【書籍化します】暴力耐性ゼロの社畜ゲーマーが喰うか喰われるかの異世界で生きていける訳ないだろ! 作:土野小太郎/土ノ子
葉から落ちた雫が、浅葱常太郎の首筋を冷たく滑った。濡れた樹皮と腐葉土の匂いが淀んだ空気にこもり、息を吸うたび肺の内側をじっとりと湿らせる。もう昼に近いというのに樹冠に遮られ、太陽が届かない。流石は《西方深淵樹海ブロセリアンド》だ。
「アサギはん、そっちの根っこは避けてくださいや。見た目より脆いんですわ」
先を行くブライが、腰を屈めたまま振り返らずに言う。ブライの腰帯には鉈と採取袋に混じって今朝渡した灰色の筒が一本揺れていた。
指された先では、苔に覆われた太い根が地面から浮き上がっていた。中身はとうに腐っているらしく、その下には、黒い泥の窪みが口を開けていた。
斥候の助言に、常太郎は素直に迂回した。
「もう少し先です。日当たりのいい斜面に、目当ての草が固まって生えているはずなので」
最後尾を歩く若い薬師が、背負い籠の紐を握り直しながら、のんびりとした調子で言った。
依頼は採取に赴く薬師の護衛。目的地は日帰りでいける樹海の浅層で、魔獣との遭遇も少ない――依頼票には、そう書かれていた。
(深淵樹海に危険じゃない場所なんてあるのか?)
と、依頼を聞いた常太郎は首を捻ったものだ。
ただし、今回の採取地は例外だという。
「――《瘴気》を治す薬の材料、でしたっけ」
「いえ、回復薬なら一応はもうあるんですよ」
薬師は癖なのか歩きながら手近な葉の裏を指先でめくり、そう答える。
「ただ、保存が利かなくて。瓶に詰めても、すぐに薬効が失われてしまうので」
「実用にはまだ遠いと」
「そもそも《瘴気》に対する回復薬自体、できたのが最近ですからね。飲めば全部元通り、なんて便利な代物でもない」
あらゆる命を蝕む《瘴気》のタチの悪さは常太郎も嫌というほど知っている。正気を喪い、同士討ちをする兵士達の姿を思い出した。
「今回はどうにか保存性を高めるための薬草採取が目的で。ま、上手くいくかはやってみないと分からないですけど」
「あんたの紋章じゃ足りないか」
薬師の手のひらに輝く《紋章》は《
「《浄化》は手の届く相手にしか使えませんからね。使い手だって限られているし、僕一人が走り回っても限界はありますから」
薬師は肩をすくめてそう答え、常太郎は確かにと頷いた。
そのまま半刻ほど歩くと獣道は枯れ沢へ下っていく。水はとうに涸れ、底に丸い石と枯葉が溜まっている。かなり急な傾斜だ。ここで転べば底まで一直線だろう。
「足元、気ぃつけてくださいや。ここらは崩れますさかい」
ブライが斜面に生えた木の枝を掴み、身体を引き上げる。常太郎は急斜面に手間取る薬師を後ろから押し上げ、滑る土を蹴って登った。斜面の縁に立つ大樹の股に、朽ちた倒木が一本、斜めに引っかかっている。3人はその下を屈んで抜けた。
「お……」
斜面を越えた途端、頬に温かな光が触れた。
薄暗い樹海とは打って変わり、そこには陽だまりの点在する穏やかな樹林が広がっていた。木々の間隔は広く、柔らかな草が地面を覆っている。風が通るたび、葉の隙間で光が揺れた。
日差しを塞ぐ古木が少ないのだ。ここまでの道のりとは明確に植生が違っていた。
「――魔獣の気配が薄いですな。樹海の中やのに妙に明るいし」
「このあたりは双角亜竜バイコザルドの縄張りなんです。草食で、古木を積極的に倒して回るので日差しがよく入るんですよね。お陰で薬草の育ちも良くて」
薬師が籠を下ろしながら、のんびりとそう言った。
「だからここは貴重な薬草の採取地なんです。他の魔獣も寄り付かないし。ただし草木を荒らさないのが条件で、籠一杯が目安ですね」
