大天狗令嬢 vs シャーマンスープレックスホールド   作:いぶりがっこ

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第二話「BOM-BAーYE」

 ――その日、ゴリィ=アントワネットは珍しく、学内の敷地を一人で散策していた。

 

 未だ中庭は朝靄の中、と言った刻限の事である。

 大勢の寮生が住まう(セント)クロックアップ学園の敷地内と言えど、流石にこのような明朝とあっては、周囲に人影は見当たらない。

 ひんやりとした早朝の空気が肺腑にも心地よい。

 妙な時間に眼が冴えてしまい、特に理由も無く表に出て見たものの、大貴族の令嬢として常日頃から大勢の取り巻きに囲まれているゴリィの目には、孤独な早朝の学園は、どことなく新鮮な風景に映って見えた。

 

 違和感に気付いたのは、厩舎の前を通りかかった時であった。

 無人の筈の厩舎の中から、何者かの動く気配が微かに感じられたのだ。

 現在、授業用の乗馬は皆、越冬先の放牧地から帰って来ておらず、こんな時刻に厩務員などいる筈もない。

 訝しげに入口を見やると、引き戸の脇にはなぜか長柄の鉄梃(バール)がつっかえ棒のように挟みこまれ、内からでは開けられないようになっていた。

 不審に思いながらも鉄梃を外し、鉄扉を開いて中を覗き込む。

 

 馬小屋の中に居たのは、背の低い、痩せっぽちの少女であった。

 

 少女はこちらの様子を気にも留めず、手にした箒を剣に見立て、小屋の隅に向かい、一人黙々と素振りをしていた。

 掲げた箒を振り下ろす度に、短く揃えた赤毛が揺れ、浅黒い少女のうなじが覗く。

 

「このような時刻に、何をなさっているの?」

 

 ゴリィが尋ねると、少女はピタリと素振りを止め、やや煩わしげに振り向いた。

 制服の胸元には水色のタイ。

 ゴリィたち三号生よりふたつ下、今年入った新入生たちのカラーである。

 

 真っ直ぐに自分を見つめる少女の視線に、ゴリィはどこか、敵愾心のような小さな棘を感じた。

 だが、ゴリィが再び問うより先に、少女の敵意はふっと掻き消え、再び壁に向かって素振りを再開し始めた。

 

(赤毛の新入生……?)

 

 ふと、ゴリィの脳裏に閃くところがあった。

 今年度の新入生の中に、魔術の素養を認められて庶流から組み上げられた少女がいるという噂話を思い出したのだ。

 やんごとなき上流階級で固められた学園に突如として現れた、テーブルマナーの一つも知らない平民の少女。

 名も無き下級貴族の御落胤か、あるいは突然変異の類か。

 気高き貴族の門弟たちの中には、どこの馬の骨とも知れぬ輩と、共に机を並べるのが面白くない者も居るのだろう。

 

 要するに、これはイジメだ。

 右も左も分からぬ平民の少女は、周囲に誘われるがまま、この厩舎に閉じ込められた。

 彼女が困り果て、あるいは泣いて助けを呼ぶ姿を見たい、その程度の動機なのかもしれない。

 呆れたように溜息を吐き出し、改めて赤毛の少女を見つめ直す。

 

 幼稚に過ぎる淑女たちの悪戯に対し、眼前の少女の在り様は余りにも意固地であった。

 誰に頼るでもなく馬小屋で夜を明かし、周囲の雑音に囚われず淡々と鍛錬を続ける。

 今、目の前に現れたブロンドの乙女に対し、事情を話す素振りすらない。

 同僚の行いを告げ口する事も、この状況をイジメだと、そう捉えられる事すら厭なのだろう。

 その頑迷さがゴリィにはどこか好ましくもあり、同時に危うくも思えた。

 

 まだ、彼女は戦っている。

 ひとり孤独な戦いを続ける目の前の少女に対し、自分は何をしてやれるのか?

 思うまでも無く、ゴリィの体は動き始めていた。

 

「おやめなさい」

 

 言うと同時に手にした鉄梃(バール)を淀みなく突き出し、振り下ろされた箒を真上から抑えた。

 その途端、少女は箒の柄を通し、両腕に特大の鉛でも乗せられたかのような重圧を覚えていた。

 反射的に振り被ろうとした箒はしかし、俄で貼り付けられたかのように微動だにしない。

 単なる腕力の仕業ではなく、その力の作用点を、真上から的確に押さえつけられているのだ。

 今度こそ、はっ、と目を丸くして振り向いた少女に対し、ゴリィは事も無げに言い放った。

 

