『……記譜検索──王都東地区にて窃盗を繰り返すニ名の少年については、今のところ記譜が存在しない。捕らえでもしない限り、実態を掌握することは困難だろう』
──王都東地区の裏路地、雨上がりの夜。
軋む廃材の屋根の下に、少年はじっと身を潜めていた。
……通り雨に冷やされた空気は、いつも冷たい。
服の隙間から忍び込む風が、ピリピリと肌を刺した。
「──もうちょいマシな布はねぇもんかな」
穴だらけの毛布を肩に巻いた少年──カッツェ=シュヴァルツが、乾いた小枝を口に咥える。
……かつて"生き方"を教わった先輩の、物真似。
その先輩にとってそれは手に入らない煙草の代わりだったそうだが──カッツェは、ただ何となく。
その仕草を真似することで、少しだけ貧しさが紛れるような気がしていた。
靴は左右バラバラ、薄手のジャケットは"それなり"だが、それも廃棄物資の盗品。
何よりも、この空腹だけはどうにもならなかった。
「……そろそろ食いもん調達しようぜ」
「──まだこの前拾ったパンがある」
カッツェの隣に座った相棒のレオン=ベルガーが、焚き火の残り火を棒でかき混ぜながら応えた。
彼の格好も似たようなもので、裾の破れたマントに、指のむしれた革手袋。
「カビたやつだろ?」
「大体のもんは煮れば食えるんだよ」
「……パンを……煮る……?」
カッツェが目を細めると、レオンは焚き火の傍らでボロ鍋を取り出した。
中には水と──豆が3粒。何かの根。パンの破片。
「肉が食いたいんだよおれは!」
「ないものねだりすんな。黙って食え」
──いつも通りの夜だ。
裏通りに月は出ない、星も見えない。
焚き火の光だけが、少年たちの瞳の中で揺らめいた。
「……なあ」
「ん」
「──おれらって、生きてる意味あんのかな」
珍しく感傷が交じるその台詞に、返事はない。
レオンは、ただ空になった鍋の中をじっと見ていた。
……風の便りで、友の死を聞いた。
餓死、だったそうだ。
「あいつにはあったのかな」
驚くことも、悲しむこともない。
彼らにとって"それ"は、いつも傍らに佇む。
自身もその列に並んでいることを知っている。
「俺らが決めることじゃないだろ」
「そうだけどさぁ」
それを不幸とも思わない。
比較出来る幸せを知らないから。
「……最期くらい、腹いっぱい食って死にたいよな」
レオンが、言葉もなく頷く。
順番待ちのフィナーレには──そのくらいの御褒美は、あって良いだろうにと思う。
……豆と、根と、ふやけたパン。
無味のスープは、案の定、腹の足しにもならなかった。
──ふと。
遠くで、夜を裂くような笛の音がする。
それは、宮廷騎士団が夜間巡察を始めた合図だった。
カッツェが、ひゅ、と口笛を返した。
「へへ、あいつらをからかうのは結構好きだ」
木の枝を咥えたまま、カッツェが笑う。
「……無駄に煽るのやめとけよ。その内本当に捕まるぞ」
……生きてる、意味。
レオンは、ぼんやりと考えていた。
この先には、何かあるのだろうか。
その更に向こうに、何が残るだろうか。
「……やっぱ寒いわ。──毛布でも探しに行くか」
「明日の食い扶持もな」
焚き火の消えた暗闇。
カッツェが立ち上がり、レオンもそれを追って腰を上げる。
「──ルールを決めようぜ」
背伸びしたカッツェが、いつもの調子で言った。
共に過ごす内、気付けばいくつも増えてゆく。
何の意味もないが、そこに意味がある──二人の、掟。
「"良い毛布を見つけたら、次の飯は肉"だ」
「まず肉を見つけてから決めろよ、そのルールは」
「肉をくるんだ毛布かもしんないだろ」
「どんな状況だよ。嫌だろそんな毛布で寝るの」
「おれは良いよ、今のよりあったかけりゃ」
王都の裏側、言い合いながら暗闇を彷徨う二つの影。
ふと、手を伸ばしたカッツェがレオンを制した。
曲がり角の向こう、間近に迫る軍靴の音。
通り過ぎる直前で、カッツェが口笛を吹き鳴らす。
──騎士達が、路地の奥に二人の姿を捉えた。
「──また貴様らか! 薄汚いコソ泥どもっ!!」
「ほら追ってこいよ! のろまな騎士どもっ!」
舌を見せるカッツェに、騎士が憤慨する。
二人が、同時に踵を返して駆け出した。
「──待てガキ共っ!!」
「なんで追われたがるんだよ! 何もしてねーのに!」
「どうせこれからするじゃん。──あっはっは!」
──生きてる意味なんて、考えたって分からない。
楽しそうに笑いながら、それに呆れながら──。
コソ泥達は、今日も二人で逃げてゆく。
……少なくとも、今、生きていることだけは確かだ。
『──それは彼らの稀有な逃走術に依るものか、追走した騎士達の言葉なき温情か。少なくとも、彼らが騎士団を相手取り、今も逃げおおせていることだけは確かだ』