大天狗令嬢 vs シャーマンスープレックスホールド   作:いぶりがっこ

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第十三話「神々の黄昏」

 

 今は昔、須弥山の頂に天狗と云ふ妖在り。

 人三化七、性奔放にして自在に雲を駆りにけり。

 其の目顳顬まで吊り上がりて焔を灯し、其の鼻荒々しき益荒男の如く天を衝く。

 衆生此れを以て傲慢のはじまりと云ふ。

                            (~東昏燐穹録~)

 

 

 東方において、その妖怪は古来より見る者を圧倒する魁偉な容貌をもって『天狗』と人々に認識されてきた。

 一説には邪法に墜ちたる神仙の末とも、空より飛来した隕石の化身とも謳われる彼らであるが、未だまつろわぬもの多くある時代の中、彼ら天狗と他の魑魅魍魎の類を見分ける最大の特徴が、その顔面より突き出した鼻梁であったのは言うまでもない。

 

 なぜ、天狗の鼻は高いのか?

 有史以来、古今の詩仙(ロマンチスト)たちが面白半分に様々な持論を謳い上げて来たのに対し、生物学的見地に立つ学者(リアリスト)の言は淡白である。

 

 なぜ、一角獣(ユニコーン)の角は長いのか?

 なぜ、鷲獅子(グリフォン)の嘴は鋭いのか?

 なぜ、海象(セイウチ)の一物は逞しいのか?

 

 適者生存。

 天狗の『鼻』とは、即ち彼らの持つ最強最大の鉾に過ぎない、と……。 

 

 

「猪 凸 天 ・ 螺 旋 大 傲 岸(テングドリル)!!」

 

 裂帛の気合と共に乙女が一本の鏃と化した。

 魔素(ヴィスコ)のうねりが竜巻(トルネード)を刻み、抉り込むように螺旋(ドリル)を描いて獲物目がけて突貫する。

 

「くっ」

 

 カルラも一早くこの動きに反応し、直上の人間螺旋を迎え撃つべく顔を上げた。

 瞬間、逆光に視界を遮られ、標的の姿を見失った。

 太陽神(ゴッチ)の申し子たる巫女が、奔放な天狗の駆け引きの前に、皮肉にも逆光を背負う不覚を負った。

 

「があァアアァァ———ッ」

 

 不覚の報いが、たちまちカルラの脳天を叩いた。

 傲慢で凝り固めた大天狗の(ハンマー)が、容赦なく少女を大地に打ち付け、高速回転を続けながら大脳を激しくシェイクする。

 

(この……戻り……!)

 

 脳震盪。

 平衡感覚を失い、その身をグラリと傾がせながら、太陽神(ゴッチ)の加護に守られし肉体は、なお驚異的な粘りを見せた。

 元より相手はゴリィ=アントワネット。

 無傷で勝てる相手ではない。

 格闘戦(グラップリング)に持ち込み、必殺の黄金橋(スープレックス)を放つ前に、一発二発の被弾は覚悟しなければならない。

 その覚悟があったからこそ、少女は天魔の一撃を前にかろうじて踏み止まる事が出来た。

 

「自 在 天 ・ 反 骨 逆 螺 旋(テングコイル)!!」

 

 そんな淡い希望が、少女の手の内を()()()()()

 ゴリィの次なる咆哮と共に、カルラの頭上で鉄槌となっていたハズの鼻が、たちまち自在な蛇のようにのたうち、渦巻き、撓み、次の瞬間――

 

 

 ――びよよよ~ん!

 

 

 という幻聴が聞こえそうな勢いで、再び天空へと跳ね上がった。

 

「なっ!?」

 

 驚天動地の回避術を前に、さしもの巫女(シャーマン)も狼狽の声を漏らした。

 だが、驚いてばかりもいられない。

 天に抗うがゆえの天魔。

 天魔が距離をとるならば、その行為は逃げではなく、更なる攻撃への布石である。

 

「猪凸天・螺旋大傲岸(テングドリル)!!」 

 

 そして、やはり来た。

 威力を反発に変えて高さを得た大天狗(レイヴン)が、高さを再び威力に変えて襲いかかる。

 反射的にカルラも身構え、しかし、対処の術もなく受けに回る。

 如何に無敵の魔闘家(メイジ)と言えど、爆肉魔闘礼法(グリコローゲンスタイル)はあくまで対人格闘術。

 直上より迫る猛禽に対処する術を持ちえない。

 

