ガチコイ 〜もし小野寺小咲が先に一条楽と付き合ったら?〜 作:nemu1116
翌朝・天駒高原
天駒高原の朝は、凛とした静寂のなかに柔らかな光が差し込む、神聖な時間だった。
秋の風はひんやりと冷たく、それでいてどこか懐かしい土と草の匂いを含んでいて、肺の奥にまで染み渡ってくる。
遠くの木立の向こうからは、風に揺れるススキがカサリと優しく音を立て、まるで自然がふたりの幸せを祝福してくれているようだった。
朝露を帯びた草原の小道を、ふたりは迷いなく手を繋いで歩いていた。
昨夜、心を通わせたばかりのその手は、まだ少し照れ臭さと安心感が入り混じったような絶妙な温度を保っていた。
楽「しかし、ビックリしたよな。まさか、橘が天駒高原まで来ていて、しかも、天駒荘の宿まで取ってくれてたなんて……」
小咲は隣で小さく微笑み、頷いた。
小咲「本当にね……。慌てて家に電話したら、お母さんに『もう橘さんって人から聞いてるけど?』って言われたしww」
夜。
小咲が母・菜々子に電話をした時のことが、ふと頭をよぎる。
ーーーーー
小咲と菜々子の会話
菜々子『ま、小咲もいい歳だし? 泊まるのはいいけどさ? ……誰となの?』
小咲『え? えぇと……』
菜々子『一条くん?(ニヤニヤ)』
小咲『…………う、うん。そうなの///』
菜々子『ふ〜ん、へぇ〜?ww』
小咲『な、なに、その反応……』
菜々子『いや〜、ついにって感じね〜? 小咲もやっと名前のとおり、“花開いた”っていうか〜?』
小咲『お母さんっ! からかわないでよ///』
菜々子『それより、小咲……あんた、男の子と泊まるからにはちゃんと“アピール”しときなさいよ?』
小咲『へ? ア、アピール?! なんの?!///』
菜々子『決まってるでしょ? 将来、婿になる人へのアピールなんだからww』
小咲『ぶwwwww ちょっとお母さん、やめてww 今、隣にいるんだから!ww』
菜々子『とにかく、つまらない女だと思われないように、ちゃんとアピールするのよ?』
小咲『うぅ……急にそんなこと言われても……どうしたらいいのか、分からないよぉ///』
菜々子『はぁ……小咲もまだまだね。いい? ⚪︎⚪︎⚪︎とか、×××とか、それから△⭐︎◻︎とか、あとは〜……ーー』
そのあたりで、小咲は会話を強制終了し、即座にスマホの電源まで切ったのだった。
小咲『……///////////』
小咲と菜々子の会話終了
ーーーーー
小咲はその時のことを思い出し、ひとりで赤面した。
小咲(結局、昨日は一条くんと疲れていたせいか、すぐ眠っちゃって……お母さんのいう過激なアピールはできなかったけど……///)
小咲(一条くんの寝顔見てたら、わたしもウトウトしていつの間にか眠っちゃって……朝起きたら、同じ布団の中で……///)
小咲(わたし、イビキとかヨダレとか、大丈夫だったかなぁ……///)
小咲(……あと、もし……その……アピールしてたら……今のこの空気感も、またちょっと、違ったのかなぁ……///)
楽「おーい、小野寺? めちゃくちゃ顔赤いけど大丈夫か? 熱?」
何気なしに心配する楽の声。
そして楽の手が、自然と小咲のおでこに伸びて触れる。
その瞬間、小咲の心拍数は跳ね上がった。
小咲「ひぅっ!?!? は、え、えええ!? な、なんでもないからっ! 全然、まったく問題ないからっ!!/////」
ぴょんっと跳ねるように身を引き、挙動不審になる小咲。
小咲「ほ、ほんとに健康そのものですっ! おかげさまで! ありがとっ!!///」
楽「そ、そっか……?」
小咲の脳内は、軽く沸騰していた。
ごまかすように視線を逸らしながら、ふと話題を変える。
小咲「……あー、あのさ! でも、橘さんはなんで天駒高原にいたんだろうね!?」
