■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!!   作:あばなたらたやた

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【チャプター① 】終了

【黄昏】

【時間軸と空間が歪んだ世界:9kv8xiyi】

 

◆『七稜アヤメ』◆

 

……ねぇ。少しだけ、聞いてくれるかな。多分、これを誰かに話すのは初めてなんだ。

 

 私はずっと、人を助けるのが好きだった。本当に好きだったんだよ。困っている人がいて、泣いている人がいて、その人が少しでも楽になったり、笑ってくれたりするのを見るのは嬉しかった。

 

 だから委員長になった。だから頑張った。だから誰よりも強くなろうとした。

 でもね。いつからだったのかな。

 人を助けることが好きじゃなくて、やらなきゃいけないことになったんだ。

 

 私にはできるから。私なら解決できるから。だから私がやらなきゃいけない。そう思うようになった。

 

 最初はそれで良かった。誰かが助かるなら、それで良かった。でも、だんだん分からなくなった。

 

看板が傾いた。

猫が屋根に登った。

備品が足りない。

そんな話まで私のところへ来る。もちろん困っているのは分かる。助ければ解決するのも分かる。

 

だから助ける。

笑顔で何も思っていないふりをして。だけど心の奥では、どうして自分でやらないの。

 

どうして私なの。

どうしてそんなことまで。

そんなことを思ってしまう。

 

最低だよね。

助けたいと思っているくせに。

助けながら腹を立てている。

優しくしたいくせに心のどこかで人を見下している。

 

そんな自分が大嫌いだった。だから何度も自分を責めた。悪いのは私だって。こんなことを思う私が悪いんだって。

 

もっと優しくなれ。

もっと立派になれ。

もっと完璧になれ。

 

そうやってずっと自分を殴り続けてきた。

誰よりも。

私自身が。

 

ナグサもそう。

あの子は自分を過小評価している。

本当は強い。

本当は優秀。

私なんかよりずっと。

だから腹が立つ。

 

どうして自分を信じないんだって。

どうして私に頼るんだって。

自分で立てるのにって。

 

だけど同時に。

頼られると嬉しかった。

必要とされると安心した。

矛盾してるよね。

自立してほしいのに。

必要とされなくなるのは怖かった。だから私はナグサを救いたかったのか。それとも私が安心したかっただけなのか。

ここまで至った今でも分からない。

 

そして百蓮が動かなかったあの瞬間、全部が終わった。

私はずっと信じていたんだ。

苦しくても。

辛くても。

私にはその資格があるんだって。だから頑張れるんだって。だけど違った。私は特別じゃなかった。委員長に選ばれるような人間じゃなかった。

ただの勘違いだった。

私より相応しい人がいた。

私じゃなかった。

最初から。

ずっと。

……それがね。

怖かったんじゃないんだ。

悲しかったんじゃないんだ。

空っぽになったんだ。

本当に何も残らなかった。

人を助けてきたことも。

誰かに感謝されたことも。

仲間と笑ったことも。

全部、意味を失ったような気がした。だって私は特別じゃなかったから。

私は間違っていたから。

私が積み上げてきたもの全部が偽物だった気がした。

 

だから思ったんだ。

もういいって。もう信じられない。

自分も、他人も、誰も、世界も信じるほど確固たるものはない

 

みんな困る。

みんな失敗する。

みんな誰かに頼る。

だったら。

 

私が全部やればいいじゃないかって。

全部管理すればいいじゃないかって。

 

見張って。

導いて。

困る前に助けて。

失敗する前に止めて。

 

誰も泣かなくて済むようにして。

誰も傷つかなくて済むようにして。

誰も間違えなくて済むようにして。

そうしたらきっと幸福になれるって。

そう思った。

 

でもね。

本当は。

本当に本当は。

そんな世界を作りたいわけじゃないんだ。

私は誰かを檻に入れたいわけじゃない。

支配したいわけじゃない。

ただ、怖いんだ。

 

人が傷つくのを見るのが。

人が間違えるのを見るのが。

私自身が間違えるのが。

 

怖い。怖くて仕方ない。だから全部管理したくなる。全部抱えたくなる。全部背負いたくなる。誰にも任せられなくなる。でももう疲れた。本当に疲れたんだ。

 

強い人でいるのも。

優しい人でいるのも。

立派な委員長でいるのも。

 

全部。

全部疲れた。

だから聞いてほしい。

私はどうしたらよかったんだろう。

人を助けたいと思ったことは間違いだったのかな。誰かを信じたいと思ったことは間違いだったのかな。

 

弱い人を支えたいと思ったことは間違いだったのかな。

それとも私は最初からただ、自分が特別な人間だと思いたかっただけなのかな。

 

