ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
夕暮れの帰り道(第一幕)
空は茜色に染まり、ビルの影が細長く地面を引き裂くように伸びていた。
校門を遠くに過ぎた住宅街の裏通りーーそこは人通りもまばらで、昼間の喧騒が嘘のように静かだった。
その道を、楽はひとり、うなだれた背中で歩いていた。
靴音は重く、いつもの軽口も冗談も、今日は口から出る気配すらなかった。
鞄のベルトが肩に食い込み、胸の奥に沈む何かが、足取りをじりじりと遅くしている。
心が、やけに静かだった。
あの屋上で、小咲に言われた言葉が――繰り返し、耳に残る。
小咲『わたしたち、別れよ? 友達に、戻ろう?』
その声はあまりにも優しくて、痛かった。
ふと、前方から控えめな足音が近づいてくるのがわかった。
ーートッ、トッ、トッ。
細く差し込む西日を背負って、誰かの影が長く伸びる。
千棘「……ねえ、楽」
その声に、楽はゆっくりと顔を上げた。
そこに立っていたのは、千棘だった。
髪はどこか風に流されるように乱れていて、制服のスカートも、風にひらりと揺れていた。
口元はきゅっと引き結ばれていたが、瞳には揺るぎないものが宿っていた。
千棘「ねえ、小咲ちゃんと別れたの? マジで信じられないんだけど」
その言葉に、楽は目をそらすように笑った。
楽「……ああ。フラれちまったよ」
乾いた声。
力のない笑いだった。
冗談のように言ったつもりだった。でも、喉の奥がひりついた。
楽「……笑ってくれよ」
風が吹いた。
冗談にしては、あまりにも弱くて、痛々しかった。
千棘は、楽の表情を一瞥して、短く吐き捨てた。
千棘「……アホ。笑えるかっての」
それは、突き放すようでいて、突き放せなかった。
そう言った千棘の声にも、微かな揺らぎがあった。
千棘は、少しだけ楽に歩み寄り、彼の顔を正面から見据えた。
千棘「……好きなんでしょ、小咲ちゃんのこと。ちゃんと……引き留めた?」
その言葉は、優しさを無理やり飲み込んで鋭くしたような響きだった。
楽は口を結んだまま、ほんの数秒、目を閉じる。
楽「……当たり前だろ。俺なりに、全部伝えたさ。……でも、ダメだった」
ぎゅっと握り込んだ右手の拳が、小さく震えている。夕日がその影を、まるで小さな波のように震わせていた。
千棘は目を伏せ、少しだけ唇を噛む。
言葉を続けるかどうか、わずかに迷うような表情。
けれど、思い切って一歩踏み出すようにして言った。
千棘「でも、小咲ちゃんは“約束の女の子”なんでしょ? そんな簡単に諦めんじゃないわよ」
楽は、その言葉にピクリと反応し、顔を少しだけ千棘の方へ向ける。
千棘「フラれたってことは、一度は付き合えたってことでしょ。あの子だって、一条楽を選んだってことなんだから。だったら……もう一回、ちゃんと向き合いなよ。言葉で。逃げずにさ」
その言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているようにも聞こえた。
楽は俯き、沈黙。どこか遠くの空を見ていた。ふと、ため息のように吐き出す。
楽「……約束の女の子か。……そうだな。やれるだけのことは、やってみるよ」
千棘は、それを聞くとほんの少しだけ、目を細めた。けれど、すぐに小さく首を横に振る。
風がまた吹いた。
ひんやりとしていて、季節の終わりを告げるようだった。
千棘「ねえ、今回のこと……私のせい、でしょ?」
突然、千棘が声を落とした。
楽「……いや、違う」
即答する楽に、千棘は首を横に振ったまま、続ける。
千棘「庇わないで。……わたしが余計なこと言ったり、演技の告白お願いしたり……それで小咲ちゃんが、傷ついたんでしょ?」
彼女の声は震えていた。けれど、涙は見せない。ただ、罪悪感だけが頬に影のように差していた。
楽はそんな彼女をじっと見て、ゆっくりと、柔らかく言った。
楽「千棘は、何も関係ないさ。全部、俺が悪い。俺の優柔不断と、不器用な行動のせいだよ」
千棘(……いや、わたしのせいだよ。ごめんね、楽……)
その言葉に、千棘は目を閉じた。
わずかに、唇を噛んだように見えた。
楽は、ふっと小さく笑って。
楽「……ありがとな、千棘。励ましてくれて」
千棘「……っ」
千棘は声にならない声を喉の奥に飲み込むと、ふいに楽から目をそらした。
楽「このあと、小野寺の家……行ってみるわ」
その一言を聞いて、千棘は小さく頷いた。
千棘「……うん」
たった一言のその返事の中に、彼女は全ての想いを込めた。胸の奥を押し殺して。
例え自分の居場所が、そこから少し遠ざかってしまったとしてもーー
千棘(これで……いいんだ……よね?)
西日に照らされた細い路地を、楽はもう一度だけ息を整えてから、歩き出した。
楽は、もう一度小咲の心へと、歩みを進める。