「あなたの鍛錬には『意』が足りておりません。

 その分では、たとえ腕が千切れるまで空を切ったとて、箒は刃に化けてはくれませんわ」

 

「……()?」

 

「本物の殺意、必倒の意志。

 次の一太刀で、目の前の相手を打ち倒すという鋼の信念。

 貴方の素振りは、ただ己の中を鬱憤を、無駄に周囲に発散させているだけです」

 

 そう言って、ゴリィはゆっくりと少女から離れると、半身をとってゆるりと鉄梃を構え直した。

 誘われるがままに、少女が箒をゴリィへと向ける。

 

 瞬間、向かい合ったゴリィの体から、ぞわり、と何かが噴き出したのを少女は見た。

 こちらの構えをじっくりと値踏みする這種の瞳。

 その奥に宿る漆黒の意志、一撃必倒の信念。

 今、乙女の内から現れた激情の獣が、自分の一挙手一投足を捉え、鎌首をもたげている。

 知らず、ふるりと箒が震えた。

 その隙を見逃すゴリィでは無かった。

 

「シッ」

 

 短く呼気を吐き出して、乙女が一歩踏み込んだ。

 無骨な鉄梃(バール)はたちどころに鋭い刺突剣(レイピア)と化し、少女の喉元でピタリと止まった。

 

 ギロチンドロップ公爵家の鍛錬は、心を一、体を二、技を三に置くという。

 先ず相手を打ち倒さんとする信念が最初に有り、肉体も技術も、後からそれに倣うと見るのだ。

 立ち合いの際、最初の意志と意志とのぶつかり合いで、対手を制する事が出来たなら、その後の攻防は、常に風上に身を置いて立ち合うに等しい。

 実際に技をぶつけ合う前に、勝負を決する事が出来る。

 

 間を置いて、どっと尻餅を突いた少女に対し、ゴリィは手にした鉄梃をおもむろに差し出した。

 手本は見せた、やってみせろ。

 言外にそう言われている事に少女も気づいた。

 震える手で鉄梃を握り返し、小さな体を何とか起こすと、再び正眼に構え直した。

 静寂の馬小屋で、乙女たちが改めて向かい合う。

 

 得物を失い、丸腰になったとは言え、それはゴリィの不利を意味する所ではない。

 爆肉魔闘礼法(グリコローゲン・スタイル)の達人が放つ詠唱は呼気と交じり合い、その肉体の疾さは杖も魔導書も置き去りにする。

 鉄梃を手放し身一つとなった事で、ゴリィは真に自由な魔闘家(メイジ)となったのだ。

 現に、激情の獣は未だ消えず、乙女の周囲で蜷局を巻いて、眼前の少女の次なる一手を用心深く窺っているではないか。

 

 すうっ、と少女が一つ深呼吸した。

 その動きに呼応するように、手元の震えがぴたりと収まった。

 ぴくん、とゴリィの眉がわずかに歪んだ。

 

 飲み込みが早い。

 理不尽な同級生への怒り、庶流の出という劣等感、守り続けた小さな尊厳(プライド)、目の前に現れた鼻持ちならぬ令嬢への八つ当たり。

 先刻まで無軌道に拡散されていた激情の兆しが、少女の胸の奥深くに沈んで混じり合い、ただ一己の意志へと集約されていく。

 目の前の女を打ち倒す。

 一撃必倒の信念が、ちっぽけな少女の身体の内から膨れ上がり、やがてゴリィの放つ漆黒の大蛇を押し返し始めた。

 

「イヤァアァァ――ッッ」

 

 漆黒の重圧(プレッシャー)を気勢と共に打ち払い、少女が鉄梃を大上段に振り被った。

 ゴリィは身じろき一つしない。

 ただ、翼を得た少女の雄姿を、真っ直ぐに見つめ返していた。

 

 打ち下ろされた鉄梃は、ぴたり、と額の寸で止まった。

 空間に、再び静寂が戻る。

 

「……ッ、ゼァ、ハァッ」

 

 どれほどの時間が流れた事か。

 緊張と疲労に耐え切れず、少女がとうとう大きく息を吐き出した。

 その額に、どっと大きな汗が流れ始める。

 先ほどは自らの鍛錬の不毛さを説かれた少女であったが、今の一太刀は、まさしく千の素振りに匹敵するほどの消耗を彼女に強いたのだ。

 

「よろしい」

 

 再び震え始めた少女の手を取り、ゴリィが優しく微笑した。

 それでようやく穏やかな朝の空気が戻ってきた。

 

「自主練も結構ですけど、ここいらで朝食にいたしましょう。

 今の貴方には型稽古より、滋養の方が必要ですわ」

 