分からないんだ。

もう。

何が正しくて。

何が間違っていて。

私は誰で、何のために頑張っていたのか。

本当に分からないんだ。

 

◆『元鞘カノ』◆

 

アヤメの話を最後まで聞いたあと、私は少しだけ考える。

すぐには答えない。

アヤメが今欲しいのは説教でも反論でもない。自分の人生を、自分の痛みを、ちゃんと見てもらうことだから。だから私は静かに口を開く。

 

「……アヤメ。まず最初に言いたいことがあるんだ」

 

私はアヤメを見る。

逃げないように。

逸らさないように。

 

ちゃんと。

アヤメ自身を。

 

「私はね、アヤメの話を聞いていて、偽物だとは思わなかったよ。一度も」

 

静かな声で続ける。

 

「だって、アヤメは苦しんでたから。人を助けるたびに苦しんでた。頼られるたびに苦しんでた」

 

「ナグサのことを考えて苦しんでた」

「自分の心の汚い部分を見つけるたびに苦しんでた」

 

少し笑う。

 

「偽物なら、そんなに苦しまないよ」

「もっと楽に生きられる」

「もっと都合よく考えられる」

「アヤメはずっと、自分が見たくないものまで見てた」

「だから苦しかったんだと思う」

 

私は膝を抱えたアヤメの隣に腰を下ろす。

 

「でもね。私はアヤメ、少し勘違いしてると思う」

 

アヤメはきっと反論したくなる。

 

だから先に言葉を続ける。

 

「アヤメはずっと

『助けたい』

『助けなければならない』を同じものとして扱ってる」

 

「でもそれ、本当は別なんだ」

「助けたいは気持ち」

「助けなければならないは義務」

「気持ちは人間のものだけど、義務は役割のものだから」

 

私は床に視線を落とす。

 

「私はね」

「困ってる人を助けることは多いよ」

「でも全部は助けられない」

「見落とすこともある」

「失敗することもある」

「間違えることもある」

「そのたびに悔しい」

「でも」

 

私はアヤメを見る。

 

「だからって、私が誰かを助けた事実は消えないんだ」

「一人しか救えなかったとしても」

「百人救えなかったとしても」

「一人を救ったことは本当にあったことだから」

 

静かな沈黙。

 

「百蓮が動かなかったことは、アヤメにとって辛かったと思う。だってアヤメは、自分の価値をそこに預けてたから」

「でもね、百蓮がアヤメを委員長にしたんじゃないよ」

 

「逆だと思う」

「アヤメがアヤメだったから、みんなは委員長だと思ったんだ」

「市民も」

「仲間も」

「ナグサも」

「武器を見てたわけじゃない」

「アヤメを見てた」

 

私は少しだけ笑う。

 

「だから多分」

「百蓮が動かなかったことと」

「アヤメが積み重ねてきたものは」

「本当は別の話なんだ」

 

そして、私はアヤメが一番触れられたくない場所に触れる。

優しく。

けれど逃がさずに。

 

「それとね、アヤメ」

「ナグサを見下してるって言ってたけど」

「これも私は少し違うと思う」

「アヤメはナグサに怒ってるんだよ」

「期待してるから」

「信じてるから」

「立てると思ってるから。だから立とうとしないように見えて腹が立つ」

「もし本当に無能だと思ってるならそこまで苦しまない。興味も持たないと思う」

 

私は肩をすくめる。

 

「期待ってね、結構面倒な感情なんだ。信じてる相手にしか抱けないから」

 

少しだけ間を置く。そして本題に触れる。

 

「ディストピアの話だけど、私は反対かな。きっとアヤメは怒ると思うけど私は反対」

 

穏やかに。しかし迷わず。

 

「だってアヤメ」

「その世界、アヤメが幸せじゃないもん」

「アヤメ一人が永遠に傷つき続ける世界だよ」

 

「全部見張って」

「全部助けて」

「全部背負って」

「全部責任を取る」

「そんなの」

 

私は苦笑する。

 

「今のアヤメがもっと酷くなるだけじゃない」

 

そして一番伝えたいことを伝える。

 

「私はね」

「人って失敗すると思う」

「頼ると思う」

「間違えると思う」

「怠けると思う」

「私もそうだし」

「アヤメもそう」

「ナグサもそう」

「市民もそう」

「みんなそう」

「でも」

 

私は静かに言う。

 

「だから価値がないとは思わない」

「だから管理されるべきだとも思わない」

「むしろ、そういう不完全なところ込みで、人なんじゃないかな」

 

