跡の存在ですかね♪」
小咲(小声)「……そ、そうなんだ…」
万里花はそのままステージ最前列に立ち、観客に一礼してから、くるっと舞い戻る。
万里花「さぁ、ロミオ様! あなたが愛していたのは、ジュリエットではなく……この、ジョセフィーヌだったのではなくて?」
万里花の瞳は獲物を追う鷹のように、まっすぐにロミオを見つめていた。
観客席、どよめき。
楽(いやいや……誰か助けて?!)