小咲(……違う話にしないと……///)
楽「ああ、それな。俺も気になって電話で聞いたんだけど、『乙女には隠し事の一つや二つありますのよ♪』とか言ってたわww」
その声には、少し呆れ混じりの笑みがにじんでいた。
あの橘らしい言い回しに、小咲も自然と笑みを浮かべる。
小咲「そ、そうなんだ……(絶対裏ですごいことしてそう……w)」
楽「でも、千棘も一緒に連れて帰ってくれたみたいだし、よかったわ。あいつ、いっぱいいっぱいみたいだったから」
楽の言葉には、どこか千棘を気遣う優しさが滲んでいた。
それがかえって、小咲の胸にちょっとしたトゲを残す。
小咲「ん……そっか。千棘ちゃん、学校で会った時、わたしと普通に話してくれるかなぁ……? 昨日、色々あったし」
小さく呟くように言ったその不安は、やはりまだ心のどこかに残っていた。
楽「ああ、それは大丈夫だよ。ってか、多分向こうから話しかけてくると思うw」
楽のその言葉に、少しだけ救われる思いがした。
小咲「そ、そうだといいんだけど……」
しばらく風の音だけがふたりの間を通り抜けた。
やがて楽が、小咲のちょっとした表情の変化を見抜いて、ふと真剣な表情で口を開いた。
楽「小野寺……もしかして、あのこと気にしてる?」
小咲「……え? あのこと?」
楽「あ〜、うん。俺が偽の恋人関係を千棘と今後も続けるのか……ってことをさ」
小咲の心が跳ねた。
それは、小咲が一番気にしていたことだった。
この設定がある限り、小咲は仮の彼女のままとなる。
小咲「う……。そ、それは……気にしているというか、なんというか……?」
問い返すように呟く声は、明らかに動揺していた。
楽「ーーちゃんと、おしまいにするよ」
その言葉に、小咲は顔を上げる。
小咲「……え?」
楽「戦争とか組織的な問題とか、色々あるんだけどさ。やっぱり、俺にとっては、小野寺にちゃんと心の底から笑ってもらうことが一番大事だから」
まっすぐな瞳。
嘘のない声。
彼の本音が、小咲の心を深く打った。
小咲「……ほ、ほんと、なの?」
楽「ああ、本当。まだ親父に話してないからさ、どうなるかは分からねえけど、説得するから。今日帰ったらさっそく、何度でも親父に頭下げて、分かってもらう」
言葉のひとつひとつに、楽の覚悟がこもっていた。
小咲「一条くん……大丈夫なの? わたし、よく分かってないけど、組織とかって言うからには、かなり大きな問題だよね……?」
楽「大丈夫、大丈夫! 見た目は怖いけど、ある程度は人間の心も持っているからww でも……ただ、その時に、さ……」
小咲「……う、うん?」
楽「一緒に……来てくれないか? 紹介したいんだ。俺の本当の彼女だって」
その瞬間、小咲の心臓は跳ね上がった。
楽「今度は、“隠す”とか“偽る”とかじゃなくて、小野寺のことを、堂々と俺の大切な人だって言いたい」
一瞬、言葉を失うほどにーー小咲の胸の奥に溜まっていた不安や戸惑いが、一気に溶けていくような感覚。
楽「だって約束したろ? 林間学校の時に。絶対この問題を放置しない、ちゃんと考えるってさ」
小咲「それは、した……けど……!!」
小咲は泣きそうになりながらも、懸命に言葉を続ける。
楽「はは、有言実行よ! でも、ちょっと遅かったかな? その前に何回も小野寺にフラれちまったし……」
楽が照れたように笑う。
小咲「ありがとう……嬉しいよ……一条くん」
声は震えていたけれど、それはもう悲しみの震えではなかった。
小咲「わたし、もう、絶対に離れないから」
楽「ああ……俺も絶対に離さない」
風がやさしく吹いた。
その中で、ふたりは確かに誓い合っていた。
再びめぐりあった運命を。
すれ違いによって何度か離れてしまった手をーー
もう、絶対に手放さないように。