私はアヤメの返事を待つ。

急かさない。

結論を押し付けない。ただ隣に座ったまま言う。

 

「アヤメ」

「私は今、百花繚乱の委員長じゃないアヤメと話してる」

「特別な才能も」

「百蓮も」

「市民の期待も」

「全部抜きにして」

「一人のアヤメとして」

 

そして小さく笑う。

 

「だからさ」

「もし全部がなくなったとしても感じても、アヤメが何をやってきたかは、ちゃんと見てあげてもいいんじゃないかな」

 

◆ 『七稜アヤメ』◆

 

しばらく何も言わなかった。

俯いたまま震えていた。

そして。

ぽつりと。

 

「……ずるいよ」

 

掠れた声だった。

 

「貴方は」

 

顔が上がる。

その瞳は赤かった。

今にも崩れそうだった。

 

「なんでそんなこと言うの」

 

笑おうとした。

失敗した。

顔が歪む。

 

「私がどれだけ駄目だったか知らないくせに」

「どれだけ醜かったか知らないくせに」

「どれだけ見下してたか知らないくせに」

 

声が震える。抑え込んでいたものが漏れ始める。

 

「市民のことだって」

「助けながら腹立ててたんだよ」

「ありがとうって言われるたびに」

「なんで自分でやらないのって思ってた」

 

「頼られるたびに」

「また私かって思ってた」

「委員長なのに」

「ヒーローみたいな顔してるのに」

「最低じゃん……」

 

拳が震える。

 

「ナグサだってそう」

「私はあの子を助けたいんじゃなくて」

「必要とされたかっただけかもしれない」

「私がいないと駄目だって。そう思われるのが気持ち良かっただけかもしれない」

「そんなの救済じゃない」

「依存じゃん」

「支配じゃん」

「最低じゃん……!」

 

最後の言葉は叫びに近かった。

ずっと胸の中で腐っていたもの。

誰にも言えなかったもの。

吐き出してしまった。

肩が震える。

呼吸が乱れる。

それでも止まらない。

 

「私はさぁ……!」

 

声が裏返る。

 

「ちゃんとやりたかったんだよ……!」

 

涙が零れた。

ぽたり。

ぽたり。

床へ落ちる。

 

「本当に」

「本当にちゃんとやりたかっただけなんだよ……!」

 

「委員長として」

「みんなを守りたくて」

「みんなに安心してほしくて」

「だから頑張ったんだよ……!」

「頑張ったのに……!」

 

握り締めた拳が白くなる。

 

「頑張ったのに!」

「足りなかった!」

「全部足りなかった!」

「もっと強ければ!」

「もっと優しければ!」

「もっと賢ければ!」

「もっと特別なら!」

「百蓮だって動いたのに!」

 

その瞬間、アヤメは崩れた。

今まで積み上げてきた委員長の仮面が。

完璧な笑顔が。

全部、砕けた。

 

「怖かったんだよ……」

 

小さな声だった。幼い子供みたいな声だった。

 

「怖かった……」

「みんなが期待してるから」

「みんなが信じてくれるから」

「だから失敗できなかった」

「失望されたくなかった」

「役に立たないって思われたくなかった」

「特別じゃないって知られたくなかった」

 

アヤメは顔を覆った。

 

「私……委員長じゃなくなったら」

「何が残るの……?」

 

声が掠れる。

 

「百蓮もなくて」

「才能もなくて」

「特別でもなくて」

「ただの私になったら」

「誰が見てくれるの……?」

 

それは。

能力の話ではなかった。

立場の話でもなかった。

存在価値の話だった。

 

「私ね……本当は……」

 

長い沈黙。

震える唇。

そして。

ようやく。

誰にも見せたことのない本音が出た。

 

「助ける側じゃなくて」

 

涙が落ちる。

 

「助けてほしかった……」

 

声が途切れる。

 

「誰かに」

「大丈夫だって言ってほしかった」

「頑張ったねって言ってほしかった」

「少しくらい休んでいいって」

「完璧じゃなくていいって」

「言ってほしかった……」

 

肩が震える。

嗚咽が混じる。

 

「でも委員長だから言えなかった」

「私が弱音吐いたら駄目だと思った」

「私が支えないといけないと思った」

「だから、だからずっと我慢してた……」

 

アヤメは私を見た。

涙でぐしゃぐしゃの顔。

今まで誰にも見せなかった顔。

その目には怒りも虚勢もない。

ただ疲れ果てた人間の姿だけがあった。

 

「……ねぇ」

 

小さな声。

 

「私もう頑張れないかもしれない」

 