「……あ」

 

「あら?」

 

 こちらを見上げる少女の視線で、ゴリィは自分の額に血が滲んでいる事に気が付いた。

 少女が慌ててポケットからハンカチを取り出すも、そこで自らの手も土塗れなのに気付き、差し出しかけた手を咄嗟に引っ込める。

 

「有難う」

「あ」

 

 そんな躊躇いがちな少女の手から、ゴリィは半ば強引にハンカチをひったくった。

 名前を呼ぼうとして、そこでようやく、お互い自己紹介も済ませていなかった事を思い出した。

 

「私は、ゴリィ=アントワネット=ギロチンドロップ。

 貴方は?」

 

 ゴリィの名乗りに対し、少女はハッ、と息を呑んだ。

 ビッグフォール皇国の偉大なる大胸筋(チェスト)、ギロチンドロップ公爵家の深窓の令嬢。

 誇り高き聖クロックアップ学園の徒花。

 たとえ少女が庶流の出で、互いに学年も違うといえど、その名を知らぬ筈も無い。

 

 少女はしばしの間、伏し目がちにゴリィの表情を伺っていたが、やがて意を決したように顔を上げ、ゴリィの瞳を真っ直ぐに見つめ返して口を開いた。

 

「……カルラ。

 カルラ=クラウザー」

 

 

 懐かしい夢から覚めた視線の先には、見慣れた私室の天井があった。

 

 寝ぼけ眼で周囲の様子を探ろうとした瞬間、ズキリ、と鈍い痛みを覚えた。

 首筋がじっとりと汗で火照り、上手く動かせない。

 窮屈さを覚え両手で触れると、頸部が何か石膏のような物で、ガチガチに固定されている事が分かった。

 激痛に疼く肉体に喝を入れ、かろうじて上体をベッドから引き剥がす。

 

「ああ~っ! ゴ、ゴリィお嬢様ァ!

 い、いけません、まだ寝てなくはッ」

 

 ゴリィの覚醒に気付いたメイド服の少女が、手にした白磁の花瓶を取りこぼして、パタパタとベッドに向かい走り出した。

 

「ぎゃん!」

「ゴブッ!」

 

 そして勢いのまま、もんどり打ってベッドに突っ込んで来た!

 痛烈なスピアーを鳩尾に受け、ゴリィが再び、危うく白目を剝きかける。

 

「……起き抜けに随分なご挨拶ね、アンナ」

 

「はうぁ!

 すいませんすいませんすいませんすいません!

 だけど私、本当に心配で心配で」

 

 ゴリィの皮肉交じりの挨拶を受けて、アンナと呼ばれた黒髪のメイドが、そばかすの頬一杯に涙を溜めて頭を振った。

 

「お嬢様が大陥没(クレーター)と化した花園の底から掘り起こされて、もう丸三日ですよ!

 よもやゴリィお嬢様は、このまま永遠にお目覚めになられぬのではないかと思い、

 このアンナ、ここ三日というもの、ゴハンも碌に喉を通りませんでした~!」

 

 そうわめき、胸元でよよよと泣き崩れる使用人をあやしながら、ゴリィが小さく嘆息する。

 バカになった頭でも、ようやく現在の状況が掴めてきた。

 

 つまり、自分は敗北したのだ。

 

「……アンナ。

 カルラは今、どうしているかしら?」

 

「カルラお嬢……、クラウザー様なら二日前、

 国民たちの熱烈な送迎を受けて、皇都をお発ちになられました。

 大虎峡(タイガーホール)に……、

 ううっ! 太陽神(ゴッチ)の巫女の務めを果たしに向かわれたのです」

 

「そう……、あまりゆっくりもしていられないようね」

 

 ゴリィが呟くのと同時に、室内に乾いたノックの音が響き、やがてアンナと同じ服を着た、銀縁眼鏡のメイド長が姿を見せた。

 

「お目覚めになっておられましたか、ゴリィお嬢様。

 お身体の御加減につきましては――」

 

「堅苦しい挨拶は無用です。

 コンナ、お父様は今、どちらに?」

 

 ゴリィからの質問を受け、メイド長のコンナは下げかけた頭を上げて姿勢を正した。

 

「旦那様は今、中央の広間にてお待ちです。

 ゴリィ様の目覚め次第、顔を見せるようにとの仰せです」

 

「すぐに向かう、とお父様にお伝えなさい」

 

 ゴリィの回答を受け取ると、コンナはスカートの端を掴んで恭しく一礼し、そのまま部屋を後にした。

 しばしの沈黙の後、ハッと我に返ったアンナがゴリィの胸元に縋りついて来た。

 

「アワワワワ、い、いけません……!