「があァアアァァ———ッ」

「自在天・反骨逆螺旋(テングコイル)!!」

 

 かざした両腕の隙間を抉じ開け、第二撃がカルラの額に突き刺さった。

 たまらず流血、昏倒しかけた少女を嘲笑うかのように、天狗の体は再び空へ――

 

「猪凸天・螺旋大傲岸(テングドリル)!!」 

「があァアアァァ———ッ」

「自在天・反骨逆螺旋(テングコイル)!!」

 

 後方に跳び、猛禽の爪から逃れようとした瞬間、ガシリ、と両脚を捕らわれた。

 二度の人間杭打機(パイルドライバー)によって、カルラの両脚は既に、自らが作り出した瓦礫の中に膝まで飲み込まれてしまっていた。

 カルラはようやく、自分が天狗の作り出した八陣図(システム)の中に居る事を悟った。

 

「猪凸天・螺旋大傲岸(テングドリル)!!」 

「があァアアァァ———ッ」

「自在天・反骨逆螺旋(テングコイル)!!」

 

 天空を統べるもの、即ち闘争を制する。

 適者生存。

 有史以来、あらゆる領域(エリア)に生存圏を広げて来た生物の中にあっても、彼ら猛禽類の強さは無類と言ってよい。

 どれほどに鋭い牙を持とうとも、いかに頑丈な甲羅を纏おうとも、天を利する者と地に縛られし者の闘争術には、文字通り天と地ほどの開きがある。

 生物の体は、直上より迫る刃に対抗出来るようには作られていないのだ。

 

「猪凸天・螺旋大傲岸(テングドリル)!!」 

「があァアアァァ———ッ」

「自在天・反骨逆螺旋(テングコイル)!!」

 

 大傲岸、五発。

 ここまで不撓不屈の精神で耐え忍んでいた無敵の巫女の肉体にも、ついに陰りが見えた。

 迫り来る六度目の鏃を前に、体を大きく傾がせ仰向けとなる。

 

「猪凸天・螺旋――!」 

 

 最期の一撃を見舞おうとした瞬間、ぞくり、とゴリィの背に悪寒が走った。

 通常、人間は倒れそうになれば反射的に持ち堪えようとするものだ。

 頭上から天狗が迫っているならば尚更である。

 両腕を犠牲にするか、分厚い頭骨で支える以外に、鉄槌の鼻を耐え忍ぶ術はない。

 

 だが、カルラは――

 

 

「っしゃあああぃ!」

 

 

 カルラは逆に、()()()()()()()()()!!

 

「……ッ」

 

 交錯の瞬間、天空へ向けてボロンとまろび出たカルラのヘソが、まばゆい閃光を放つのをゴリィは見た。

 天狗にとって、最強の鉾とは鼻である。

 それならば、巫女(シャーマン)にとって最強の盾とは何だったであろうか?

 

 巫女(シャーマン)の盾。

 それは、ヘソ。

 

 巫女の祈り(シャーマン・スープレックス)は臍に宿る。

 ビッグフォール皇国の魔闘家(メイジ)たちは幼少の頃より、黄金橋(ブリッヂ)は臍で支えるという基礎教養を血肉になるまで肉体に叩き込まれている。

 黄金橋(ブリッヂ)の際、体内の魔素(ヴィスコ)を司る臍がまっすぐに天を仰がなければ、完全なる奇跡(スープレックス)は為しえないのだ。

 ゆえに最強の鉾である奇跡(スープレックス)を支える臍は、同時に最高の盾でもある。

 

「~~~~~~ッッ!?」

 

 果たして、金色に輝く少女のヘソが、天魔の一撃を真正面から支え始めた。

 肉体の中心穴より溢れ出した魔素(ヴィスコ)の障壁が、天狗の魔性を打ち払い、しなやかな腹直筋が硬骨なる鼻を柔らかく包み込み、なだらかな半円を描いた黄金橋(ブリッヂ)が、衝撃を大地へと分散させる。

 傲岸なる大天狗(レイヴン)の剛を、慈悲深き太陽神(ゴッチ)の柔が完全に打ち破った瞬間だった。

 

「どっしゃあっ」

 

 刹那、少女の五体が中空に跳ね上がった!

