ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
夜風が頬を打つ。
小咲は薄く息を切らしながら、住宅街の坂を駆け抜けていた。
涙がにじんで視界が滲む。けれど、足は止まらなかった。
手の中には、小さな鍵。
固く握りしめられたその鍵が、またじんわりと光を放っていた。
小咲(……あの映像は、なんだったの?)
もう何度目だろう。
この鍵が見せてくる、あまりにもリアルな“映像”の断片。
それは夢でも幻でもないような。
まるで、実際に起こったかのように。
まるで、自分がその場に本当にいるかのように。
明確で、鮮明で、胸が張り裂けそうだった。
楽が千棘に告白する場面。
楽が、「他に一緒にいたい奴ができた」と言い、千棘が、震える手でそれを受け入れようとするーーそんな場面。
あまりに残酷だった。
まるで、「これが結末です」と、誰かに突きつけられているようで。
小咲「……なんで? ……どうして?」
自問する。
走りながら、涙と一緒に言葉を吐き出す。
小咲(この映像が何を意味するのかはよく分からない。それでも、鍵が一貫して伝えてくるのは……)
ーーわたしが、フラれること。
ーーそして、一条くんが千棘ちゃんを選ぶこと。
その結末だけは、どうしても変わらない。
運命なんて、信じたくない。
けど、そうとしか思えないほど、全てがリアルだった。
まるで2人の息遣いすら聞こえてきそうなほどに。
しかし、今思えば合点もいく。
肝試し――
偶然、引き当てた奇跡のペア番号。
一緒にいられるはずだった夜、でも彼の手は、自分じゃなく千棘の手を取った。
夏祭り――
2人で協力して手に入れた恋むすび。
けど、楽から直接渡されたのは千棘ちゃんだった。
意味も知らずに交わされた“プロポーズ”のようなやりとり。
海辺――
千棘ちゃんが溺れた時、助けにいったのは一条くん。
そして、彼の人工呼吸は全国に“恋人の奇跡”として広まり、二人は全国民の「公認のカップル」になってしまった。
演劇――
自分がジュリエットとして舞台に立てたはずだった。
でも、舞台の外でロミオが名前を呼んだのは、自分ではなかった。
小咲、歩みを止め、うつむく。
小咲「わたしが、いくら……いくら頑張っても……どうしても、一条くんは千棘ちゃんの隣に戻っちゃうんだよ……」
問いかけるように、手の中の鍵を見つめる。
その鍵は、ただ、じっと光り続けるばかりだった。
小咲「ねえ、どうして……? どうしてこんなに残酷なものを、わたしにだけ見せるの……? わたし……何か悪いこと、したの……?」
夜の住宅街に、小咲の声が小さく響いた。
だけど、答えはない。
風が、かすかに髪を揺らすだけだった。
小咲(もう、どうすればいいのか分からない……でも、一つ確かなことは……)
小咲(一条くんとはーーもう付き合えない……)
そうして彼女は、重たい足を引きずるように家の前まで戻る。
玄関のドアに手をかけながらも、鍵を離さない。
その小さな鍵は、なおも弱く、けれど確かに光っていた。
その光が、まだ何かを伝えようとしていることに。
小咲は、まだ気づいていなかった。