 今のお嬢様はつい先日まで死の淵を彷徨っていたお身体。

 そのような状態で旦那様の折檻などお受け(バンプ)なされては……!

 こ、ここ今度こそ頚椎がへし折れてしまいますゥ~!」

 

「心配無用」

 

 そう短く伝えると、ゴリィは病衣を武闘礼装(リング・コスチューム)のように鮮やかに脱ぎ捨て、痛々しい痣の滲む包帯塗れの裸体を惜し気も無く見せつけながら言い放った。

 

「このゴリィ=アントワネット、知っての通りの常在戦場(ベスト・コンディション)ですわ!

 わかったらさっさと着替えを手伝いなさい!」

 

 

 ゴリィがドテっ腹に渾身のスピアーを浴びていたのと同じ頃。

 ギロチンドロップ公爵家中央の間では、大柄の紳士が長机に小ぢんまりと腰を下ろし、そわそわと周囲を見渡していた。

 

「まったく、我が娘ながら、今度ばかりはとんでもない事をしてくれたものよ」

 

 時折、そのような事を誰に聞かせるでもなくボヤいては嘆息する。

 ギロチンドロップ公爵家現当主、ドーリマンその人であった。

 尚武の気質の強い歴代当主たちの中にあって、意外なほどに温和な性格で知られる人物である。

 大柄な体躯とのギャップもあり「戦場(リング)の外では小心者」などと同輩の貴族たちから揶揄される事もしばしばであった。

 

「けれど、実にゴリィらしい話です。

 我が妹の事ながら、胸のすくような無鉄砲ぶりじゃないですか」

 

 黙々とプッシュアップを続けながら、傍らに居た長子のテリーがそう言って微笑した。

 家族との団欒の最中にあっても、有事に備え常に筋トレを怠らない、実に知的な男であった。

 

「笑いごとでは無いぞ。

 仮にも貴族の末席に名を連ねるものが、よりにもよって太陽神(ゴッチ)の巫女の使命を妨げようなどと――」

 

「ゴリィ=アントワネット、ただ今参りましたわ!」

 

 公爵の幾度目かの愚痴をバーンと遮って、ゴリィが室内に乱入した。

 ややあって、メイドのアンナがおずおずと後ろに続く。

 鮮やかなワインレッドのドレスを翻す颯爽たる姿からは、先日の無残な敗戦の痕は微塵も感じられない。

 ただ一点、頸部をガチガチに固定するぶ厚いギプスを除けばだが。

 

「……随分と大層な首飾りだな」

 

子犬(ビーグル)を躾けるだけならば、この程度の首輪で十分でしょうがね」

 

 父親の冷ややかな当て擦りを、クスリと笑ってやり過ごす。

 乙女はまさに天性の悪童であった。

 公爵は深々と諦観を吐き出し、改めて眼前の親不孝娘と向かい合った。

 

「ゴリィよ……、我らギロチンドロップ一族の家訓を覚えているかね?」

 

「気高き魂の貴種よ、力無き弱者の盾となれ……。

 一族の開祖、グリコローゲン一世の残したお言葉ですわね」

 

「ああ、そうだ。

 力を蓄え技を磨き、その身を以てビッグフォールの民の安寧を護る事こそ我らが使命。

 ギロチンドロップの家に生まれし者の本懐だ」

 

 そこまで口にした所で、公爵はダン、と長机を叩き語気を強めた。

 

「然るに今のお前はなんだ?

 貴族の本分を碌に省みる事もせず、あまつさえ、民衆の信仰の拠り所である太陽神(ゴッチ)の巫女の巡幸を妨害してみせるなど!」

 

 ゴリィは暫くの間、激しく口泡を飛ばす父親の姿を恬然と見つめていたが、その内、口舌が緩んだ隙を見て、ふてぶてしくも口を挟み返した。

 

「――お言葉ですがお父様、

 私はまだ、カルラを強者とは認めておりませんわ」

 

「何だと?」

 

「腕っぷしの話ではありません。

 カルラ=クラウザーという少女の身に伸し掛かった、運命の重さについて話しております」

 

 娘の舌鋒の鋭さに、ドーリマンの説教が思わず止まった。

 ビッグフォール皇国に置いて太陽(ゴッチ)信仰は絶対であり、その巫女の征く道を阻める者はいない。

 だが、だからと言って、旧知の少女がひとり過酷な運命を旅立つ姿を手放しで祝福できるほど、現公爵は単純な男では無かった。

 

