その日、わたしはたまたま朝早くに目が覚めたので、手早く身支度を済ませ、学校に向かった。
特に変わり映えのない通学路。ただ、家を出た時間が少し早いので、通勤通学する人が少ないだけである。
足早に学校へと向かう。特に急ぐ理由もないのだが、きっと学校には先輩がいると思ったから。
そうだ、念のためスポドリを買っておかなくちゃ。きっと今頃、汗を流しながら、頑張っているだろうから。
……学校へとたどり着いた。校門をくぐり、一直線にグラウンドへ向かう。
……いた。先輩だ。
あの人のことだからきっと一人、朝練に励んでいるんだろうなとは思っていたけれど…やっぱり、いてくれた。
高鳴る胸の鼓動を感じつつ、ランニングを終えて休憩している先輩の元へ向かい、声をかける。
「ども、先輩。こんな朝っぱらから練習、お疲れ様っす。」
驚いた様子の先輩がこちらを振り向く。額には汗をかき、息も少し荒い。
いつもの二割り増し…いや、三割り増しでカッコよく見えた。傍目から見て、とても色っぽい。そんな姿、他の女の子に見せたらダメですよ?
「ん?あぁ、わたしはちょっと早くに目ェ覚めたんで、学校に来ただけっすよ。そしたら、先輩がグラウンドで走ってるのが見えたんで…」
先輩からどうしてここにいるのか聞かれたので、正直に答える。もっとも、先輩がここにいるのは予想通りだったわけだが…
…そこでなぜか先輩が照れる素振りを見せる。
ダメですよ、先輩?今の先輩はただでさえ色っぽいんですから、そういう素振りしちゃ、わたしでなくとも勘違いしちゃいますよ?
「ふふっ…別に恥ずかしがらなくてもいいじゃないっすか。朝から一人で体力作りに励む先輩…わたしはけっこう、好きっすよ?」
わたしは先輩に対し、率直な意見を述べる。
それに対し、先輩は「お世辞はいいから」と言って、そっぽを向いた。
…まったく、自分がどれだけカッコよくて可愛いのか自覚してないんですかね?この人は…そんなんだと、いつか襲われちゃいますよ?
「別にお世辞とかじゃないんすけどね。まぁ、先輩がそう思うなら、それでいいっす。」
心の言葉を喉の奥に押し込み、何でもないように振る舞う。そして、つい先ほど自販機で買ってきたスポドリをカバンの中から取り出す。
「あ、せっかくだし、スポドリいります?ちょうど近くの自販機で買ってきたんすよ。」
先輩は「気が利くな」と言って笑ってくれた。
そうそう、この笑顔もわたし的には高ポイントだったりする。
「ふふ、でしょう?わたし、気が利く後輩なんで。」
わたしもそう得意げに笑って返す。少しはできる女を演出できたようで何よりだ。
先輩にスポドリの入ったペットボトルを手渡す。それを受け取った先輩は、一気にそれを喉の奥に流し込んだ。
「そーいや先輩、知ってます?最近、女子更衣室に侵入した不届き者の男子生徒が捕まったらしいっすよ。」
先輩につい最近、学校で起こった事件について話を振る。当然、先輩もそのことについては知っていたみたい。
「そそ。ちょっと前に騒ぎになったアレっす。なかなか犯人が特定できなくて、学校側も対処に困ってたとこを、彼が自首したらしいんすよ…生徒指導の先生に。」
事件そのものはすでに解決し、犯人の男子生徒は現在、停学処分を受けている。
「マジかー」と呟く先輩に、わたしも同調する。
「マジっす。こっそり様子を見てましたけど、ホントにこってりしぼられてました。」
そりゃそうだ。女子生徒の着替えを覗くなんて犯罪だ。むしろ、刑務所に入れられてないだけ、生ぬるいというべきか。わたしは言葉を続けた。
「いやぁ、あのゴリラ…じゃなくて、生徒指導の佐々木先生、めっちゃ怖いっすよね~。」
「そうだな」と頷く先輩。実際、生徒指導の佐々木先生は巨体でコワモテで、全校生徒から恐れられてるような存在だ。
女子生徒のスカートの丈とか化粧とかピアスとかには、ほとんど言及しないけど、何かやらかした生徒に関しては容赦がない。
流石に暴力は振るっていないだろうけど、あの顔で凄まれたら、わたしだってちびる自信がある。
それにしても、こんな怖い先生がいるのに、覗きをしでかしたあのバカは救いようがないというべきか…もはや弁護の余地もない。
「でもまぁ、あんだけ怒られたなら、彼も同じようなことをしようとは思わないでしょう…見つかったときのリスクがあまりにもデカすぎますからね。」
そんなことをペラペラ喋っていると、先輩がなぜか疑問を持った様子で、こちらに顔を向けた。
「ん?なんすか、先輩…そのいぶかし気な目は…」
そう尋ねると、先輩は事件が公にはなっていないことを確認してきた。
「あ、そうっすよ?彼が自首して怒られた件は、公(おおやけ)にはなってないっすけど…どうしてそれを?」
被害者である女子生徒の尊厳にも関わる問題のため、この事件は公にはなっていない。知る人ぞ知る事件、というやつだ。
しかし、なぜ先輩がそのことを確認してきたのかがわからない。先輩はこの件に関しては、完全に部外者のはずなのに…
しかし、わたしのそんな疑問は先輩の一言によって、一瞬で氷解した。