それは降参だあり、敗北宣言だった。

そして初めてアヤメは誰かの前で委員長ではなく、英雄でもなく、特別な存在でもなく、ただの一人の少女として弱音を吐いた。

 

◆『元鞘カノ』◆

 

私はすぐに励まさなかった。

 

「大丈夫」

 

とも言わない。

 

「頑張ったね」

 

とも言わない。

 

ただ静かにアヤメを見る。

泣き崩れた顔も。

震える肩も。

逸らさずに見届ける。そして穏やかな声で問いかける。

 

「……頑張れないのは、苦しいんだろうね」

 

否定ではない。

確認だった。

アヤメ自身の気持ちをアヤメ自身に見せるための。

 

「でもね、一つ聞いてもいいかな」

 

急がない。答えを決めつけない。

 

「どうして、頑張れないと思ったの?」

 

優しい声。だが誤魔化しを許さない声でもあった。

 

「だってアヤメ、今も苦しんでるよね。今も悩んでる」

「今も自分のことを考えてる」

「今も誰かのことを考えてる」

「今も間違えたくないって思ってる」

 

少し首を傾げる。

 

「それって、本当に頑張ってない人の姿かな」

 

問いだった。

答えを押し付ける気はない。だから続ける。

 

「それともアヤメの言う『頑張る』って」

「委員長として立ち続けること?」

「誰かを助け続けること?」

「期待に応え続けること?」

「失敗しないこと?」

「特別であること?」

 

静かに。

一つずつ。

 

「もしそうなら」

「アヤメは何を失ったんだろう」

「頑張る力?」

「それとも」

 

少し間を置く。

 

「頑張る理由?」

 

沈黙。

私はさらに続けた。

 

「私は少し気になったんだ」

 

優しく微笑む。

 

「アヤメは『頑張れない』って言った時、とても苦しそうだった。だから思ったんだ。どうして苦しいんだろうって」

 

視線を合わせる。

逃げ道は作る。でも目は逸らさない。

 

「頑張れないと、どうして苦しいの?」

「誰かが困るから?」

「期待を裏切るから?」

「自分が嫌いになるから?」

 

「それとも――」

 

声を少しだけ柔らかくする

 

「頑張れない自分には、価値がないと思ってるから?」

 

責めない。

断定しない。

ただ問いかける。

アヤメが今まで一度も向き合わなかった場所へ。

 

「私はアヤメが頑張ってきたことを知ってる」

「だから、どうして頑張れないことが、そんなにも怖いのか」

「そこを聞いてみたいな」

 

静かに待った。

答えを用意せず。

慰めを先に置かず。ただアヤメ自身が自分の心を見つけられるように。

 

◆ 『七稜アヤメ』◆

 

アヤメはすぐには答えなかった。

涙を拭うことも忘れていた。

言葉を反芻する。

何度も。

何度も。

 

どうして頑張れないと思ったの?

どうして苦しいの?

何を失ったの?

頑張る力?

それとも理由?

頑張れない自分には価値がないと思ってるから?

 

考える。

考える。

考える。

だが答えが出ない。

いや、違う。

答えられない。

今まで一度も考えたことがなかったから。

アヤメはずっと、

 

「どうすれば頑張れるか」

 

ばかり考えてきた。

 

「どうすればもっと役に立てるか」

「どうすればもっと助けられるか」

「どうすればもっと強くなれるか」

 

ばかり。

だから。

頑張れなくなった自分をどう扱うかなんて。

知らない。

 

長い沈黙のあとアヤメはぽつりと呟いた。

 

「……わからない」

 

声は小さかった。

掠れていた。

 

「本当に、わからない」

 

視線が落ちる。

膝の上で握った手を見る。

 

「今まで考えたことなかった」

 

苦笑する。

泣き顔のまま。

 

「頑張るのが当たり前だったから」

「苦しくても頑張るし」

「辛くても頑張るし」

「嫌でも頑張るし」

「そういうものだと思ってた」

 

少しだけ首を振る。

 

「だから、頑張れなくなったらどうなるかなんて、知らない」

 

アヤメはゆっくりと言葉を探す。

 

「価値がなくなるから苦しいのか」

「期待を裏切るから苦しいのか」

「誰かが困るから苦しいのか」

「委員長じゃなくなるから苦しいのか」

 

小さく息を吐く。

 

「……わからない」

 

本当にわからないのだ、誤魔化しではない、逃げでもない。

 

今までアヤメは、自分の感情を分析してきた。他人の依存も見抜いてきた。市民の弱さも。ナグサの不安も。自分の醜さも。色々なもの見ていた。

 

だが一つだけ見ていなかった。

自分自身が何を求めていたのか。

 