 天狗がその傲岸を発条(バネ)にするより一瞬早く、ヘソに受けた鉄槌を反動に変え、黄金橋(ブリッヂ)のままズボリと両足を引き抜き高らかと飛び上がった。

 

「くぬっ」

 

 さしものゴリィも天を統べる者。

 空中に弾き返されながらも巧みに体を翻し、大地に叩きつけられる事なく、衝撃を殺して着地した。

 

 だが、もう遅い。

 ゴリィの本能は敏感に死の気配を感じ取っていた。

 天を統べるべき天狗が、太陽神(ゴッチ)の威光を浴び、大地に引き摺り降ろされてしまった。

 これはもう象徴的である。

 羽を失った猛禽が、格闘戦(グラップリング)で超人に敵うハズがない。

 

 するりと音もなく、神の両腕は、既にゴリィの腰にまで絡みついていた。

 どくり、と一つ心臓が哭いた。

 

 

「……あら?」

 

 冬休みを間近に控えたとある日のこと。

 ゴリィ=アントワネットは、学園寮の中庭に一人佇むカルラ=クラウザーの姿を見出した。

 

「どうしたの、カルラ?

 こんな寒い日に、外で」

 

「ゴリィ」

 

 ゴリィが尋ねると、カルラは少し困ったように風に振り返り、手にした水桶を掲げて見せた。

 水桶の中では、両手に抱えるほどの大きさの土色の蛙が、こちらを気にした風もなく悠々と泳いでいる。

 

「井戸から汲み上げたら、この子が一緒に入ってきて……」

 

「まあ、珍しい。

 これほどの大蛙が、学園の井戸に住み着いていたなんてね」

 

 ゴリィは水桶の蛙と井戸を交互に見返し、得心が言ったように頷いた。

 

「この辺りで見かける種類ではないけど、

 おそらく業者が食用にでも持ち込んだのが野生化したのでしょうね。

 本場では今の倍くらいの大きさまで肥育するそうよ」

 

「えっ!?

 こ、このカエル、食べられちゃうの!」

 

「あら、皇国では蛙肉は高級食材でしてよ。

 ふふ、何でもアッチャブゥさんたちの地元の郷土料理らしくてね。

 彼女に包丁を握らせたら、一流シェフも裸足で逃げ出すわ」

 

 さっ、と顔を青ざめたカルラをからかうように、ゴリィが悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 大蛙は頭上で自分の運命が語られているとも知らず、のうのうと井戸水と戯れている。

 おそらくは、自分が囚われの身になった事すら気付いていないのであろう。

 あまりにも太々しい態度に、ふっと呆れたような苦笑がこぼれる。

 

「さっ、アッチャブゥさんに見つかる前に、自分のねぐらにお帰りなさいな」

 

 そう言って蛙を抱え上げ、井戸のへりに乗せてやると、蛙はゴリィの手を恐れもせず、もそもそと面倒くさげに体を揺すり、井戸の底へと帰っていった。

 

「この辺りはかつては火山帯だったらしくて、そのせいか地下水も幾分温いから、冬眠の必要が無いのでしょうね。

 深い井戸の底なら天敵もいないし、さながらあの子は学園のヌシね」

 

「…………」

 

「呑気なものね、まったく。

 それであんなにノソノソと構えていられるんだわ。

 自分が捕食者の手の内に居た事も……、いえ、

 井戸の外に広大な世界が広がっている事すら気が付かなかったでしょうね」

 

「……私たちだって、同じかもしれない」

 

「えっ?」

 

 ぽつりとこぼれた意味深な言葉に、ゴリィは思わず目を丸くした。

 じっ、と井戸の底に視線を落としたカルラの横顔、その心境を推し量る事は出来ない。

 

「自分が何者なのかを理解している人間なんて、この世の何処にもいないかもしれない。

 本当は誰もこの蛙のように、井戸の中を世界の全てだと思い込んでいるだけなのかも……」

 

「カルラ……」

 

