■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
共同声明の作成は思ったより順調に進んだ。アヤメは優秀だったし、私もトリニティ側の事情は把握している。お互いに必要な情報を出し合えば、文書そのものはすぐにまとまる。
「これでひとまず完成かな」
アヤメが肩を回す。少し疲れたような笑顔だった。
「お疲れ様です」
「元鞘さんもお疲れ様」
私は資料を整える、とその時だった。玄関の方から声が聞こえた。
「アヤメさーん!」
「いますかー!」
アヤメの肩がぴくりと震えた。本当に一瞬だった。けれど私は見逃さなかった。
「あー……」
ため息。
小さいが、確かにため息だった。
「知り合いですか?」
「うん」
アヤメは立ち上がる。
「ちょっと行ってくるね」
玄関へ向かう。
私も何となく後ろからついていった。そこには数人の生徒がいた。
「アヤメさん!」
「ちょうどよかった!」
その顔を見た瞬間。
私は理解した。
夢の中で見た。アヤメを少しずつ削り続けた人達だ。もちろん悪人ではない。ただ自分で考えない人達だった。
「どうしたの?」
アヤメが笑顔を作る。すると一人の生徒が言った。
「倉庫の整理をしたいんですけど、どこから手を付ければいいですか?」
「現場は見た?」
「まだです」
「じゃあまず見よう」
「どうやって?」
「……現地に行って」
アヤメが優しく説明する。別の生徒が手を挙げた。
「屋台の場所決めなんですけど」
「うん」
「どこが良いと思います?」
「候補は?」
「考えてません!」
「……そう」
アヤメが少しだけ遠い目をした。さらに別の生徒。
「復興計画の案なんですけど」
「うん」
「全部アヤメさんが決めてくれませんか?」
私の眉が動く。アヤメは動じない。
「みんなで決めた方がいいよ」
「でもアヤメさんの方が正しいし」
「そういう問題じゃなくてね」
笑っている……笑っているが。
疲れている。明らかに疲れているし、苛立っている様子が私にはわかった。
その時だった。
玄関が開く。
「ただいま」
ナグサだった。後ろにはカヨコもいる。ナグサは状況を見るなり嬉しそうな顔になった。
「アヤメ」
「おかえり」
「凄い」
「何が?」
「皆が頼ってる」
アヤメの笑顔がほんの僅かに固まる。だがナグサは気付かない。
「やっぱりアヤメは人望がある」
「そんなことないよ」
「ある」
即答。
「皆アヤメを信頼してる」
生徒達も頷く。
「そうそう」
「困ったらアヤメさんだし」
「アヤメさんなら何とかしてくれるし」
「頼りになるし」
私は黙っていた。なんというか。妙な気分だった。皆、アヤメを褒めている。悪意もない。
感謝もしている。信頼もしている。それは本当だ。だけど、その言葉の一つ一つが鎖みたいに見えた。
頼れる。
優秀。
何とかしてくれる。
大丈夫。
そう言われるたびにアヤメは「大丈夫でなければならない」と、そうなってしまう。
「アヤメなら大丈夫」
ナグサが言う。
アヤメは笑う。
「買いかぶりすぎだって」
「そんなことない」
「あるある」
「ない」
二人のやり取り。傍から見れば仲の良い友人同士だ。でも私は今日一日見てきた。ナグサはアヤメを持ち上げる。アヤメはナグサを肯定する。ずっとその繰り返しだ。そして今も、ナグサは無邪気にアヤメを評価している。
その言葉がどれだけ重いのか気付かないまま。
アヤメは優しい。だから否定しない。
断らない、押し返さない。
全部受け止め、受け止め続ける。壊れそうになるまで。
私は隣を見る。
カヨコが壁に寄りかかっていた。相変わらず無表情。静かだ。だけどその目だけは周囲を見ていた。観察していた。きっと気付いている。この状況の異常さに気付いている。
アヤメが本来やるべき仕事は復興支援のための現地確認だった。
全体を把握すること。
優先順位を決めること。