「あ、あぁ~…先輩、鋭いっすねぇ。ただの部活バカかと思ってましたけど、意外と頭の回転早いんすねぇ…」
やっぱり先輩は凄い人だ。わたしが本気と書いて、マジで惚れた人なだけはある。
「えぇ、そうっす。先輩の仰る通り、わたしが彼に自首させました。」
そう。先輩の言う通り、この事件にはわたしも一枚噛んでいた。
例の変態男子は、自ら生徒指導の先生に己の罪を告白した……あくまで表向きは。
「これでも正義執行がモットーな風紀委員っすからねぇ…やっぱああいう卑劣な悪事は見逃せないってもんっすよ。」
わたしが彼を裏で締め上げた。大ごとにしない代わりに、自分から罪を認めに行けと迫った。きちんと彼の目の前で、証拠を提示して。
「ふふ…お褒めに預かり、光栄っす。先輩も悪いことはしない方が身のためっすよ。目ざとい風紀委員に目をつけられちゃうかもしれないっすからね~。」
冗談めかしてそんなことを言うわたしに、先輩は「例えば?」と尋ねてきた。
「そうっすね…彼女がいるにも関わらず、よその女の子にも愛想をふりまくタイプの浮気とか?」
わたしの答えに、「そ、そっか…」と引き気味に答える先輩。
「そうっすよ~?浮気なんて、背中刺されても文句言えないっすからね~。あはは…」
「はは…」とわたしに同調するように笑う先輩。そんな無自覚な先輩にわたしは告げた。
「…してないっすよね?浮気…わたし、先輩のこと信じてるんで…」
先輩の顔が強張る。どうしてそんな顔をするの?先輩…
「ふふ…どうしたんすか?ちゃんと汗は拭かないと、風邪ひくっすよ?ほら、タオル。」
あらかじめ家で用意してきたタオルを取り出す。なぜか急に、汗を滝のように流す先輩が心配だ。
「あ、なんすか?「俺とお前はそもそも付き合ってないだろ」とでも言いたげな顔っすね~?」
そう言って先輩の顔を覗き込む。すると、どこか決まりの悪そうな顔をしている先輩。
はてさて、いったい何か悪いことでもやらかしたような顔をしてますね?
「…でも奪いましたよね?人の初めて…あんなことシといて、「彼女じゃない」は無理があるっすよ…」
初めてだった…あんな情熱的に唇を奪われたのは。
初めてだった…あんな情熱的に××されて、△△され、更にはわたしの奥を〇〇されたのは。
学校風紀を守るはずの風紀委員が、自らの風紀を乱されるなんて…これはもしかしなくても、責任案件ですよ?先輩…
「彼女ヅラする資格は十分にありますよね?それとも、誘惑したわたしが悪いとでも言うつもりっすか?」
…正直、あんなのは誘惑したうちに入らないだろう。
女子はみんな、スカートの中にスパッツを穿いているのかと聞いてきたからほんの少し、中をチラ見せしただけだ。
今日はノーブラなんだとからかい半分に指摘してきたから、ちょっとカチンときて、ブラをチラ見せしただけだ。
なのにこの人は…まるでわたしが誘い受けをしたみたいな言い方をするんだ?本当に、悪い人…
「ね、先輩…あんまりわたしの機嫌を損ねない方が身のためっすよ?これでも割と、ギリギリの状態なんで。」
唇と唇が触れるか触れないか、ギリギリのところまで顔を近づけて、先輩に言う。
…あの日、わたしは初めて男という生き物を知った。普段から鍛えている先輩の中身を初めて見た。
以前からそこはかとなく、好意は抱いていたが…あんなのを見せられたら、もう…
「いい子の先輩は好きっすけど…悪い子の先輩は嫌いっす。そこんとこ、よーく覚えといてくださいね?」
先輩が一番に優先すべき女の子はわたしだ。これは自惚れでも何でもなく、本気でそう思う。
先輩もあれが初体験だと言っていた。自分の初めてを、わたしに惜しげもなく捧げてくれたのだ。わたしもそれを全力で受け止めた。
ならば、わたしたちは寸分の疑いようもなく両想いで、恋人同士だろう。誰から見ても恥ずかしくない、彼氏彼女の関係だ。
でも先輩にはまだその自覚が足りないみたい…近いうちにわからせる必要があるかもしれない。
「じゃ、わたしそろそろ行くんで。先輩も練習はほどほどにしとくっすよ〜。授業中、眠くなっちゃうんで。」
先輩から顔を離し、その場を後にしようとしたが、ふと言い忘れていたことを思い出した。
「あ、先輩…最後にひとつ、言い忘れたことが。」
未だ固まっている先輩の耳元に口を近づけて、囁く。
「今度の休み、先輩ん家に遊びに行くんで…くれぐれも予定、空けといてくださいね?」
彼女が彼氏の家に遊びに行く。それは至極当然のことであり、カップルとしては当たり前の行動だ…先輩はなぜか腑に落ちないような顔をしているが。
下駄箱で靴を履き替え、教室に向かう…が、ひとつ大切なモノを回収しそびれたことに気づく。
「あ、先輩に貸したタオル。返してもらうの、忘れてた…」
自分の迂闊さを思わず呪ってしまうが、まぁいいかと気を取り直す。
「ま、あとで返してもらえばいいや…学校で洗濯はしないだろうし。」
先輩の汗の匂いがたっぷり染み込んだタオルは、何が何でも回収しなくては…あの時のことをもう一度、鮮明に思い出すために。
匂いフェチは正義