元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!!   作:あばなたらたやた

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トリニティ編②

私はトリニティ総合学園の制服に袖を通した。

 

 白いブラウスは新品の匂いがまだ残っていて、襟のところが首筋に軽く触れる感触が妙に新鮮だった。

 

 生地は上質で、微かに光沢を帯びていて、動くたびに小さな音を立てる。スカートのプリーツはきちんと折り目が立っていて、歩くたびに規則正しく揺れる。鏡に映った自分の姿は、どこか他人のもののように見えた。血の跡も乾いた傷も、すべて隠れている。少なくとも、外からは。

 

 鏡の前に立って、ネクタイを結び直す。指先が少し震えていた。震えの理由はわからない。緊張か、疲れか、それとも単に、こんな制服を着る自分が滑稽に思えたからか。

 

 桐藤ナギサがくれた肩書きは「特別友好交換留学生」だった。

 

 それで私は、トリニティの広大な敷地を自由に歩き回れるようになった。白い校舎が連なる回廊、薔薇のアーチが続く庭園、古い図書館の重い扉、礼拝堂のステンドグラスから漏れる色とりどりの光。すべてが美しく、静かで、しかしどこか張り詰めていた。

 

 貴族階級の匂いがする。内部政治の匂いもする。生徒たちの視線が、私の背中に刺さるのも感じていた。

 

 最初は好奇心の視線だった。新しい顔、新しい制服、新しい噂。

 

 二日目には、警戒の視線に変わった。

 三日目には、恐れに近いものになった。ナギサの寵愛を受けているという噂は、すぐに広がったらしい。

 

 それが恐怖を伴う形で。

 人殺し(未遂)の事実、人を殺せる手腕と能力とメンタル、外交手段としての人質、トリニティのトップがわざわざ特別措置をするほどの存在。

 

 核爆弾かつ放射線物質。

 普通の生徒はもちろん、正義実現委員会からは警戒の目で見られ、シスターフッドからは異端として扱いに困られた。

 

 私は一週間、この学園を歩いて回って確かめた。

 私の扱われ方、あるいは評判を。

 朝の礼拝堂で、昼の食堂で、夕方の庭園で、夜の図書館で。

 歩くたびに、会話が途切れる音が聞こえた。背後で囁かれる声が、風に混じって届く。

 

「近づかない方がいい」

「あの人、危ない」

「ナギサ様が安全確保しているっていうけど、本当に大丈夫?」

 

 同じ言葉、同じトーン、同じタイミングで繰り返される。

 偶然ではない。誰かが、風向きを操作している。

 

 私はナギサの私室を訪れた。

 午後の陽光がカーテンの隙間から差し込み、部屋を淡い金色に染めている。

 彼女は窓辺のソファに座り、紅茶のカップを手にしていた。カップの縁に唇を寄せる仕草は、いつも通り優雅で、しかしどこか遠い。

 

 部屋には、かすかな紅茶の香りと、古い本の匂いが混じっていた。壁にかかった肖像画が、静かに私たちを見下ろしている。私はソファの反対側に腰を下ろし、静かに切り出した。

 

「噂が広がっている。統一された内容で、明らかに意図的だ。誰かが、私を孤立させようとしている。それは良いんだけど、迷惑かけたくない。そういう風を読むのは得意でしょ? ナギちゃん。どう思う?」

 

 ナギサはカップをソーサーに戻し、ゆっくりと息を吐いた。糸目がわずかに開き、私をまっすぐに見つめる。

 

「風を読む力、風を起こす力、そんなものは私にはありません」

 

 彼女は小さく首を振った。

 指先でカップの取っ手を軽く撫でる。

 

「しかし私に言わせれば、風を読む力などさして重要ではありません。なぜならパンデミックにおいて一番重要なのは、無風状態だからです」

 

 私は黙って彼女の言葉を待った。陽光が少しずつ傾き、カーテンの影が床に長く伸び始める。

 