「先代の巫女はつとめを果たした後、とうとう地上に帰っては来なかった……。

 物心着いた頃から、建国の神話を耳にする度に、私は常々疑問に感じておりました。

 常人を遥かに凌ぐ魔力と矜持を有した大貴族の皆様が、何故に巫女の伝承などを尊ぶのか。

 地上の安寧を脅かす魔王を退治するなどという大事業を、たった一人の少女に押し付けて平気なのか、と」

 

「……太陽神の巫女が、己に課せられた使命の重圧に苦しんでいると。

 彼女が、カルラ=クラウザーがそう言ったのかい?」

 

「彼女がそのような弱音を吐く娘では無い事、お父様もご存じでは?」

 

 娘からの返しを受け、ドーリマンは再びむっつりと押し黙った。

 かつては実の姉妹のように仲睦まじかった二人の事である。

 ドーリマンもまた身寄りのないカルラを、時には我が娘のように目をかけていたものであった。

 あのひたむきで辛抱強い少女の今の姿を「痛ましい」と断じるゴリィの感性は、おそらく間違ってはいないのだろう。

 

「カルラは決して特別な存在ではない、ただの我慢強いだけの少女です。

 突如として降って湧いた力に振り回され、それでもせめて、人々の無責任な希望に応えようと、

 歯を食いしばって踏み止まる彼女の姿が私には見えます」

 

 そうきっぱり言い切ると、ゴリィはしばし瞑目した。

 瞼の裏には、馬小屋の片隅でひとり素振りを続ける赤毛の少女の姿が、今も鮮やかに蘇る。

 カルラ=クラウザーの潔さは、あの頃と何一つ変わっていない。

 その身に降りかかった試練に対し、誰に頼る事も無く、孤独の中で牙を磨き続けている。

 

「……それでゴリィ、今のお前の実力で、彼女の助けにはなれそうかい?」

 

 返す言葉を失ったお人よしの父に代わり、傍らのテリーがスクワットをしながら尋ねてきた。

 緊迫した会話の最中も油断なく下半身の強化に努める、まさに知性の塊のような男であった。

 

「半年前に顕現した、カルラ=クラウザーの『奇跡』その力自体は本物だ。

 既にお前がその身で味わったように、ね。

 力無き者の理想など、強者にとっては傍迷惑でしかない。

 彼女の心を苦しめるだけだよ」

 

「…………」

 

「ゴリィ、人には分相応の役割がある。

 巫女の力に目覚めた彼女の使命を、肩代わりする事など誰にも出来やしない。

 太陽神の巫女が旅立つ時、残された皇都の人々の盾となり、

 彼女の帰るべき故郷を護り続ける事こそ、皇国貴族に生を受けし者の務めではないのかい」

 

 言いながら、テリーがスクワットを止め、足元のバーベルを持ち上げに掛かった。

 両肩に成人二人分の(おもり)を乗せながら、居並ぶ官僚たちと悠々と経済論を交わす知的な男である。

 いかに傲慢なゴリィであっても、論理的な兄の言葉を簡単に遮る事は出来なかった。

 

「私とて、何も意地悪でこんな事を言っているのではない。

 皇国の人々を支える礎たるのが、ギロチンドロップ公爵家の定め。

 ゴリィ、察しておくれ」

 

「お父様……」

 

 声色を湿らせたドーリマンの言葉に、さしものゴリィもしばし、しおらしい姿を見せた。

 ようやく癇癪を鎮めたかと安堵する二人の前で、ゴリィは不意に、ふん、と鼻を鳴らし、尚もぬけぬけと言い放った。

 

「けれどねえ、お父様、お兄様。

 このゴリィ=アントワネット、微塵も凝りていませんのよ」

 

「…………はっ?」

 

 あまりに要領を得ない言葉に、思わず二人はポカンと大口を開けた。

 この娘は一体、何をたわけた事を言っているのだろう。

 

 いや、伝説の太陽神(ゴッチ)の巫女に決闘(タイマン)を吹っ掛ける女、彼女のたわけは疑いようがない。

 それで大陥没(クレーター)に逆さ打ちとなって半死半生を彷徨い、ゴツいギプスで首元を支えるハメにまで陥りながら、なお微塵も凝りてないと言うのだから、これはギロチンドロップ家始まって以来の大たわけに違いない。

 何をこれ以上、自分は真のたわけです、などと殊更に喧伝する必要があるのだろうか?

 

「確かに、私は先日の立ち合いにおいて、見るも無残な敗北を喫しました。

 あの時カルラにその気があれば、私は二度と、こうして大地を踏む事も無かったでしょう。

 

 ……けれどそれならば、なぜあの時、彼女は私に()()()を刺さなかったのか?