 カルラの深刻な声色を耳にして、ゴリィの脳裏にも閃く所があった。

 カルラは元々、親の顔も知らぬ平民出の孤児である。

 それがわずか一年ばかりの内に貴族の列に加わえられ、今では学園内の話とは言え、学年の筆頭とも言うべき存在になっている。

 目まぐるしく移ろう環境の変化に、そして何より、急速に目覚めつつある己の資質に、彼女自身が誰よりも不安を感じ始めているのかもしれない。

 

「……この分だと、来月の降誕祭(フェス)には雪になるかもしれないわね」

 

 迷える少女に何か助言をしたいと思いながら、結局ゴリィは何も言えずに話題を変えた。

 ゴリィ=アントワネットは、ギロチンドロップ公爵家令嬢である。

 幼少のみぎりより、貴族の礼法と魔闘家(メイジ)の鍛錬を血肉になるまで叩き込まれ、自由奔放にして最も貴族らしい貴族と称えられる、現在の皇国に咲く大輪の徒花である。

 本人の心境はともかく、傍から見る限りでは、ゴリィほどの若さで自己を確立している人間など皇国にも稀であろう。

 全てを有し生まれてきたゴリィが、持たざるカルラの気持ちを「分かる」などと軽々しく口に出来るものではない。

 

「戻りましょう、カルラ。

 ぬくぬくとした井戸の底ならともかく、

 ずっとこんな所に居ては風邪を引いてしまいますわ」

 

「……ん」 

 

 ゴリィに促され、カルラはようやく顔を上げると、差し出されたゴリィの手をそっと握り返した。

 

「けれど……、ふふ、そうね。

 ねえカルラ、折角だから降誕祭(フェス)の晩餐会では、

 アッチャブゥさんにご自慢の郷土料理(フルコース)を振舞ってもらうというのは如何かしら?」

 

「や、やめてよ……」

 

 そう言って、ゴリィが悪戯混じりの笑みを向けると、カルラは本気で顔色を変えて苦笑した。

 

 ザ、と一陣の木枯らしが吹き、二人が去った足跡の上に枯葉が乗った。

 温暖なるビッグフォール皇国にももう間もなく雪が降り、少女たちの季節もやがて一巡する。

 時が移ろい、学園を巣立つ時を迎えたなら、彼女たちの関係はどう変わっていくのか。

 

 少女たちは未だ、学園の秩序に囲われた井戸の底で、ぬくぬくとした日々を過ごしていた……。

 

 

 刹那の回想の後、ゴリィ=アントワネットの意識は急速に覚醒し始めた。

 

 自分は、どうなってしまったのか?

 気を失っているうちに、戦いは終わってしまったのか?

 また、敗れてしまったというのか?

 

 焦燥する意識に対し、肉体はまるで鉛と化したかのように自由にならない。

 指の一本、眼球すらも。

 いや、動かせない、というのは少し違う。

 

 瞬き一つ出来ぬ眼球の前を、中空の礫が重油の海でも掻き分けるかのように緩やかに落ちていく。

 同時に、視界が少しずつ傾ぎ始めている事に気づく。

 蝸牛のような緩やかな歩みで、自らの両足が、ゆっくりと重力を失い始める。

 時間が止まっているわけでも、遅くなっているわけでもない。

 過去に一度、今の状況と全く同じ体験をした事がある。

 

 走馬灯。 

 己の半生を刹那の内に振り返るほどの濃密な思考体験。 

 

 自分は今、生と死を分かつ瞬間の中にいる。

 ゴリィの時間は、カルラに背後を捕られた直後から、ほとんど進行していない。

 高速回転する思考の速さが、肉体の速度を追い抜いてしまっているのだ。

 

 思う最中も緩やかに体が浮き、視界が徐々に水平に近づき始める。

 わかっている。

 時間はもはやほとんど残されてはいない。

 あとコンマ何秒かの内に、巫女の祈り(スープレックス)は執行され、自分は再び頭から大地に叩き付けられる事だろう。

 今、この刹那の時の中で、神の一撃をも退ける完全なる返し技を選び取らなければ命が無い。

 

 ……なぜ、あのような夢を見たのだろうか? 

 

 カルラとの想い出は、心の底に沈めた宝石箱のようにキラキラと溢れ返っている。

 拳を交え、彼女の吐息を至近に感じた事もあれば、共に背中を預け、命懸けの冒険をした事もある。

 なぜ、この土壇場に来て、あのような他愛ない日常の出来事を思い出したのだろうか?