「何かが流行っている時には、他の何かは流行らないということです。具体的には少し前までなら、その犯人は手を出せないでしょう。なぜならエデン条約という話題が席巻していたからです。そしてその噂が立ち消えた後、空っぽになった場所に、飢えた場所に、犯人は噂を突っ込んだわけです。貴方の人殺しの噂を」

 

 ナギサの声は静かで、しかし確信に満ちていた。紅茶の湯気が、ゆっくりと立ち上る。彼女はカップをテーブルに置き、指を組んだ。

 

「怪談や流言飛語というのは、人心が乱れている時にこそ跋扈する。人心が乱れるというのは、つまり拠り所とするものがないということです」

 

 彼女は視線を窓の外に移した。

 庭園の薔薇が、風に揺れている。

 遠くで生徒たちの笑い声が、かすかに聞こえてくる。

 

「詐欺師が虚言を持ってして狙うカモというのはどういう奴なのかを考えてみてください」

 

 私は小さく頷いた。

 

「満たされている奴は存外騙されにくい。生活に余裕がある人間というのは、心に余裕がある人間です。だから詐欺師に狙われるのは、現状に不満のある、生活に余裕のない人間なのです」

「そうかも。不安に満ちた心というのは騙されやすい。嘘を吐かれても検証する余裕がないから」

 

 ナギサは視線を戻し、私をじっと見つめた。

 

「貴方は人殺しの事実の下地として、孤立を促す風評を悪化させる噂を、誰かが流行らせたように言いますが、それについては考え方が逆です」

 

 私の悪い事実があるから噂になるのではなく、噂がなかったから私の話題が噂になった。

 

「トリニティ内部の人間関係が悪化していたから、みんな叩きやすい話題に飛びついたのですよ」

 

 彼女はゆっくりと息を吐いた。

 

「時勢が悪いとでも言っておくべきでしょうか。何でこんなものが流行っているんだというようなカオス状態を論じたいのならば、カオスの前の空白をこそ論じるべきです」

「暗闇ということ?」

「はい。もしも訳が分からないものが流行ったときは、時代を疑うことです。何かが危険なんだと思うことです。それは、時代が暗闇に包まれているということなのですから」

 

 部屋に静寂が落ちた。紅茶の湯気が消え、陽光が少しずつ傾き始める。遠くの鐘が、ゆっくりと鳴り始めた。私は小さく笑った。

 喉の奥で、乾いた音がする。

 

「政治家らしいね」

 

 ナギサはカップを手に取り、もう一口飲んだ。唇の端に、わずかな微笑みが浮かぶ。

 

「政治家とは、そういうものですよ。風を起こすのではなく、無風を見つける。それが、私の仕事なのです。あるいは無風を見つけて風を起こす」

 

 私は立ち上がり、窓の外を見た。広大な敷地、白い校舎、遠くで生徒たちが歩いている。すべてが美しく、しかしどこか脆い。

 

「ありがとう、ナギちゃん。教えてくれて。良い教訓になった」

 

 彼女は小さく頷いた。

 

「どういたしまして。ただ……暗闇の中で、あなたが何をしようとしているのかは、私もまだわかりません。だから見つけるべきなのです。誰が敵で、誰が味方か」

「二極化は危険だから嫌なんだけど、言っている場合じゃないか」

「私は味方ですよ。貴方の光も闇も愛する味方です。どれだけ周囲から孤立しても、孤高の精神があっても、私は貴方に手を差し伸べるでしょう」

「愛されてるね、私」

「私が愛していますから」

 

 私は制服の襟を軽く直し、部屋を出た。廊下を歩きながら、思う。

 

 それでも、まだ息をしている。

 それだけで、今は十分だった。制服の生地が、歩くたびに小さな音を立てる。

 それは、まるで新しい人生の始まりのような、しかしどこか寂しい音だった。

 

 

交流がみたい元カノは?

  • 桐藤ナギサ(孤立操作
  • 白石ウタハ(献身依存
  • 調月リオ(崇拝偏愛
  • 鬼方カヨコ(他者排除
  • 仲正イチカ(自傷憎悪
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