アヤメはそこで初めて気づく。

自分はずっと何かから逃げるように頑張っていたのかもしれない。

でも何から逃げていたのか分からない。

 

「ごめん……」

 

小さな声。

顔を上げる。

弱々しい瞳。

委員長の目ではない。

 

「私、本当にわからない」

「どうして苦しいのかも」

「どうして頑張ってきたのかも」

「今、何が欲しいのかも」

 

少し沈黙して、ようやく一つだけ。確かなことを口にする。

 

「でも」

「ずっと苦しかった」

 

それだけは断言できた。

 

「ずっと、苦しかったんだ」

 

その言葉には説明がなかった。

理屈もなかった。

分析もなかった。

ただ。委員長でも英雄でもない一人の少女のようやく出てきた感情だけがあった。

 

◆『元鞘カノ』◆

 

私は答えを与えなかった。アヤメの代わりに結論も出さなかった。ただ静かに頷く。

 

「そっか。わからないんだね」

 

その言葉を否定しない。むしろ少しだけ柔らかく笑う。

 

「それなら、一つわかったことがあるよ。アヤメは今、自分がわからない状態なんだ」

「苦しい理由も、何が欲しいかも、どうしたいかも、まだ整理できてない」

 

肩をすくめる。

 

「でもそれって結構大きな一歩なんだと思う。だって今までは、わからないことすら分からなかったんだから」

「それに今のアヤメは疲れてると思う。すごく、心も、身体も、ずっと張り詰めていたものが切れた直後だから。そんな状態で人生の答えを出そうとしても、多分うまくいかない」

 

そしてアヤメへ向き直る。

 

「だから私は今、アヤメに何かを決めろとは言わない。委員長に戻れとも言わない。百蓮を取り返せとも言わない。世界を救えとも言わない」

 

静かな声。だが一つだけ真剣だった。

 

「ただ、もし休みたいなら。私は助けに行くよ」

 

アヤメが目を瞬かせる。

私は続ける。

 

「ご飯を持っていくこともできる。寝る場所を探すこともできる。何も話したくないなら隣で黙ってることもできる。一緒に考えることもできる。泣きたいなら聞くこともできる」

 

少し笑う。

 

「そういうのは得意だから」

 

そして。

そこで言葉を区切る。

 

「でも、ちゃんと助けを求めてくれないと私は動けない」

 

アヤメを見る。

真っ直ぐに。

 

「だって私はアヤメじゃないから」

 

「アヤメの心の中は見えない。何が必要か決める権利も私にはない。だから助けてほしいなら、助けてって言ってほしい。これだけは必要な儀式なんだ」

 

その言葉には不思議な重みは感じていた。

それは拒絶ではない。

責任の返却だった。

今までアヤメが奪われ続けてきたもの。

自分で選ぶ権利。

自分で頼む権利。

自分で決める権利。

それを私はアヤメへ返している。

 

「さぁ」

 

穏やかな声。

急かさない。

追い詰めない。

 

「アヤメはどうする?」

「助けはいらない? 少し休みたい? 一人でいたい? 一緒にいてほしい? 何も決まってなくてもいい。分からないなら分からないでもいい」

 

そして最後に。

優しく。

けれど誤魔化さずに言う。

 

「決まるまで、共に待つよ。でも、その時はアヤメ自身の言葉で教えて。私はアヤメの代わりにはなれないから」

 

私多分、初めて誰かがアヤメに「何をするべきか」ではなく「どうしたいか」を問いかけた人間なのだろう。

 

◆『 七稜アヤメ』◆

 

 アヤメはしばらく俯いていた。

 指先はまだ震えている。

 涙の跡も消えていない。けれど、その震えは先ほどまでの絶望とは少し違っていた。

 長い間、自分の中に閉じ込めていた願いを、ようやく言葉にしようとしている震えだった。

 

「……元鞘カノさん」

 

 静かな声だった。

 どこか遠くから届くような。

 黄昏の向こう側から響くような声。

 

「お願いがあるんだ」

 

少し間を置く。

言葉を選ぶ。

今まで誰にも頼めなかったことだから。

 

「助けてほしい」

 

 その一言を口にするだけで苦しかった。

 胸の奥が痛んだ。だけど今度は飲み込まない。

 

「でも、助けてほしいのは今の私じゃない」

 

ゆっくりと首を振る。

 

「今の私はもう……ここにいるから」

「黄昏の影響下にある」

「時間も空間も違う場所にいる。たまたま貴方と同期できたから話せているだけ」

 

遠い空を見る。

そこには何もない。

ただ黄昏だけが広がっている。

 

「だから。今の私を助けることはできないと思う。もう遅いのかもしれない」

 