 相手の魂に何ら感銘を与えぬ手心など、単なる自己満足。

 実戦においては度し難い油断でしかありませんわ」

 

「それは――」

 

 おそろしく尊大なゴリィの負け惜しみに対し、テリーは思わず次の言葉を吞み込んだ。

 この眼前のたわけめは、命さえ繋げば次の好機(チャンス)がある事を、今も微塵も疑ってはいないのだ。

 

 神はなぜ、この大たわけを処さなかったのか。

 かつての旧友に対する手向け……、天空を統べる者の大いなる慈悲……。

 いくつもの仮説が明晰な頭脳を走るも、なぜかそれを口に出す事は出来なかった。

 今、妹は何か、とんでもない事を口にしようとしているのではないか?

 

 重苦しい沈黙の中、メイドのアンナがオロオロと兄妹の顔を見渡しながら、テリーのバーベルにガシャガシャと錘を積んでいく。

 知的な兄の両肩にはいつしか、成牛一頭分もの重量が乗っていた。

 

「――もしも、私を生かしたのが、かつての馴染みの友諠ゆえと言うのであれば。

 それは、カルラが太陽神(ゴッチ)の巫女へ染まり切れていないという何よりの証。

 あるいは……」

 

「ゴリィ――!」

 

 愛娘の危うい発言を、公爵は咄嗟に身を乗り出して制止した。

 ゴリィは一瞬、狼狽する父の姿を悲しげに見つめ、しかしすぐに迷わず次の言葉を放った。

 

「あるいは、これが大いなる太陽神(ゴッチ)の意志であると言うのなら。

 この程度の制裁で、皇国の徒花が手折られると、タカを括っていたというのであれば……。

 それは主上の采配失態(ミス)

 人々が尊崇するビッグフォールの主神もまた、絶対では無いという事の証明ですわ!」

 

 

 ――ぷつん、と、何かの切れる音がした。

 

 

「い い 加 減 に し ろ ッッ!!」

 

 

 瞬間、公爵が爆発した!!

 ドゴン、という打撃音と共に長机が砕け散り、土竜(モグラ)道のように捲れ上がった石畳がゴリィの足元まで走る。

 膨れ上がった広背筋が上等なスーツを内側から破り、たちまち皇国を支える伝説の大胸筋が露わとなる。

戦場(リング)の外では小心者」と嘲られた男の本気の姿を前にして、室内に戦場(セメント)の殺気が溢れ始めた。

 

「貴種たる者の義務を放棄するに飽き足らず、

 人々の心を支える太陽神まで侮辱しようとは言語道断ッッ!!

 貴様のような大たわけ、もはや父でもなければ娘でもない!

 天に召します主上に代わり、このギロチンドロップ家当主の手で直々に制裁してくるわッ!」

 

「――公爵家に生を受けて十九年。

 磨き上げた力を以て、人々の笑顔を支える使命を誇りと変えて、今日まで生きて参りました」

 

 未だかつてない尊父の大激怒を前にして、ゴリィは一切怯むことなく。淡々と己の進退を語る。

 

「けれど、今日、ここに至り、

 もっとも身近な少女の笑顔すら守れないと言うのであれば……!

 そのような尊厳(プライド)は私には必要ありません!

 このゴリィ=アントワネットの半生から、ギロチンドロップを追放いたしますわ!」

 

「よくぞ吠えた!

 公爵家追放などと生温い!

 貴様のような悪童は、半生と言わず人生から追放してくれようぞ!!」

 

「御志、痛み入りますわ!

 ギロチンドロップ公爵家当主が秘奥、太陽神打倒の糧へと変えさせて頂きます!」

 

 売り言葉に買い言葉。

 たちまち室内に両者の闘気が渦を巻き、戦いの力場を形成し始める。

 テリーが慌て、なんとか二人静止しようと身を乗り出した。

 だが、いかにこの知的な長兄と言えど、両肩に成牛一頭分のバーベルを乗せた状態では、本気の二人を止められるハズも無い。

 

 両雄の闘気が、ついに頂点に達しようとしたまさにその瞬間、不意にキィ、とドアが開いた。

 ふっ、と室内の空気が弛み、タイミングを外された二人が入口へと視線を向ける。

 

 新たに室内に現れたのは、メイド長のコンナと、彼女の押す車椅子に乗せられた小柄な老婆であった。

 髪は白く、体は瘦せ細り、その身には半世紀も前に旅立った伴侶の為、絶えず黒の喪服を纏っている。

 ギロチンドロップ家旧公爵夫人、ボアウッド=ギロチンドロップ。

 現当主ドーリマンの生母であり、先代当主ファッキンガムⅢ世の早世に揺れる公爵家を、細腕一つで支え続けた伝説の女丈夫である。 

 