 その答えは既に分かっている。

 そして、ゆっくりとだが、頭で理解するよりも早く、体は既に動き始めている。

 

『――自分が何者なのかを理解している人間なんて、この世の何処にもいないかもしれない』

 

 カルラの声が耳の奥に再び甦った。

 確かに、あの時の自分は何一つ理解していなかった。

 国一番の公爵家に生を受け、魔闘家(メイジ)として名門貴族の一員として、国家を支え、力なき人々を守る盾としての使命に生涯を費やすものだと思ってきた。

 その自分が、このような無法(アウトロー)な生き方を選ぶなど、あの頃は思ってすらいなかった。

 

 ……カルラは、初めからわかっていたのかもしれない。

 学園の日々は、永遠では無い事。

 自らが個人の意志を超えた、壮大な運命の只中にある事を。

 やがて彼女は己を捨て、高尚なる太陽神(ゴッチ)の巫女となり、大いなる運命の渦中に自らを捧げた。

 

 

 その巫女(シャーマン)を、次の一撃で再び井戸の底へと叩き落とす!

 

 

 かつてカルラに決闘状を叩きつけた時、自分なりにいくつもの巫女の黄金橋(シャーマン・スープレックス)攻略法を考え研究した。

 美尻(ヒップ)から火を噴く新魔術の開発に心血を注いだ時期だってある。

 だが今にして振り返れば、それら全てが頭でっかちな大蛙の徒労に過ぎなかったと痛感できる。

 

 あの頃の自分にはまだ、心の何処かでカッコ付けた所があった。

 太陽神(ゴッチ)の伝説を相手にするならば、人類の格闘史を包括するような緻密な技が必要なのだと、本気でそう思い込んでいた。

 だが、あの閃光の奇跡(スープレックス)を前に、花拳繍腿な返し技など通用するはずがない。

 

 技は、シンプルであればあるほど良い。

 肘の一つ、膝の一つをわずかに動かす。

 閃光の速さを前に、たかだか人間が出来る事などその程度で精一杯だ。

 

 まさに今、浮きかけた自分の右膝がゆっくりと動き始めている。

 膝頭が折れ、ちょうどあの日の蛙のように、不格好に大股を開く。

 折れた脛がカルラの腿の内側に差し込まれ、爪先が膝裏に引っかかる。

 これだけで良かった。

 後は『奇跡』がやってくれる。

 返し技とはそういうものだ。

 

 ああ、もう時間切れだ。

 刹那の思考は途切れ、答え合わせの時が来る。

 最後に、この技をあの日の蛙にちなみ――

 

 

河津落とし(ジャイアント・バスター)』と名付けよう……。

 

 

「がァあッ!?」

 

 刹那の思考はいつしか途切れ、二人の現実が急速に加速し始めた。

 

 巫女の背筋が光速で反り返り――

 巫女の腹筋が光速で天を仰ぎ――

 天狗の体が光速で回転し―― 

 その爪先が光速で膝裏に引っ掛かり――

 巫女の右脚が天空目がけて光速で跳ね上がり――

 

 

 二人の頭は勢いのまま、光速で大地に叩きつけられた!!

 

 

「アギャッ」「ヌギァッ」

 

 潰れた蛙のような無様な合唱と共に、ズン、と一つ大地が揺れ、瓦礫が再び遥かな天空まで舞い上がる。

 河津落とし、成功、とまでは流石に言い難い。

 本来ならばこの技は、引っ掛けた爪先で敵の脚を払い上げながら、背後にある敵の顎を捕え、その後頭部を大地に叩きつけて自らのクッションとする事で完成となる。

 だが、光速の奇跡を前にして、完全など望むべくもない。

 巫女もろとも、光速の自爆技に巻き込むだけで精一杯であった。

 

「ンがあああああぁああぁァあぁぁ~~~ッッ」

 

 だが、それでもゴリィが一瞬早く動き始めた。

 瓦礫の海を掻き分けるように這い上がり、うつ伏せとなったカルラの体に覆いかぶさる。

 一瞬の差を分けたのは「覚悟」の早さ。

 捨てたはずのギロチンドロップの流儀であった。

 

