■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
気持ち悪かった。本当に胸の奥がざわざわする。誰も悪人じゃない。誰もアヤメを傷つけようとしていない。
むしろ逆だ。
尊敬している。
感謝している。
頼りにしている。
だからこそ厄介だ。
善意なら悪意なら叩き潰せるし、敵なら追い払える。でも善意は違う。本人達も気付かないまま誰かを追い詰める。そして追い詰められた側だけが壊れる。
夢の中のアヤメの顔が脳裏をよぎった。
『助けてほしい』
『少し休みたい』
『頑張ったねと言ってほしい』
あの叫び。
今なら分かる。
アヤメは人に潰されたんじゃない。人の期待に潰されたんだ。それも感謝と信頼という綺麗な包装紙で包まれた期待に。
私は拳を握る。
目の前ではアヤメが笑っていた。
「うん、それならまず現地を見て――」
「アヤメさん、こっちは?」
「アヤメさん、これも」
「アヤメさんならどう思います?」
笑顔。笑顔。笑顔。全部笑顔。誰も彼女の顔を見ていない。
見ているのは役職だ。委員長。調停者。優秀なリーダー。都合の良い解決装置。
その時だった。視界の端でカヨコがこちらを見た。
私も見ると、目が合う。
ほんの一瞬。言葉はない。会話もない。だけど何故か分かった。
ああ、カヨコも見えているんだ。この異様な光景が。この歪さが。この優しい地獄が。カヨコは小さく肩を竦めた。そして私の背中を軽く叩く。
ぽん。
たったそれだけ。それだけなのに。
不思議と意思疎通が成立した気がした。まるで魂の会話だった。
『気付いた?』
『うん』
『変』
『変だね』
『やるんでしょ?』
『やる。やる?』
『やらない』
そんなやり取りをした気がした。もちろん全部私の妄想だ。実際には何も話していない。でもカヨコは否定しなかった。この状況を私がこれからやろうとしていることを止めなかった。だから私は前へ出る。
一歩。そしてもう一歩。
アヤメの隣へ。いや隣じゃない。少し前へ庇うように、守るように、大仰なくらい堂々と私はアヤメの手を取った。
「えっ」
アヤメが目を見開く。周囲も驚く。私は構わなかった。今はそれでいい。驚かせるくらいでいい。
皆の意識をこっちへ向けて、優しい鎖をアヤメから剥がす。そのためなら少しくらい芝居がかっていても構わない。
私は大きく息を吸った。そして叫ぶように声を上げる。
「皆様!」
場が静まる。
全員の視線がこちらへ集まる。
私は胸を張る。
堂々と。
まるで演説家みたいに。
「私は元鞘カノ!」
大きく高らかに。
「トリニティより災害復興支援を任された者です!」
皆がざわつく。
構わない。
続ける。
「アヤメさんは現在、百鬼夜行とトリニティの共同復興計画を進めるために我々へ情報提供を行ってくださっています!」
隣でアヤメが固まっている。気にしない。今は私が悪役でいい。目立つ役でいい。嫌われ役でいい。だから私はさらに声を張った。
「災害復興には綿密な打ち合わせが必要です! 正確な情報共有が必要です! 優先順位の選定が必要です!」
視線が集まる。
全員が聞いている。だから言う。一番大事なことを。
「そして!」
私は叫ぶ。
「アヤメさん一人では復興はできません!」
静寂。
一瞬だけ。
本当に一瞬だけ空気が止まった。皆が驚いた顔をする。当たり前だ。誰もそんなこと言わなかったから。誰も言わせなかったから。
アヤメは凄い。
アヤメは優秀。
アヤメは頼れる。
その言葉ばかり聞いてきたから。
だから私は続ける。
「市民の皆様には申し訳ありません! ですが! アヤメさんの負担を減らすため! ご自身で対処可能な問題は、ご自身で解決していただくようお願いします!」
ざわり。
空気が揺れる。反発もあるだろう。不満もあるだろう。
構わない。私はアヤメの手を握る。少しだけ力を込める。細い手だった。疲れている人の手だった。そして私は思う。
今まで誰も言わなかったのだろう。
皆が頼るばかりで。
皆が褒めるばかりで。
皆が期待するばかりで。
誰も。
『アヤメを休ませろ』
とは言わなかったのだろう。
だから私は言う。
たとえ嫌われても。
たとえ空気を壊しても。
この優しい地獄だけは壊さなければならないと思った。
静寂が落ちた。
先ほどまで次々と飛び交っていた相談や頼み事の声が途切れ、代わりに戸惑いと困惑が混ざった空気がその場を支配している。
私はその反応を見ながら、ゆっくりと周囲を見回した。