「母上!」

「お婆様ッ!」

 

 公爵家の大黒柱たるグレートマザーの登場に、親子はたちまち諍いを忘れ、手にしたバーベルをも打ち捨て祖母の許へと駆け寄った。

 長い闘病生活の果て、今や茫漠となった夫人の瞳は現世を見ていない。

 しかし、その皺枯れた指先は、何かを指し示そうと小刻みに動き続けている。

 老婆がギロチンドロップの後裔たちに、何かを伝えようとしているのは明白であった。

 

「…………」

 

 もごもごと、老婆の口が動いた。

 しかし、意味のある単語は聞き取れない。

 

「…………る」

 

 また、もごもごと口が動いた。

 焦れるように、ゴリィが祖母の口元へと耳を寄せる。

 

「なに? 一体なにをおっしゃりたいんですの? お婆様!?」

 

 

 

「 だ し ゃ あ っ 」

 

 

 

 刹那、パン!! と凄まじい爆裂音が響き渡り、一拍遅れの衝撃波が、屋敷の窓硝子(ガラス)を内側から一斉に吹っ飛ばした!

 

 痛烈なお闘魂(ビンタ)の威力を前に、ゴリィの首ギプスはたちまち捩じ切れ、勢いのまま乙女の体はくるくると宙を舞い、室内に鎮座していた皇国の開闢王【栄光のイッチヴァーン像】を粉微塵にブチ砕きながら乱暴に着地した。

 五十年前の南方超謝肉大戦争(チャンピオンカーニバル)の折、隣国アクスボンバー教国の恫喝外交(マイクパフォーマンス)に対し、開戦を躊躇う諸侯を片っ端から張り倒して決断を促したという、伝説の女公爵のお闘魂(ビンタ)注入である。

 

 突然のお闘魂(ビンタ)を前に一同が固まる中、夫人は震える体を起こし、一歩一歩、おぼつかぬ足取りで部屋の中央へと進み、未だはしたなくひっくり返ったままのゴリィの頭上で仁王立ちとなった。

 

「……元、気が、あれば……、なん、でも……、出来、る……」

 

 そのお言葉を耳にした瞬間、かっ、とゴリィの瞳が燃え上がった。

 震える体に活を入れ、足を踏ん張り腰を落とし、心のカウント8で踏み止まって、老婆の前で闘技礼形(ファイティング・ポーズ)を取ってニヤリと笑った。

 

「フ、フフ……、元気、イッパイ……、ですわ……!」

 

 

 

「 だ し ゃ あ っ 」

 

 

 グーで来たッ!!

 ナックルアローが火を噴いたッッ!!

 

 六十年前、父王の急死を契機にすっかりやさぐれてしまった先王マックスパワーⅡ世を正道に立ち帰らせたという、伝説の女官長のお鉄拳制裁(ナックルパート)である。

 ゴリィの肉体は文字通り(アロー)の如く真横にぶっ飛び、随分と風通しが良くなっていた深窓を窓枠諸共にぶち破って、そのまま一同の前から姿を消した。

 

 

 ――こうして、ギロチンドロップ公爵家は、その平穏を取り戻した。

 

 

 無残な瓦礫の山が残された室内で、ドーリマン公爵は、慌ただしく屋敷を去って行った娘の軌道を目で追いながら、ふっ、と寂し気に自嘲した。

 

「まったく、あの娘と来たら……。

 じゃじゃ馬な所ばかりが、死んだ母さんとよく似おって」

 

「本気になったあの娘の姿は、誰にも止められはしませんよ。

 ゴリィの言葉を借りるならば、神に抗うあの娘の運命は、

 他ならぬ太陽神(ゴッチ)自身がお認めになった生き方なのです」

 

 テリーは父にそう微笑して、近年ブルーワーカーなる宮廷技師が開発した最新式のトレーニング機材を、いそいそと瓦礫の山から引っ張り出し始めた。

 古い慣習に縛られる事なく、絶えず公平な視点で効率的な筋力トレーニングを標榜し続ける、何とも開明的な男であった。

 

「……迷わず、征けよ……、征けば分かるさ……」

 

 ボアウッド夫人は再びもごもごと呟きながら、コンナの差し出した車椅子にゆるりと腰を下ろした。

 

「ゴリィお嬢様ァ~!?」

 

 感極まったアンナが瓦礫の山を掻き分けて、ゴリィの去った窓の外向け精一杯叫んだ。

 

「ゴリィ! BOM-BAーYE!! ゴリィ! BOM-BAーYE!!」

 