なるほど、と相槌を打つ常太郎を他所に薬師が薬草を探し始める。この辺りに慣れているのか、楽し気ですらあった。
バイコザルドを見つけたのは、薬草の群生地を探し始めて半刻ほど経った頃だった。
「グゥゥゥゥ…………——」
まばらな林の向こうで、梢がゆっくり押し分けられた。
そこから現れたのは、言うなればヘラジカめいた大角を戴いた二足歩行の巨大な蜥蜴だった。
目立つのはやはり分厚く広い巨大な双角。直立歩行で巨体を支える両脚は太く、力強い。巨体に劣らぬサイズの尾は振り回せば岩石でも容易く吹っ飛ばしそうだ。
「デカいな。あれがバイコザルドか」
「ええ。草食で温厚。でもすごく強いですよ。人を見つけても襲ってはきませんから安心してください」
薬師は慣れた様子で巨獣を観察しながらそう告げる。
ブライは常太郎の耳へと声を潜めて囁いた。
「アサギはん。念のためやが間違ってもアレと戦おうとか考えたらあきまへんで」
「そんな予定はないな。さっさと先に行こう」
忠告に常太郎は肩を竦め、バイコザルドへ背を向けようとした。
その時、音が聞こえた。
バイコザルドが顔を上げ、木々の隙間越しにこちらを見ている。たまたま視線が合い、常太郎は足を止めた。釣られて薬師も止まった。
「見つかりましたね。声に気付いたのかな。知ってます? あの角は音を集める役目もあるんですよ」
「一応聞くが、本当に危険はないんだろうな」
「大丈夫ですって。あれは人を――」
薬師の声が不自然に途切れた。
巨体が向きを変えていた。草を食む姿勢ではない。首が低く落ち、尖った角がこちらを向いていた。前脚が地面を掻き、腐葉土が後方へ噴き上がった。
さながらバッファローが敵を角で跳ね上げる、その直前の構えに似ていた。
「え」
舌をもつれさせた薬師があとずさる。それは果たして偶然か、その一歩を境にバイコザルドが動く。
「ゴォア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”――――!!」
濁った雄叫びを挙げ、バイコザルドが常太郎達へ突撃を開始した。ブルドーザーじみた勢い、大双角が巻き込んだ立木を薙ぎ倒しながらの驀進だった。
(『武士』)
(任せろ)
短く言い交わし、常太郎は『武士』に主導権を預ける。眦が鋭く吊り上がり、無機質な戦意を纏った。
相対距離は約60メートル。疎らな立木は驀進するバイコザルドに薙ぎ倒されていく。速い。接触まで後数秒——。
「横に飛べっ!」
叫ぶと同時に薬師の襟を掴み、引きずるように左へ飛び込んだ。ブライは言われるまでもなく右へ跳んでいた。
横っ飛びでできた空間を巨大な影が駆け抜ける。
軌道上にあった若木が根元から薙ぎ倒されていく。バキバキと豪快に木々のへし折れる音が響く。大双角を大地を削り取り、土煙の帯を引いて巨体が走り抜けた。
「なんて馬鹿力だ」
呆れたように『武士』が呟く。
振り返れば
翔け抜けた先でひと際巨大な大樹にぶつかり、衝撃が大地を走り抜ける。そこでようやくバイコザルドは停止した。だが堪えた様子はまるでなく、大きく弧を描いて再び
「……黒いもや? なんや、アレは」
「違う。アレは――」
日の下に出ると異質な“黒”がクッキリと目についた。
鱗の隙間から滲み出る黒い靄。荒い呼吸のたびにそれが鼻孔から漏れ、地面をどす黒く汚していく。
地面に転がったまま、薬師が大声で答えを叫んだ。
「――《瘴気》です! バイコザルドが《瘴気》に憑かれたんだ!?」
這うように『武士』がいる木の陰へ転がり込んでくる薬師。その声は震えていた。