重要な問題を解決すること。
なのに今やっているのは屋台の場所決めに倉庫整理の相談。自分で考えれば済む問題への回答。その一つ一つは小さい。本当に小さい。だけど数が多い。無数にある。そして誰も気付かない。その小さな石を積み上げられ続けた人間が、いつか潰れてしまうことに。
私はアヤメを見る。
彼女は笑っていた。
誰よりも明るく。
誰よりも優しく。
誰よりも疲れているように見えた。
私は黙ってその光景を眺めていた。
アヤメを囲む人たち。相談する人。頼み事をする人。判断を委ねる人。そして、それを微笑ましく見守るナグサ。
「やっぱりアヤメは凄い」
「皆に頼られてる」
「人望がある」
「信頼されてる」
そんな言葉が飛び交う。
私は違和感を覚えていた。いや、違和感というより、もっと生理的な何かだった。
「気持ち悪いな」
そう思ってしまった。もちろん、頼ること自体は悪いことじゃない。困った時に助けを求めるのは普通だ。人は一人では生きられない。
それは正しい。だけど目の前の光景は何かが違った。
誰もがアヤメを見ている。
誰もがアヤメに答えを求める。
誰もがアヤメを評価する。
誰もアヤメを見ていない。
私はそんな感覚を覚えた。見ているのは七稜アヤメじゃない。便利な委員長だ。優秀な調停者だ。頼れる責任者だ。何でも解決してくれる存在だ。つまり機能だ。役割だ。人格じゃない。人間じゃない。だから皆、平気で頼る。
アヤメならできるから。
アヤメなら大丈夫だから。
アヤメは優秀だから。
その言葉に悪意はない。だから余計に気持ち悪かった。
もし悪意なら怒れるし、敵として認識できる。でも違う。
皆、本気で感謝しているのだ。
本気で尊敬し、本気で信頼し、その結果がこれだ。
アヤメを休ませず、判断させる。
アヤメに背負わせ、アヤメに責任を押し付ける。
それを善意でやっている。
私はふとアヤメを見る。
笑っている。
いつもの笑顔。疲労も隠して。苛立ちも隠して。弱音も隠して。笑っている。だから皆安心する。
「ああ、大丈夫なんだ」
と。
そしてまた頼る。
その繰り返し。
まるで井戸みたいだと思った。
皆が水を汲む。必要だから汲む。感謝もする。大切にもする。だけど誰も井戸に水を足さない。
いつか枯れることを考えない。
ただ、
「この井戸は凄い」
「便利だ」
「ありがたい」
と言いながら使い続ける。
そんな光景に見えた。そして一番気持ち悪かったのはナグサだった。
「アヤメは凄い」
「アヤメなら大丈夫」
「アヤメは皆に愛されてる」
嬉しそうに言う。
本当に嬉しそうに。
悪意なんて一切なく、純粋な善意しかない。だけど私は今日見てしまった。
ゴミ箱の中の髪飾りを。誰もいない場所で捨てられた贈り物を。だから知っている。
アヤメは大丈夫じゃない。全然大丈夫じゃない。限界に近い。それなのに周囲の人間は、頼られてるから幸せ、評価されてるから幸せ、必要とされてるから幸せ、と勝手に解釈している。
気持ち悪い。
本当に気持ち悪かった。
誰一人、アヤメは疲れてない? と言わない。
誰一人、今日は休む? と言わない。
誰一人、私がやるよ、と言わない。
皆がアヤメを褒める。
皆がアヤメを称賛する。
皆がアヤメを必要とする。
そして。
皆がアヤメを消費している。
私はそんな風に見えてしまった。だから胸の奥が重い。夢の中のアヤメは『人間は弱い。だから私が管理する』という結論に辿り着いていた。
その思想そのものは間違っている。
絶対に認められない。だけど今なら少しだけ分かってしまう。なぜそんな場所まで追い詰められたのか。なぜ人の性能を信じられなくなったのか。なぜ自由より管理を選んでしまったのか。
目の前の光景は、あまりにも人に優しくなかった。
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