海のアドリブ作品集〜転生者コンビの紡ぐ物語〜   作:月日は花客

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3:わたしの海

 

 その一冊は鮮烈に……そして突然に世に現れた。

 

 津潮(しんちょう)社という出版社は、出版社としてはトップの売り上げと長い歴史を誇る大手出版社である。

 様々な作品を出版、企画しており、週刊津潮は文芸誌の中で最も高尚とされる。津潮賞は毎年数多の作家たちが席をとりに行き、受賞者はその後の作家人生でスターが決定する。まさに出版業界のトップであった。

 

 そんな津潮社の中でも、週刊津潮や他雑誌から人気だった作品が選出される文庫、津潮文庫にて、その作品は発表された。

 タイトルは「わたしの海」というシンプルなもので、文庫本としては薄い10万字に届かないページ数だった。作者の名前は「海のアドリブ」と匿名で更に名前として成り立っていないものであり、一部読書家の話題を呼んでいた。

 文庫本というのは、事前に新書として大きいサイズの単行本が出ている場合が多い。

 そこで売れた作品が、保存用として文庫になるのだ。

 しかしその本は最初から文庫であり、カラー挿絵が何枚もついた豪華仕様。スピン(本についている紐のしおりのことだ)は深い青色で、表紙の鮮やかな青と白のイラストも相まって様々な人間が惹かれるように手に取った。

 青というのは、人間を惹きつける色をしている。海に囲まれた人間は、自然と青を意識するようになるのかもしれない。

 

 中をひらけば、青を基調とした口絵が姿を現す。主に線で構築されたそれは昼間の海岸を歩く男女が描かれており、鮮やかな色彩と女性の靡く茶髪、繋がれた手にロマンスを想像させる。

 2枚目の口絵は海を描く男の背中だった。

 窓から見える水平線を描く姿は影の配置もあってどこか寂しげに見える。揺れる白いカーテンに、ただ見ているこちら側にも海風が吹き抜けてきそうな爽やかさを感じた。

 そうしてタイトルと著者名がもう一度書かれ、読者はドキドキと早るように目次を飛ばして本文へ進む。チラリと見えたページ分配で短編集だとわかった。

 

 最初の話は恋の物語だった。

 書き出しは「海を知らぬ少女の前に麦藁帽子のわれは両手をひろげていたり」だった。

 どこか唇に馴染む言葉のテンポに、口の中で反芻してから本文を読み進める。

 

 村で一番の元気小僧な主人公は、今日も母に無理やり被せられた麦わら帽子とともに村で一番のお屋敷である少女の家に来ていた。

 少女は病弱で、森の中にあるお屋敷から一歩も出たことがなかった。窓には木漏れ日しかなく、彼女は正しく海を知らなかった。

 そんな彼女に少年は語る。海の大きさ、青さ、その美しさを。

 

「海ってのはこの世界のほとんどを覆う水の膜なんだ」

 

 そう言っても、少女はきょとんとするばかり。

 

「海は何しろ、真青(まっさお)なんだ」

 

 少年がそう言っても、

 

「青い水なんてほんとにあるのかしら」

 

 と言って笑うだけ。

 少年の話は嘘のように扱われ、信じられることは無かった。

 少年は毎日この屋敷に通い、海のことを語っていたのだが、ちっとも少女は信じてくれない。しかし笑われても、流されても、少年はこの時間が大好きだった。

 そんな日々に亀裂が走ったのは、少年が成長痛に悩まされ始めた頃。

 少女の容態が酷くなり、話すのも苦労するほどに病が進行したのだ。もはや食事すら辛いようで、屋敷は暗い雰囲気に包まれていた。

 少年は今こそ彼女に海を見せたいと、そう決意した。海を見せれば、その美しさにきっと心が安らぎ体調も回復する。そう信じていた。

 なんてったって、少年は辛い時はいつも海を眺めて元気になっていたのだから。

 

 少年は重い樽を抱えて、海の水をたっぷり汲んでお屋敷を訪れた。

 海の一部を取ってきてやったと、これが海だと少女に見せた。

 

「うそつき!」

 

 しかし樽にあるのは青くも、怒濤でもなく、波もない水だった。

 少女は少年を強く非難した。

 こんなもの、貴方が語った素晴らしい青色じゃないじゃない!

 少年は何も言い返せず、ただ叫んだ。

 

「たしかに、さっきまでは海だったのに!」

 

 少女は少年を嘘つきのオオカミ男だと頬を張り、そのまま寝たきり動かなくなってしまった。屋敷を追い出された少年は、ただの水となった海と樽と共に途方に暮れるしか無かった。

 しかしそんな時でも、海は変わらず青く、怒濤で美しかった。

 小さな島の、小さな子どもの小さな失恋だった。

 

 これが、1話目。

 読者は震えた。1話目に幼な子の悲恋を持ってくるパンチに、まさしく強く殴られた気分だった。

 確かに、海の水は掬ってしまえばただの塩水であり、そこに海の青さも何もない。それを知らなかったから、少年は海を逃してしまい、少女を失った。

 ある者は泣いた。こんな事ってないだろう。少女は最後まで海を知らず、少年はかけがえのない存在と空間を失くしてしまったのだ。読みやすくどこか淡々とした口調で語られるそれはストレートな悲恋で、既にハンカチを涙でビチョビチョにしていた。