そう言いながらも。

不思議と声は穏やかだった。

諦めではない。

願いが別の場所に向いているから。

 

「だから助けてほしいのは」

 

アヤメは目を閉じる。

 

百花繚乱の委員長だった頃の自分。

毎日笑っていた自分。

誰よりも働いていた自分。

誰にも弱音を吐かなかった自分。

誰よりも壊れかけていた自分。

 

「昔の私なんだ」

 

小さく呟く。

 

「まだ全部を抱え込んでいて」

「まだ平気なふりをしていて」

「まだ笑顔を貼り付けていて」

「まだ誰にも助けてなんて言えない」

「そんな昔の私」

 

唇が震える。

 

「本当はね、今なら分かるんだ」

「ずっと苦しかったんだと思う。でも気付いてなかった。気付かないふりをしてた」

 

「委員長だから」

「強い人だから」

「みんなを守る人だから」

「弱音を吐いちゃいけないと思ってた」

 

目を伏せる。

 

「だから、もし会えるなら」

「少しだけ話を聞いてあげてほしい」

 

「説得しなくていい」

「変えなくていい」

「立派な言葉もいらない」

「ただ、ちゃんと見てあげてほしい」

「誰も見ていなかった私を」

「誰にも言えなかった私を」

「頑張り続けることしか知らなかった私を」

 

声が少し掠れる。

 

「そして」

「もしできるなら」

「少しだけ休ませてあげてほしい」

「何もしない時間を」

「誰かに頼る時間を」

「委員長じゃなくてもいい時間を」

「ほんの少しだけでいいから」

 

涙が一粒落ちる。

 

「与えてあげてほしい」

 

沈黙。そしてアヤメは少しだけ笑った。

 

自嘲するように。

懐かしむように。

 

「きっと面倒だと思うよ、昔の私は」

 

「頑固だし、クソ真面目だし、話聞かないし、休めって言ったら仕事探し始めるし」

 

小さな笑い声が漏れる。

 

「本当にバカだから」

 

けれど、その言葉には愛情が混じっていた。

昔の自分を責める言葉ではなく、ようやく理解できた言葉だった。

 

だからアヤメはしっかりと相手を見る。

 

「お願い、現実世界にいる昔のバカな私と少しだけ話をしてあげて」

 

「そしてできれば助けてあげて」

 

その願いは。

世界を救ってほしいという願いではない。

敵を倒してほしいという願いでもない。

ただ一人の少女がかつての自分へ向けて、初めて差し出した助けを求める手だった。

 

◆『元鞘カノ』◆

 

私は静かに聞いていた。

驚かなかった。

否定もしなかった。

アヤメがようやく絞り出した願いだから。

その重さを受け止めるようにただ聞いていた。

 

「……そっか」

 

小さく頷く。

 

「アヤメが助けてほしいのは、今のアヤメじゃないんだね」

「助けたいのは過去のアヤメ」

「まだ全部を抱え込んでいて」

「まだ自分を削りながら笑っていて」

「まだ誰にも弱音を吐けなくて」

「まだ自分が壊れていることにも気づいていな昔のアヤメ」

 

私は目を閉じる。

その姿を想像する。

きっと見たこともないのに容易に思い浮かぶ。

 

市民に笑顔を向けるアヤメ。

困り事を全部引き受けるアヤメ。

夜中まで仕事を続けるアヤメ。

誰かが泣けば駆けつけるアヤメ。

 

そして誰もいない場所で一人で苦しむアヤメ。

 

「会いたいな」

 

ぽつりと言う。

 

「そのアヤメに」

 

少し笑う。

 

「多分すごく面倒くさいと思う。話を聞かないだろうし、自分は大丈夫ですって言うだろうし、休めって言ったら仕事を持ってくるだろうし、無理するなって言ったら無理してないって答えるだろうし」

 

肩をすくめる。

 

「正直、かなり大変そう」

 

それでも声は優しく。

 

「でも私は会ってみたい」

「そのアヤメが何を見て、何を背負って、何を守ろうとしていたのか、ちゃんと知りたいから」

 

少し考える。そして続ける。

 

「ただ一つだけ約束できないことがある」

 

アヤメを見る。

静かに。

 

「私は過去のアヤメを救えないかもしれない」

「説得できないかもしれない」

「休ませられないかもしれない」

「考え方を変えられないかもしれない」

 

少し笑う。

 

「だってアヤメ、頑固そうだし」

 

本当に少しだけ冗談めかして。

 

