ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
風は穏やかに吹き続け、夕空が薄橙に染まりはじめていた。
澄みきった高原の空気の中、小咲の髪が、草原の波と同じリズムでゆらめく。
けれど、その視線はうつろで、今にも崩れそうなほどに揺れていた。
小咲「……ごめんね……。すごく、嬉しかった……よ。ほんとに……。一条くんの気持ちも、痛いくらい、ちゃんと伝わってきたの……」
震える声でそう告げながら、彼女の瞳からはまた新たな涙がこぼれた。
何度ぬぐっても、尽きることのない想いが、涙というかたちで溢れていく。
小咲「でも……わたしの心が、どうしても……また傷つくのが、こわくて……! 一条くんに……無理させちゃうのが、目に見えてて……!! わたし、そういうの……見たくない……耐えられないの……!」
その言葉は、叫びのようだった。
心の奥にこびりついた恐怖と、好きな気持ちと、彼に迷惑をかけたくない想いが混ざり合い、彼女の声を複雑に震わせていた。
ーー次の瞬間。
ぐらり、と小咲の身体が傾く。
楽「お、小野寺……!? おい!!」
がくん、と膝から崩れ落ちた彼女の身体が、草の上へと吸い込まれるように倒れ込む。
まるで、意識だけがすうっと抜けてしまったかのように、ふわりと、静かに。
楽「小野寺!? おいっ、嘘だろ……!!
どうした、小野寺! しっかりしろ!!」
楽が慌ててその身体を抱き上げ、頬を軽く叩きながら何度も呼びかける。
けれど、その声は届かない。
ーー彼女は、夢の中にいた。
霞がかった白い光の中。
どこか懐かしい匂いと、やさしい風の音がする世界。
???「あっ! そこに、だれかいるの??」
その中心に、白いワンピースを着たひとりの小さな少女が立っていた。
大きな瞳。
純粋な笑顔。
少しだけおどけた口調。
約束の女の子(幼い小咲)「おねえちゃん、だれ?」
小咲「……あなたは……?」
小さな少女は、にっこりと微笑んで答える。
約束の女の子「わたし、おのでらこさき!
でもね、オトナになったら、いちじょうこさきになるの!」
その一言が、小咲の胸をきゅっと締めつけた。
いつか、あの日――幼かった自分が、夢見ていた未来。
小咲「……これは……わたし……?」
約束の女の子「うん! そうだとおもう! おねえちゃん、オトナになった“わたし”だよね? ねえ、らくくんと、けっこん、できそう?」
その無邪気な言葉に、小咲は思わず顔を伏せる。
答えられない。
涙が溢れそうで、声にならない。
約束の女の子「かなしいかお。どうして? わたし、けっこんできないの?」
小咲「……」
小さな肩が震える。
痛みに似た想いが、胸の奥を締め付けた。
その時、幼い小咲はポケットからひとつの“鍵”を取り出した。
それは、小咲が肌身離さず持ってきたものと、まったく同じものだった。
約束の女の子「これ、わたしのかぎ。おねえちゃんのもっているかぎと、いっしょでしょ?」
促されるまま、小咲も胸元から自分の鍵を取り出す。
それは、どこか暖かく光っていた。
小咲「……ほんとだね。いっしょだね……」
約束の女の子「このかぎをもっているとね、らくくんとけっこんできるんだよ。だから、おねえちゃんも、じぶんのきもちに、すなおになって?」
小咲「素直だよ……わたし」
小咲「好きなんだよ……」
小咲「大好きなの……」
言葉が震える。
切実な想いが、か細く響く。
小咲「でも……でもね……」
涙が頬を伝い、零れ落ちる。
小咲「また傷つくのが、こわいの……。信じて、期待して、それで……裏切られたらって思うと……わたし……動けないの……。情けないよね……」
そして、少女はーー
その涙を全部受け止めるように、そっと微笑んだ。
約束の女の子「うん……そっか。でも、だいじょうぶ。わたしも……てつだってあげる」
小咲「手伝う……?」
そうつぶやいた小咲に、約束の女の子は、そっと一歩近づいた。
そして、自分の鍵を両手に包み込むように差し出した。
約束の女の子「おねえちゃんのかぎと、わたしのかぎ、あわせてみて?」
小咲は、一瞬戸惑いながらも、静かに頷いた。
そして、自分の鍵を指先でつまみ、少女の前にそっと差し出す。
小咲「……こう?」
約束の女の子「うん……」
ふたつの鍵が並び、ほんのりとした光が交錯する。
約束の女の子「いつも、かぎをだいじにしてくれて、ありがとう」
約束の女の子「おねえちゃんのきもち、10ねんかん、ずっと、ちゃんと、かんじてたよ。らくくんが、だいすきなきもち……」
小咲「……」
小咲(そっか……わたしは……)
言葉を失ったまま、小咲はそっと瞳を閉じる。
涙がこぼれたのは、悲しみではなく、感動の涙だった。
約束の女の子「でも、もうだいじょうぶ。こんどは、かぎじゃなくて、おねえちゃんが、じぶんのきもちを、だいじにするばんだから」
そしてーー
ふたつの鍵が、まるで吸い寄せられるようにぴたりと重なり合う。
それは、一筋の虹色の光となった。
約束の女の子は、にっこりと笑いながら、虹色の光を放つ鍵を小咲の胸元へそっとあてた。
約束の女の子「このかぎで、おねえちゃんの“こころのじょう”をあけるから。そしたら、きっと、また、ゆうきがでるとおもう」
光が、ふわりと、小咲の全身を包んでいく。
やさしく、あたたかく、懐かしいぬくもり。
それは、まるで心の奥の“錠”が、本当に音を立てて開くような、確かな解放の感覚だった。
そして、約束の女の子は、まるでお別れのように微笑み、小さく手を振った。
約束の女の子「だいじょうぶだよ。だって、わたし“たち”は【やくそくのおんなのこ】だもん」
その言葉とともに、世界がゆっくりと光に包まれていく――
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現実
天駒高原――大きな岩のふもと
風がふわりと吹き、ススキの穂を揺らした。
草の匂いと、空の匂い。
そのすべてが、現実であるという確かな感触として、戻ってきた。
小咲のまぶたが、ゆっくりと開かれる。
視界に飛び込んできたのは、秋の空と、そして何より、自分を心配そうに覗き込む、楽の顔だった。
楽「小野寺……!? 目、覚めたか!?」
その声に、小咲は一瞬きょとんとしたが。
次の瞬間、ぽろりと涙をこぼしながら、ほっとしたように、微笑んだ。
小咲「……うん。おはよう……一条くん///」
その言葉は、心の鍵が開いた証。
迷いを超えた先の、彼女の“今”そのものだった。
草原の風が、ふたりの間をやさしく吹き抜けていく。
どこまでも広がる高原の空の下、ふたりの物語は、新たなページを開こうとしていた。