 故郷のあの娘を思い出したからかもしれない。自分は嘘つきだが、この話の少年は嘘つきではないのに嘘つき呼ばわりされてしまった等違いはあるが、シチュエーションや立場が自分と彼女の関係を重ねたようで。

 借りたその本を涙で濡らさないように苦労した。

 

 2話目は、書き出しが「ある日、突然、世界中の海が消えてしまった」から始まった。

 世界中から海が消えてしまった世界で、一人海を思う少女の話だ。

 どんな本からも、人々の記憶からも、美術館からも、海が消えてしまった。世界は陸地が大半になり、すべての陸は陸続きとなった。

 少女は旅先で様々な人に海を訪ねる。

 

「海を知りませんか」

「うみ? うみってのは、なんだい?」

「海というのは、青く広い水の塊です。この世界を、ほとんど覆ってしまえるほどの」

「はは、そんな物があったら、とんだ夢物語だ」

 

 少女だけが海を知っていた。

 旅先では様々な人間がいた。貴族、平民、村民、奴隷。しかし皆海を知らず、少女の言葉にも笑うだけだった。

 海はすっかり消え去って、少女の記憶の中にしか海は存在しなかった。

 少女は長い長い旅の中、一つの結論を出した。

 

「海をわたしだけで独占してしまえば良いんだ」

 

 こうして海は少女のものだけになった。

 海は誰にも共有される事なく、少女の心と共にあった。

 しかし少女はたまにその寂しい現実に生きながら、叫ぶのである。

 

 かもめ!

 

 ある読者は自分が信じる海を想った。

 すべての魚が存在するその海は、今までどれだけ夢物語だと笑われてきたのかわからない。

 しかし確実に存在すると思っているから、彼はその海を探していた。

 しかし今、その海はもしかしたら自分が独占しているのかもしれない。

 彼はそう考えた。

 少女の中に海はずっとあった。どこから消えても、どれだけの人が忘れても海はあった。それならば、自分の中にある海もあるに違いないのだ。

 ある読者は煙草から口を離すと、海に向かって叫んだ。

 

「かもめ!」

 

 

 斬新な設定と高い文章力、そして美しい挿絵によって、瞬く間にその本は話題となりありとあらゆる書店に置かれた。

 海のアドリブという過去になんの実績も無い謎に満ちた存在が、書店の店頭に平積みされて飛ぶように売れている。

 様々な人が作者について想像した。

 

 こんな話を書けるのだから、さぞ有名な作家がペンネームを変えて書いているんだろう。

 こんな儚い悲恋を描けるなら、きっと人生の酸いも甘いも体験してきた人物に違いない。

 こんな挿絵を描ける画家は確実に何十年と修練を重ねてきた大家だね。

 

 そんな噂話が様々な島で飛び交った。

 

 海を掬おうとした少年や、海が消えた世界を旅する少女の話を筆頭に、海をテーマに書かれた短編集。

 それぞれ海に重要な意味があり、海の神秘性を極限まで高めたような儚い物語。

 子どもでも読みやすく、大人でも考えさせられるその物語たちは老若男女を魅了し、ついには異例の重版数と売り上げでもってその時の津潮賞に選ばれた。

 

 授与式ではマスコミがカメラや電伝虫を持って待機していた。

 なんせミステリアスな、彗星の如く現れた作家。年齢性別種族その他もろもろ、一個でもわかればビッグ・ニュース!

 あのモルガンズでさえも、授与式の会場に自ら赴いてそのシャッターを固く構えていた。

 

「えー、次に今年の津潮賞『わたしの海』作者“海のアドリブ”ですが──」

 

 司会がその名を出した時、場はしんと静まり返る。

 誰もが入場してくるであろう「異例」をいち早く見つけたかったのだ。

 

「本人の願いにより、代理のテキン氏が受け取ります」

 

 その言葉を聞いて、一気に場は白ける……ことは無かった。

 シャッターが大量に焚かれる。

 

「テキン氏……!? 引退した筈じゃ」

 

 テキン・ターナー氏は津潮社の元社長であり創設者である。また本人も文壇で活躍した文豪であり、代表作「船大工」は今もベストセラーとして何度も再版されている。

 昔に会社を息子へ譲り引退したが、その名はいまだに出版業界には轟いている。

 そんな彼が、何十年ぶりかに表に出て代理受賞というのは、前代未聞でありじゅうぶんなビッグ・ニュースだった。

 

 “海のアドリブ”はテキン氏を代理にさせられるだけの力がある。

 それは出版業界や小説家界隈の垣根を超えて世界に伝わり、その謎がまた深まる。

 

 一体どんな人物なのか。

 それを知るのは、この場にはテキン氏しかいないのだろう。

 津潮賞のトロフィーと賞状は、代理人の手の中でフラッシュを反射し輝いていた。

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