「でも話はする」

「何度でも理解できるまで聞く」

「理解してもらえるまで話す」

「一緒にご飯も食べる」

「仕事をサボらせようともする」

「眠るまで付き合うかもしれない」

「怒られるかもしれない」

「迷惑だって言われるかもしれない」

 

そして真っ直ぐにアヤメを見る。

 

「私は過去のアヤメに一つだけ聞きたい」

 

静かな声。

 

「委員長じゃなくなったらアヤメは何をしたいのか」

「百花繚乱がなくても」

「百蓮がなくても」

「誰も期待していなくても」

「誰も褒めなくても」

「アヤメ自身は何をして生きたいの?」

 

少し間を置く。

 

「多分、誰もその質問をしてこなかったと思うから」

 

微笑む。

 

「だから聞いてみたい。昔のアヤメに」

 

そして声が少し柔らかく。

 

「今のアヤメ、過去の自分を助けてほしいって言ったよね」

「それって昔の自分には助けが必要だったって、認めたってことだと思う」

 

静かな沈黙。

 

「私はそれも、大きな一歩だと思う」

「だって昔のアヤメはきっと『自分は助けなんて必要ありませんって笑ってたと思うから」

 

私は立ち上がる。

遠い過去の誰かを探すように。

 

「だから会いに行くね」

「その昔のバカなアヤメに」

 

その言葉には同情はなかった。

哀れみもなかった。

ただ一人の少女がもう一人の少女に会いに行く。

それだけの、静かで確かな意思があった。

 

◆『七稜アヤメ』◆

 

アヤメはしばらく何も言わなかった。

ただ相手を見ていた。

その表情は不思議だった。

泣いているのに少しだけ安心したような顔だった。

 

「そっか」

 

小さく呟く。

 

「こういう方法もあるんだ」

 

誰かに助けを求める。

それだけのこと。

それだけのことが。

こんなにも難しかった。

 

アヤメは笑った。

久しぶりだった。

委員長の笑顔じゃない。

市民に向ける笑顔じゃない。

仲間を安心させるための笑顔でもない。

ほんの少し、ほんの少しだけ肩の力が抜けた人間の笑顔だった。

 

「元鞘カノさん」

 

名前を呼ぶ。

今度は役職でも肩書きでもなく。

一人の人として。

 

「ありがとう」

 

その言葉は短かった。

けれど。

アヤメにとってはとても重かった。

 

「私ね」

 

少しだけ視線を落とす。

 

「誰かに助けてって言ったの、多分初めてなんだ」

 

苦笑する。

 

「情けないよね」

「委員長なんてやってたくせに」

「人を助けることばっかり考えてたくせに」

「助けを求めるのは下手だった」

 

少し沈黙する。

 

「でも」

 

アヤメはゆっくり続ける。

 

「今なら少しだけ分かる気がする」

「私はずっと」

「助ける側でいようとしてた」

「助けられる側になったら終わりだと思ってた」

「弱い人間になると思ってた」

 

首を横に振る。

 

「違ったんだね」

「助けを求めるのも、誰かを信じることなんだ」

 

 

その言葉を口にした瞬間、アヤメ自身が少し驚いた顔をした。まるで今気づいたように。

 

 

「私は人を信じてないつもりはなかった」

「でも本当は自分を誰かに預けることを信じてなかったんだ」

 

静かに息を吐く。

 

「だから、だからね。元鞘カノさん」

 

アヤメは頭を下げた。

深く。

心から。

 

「過去の私を、よろしくお願いします」

「きっと面倒だと思う」

「きっと頑固だと思う」

「絶対に話を聞かないと思う」

「休めって言ったら働くと思う」

 

少し笑う。

今度は本当に。

 

「でも」

「本当はあの頃から」

「誰かに止めてほしかったのかもしれない」

 

声が震える。

 

「大丈夫だって」

「少し休めって」

「全部背負わなくていいって言ってほしかったのかもしれない」

 

長い沈黙。

そして最後に。

 

「ありがとう」

 

今度は委員長としてではない。

百花繚乱としてでもない。

特別な才能を持つ者としてでもない。

ただのアヤメとして。

 

「私の話を聞いてくれて」

「私を見てくれて」

「助けてって言った時に」

「ちゃんと助けようとしてくれて」

 

涙を拭いながら。

 

「本当にありがとう」

 

心の雨音はまだ続いている。けれど、アヤメの中でずっと鳴り続けていた責め立てる声は、ほんの少しだけ静かになっていた。

 

【現実】

 