皆、驚いていた。
それも当然だろう。今まで当たり前だったものに、突然制限がかかったのだから。
「そ、そういうことなら……」
一人の生徒が頭を掻く。
「今は仕方ないか」
「災害復興の方が優先だもんな……」
「うん、そうだよね」
納得したような声。しかしその中には、微かな残念さも混じっていた。私はそれを聞き逃さなかった。なぜなら彼女たちはは失ったからだ。今まで無条件に頼ることのできた存在を。
困ったら聞けばいい。
面倒なら任せればいい。
判断したくなければ委ねればいい。
そういう便利な仕組みを。
そして私は気付く。
これは信頼だけではなく依存でもある。
もっと言えば責任の委譲だ。
自分で考えるべきこと。
自分で判断するべきこと。
自分で失敗するべきこと。
その一部をアヤメへ預けていた。いや預けるという表現は綺麗すぎる。押し付けていた。
無意識に。
善意で。
感謝しながら。
だからこそ恐ろしい。誰も加害者だと思っていない。誰も利用しているつもりがない。
なのに結果として一人へ負担が集中している。
その構図そのものが私には気持ち悪く見えた。
「じゃあ自分たちで話し合ってみるか」
「倉庫の件もまず現場を確認してみよう」
「どうしても無理だったらまた後で相談する」
少しずつ人が散っていく。その様子を見ながら、私は胸の奥に奇妙な感覚を覚えていた。何かが軋んでいる。そんな感覚だった。目には見えない。音もしない。けれど確かに、今まで存在していた関係性に、ひびが入った。
私はそう感じた。
アヤメへ頼る者達。
アヤメを必要とする者達。
アヤメを優秀な委員長として崇める者達。
その構図の中に私という異物が入り込んだ。しかもトリニティから派遣された外部協力者という、彼らが簡単には無視できない立場で。
だからこそ。今までなら当然のようにアヤメへ向かっていた頼み事が、一度立ち止まった。
それだけだった。
本当にそれだけ。
でも、それだけで十分だった。なぜなら今まで誰も止めなかったからだ。
誰も。
アヤメへ向かう流れを。
アヤメへ集まる責任を。
アヤメへ集中する期待を。
止めようとしなかった。だからこそ。初めて流れが変わった。ほんの少しだけ。本当に僅かだけ。それでも確実に。
私は隣を見る。アヤメは呆然としていた。まるで何が起きたのか理解できないような顔だった。
それも当然かもしれない。
彼女は長い間、受け取る側ではなく与える側だった。だから、自分を守るために誰かが前へ出るという経験がほとんどない。
誰かが自分の代わりに嫌われ役になる経験もきっとない。
アヤメは私を見る。そして散っていく人々を見る。また私を見る。何か言おうとして、言葉が出てこない。その表情を見て、私は少しだけ胸が痛んだ。
きっと彼女は今、複雑なのだ。
助かったという気持ち。
申し訳ないという気持ち。
自分が断れなかったことへの情けなさ。
そして。もしかしたら。ほんの少しの安堵。
それら全部が混ざっている。そんな顔だった。
ナグサもまた呆然としていた。
「え……」
小さく呟く。
「みんな帰っちゃった……」
その言葉には驚きがあった。アヤメへ人が集まることが当たり前になっていた人間の反応だった。
私はそんなナグサを見て思う。彼女もまた、この構造の一部だったのだと。
悪意はない。本当にない。
ただ、ただあまりにも便利だった。
アヤメが頑張ることを当然だと思っていた。
アヤメが耐えることを当然だと思っていた。
アヤメが応えることを当然だと思っていた。
だから今起きたことが予想外なのだ。そして部屋の隅ではカヨコが静かに立っていた。何も言わない。何も評価しない。ただ眺めている。けれど私は分かる。
彼女は全部見ている。この状況も。アヤメの表情も散っていく人々も。そして私の行動も全部見ている。
私は小さく息を吐く。
ようやく。
本当にようやく。
七稜アヤメという少女の肩から、一枚だけ荷物を下ろせた気がした。
それは大した重さではない。
世界を変えるほどでもない。
人生を救うほどでもない。
けれど今まで誰も下ろそうとしなかった荷物だった。だから私は思う。
人は重荷そのものよりも、重荷を下ろしてはいけないと思い込んだ時に壊れるのだと。
そして今のアヤメは、その壊れる寸前の場所に立っているように見えた。
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