いつものワンルームのアパート。
何も変わらない。
——自分の体を失ったこと以外は。
飛山 章(ひやま しょう)、24歳。
日本屈指の名門・東城大学の大学院生で、遺伝子工学を専攻している。
彼の師である葵川(あおいがわ)博士は、遺伝子工学、生物研究、ロボット工学といった複数のジャンルに精通する日本科学界の重鎮であり、章にとっては心から尊敬する人物だった。
章は博士のもとで研究を続ける傍ら、大学のオートレース部でも活動し、来週に迫った大会に向けて遅くまで練習に励んでいた。
しかし、その晩、彼の心を強く占めていたのは別のことだった。
葵川博士が極秘裏に進めていた「有機機械融合体プロジェクト」。
通称、「B.O.R.N.計画(Biological Organism Reinforced Nexus)」。
その構想はこうだ。
——人間の肉体をベースに、他の生物の特性と人工筋肉、神経反応AIを融合し、極限まで適応進化させる。
機械でも人間でもない、“第三の生命体”を生み出す。
葵川博士は、こう語った。
「人類は“進化”を待っている時間がない。だから私が、加速させる。」
章は最初、それをただの未来的な妄想だと思っていた。それと同時に、「倫理観の欠如」や「神への冒涜」とも取れる博士の研究に疑問も抱いていた。
もちろん、葵川に率直に疑問ぶつけたこともある。葵川はにこやかに、そして穏やかに応える。
「神への冒涜?いや、違う。これは挑戦だよ。」
そう語る笑顔がどこか冷たいことも、章を不安にさせていた。
練習を終え、章が帰ろうと部室から出た時、研究室から明かりが漏れていることに気づいた。
21時前…この時間はもう誰もいないはず。
「妙だな…?」
章は研究室を覗く。明かりは地下保管庫から漏れている…少し開いた扉をゆっくりと開く。
そして、「それ」を見てしまった。
——研究台に横たわる異様な姿。
背中に羽根のような人工器官、脚部には甲殻類のような硬質な装甲。
そして腹部には、回転するインペラを備えた巨大なベルト状の装置。
それは人ではなかった。だが、どこか“人間の名残”を宿しているような…
章の気配に反応したかのように、それはわずかに顔を上げた。上体を起こす…機械のような、しかしどこか人間的な目が、まっすぐこちらを見た。
次の刹那、それは爆発した。研究棟は瞬く間に火災に包まれ、薄れゆく意識の中で章は見た。
あの「冷たい笑顔」で近づいてくる葵川博士を…
* * *
目が覚める…ひどく喉が渇いている。
周囲を囲む巨大な装置の数々。病院?オペ室?集中治療室か…?いや、どれも違う。
生物的な研究施設と機械工場を掛け合わせたような場所。
腕にひんやりとした感覚…鎖?視界がぼやけてよく見えない。
バキン!!軽い力でそれは千切れた。
体を起こすと、顔にガスマスクの様なものを付けた白衣の者たちが章を抑えつけようと群がる。
「やめろ!何だお前ら!」
グシャア!!
ただ振り払っただけで、その彼らの身体が裂け、血が飛び散る。
章は自分の腕を見下ろす。
それはもはや、人間のものではなかった。
けたたましい警報が鳴り響く中、章は鏡に目をやる。
そこに映っていたのは、変色し硬化した皮膚、赤く血走った目を持つ“怪物”だった。
「これは…俺?俺じゃない…!」
激しく混乱する。怒り?悲しみ?恐怖?
様々な感情が幾重にも重なり、章を襲う。
その時、章の感情の昂りに呼応するように、腹部にあるベルトが低く唸りを上げた。禍々しい体は瞬時にスーツで覆われ、手の中にはフルフェイスのヘルメットがあった。
章はそれを、自らの異形を隠すように被った。
カシャン!キィィィン!!
ヘルメットが仮面へと変化する。
仮面の下で章は驚愕した。
視界が大きく広がり、暗闇の中でもはっきりと見える。
微細な音も聞き取れる。集中すればさらに明瞭に。
頭の中にはこの施設と思しき構内図が浮かび上がり、その一角が点滅する。
「Lightning」——その表示が点滅し、警報に混じって声が聞こえる。
「実験体をライトニングに近づけるな!」
「ライトニングに乗られると厄介だ!」
「防護壁を閉めろ!外に出すな!」
何が起こっているのか分からない。ただ、「ライトニング」にたどり着けば、ここから出られるのではないか…章は確信した。
章は走る。恐ろしく速い。
飛びかかる何者かを振払い、何枚もの鋼鉄の壁を突き破り駆け抜ける。
そしてたどり着いた部屋。そこに、一台のバイクがあった。
ガンメタルのボディに、白く光るライン。存在そのものが武器のような威圧感。
「これが…ライトニング?」
迷っている暇はない。
章はそのバイクに跨る。
その瞬間、ライトニングが彼を認識した。
——適合率 98.6%。承認:RIDER SYSTEM “LIGHTNING”。
エンジンが唸りを上げる。
操作方法はすべて分かる。まるで自分の体の一部のように。
「行くぞ……!」
アクセルを開く。火花を散らして前輪が回転。
章とライトニングは施設内を猛スピードで駆け抜ける。
『侵入コードA、実験体がライトニングに搭乗!遮断コード3へ移行!全防衛機構、起動せよ!』
壁から自動機銃が飛び出し、火花と閃光が飛び交う。
章は伏せ、ハンドルを傾ける。ライトニングが壁を滑るように回避。
<SLIDE MODE> 起動。トラクション自動調整中。
前方に巨大な金属シャッター。閉まるまで——3秒。
「行けええええっ!!」
アクセル全開。
バイクが低く身構え、エネルギーをチャージ。
<BOOST MODE>:点火。加速率180%。
“ガァァァァァッッッ!!”
爆音と閃光を巻き上げ、ギリギリでシャッターを突破した。
視線を前に移す。
そこに待ち構えていたのは、最後の防衛兵器か?まるで巨大な蟹のような…生命体。その体は機械の様にも見える。
『ターゲット:実験体。破壊命令、実行。』
ハサミのような巨大な装備を構えるそれに、章は迷わずアクセルをさらに開く。
<RIDER KICK:CHARGE>
後輪が青白く発光。
ライトニングが跳躍する。
章はさらにその上。白い月の真ん中にシルエットが浮かぶ。
右足が光を帯びる。それを前に突き出し、体ごと突っ込む。
閃光のような一撃。
光をまとったライダーキックが敵を直撃し、爆発と共にそれは吹き飛ぶ。
そして章とライトニングは夜の街へ飛び出した。
仮面の下、冷たい風が章の頬を撫でるのを感じた。
——自由だ。
だが、すべてが始まったのは、今だった。