 天よ聞け、喉よ裂けよと言わんばかりに、声を枯らしてアンナが叫んだ。

 BOM-BAーYE(やっちまえ)とは皇国の父たる太陽神に対し、いささか過激な言葉ではあったが、今の室内にそれを咎める者はいない。

 

「ゴリィ、BOM-BAーYE ゴリィ、BOM-BAーYE」

 

 未熟な見習いメイドを支えるように、コンナの声援(エール)が後に続いた。

 峻厳な銀縁眼鏡の下で、メイド長の頬が僅かに紅潮していた。

 

「ゴリィ! BOM-BAーYE!! ゴリィ! BOM-BAーYE!!」

 

 ドーリマンの太い声が、二人の唱和に重なった。

 それが屋敷を追放された親不孝な娘に贈れる、唯一の形見分けであった。

 

「ゴリィ! BOM-BAーYE!! ゴリィ! BOM-BAーYE!!」

 

 一同の唱和を取り纏めるように、伸びのある声でテリーが叫んだ。

 広背筋、腹直筋、上腕二頭筋をまったくカンタンに鍛えられる、なんとも堪らない機材であった。

 

「……ィ……ェ……ィ……いェ……」

 

 もごもごと囁く夫人の瞳は、既に現世を映してはいなかった。

 

「ゴリィ! BOM-BAーYE!! ゴリィ! BOM-BAーYE!!」

 

 まだ、声援は彼方まで続いていた。

 それはまさしく、家を捨て、未来を捨て、天に唾吐く悪役令嬢(ヒール)の生き様にこそ相応しい、

 実に野蛮で尊大な声援(エール)であった。

 

 

「シャイ!」

 

 裂帛の気勢を上げながら、乙女の身体はカウント9で跳ね上がった。

 本能的に闘技礼形(ファイティング・ポーズ)を取り、ゆっくりと辺りを見回す。

 生まれ育った公爵家の屋敷は、既に彼方の点景となっていた。

 今更ながら、思えば遠くに来たものだとしみじみ想う。

 

 まだ、声援(エール)は微かに届いていた。

 ゴリィの耳に、ゴリィの心に。

 不意に目頭が熱くなり、ゴリィは咄嗟に右腕の袖で両目を拭い、クロスした左手で中指突き立て(ファック・ユーし)た。

 

 そうだ。

 落涙など、一介の悪役令嬢(ヒール)にはそぐわない。

 振り向けば令嬢の行く先には、忌々しい太陽神の光明が、一本の道を照らしていた。

 

 この道を征けば、どうなるものか。

 危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し。

 踏み出せば、その一足が道となり、その一足が、また道となる。

 

 今、ゴリィ=アントワネットは正に、歩く大型魔導開削車(ブルドーザー)であった。

 今は己の征く道が、再び彼女の道と繋がる事を信じ、ひたむきに歩み続けるのみである。

 

「……あ」

 

 そんな悪役魔導開削車(ブルドーザー)の歩みが、ふと止まった。

 己の行く先に立ちはだかる、一人の男の姿を認めた為である。

 

 陳腐な恋愛小説ならば、失意のヒロインに手を差し伸べる男優を「白馬の王子様」などと例えるが、男はまさしく、絵に描いたような貴種であった。

 

 陽光に彩られ、爽やかな春風に煌めくブロンドの髪。

 堂々たる白馬に跨る均整の取れた長身。

 胸元には皇国の国花たる真紅の薔薇が一輪咲いて、男の気品を匂わせる。

 切れ長の瞳の奥底には、世の貴婦人たちをときめかせる、一点の憂いが微かに宿る。

 男は正に「白馬に乗った王子様」と称えられるべくして生まれて来たかのような、生まれついての王子様(プリンス)であった。

 

「ビューリ殿下……」

 

 ポツリ、とゴリィが呟くと、男は王家の紋章が刺繍された真紅の外套(マント)を翻し、鮮やかに大地に降り立った。

 

「久しぶりだね、気高き僕の徒花(レディ)

 

 そう言って、『王子様』が爽やかに微笑した。

 

 伝統ある皇国の後継者。

 爆肉魔闘礼法(グリコローゲン・スタイル)トーナメント、第三十四代統一王者。

 宮廷学士曰く「現代の万能人」

 太陽神(ゴッチ)に愛されし美と探求の巨匠。

 そしてギロチンドロップ公爵家令嬢、ゴリィ=アントワネットの幼馴染にして婚約者(フィアンセ)

 

 ビッグフォール皇国第一王子。

 ビューリホゥ=イッチヴァーン、その人であった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

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