「交戦する。2人とも下がっていろ」
そう言ってアサルトライフルを構え、他の2人の前に出る『武士』。その無機質で鋭い殺気に反応したか、バイコザルドの意識が明らかに『武士』へと向いた。
「確かに大したパワーだが――」
(ま、
と、『武士』と常太郎は気負いなくそう言い交わす。立ち並ぶ立木などの悪条件は多いが、立ち回りで十分補える範囲内。
強敵であっても難敵ではない。そう気負いなくバイコザルドを討伐しようとした『武士』を、薬師の懇願が止めた。
「お、お願いです! バイコザルドは殺さないでくださいっ」
「……理由を聞こう」
聞く以上の約束はせず、『武士』はぶっきらぼうにそう言った。
視線はバイコザルドから外さない。旋回が終わりかけている。二度目の
「バ、バイコザルドなこの辺りの主だからです。殺せばこの辺りは荒れて採取地が消える……ギルドからは大目玉です」
極めて現実的かつ即物的な利権が絡む懸念に、『武士』は渋い顔をした。
「あとアイツには助けられたことが……いえ、あっちは助けたつもりなんかないでしょうけど――!」
「事情は理解した」
話が長くなりそうなので無情のカット。薬師は決まり悪げに黙り込んだ。
「だがどうする? 殺すのがダメなら逃げるくらいしかないが」
そう問いながら既に退路を見定め始めている『武士』。だがその当然の判断に待ったがかかる。
「僕が……やります。数秒、動きを止めてくれば僕がこの手で《瘴気》を《浄化》します」
本気か、と『武士』の視線が薬師へと向いた。
視線が合う。強張った顔が、それでもこくりと頷いた。
(危険すぎる。俺は反対だが……)
(依頼主が根性見せてんだ。付き合おうぜ)
情が薄く、リスク計算が厳しい『武士』は当然難色を示す。だが常太郎はむしろ情に乗って決断した。
(それがお前の決断なら俺は従うだけだ——オーダーを出せ、常太郎)
自らを主人格の振るう武器と規定する『武士』はそう告げ、再度アサルトライフルを構えた。
(目標を殺さず、完全に無力化。作戦は――これから考える!)
「出たとこ勝負か。相変わらず
『武士』がそう愚痴を吐く。
その瞬間、突撃体勢を取り終えたバイコザルドが溜めこんだ力を爆発させた。
「ゴォア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”――――!!」
二度目の
「ふん、やられるばかりではな!」
横合いから構えた小銃の引き金を引く。走り抜けようとする巨体の側面、肩の付け根へ。鱗が割れ、鮮血が散った。
だがバイコザルドは速度を落とさず蹂躙し走破するのみ。痛がる素振りすら見せず、ただ暴走した殺意を
(――痛みで戦意を削ぐのは無理か)
「《瘴気》か! 相変わらず厄介な!」
幹に背を預けて、『武士』が忌々し気に吐き捨てる。その裏で常太郎は考える。いくら傷を増やしても、あの強烈な突撃は止まるまい。
だが、あの旋回。
二度の突撃とも大きく弧を描いていた。車は急に止まれないし、その場で向きを変えることもできない。
常太郎は枯れ沢へ続く斜面へ目をやった。急斜面。黒く湿った滑りやすい土。その縁に立つ大樹と、股に引っかかったままの倒木。
悪くない思い付き。だがまだピースが足りない――。
(『武士』。バイコザルドを斜面の縁まで引っ張れるか)
(何をする気だ)
(やれば分かる)
常太郎は手短に作戦を伝えた。『武士』はまた無茶をとボヤいた。
「ブライ! 枯れ沢の方へ向かう! 合図したら
「――っ、あいあい!」
ブライへ指示を飛ばすと緊張した返事が返ってくる。使い方は教えてある。まさかこんなシチュエーションで使うとは思わなかったが。
