ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
天駒高原の風は、あいかわらず穏やかだった。
その柔らかな風が、草をなで、小さな命たちをそっとゆらしながら、二人のあいだを通り抜ける。
地面に横たわっていた小咲が、ゆっくりとまぶたを持ち上げた。
まるで、夢の中から現実に帰ってきたような――いや、夢の続きが現実になったかのような、静かな目覚め。
その目に映ったのは、懸命に覗き込む楽の顔だった。
夕日に照らされて、少し汗ばんだその顔が、あまりに心配そうで……でも、どこか安心しているようにも見えた。
楽「小野寺……!? 目、覚めたか!?」
小咲「……うん。おはよう……一条くん///」
楽「よ、よかった……! いくら起こしても起きないから、焦ったよ」
小咲「……ごめんね、話の途中だったのに……。ちょっと、フラッとしちゃって……」
小咲「貧血……かなぁ? 最近、あんまり食欲なかったから……。あはは……」
笑いながらも、その表情には少し照れと、弱さと、なによりも安堵が混じっていた。
楽「いや……無理もないよ。泣きすぎて、思い詰めすぎて、精神的にも、肉体的にも、限界だったんだよ。……大丈夫か?」
小咲は小さく、けれどしっかりと頷いた。
――と、その時だった。
小咲の頬がみるみる真っ赤になった。
小咲「……あっ……あの、一条くん! そこ……!」
楽「え? えっ!? あっ!!」
そこでようやく楽は気づく。
小咲の体を支えるために、無意識のうちに伸ばしていた手が――
彼女のふとももをすり抜け、まさに“その場所”ーーつまり、お尻をがっつりと包み込んでいた。
楽「うわぁぁぁぁぁああああ!!! ご、ご、ごめん!! ちがっ……これは事故だから!! わざとじゃないから!!」
慌てて手を離し、全身で弁解する楽。
小咲も咄嗟に起き上がり、少しだけ楽との距離を取る。
小咲「い、いいのっ! わかってるからっ……! わざとじゃないもんね! うん! そりゃ、そうだよね……っ!」
頬を真っ赤にしながらも、必死に取り繕おうとするその様子に、ふたりは思わずーー
くすくすと笑った。
ほんの少し前まで、互いの涙が溢れていたとは思えないほど。
その笑い声は、まるで重たいものをすべて吹き飛ばすように、空へ舞った。
だが、次の瞬間、空気がまた変わる。
楽は、ふと顔を引き締めた。
楽「……小野寺」
その声には、さっきまでとは違う、芯の通った真剣さがあった。
楽「俺さ、ここに来るまで、怖かったんだ……。またフラれるかもしれないって……心のどこかで怯えてた」
楽「でも、今日ここに来て……小野寺にもう一度会えて……。俺は、自分の気持ちを改めて確認できたよ。今なら、何度だって言える。どんなに拒まれても、何度でも言いたい」
小咲「……うん」
楽「俺は小野寺が、好きなんだ。小野寺がいない世界なんて、もう考えられねぇ」
風が、草を撫でる。
その風音さえ、彼の想いに聞き入っているようだった。
楽「小野寺と一緒にいないと、俺……もう、ちゃんと笑えない。小野寺と出会うために生まれてきたような気さえする。バカみたいだよな……? でも、俺は小野寺がいないと、ダメなんだよ。小野寺を好きじゃない俺は、俺じゃないんだよ」
その言葉は、まっすぐで、揺るぎなくて。
一切の飾り気も、打算も、なかった。
そしてーー
小咲は、目を伏せた。
一度楽に背を向け、目を瞑る。
そして、ふっと息を吐き、振り返ると、静かに呟いた。
小咲「……夢を、見たの」
小咲は、風の音に紛れるように、そっと語りはじめた。
小咲「白いワンピースの、まだ幼いわたしがそこにいてね……“いちじょうこさきになるの!”って笑ってたの」
懐かしさに滲んだその声は、震えていたが、どこか穏やかでもあった。
小咲「その子に言われたの。“もう、大丈夫だよ”って。“今度は、お姉ちゃんが、自分の気持ちを大事にする番だよ”って……」
そっと目を閉じて、胸元を押さえる。
小咲「わたし……ずっと、自分の気持ちを閉じ込めてたの。恋人になれば、傷つくかもしれない。信じれば、また期待して、心が壊れるかもしれないって……怖かったの……」
でも、と続けた。
小咲「でもね、一条くん。一条くんの声を聞いて、顔を見て、目を見て、会話をして……わたし、思ったんだ」
小咲「この人を、信じたい。もう一度だけじゃない。何度だって、信じてみたいって……ずっと一緒にいたいって……心がそう言ってたの」
そう言って、小咲は楽の目をしっかりと見つめた。
そこにはもう、迷いも怯えもなかった。
あるのはただ、まっすぐで透明な恋心だけ。
小咲「一条くん……わたしも……あなたが、好きです」
小咲「あなたがわたしのことを、好きでいてくれる気持ちよりも――」
小咲「もっと、ずっと、ずっと、わたしのほうが……どうしようもなく、一条くんのことが好きです」
言葉は涙ににじみながらも、芯のある強さを帯びていた。
それはまるで、幼い日の「約束の女の子」が、ようやく願いを果たせた瞬間だった。
楽の目が、揺れた。
こらえきれずに、頬をつたう涙。
楽「……小野寺。俺からもう一度、ちゃんと言わせてくれ」
楽は少し前へ進み、両手をそっと広げる。
楽「また……俺と付き合ってくれるか?」
風が止まったかのような静寂。
そして、たしかに聞こえた小咲の心音。
彼女は胸の前で、手をぎゅっと組んだまま、そっと目を閉じる。
小咲「……っ……」
「………………はい……っ……」
その声は、小さく震えていた。
けれど、そこにはかつてのような不安も、後ろめたさもなかった。
あふれる涙は止まらなかった。
けれど、もうそれは“悲しみ”ではない。
心を開いた少女が、大好きな人に本当の想いを伝えられたーー
それだけで、胸がいっぱいになって、涙がとまらなかった。
楽は、その涙にそっと手を伸ばし、拭った。
そして、ゆっくりと抱きしめた。
草原の真ん中で、再び結ばれるふたり。
この瞬間――
小咲は、10年越しの約束の恋ーーいや、本物の恋に、ようやく辿りついたのだった。