 もしも次に来る一撃がわかってさえいたならば。

 それがどれほど残酷な光景であったとしても、覚悟一つで乗り越えられる。

 交錯の瞬間、返しを仕掛けたゴリィだけが、光速で大地に頭を叩きつけられる事を理解していた。

 共に「心」に重きを置く、ギロチンドロップの同門であったがゆえに、一瞬の理解と覚悟の差が、その後の二人の明暗を分けたのだ。

 

「ウヌ!」

「ンギッ」

 

 朦朧とするカルラの首元に、しなやかなゴリィの腕が滑り込み、たちまち頸が軋みを上げる。

 裸締め(チョーク・スリーパー)

 ここまでの短い時間の中で、様々な闘技、魔技、神秘、奇跡、手練手管の全てをぶつけ渡り合った二人が、最後の最後に辿り着いたのがこの光景であった。

 

「ガ……、ン、ギギギ……」

 

 どのような屈強な勇者であろうとも、脳に送られる血流そのものを遮断されれば意識を失う。

 その現実の前にはいかなる奇跡も存在しない。

 古今東西のあらゆる格闘技術、鍛錬、駆け引きの全てが、この詰み筋に至るまでの攻防戦だと言っても過言ではない。

 

 一撃必殺の魔拳(カイザーナックル)

 神話伝承の奥義(シャーマン・スープレックス)。 

 ただの甘えである。

 ある意味では今、地に這った二人の姿こそ、今日の決着に最も相応しい光景と言えるだろう。

 

「ンン……がッアアアァ、アあァアアァァ———ッ」

 

 総身を震わし、ありったけの魔素(ヴィスコ)を吐き出し、少女が哭いた。

 少女の慟哭に合わせるように、ビリビリと大地が鳴動する。

 常識を超えた膂力に、思わずゴリィも瞠目する。

 信じ難い、これが、これが太陽神(ヴィスコ)の断末魔か?

 だが、どれほどの歴史を、奇跡を吐き出した所で、この結末は揺るぎはしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の瞬間、二人の体は空に落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

「~~~~~ッッ」

 

 体を切る突風の勢いが、ようやくゴリィの意識を現実に引き戻した。

 現実、いや、現実なのか、これが?

 頭上を見やれば、逆しまとなった瓦礫の大地がどんどん小さくなっていく。

 何をされた?

 いや、何をされたのか自体はよくわかっている。

 目の前で起きた現実を、頭で受け入れられないでいるだけだ。

 口にすれば、まさしく現実を超越した奇跡としか言いようが無い。

 だが、生きる伝説を相手にするならば、このレベルの奇跡までをも想定しておかなければならなかったと言う事なのか?

 

 通常、投げ技というものは、大地を支えにして相手を持ち上げるものだ。

 格闘技も駆け引きも知らぬ素人であっても、それくらいは当然わかる。

 

 だが、巫女(カルラ)は決着の瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

「がっ」

 

 そして、今となってはもはや、奇跡の大小などたいした問題ではない。

 問題は、この空中で既にカルラが動き始めているという事。

 覚悟の差。

 巫女が魅せた最後の奇跡を前にして、ゴリィは九分九厘手中に収めていた勝利を手放してしまった。

 その間にもカルラの体はゴリィの両腕をすり抜け、次なる戦形(フィニッシュホールド)に動き始めていた。

 もしもあの「鴉」であったなら、たとえ天地がひっくり返ったとて、喉笛に突き立てた嘴を緩めたりはしなかったであろうに。

 

 ぐっと細い腕がゴリィの腰に抱き着き、たちまちぐるりと五体が反転する。

 視界から大地が消え、重力の鎖が、急速に二人を引き戻す。

 

「さようなら、ゴリィ」

 

 逆さまの脳みそに、ぼそり、と少女の声が届く。

 冗談ではない!

 抗うために、自分はここに来たのだ。

 運命に屈するためでも、二度も同じ言葉を聞くためでもない。

 自分は一度、いや、二度までも太陽神(ゴッチ)の思し召しを打ち破っている。

 負けるものか。

 諦めるものか。

 死ぬか!

 死ねるか!

 たまるか!

 くたばれ!

 

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!」

 

 

 ド ワ ォ !!

 

 

 真っ赤に燃える魂が、たちまち加速する二人の体を流星に変えた。

 大天狗の断末魔が爆烈し、苛烈すぎる奇跡(スープレックス)に一つ、世界が震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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