「お前はこっちだ、デカブツ」
『武士』が大樹の陰から飛び出す。わざと下生えを踏み鳴らし、枯れ沢の縁へ向かって走った。
「ゴォア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”ア”――――!!」
三度目の雄叫びが轟いた。
『武士』はジグザグとバイコザルドを振り回すように樹木の間を駆け巡る。
だがそんな小細工など関係ないと、背後で樹々の折れ砕ける甲高い音が連続して上がる。地面の震えが、一歩ごとに近くなる。歩幅を刻み、根っこと石を避け、湿った土を斜めに蹴って、倒木の掛かる大樹の脇まで走り抜けた。
――首筋に、生温い息がかかる。
「今だ!」
「あいよっ!」
合図とともに横合いからブライの声。灰色の筒がバイコザルドの鼻先へと放られる——筒の名は
閃光、そして轟音。
無論至近距離で巻き込まれた『武士』も本来タダでは済まないはずだが。
「――――光と音は対策済みでな」
瞳孔の瞬間収縮と外耳道の肉腫封鎖。《生態兵装》を用いた人体操作で過剰な光と音をカットできる『武士』だからできる、フレンドリーファイヤ上等の荒技だ。
「————!?」
一方、もろに食らったバイコザルドは驚きに体を硬直させ、バランスを失い転んだ。突撃の勢いのまま、巨躯で地面をガリガリと削る。が、すぐに立ち上がり、四足歩行から二足歩行へと切り変える。弱点となる頭部を無防備に晒すのを嫌ったか。
「この一瞬が欲しかった」
そしてここまでは常太郎の読み通り。
『武士』が新たに生み出すのは
最大の武器とは、時に弱点である。
「
引き金を引く。タングステン徹甲弾がマッハ2.5の速度で駆け抜ける。反動が肩を殴り付け、踵が土を抉った。
打ち砕かれた左角の先端を通じ、衝撃がバイコザルドの頭蓋を走り抜けた。
その巨大な頭蓋骨の中で小さな脳味噌が
「ぐ、ぅ”……」
ぐるん、とバイコザルドの目が回る。たたらを踏んだその脇を、小さな影が素早く駆け抜けて背後に回った。
大地を踏み砕く勢いでなされた大跳躍は瞬く間に影――『武士』をバイコザルドの後頭部付近へ運んだ。
「もう一発、喰らっておけ!!」
銃身を掴んだ
どごん、と肉を撃ち抜く音が鈍く響いた。
「~~~~!?!!?!?」
元々倒れかけていたバイコザルドに最後の一押しが加えられ、枯れ沢へと続く斜面へ巨体が落下していく。
地響きが轟く。
斜面の淵に立って見下ろせば、底の枯れ沢に転げ落ちたバイコザルドの姿。
「この
斜面の縁に立つ大樹の股に挟まった巨大な倒木。それを武士が強引に持ち上げ、枯れ沢のバイコザルド目掛けて放り投げる。
ガラガラと急斜面を転がった巨木の遺骸は、結構な勢いでバイコザルドに重石としてのしかかった。ぎゃんっ、と情けない悲鳴が響いた。
「ひ、ひぇぇ……」
「アサギはんに付き合うならこれくらいで驚いてちゃあきまへんで」
人間離れした
日々魔獣を屠り続けた身体強化と《生態兵装》による肉体改造の賜物だ。『浅葱常太郎』の身体能力は人外の領域へ確実に近づいていた。
「グゥゥゥゥ……」
バイコザルドが呻いた。巨躯は倒木に押さえられ、 柔らかな土に半身が埋まっている。さらに脳震盪にも苛まれる体が起き上がることはない。
鎮圧完了と言っていいだろう。
「今だ、《浄化》をかけるぞ」
「はっ、はい!」
淡々と告げると、若い薬師が斜面の縁へとりついた。ダウンしたバイコザルドの頭部へ向けて駆け降ろうとする。
「…………ゥ”ゥ”ゥ”ッ!!」
赤く濁った巨大な眼球が、薬師を捉えた。
メキメキメキ……!