 朝。

 私は目を覚ました。見慣れた天井。見慣れた寮の部屋。窓から差し込む朝日。けれど胸の奥には妙な感覚が残っていた。

 不可解な夢だった。

 そう呼ぶしかない。現実ではありえない場所。

 黄昏の世界。そして――七稜アヤメ。

 私はベッドの上でしばらく座り込む。

 夢の内容は驚くほど鮮明だった。声も、表情も、涙も最後に聞いた願いも忘れられない。

 

 

『昔のバカな私と話してあげて』

 

 

 私は額を押さえた。普通なら夢で片付ける。それが正しい。でも妙な確信があった。

 あれはただの夢ではない。少なくとも私の中では放置していいものではなかった。

 

 数時間後。

 私はトリニティ総合学園の一室を訪れていた。

 机の向こうには桐藤ナギサ

 紅茶の香りが漂う。いつも通りの優雅な空間。そしていつも通りの冷静な表情。

 

「つまり」

 

 ナギサはティーカップを置いた。

 

「夢を見たので百鬼夜行連合学園へ行きたい、と」

「うん」

「カノさん」

「うん」

「自分で言っていておかしいとは思いませんか?」

「思う」

 

 即答した。ナギサは額を押さえる。

 

「思うのですね」

「思うよ」

「ですが行きたいと」

「行きたい」

 

沈黙。

長い沈黙。

ナギサは深いため息を吐いた。

 

「理由を聞かせてください」

 

 私は少し考えた。どう説明すればいいのか。夢の話だけではない。もっと根本的な話だ。

 

「誰かが」

 

 私はゆっくり言葉を選ぶ。

 

「助けを求めていたんだ」

 

 ナギサは黙って聞いている。

 

「でもその子は自分のことじゃなくて、昔の自分を助けてほしいって言った」

「……」

「今の自分はもう手遅れかもしれない。だから過去の自分に休む時間を与えてほしいって」

 

ナギサの表情は変わらない。けれど視線だけが少し柔らかくなった。

 私は続ける。

 

「正直。私も夢かもしれないと思ってる。勘違いかもしれない。全部私の妄想かもしれない」

 

少し笑う。

 

「でも、もし本当に助けを求めていたなら、私は一回くらい会いに行きたい。話を聞いてみたい。それで何もなかったならそれでいい。でも、何かあるかもしれないから」

 

 

 部屋が静かになる。

 ナギサは紅茶を一口飲んだ。

 考えている。

 慎重に。

 いつものように。

 

 やがて小さく息を吐いた。

 

「七稜アヤメ」

 

 その名前が出る。

 

「百鬼夜行における百花繚乱紛争調停委員会の委員長ですね」

「知ってるの?」

「当然です」

 

少し呆れた顔をされた。

 

「有名人ですから。優秀だそうですよ。それに超常特異現象に有効打を与える可能性のある人物のリストにも上がっています」

 

 そしてナギサは私を見る。

 

「カノさん」

「うん」

「あなたは昔からそうですね」

「?」

「理屈ではなく、人を見て動く」

「そうかな」

「そうです」

 

 ナギサは苦笑した。

 

「だから厄介なのです。でもそこに救われた私がとやかく言うのも野暮ですね」

 

 けれど、その声にはどこか諦めが混じっていた。

 

「はぁ分かりました。最近は貴方への憎しみが高まっていましたし、一時的に遠ざけるタイミングとしては適切でしょう」

 

 私は顔を上げる。

 

「許可を出します」

「本当?」

「ただし」

 

ナギサの目が鋭くなる。

 

「百鬼夜行との正式な手続きを通してください」

「うん」

「危険な行動は禁止です」

「うん」

「問題を起こさないこと」

「うん」

「連絡を絶やさないこと」

「うん」

「そして」

 

 少しだけ間を置く。

 

「もし本当にその少女が助けを求めているのなら」

 

 ナギサは窓の外を見る。

 

「話くらいは聞いてあげてください。きっとそれだけでも救われる人はいますから」

 

 私は立ち上がる。

 

「ありがとう、ナギサ」

 

ナギサは肩をすくめた。

 

「礼は不要です」

 

 そして小さく微笑む。

 

「帰ってきたら報告書は書いてくださいね」

「うっ」

「逃がしませんよ」

 

そんなやり取りを交わしながら私は部屋を後にする。

 

 向かう先は百鬼夜行連合学園。

 そこにはまだ、自分が壊れていることにも気づいていない。

 昔の七稜アヤメがいるのだろう。




第一章、終了です。
次回から『チャプター②百鬼夜行連合学園編』です

交流がみたい元カノは?

  • 桐藤ナギサ(孤立操作
  • 白石ウタハ(献身依存
  • 調月リオ(崇拝偏愛
  • 鬼方カヨコ(他者排除
  • 仲正イチカ(自傷憎悪
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