身動ぎ。のしかかっていた巨木が浮き上がる。鼻孔から黒い息が吹き出した。地を這った黒い靄が、触れた先から下生えを枯らしていく。
《瘴気》だ。リミッターを壊し、殺意・敵意を増幅する穢れた魔力がダメージを無視してバイコザルドを突き動かす――。
「おい、嘘やろ……?」
「……っ、ひ」
ブライが唖然とし、薬師の口から引き攣るような息が漏れた。薬師が斜面の縁に足をかけ、大きく下がったことを誰も責められまい。
「しぶといな」
(追加サービスをご所望だとよ、武士)
「ああ。大人しく寝ていればいいものを——2本目だ」
が、常太郎と武士は容赦なく再びの
撒き散らされる閃光と轟音に、バイコザルドは今度こそ完全にノックアウトされた。
「今だ!」
「ぃ、今ですね! ほんとですよね!?」
「さっさと行け」
それを見て頷いた『武士』は躊躇う薬師の背中を押す――というよりも強引に斜面から突き落とした。即座に自身もその後に続く。
斜面を転がり落ちる薬師が涙を滲ませながらも必死に両手を組む。重なった手のひらに白い光が灯り、溢れた。
組み合わされた両手がバイコザルドの頭部に触れ、その後ろで『武士』がアサルトライフルを構え備えている。
「——《
それは邪を祓う浄化の光。光は鱗の隙間へ差し込み、内側から黒い靄を押し流していく。押し出された靄は薄れ、地面へ落ちて散った。バイコザルドの体が一度大きく震え、濁っていた目から狂熱が引いていく。
バイコザルドの全身から力が抜ける。荒かった呼吸が深く、遅くなる。呼吸はやがて寝息へ変わった。
樹海が穏やかな静けさを取り戻した。
『武士』はしばらく銃口を下げなかった。巨体は呼吸に合わせて身じろぐのみ。聞こえてくるのは寝息だけ。それを確かめてから、ようやく銃を下ろして退いた。
「良かった……上手くいったみたいです。バイコザルドが生きてさえいればこの採取地もなんとかなる。本当に、ありがとうございました」
「ああ……仕事だからな」
胸を撫で下ろした薬師が掠れた声でそう言うと深く頭を下げた。
戦闘は終わった。主導権を常太郎へ切り替え、手を挙げて軽く答えた。
「ところで臨時報酬を期待しても?」
「あはは……」
「ま、期待はしていなかったけどな」
薬師は気まずそうに笑って目を逸らした。常太郎は肩をすくめた。
「シブチンと言いたいとこやが元々護衛役やからなぁ。ま、その分ギルドへの報告にはよくよく頼んまっせ!」
が、世渡りに慣れたブライが目敏く主張すべきところは主張する。相変わらず転んでもタダでは起きない男だった。
「それはもちろん! 期待以上の文句なし、花丸満点でギルドには報告させてもらいます」
「そんならヨシッ! ですやろ? アサギはん」
「ああ」
終わり良ければ総て良しとブライが声を上げて笑った。常太郎も肩を押さえたまま、口元を緩めた。
実のところ肩が結構痛い。脚は重いし、身体が燃えるように熱い。《生態兵装》は強力な分、反動はけして軽くないのだ。
それでも穏やかな寝息を立てるバイコザルドとそのそばで笑う薬師を見れば、悪くない仕事と思える。
「さて」
常太郎は腐葉土に落ちていた籠を拾い、薬師へ渡した。目をパチクリとする薬師に笑って告げる。
「依頼は、こいつを助けて終わりじゃないだろ」
「あ……はい!」
薬師は籠を受け取り、今度ははっきりと笑った。
「必要な分だけすぐに集めます。えーと、あの薬草だから多分あっちのあたりに……」
「ほな、あいつが起きる前に済ませまひょか」
幸い、目当ての薬草は比較的付近で見つかった。
三人は踏み荒らされずに残った薬草を必要な分だけを摘み取った。籠が満ちても、採り尽くさない程度に。
採取を終えると、太い枝を梃子にバイコザルドの首を圧迫していた倒木を三人で少しズラず。目を覚まして力を取り戻せば、自分で抜けられるだろう。
「……ゥゥゥ……」
眠る巨体はもう黒い息を吐いていない。
常太郎が先導し、薬師が満たされた籠を背負い、ブライが機嫌よく笑う。そうして三人は来た道を戻っていった。行きよりも会話は弾んでいた。
そして人の気配が遠ざかり、樹海に生き物たちの声が戻る。
そして、不吉な音が微かに響く。
眠り続けるバイコザルドの周りには、祓われた黒い靄の残滓がまだ薄く漂っていた。
それは風に散らず、不自然にその場へ漂い続けている。だがやがて低く、地を這うように森の奥へ流れ始めた。下生えの間を縫い、根を越え、腐葉土の窪みを伝って、一点へ集まっていく。
やがて樹海の地下を行く魔力の流れ――龍脈に乗ってはるか遠くへと。
『……………………』
その流れの先に待つのは――黒騎士。かつて常太郎とも相まみえた《瘴気》を纏う妖人が、無言のまま立ち尽くしていた。
黒騎士の下へ黒い靄が集い、鎧の隙間へ吸い込まれてる。怪人は《瘴気》を通じて一部始終を
ドクンッ。黒騎士の纏う《瘴気》が不吉に脈動する。
足元の草が黒く萎れた。傍らの大樹が乾き罅割れ、急激に瑞々しさを失っていく。
黒騎士は何も語らない。
兜の奥から覗く視線を三人の去った方角へゆっくりと向け――
何かを握り潰すように拳を固めた。
ある意味では書籍版のお試しみたいな短篇でした。
実は気性が穏やかなバイコザルドと《瘴気》の相性は良くなかったり。パワーアップも大分控えめ。
では仮に『子殺しへの復讐』なんて生態を持つ大魔蟲に《瘴気》が憑りついたらどうなるのかと言うと、当然
はい、序盤でロケランに散った《復讐の女王蜘蛛》が書籍版では再登板します。
そのヤバさはどうぞ書籍版をご覧あれ。
そして書籍版で変わったのは《復讐の女王蜘蛛》だけではありません。
WEB版は、更新速度を優先しながら走っていたこともあり、正直かなり行き当たりばったりでした。
書籍版ではシリーズの第一巻として成立するよう物語の骨組みから丸ごと組み直しています。
何気なく置かれていた出来事を伏線として繋ぎ直し、アウレリア、ヴィキシー、ユウキといった主要キャラにもそれぞれ物語上の役割と見せ場を作りました。
《復讐の女王蜘蛛》と黒騎士も、途中で消える敵ではありません。
第一巻の最初から最後まで物語の中心に食い込んできます。
《瘴気》とは何か。
黒騎士の目的は。
そして、常太郎に隠された第四の《紋章》とは。
WEB版で撒いた種を拾い直し、一本の物語として、最後までしっかり盛り上がって完結する一冊にしました。
単なる加筆修正ではなくWEB版を原型に今の自分が出せる一番強い『暴ゼロ』へ作り直したつもりです。
WEB版を読んでくださった方ほど、
「あれが、こう繋がるのか」
「このキャラを、ここまで掘り下げたのか」
と楽しんでいただけると思います。
明日7月20日、発売です。
ここまで読んでくださった皆様にこそ、書籍版で生まれ変わった『暴ゼロ』を見届けていただけたら、本当に嬉しいです。
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