■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
私は何も言わなかった。
安易な慰めも「大丈夫だよ」という励ましも「君は悪くない」という否定もしなかった。
今のアヤメに必要なのは正解じゃない。
評価でもなく、誰かに判定されることでもない。ただ話せることだと思った。
私は泣いているアヤメの背中をゆっくりと撫でる。一定のリズムで落ち着くように、呼吸を合わせるように。
しばらくしてアヤメの震えが少しだけ落ち着いた。
私は静かに尋ねる。
「アヤメ」
「……うん」
「いつ頃から辛かった?」
すぐには返事が来なかった。彼女は考えていた。過去を探るように。
どこからだっただろう、と。
そして小さく笑った。
「分からない」
涙声だった。
「気付いたらだった」
私は頷く。続きを待つ。
「最初はね」
アヤメがぽつりぽつりと語る。
「皆を助けるの楽しかったんだ」
「うん」
「ありがとうって言われると嬉しかったし」
「うん」
「役に立てるのも好きだった」
それは本音なのだろう。夢で見た内容とも一致する。アヤメは人助けそのものを嫌っていない。むしろ好きだった。
「じゃあ何が変わったの?」
私は尋ねる。
アヤメは少し考える。
「たぶん」
「うん」
「皆が困ってると気になるようになった」
「気になる?」
「見捨てるのが嫌になった」
私は静かに聞く。
「困ってる人がいる。私なら解決できる。だったらやらなきゃ」
アヤメは苦笑した。
「そんな感じ」
「断れなくなった?」
「うん」
即答だった。
迷いもない。
「断るとね」
彼女は俯く。
「自分が悪い人間になった気がする」
私はその言葉を聞きながら思う。
やはりそうか。
アヤメの問題は責任感ではない。道徳と自己価値が結びついてしまっている。
助ける自分が善。助けない自分が悪。だから選択肢が存在しない。
「断ったことはある?」
私は尋ねた。
アヤメは少し考える。
「あるよ」
「その時どうだった?」
長い沈黙。そして。
「苦しかった」
小さな声だった。
「相手が怒ったわけじゃないの」
「うん」
「恨まれたわけでもない」
「うん」
「でも」
アヤメは胸元を押さえる。
「私の中で何かがずっと責めるの」
私はその光景を見ながら理解する。
彼女の敵は外にいない。内側にいる。ずっとずっと昔から。
誰より厳しい裁判官が。
「どんなふうに責めるの?」
私は聞く。
アヤメは目を閉じた。
「最低だって」
「うん」
「冷たいって」
「うん」
「本当は助けられたのにって」
涙がまた溢れる。
「お前がやれば済んだ話だろって」
私は背中を撫で続ける。
否定しない。肯定もしない。ただ聞く。アヤメが自分で言葉にできるように。
「アヤメは」
私は静かに問う。
「誰かに助けてほしいと思ったことある?」
その瞬間、彼女の身体が固まった。まるで急所を突かれたみたいに。
しばらく何も言わない。
私は待つ。急かさない。沈黙も会話の一部だから。やがて小さな声が聞こえた。
「ある」
消えそうな声だった。
「いっぱいある」
そして、また涙が零れた。
「でも言えなかった」
「うん」
「皆の方が大変だったから」
「うん」
「私より辛い人がいたから」
「うん」
「だから我慢した」
私は聞いていた。ただ聞いていた。
アヤメは続ける。
「でもね」
「うん」
「本当は」
そこで彼女は顔を上げた。
泣き腫らした目だった。
子供みたいな目だった。
「本当は頑張ったって言ってほしかった」
私は黙っている。
「ちょっとだけでよかったの」
「うん」
「頑張ったねって」
「うん」
「少し休もうかって」
「うん」
アヤメは泣きながら笑った。
「変だよね」
「どうして?」
「委員長なのに」
「うん」
「そんなこと思ってる」
私は少しだけ首を傾げた。
「委員長はそう思っちゃいけないの?」
アヤメは答えられなかった。
それが答えだった。今まで考えたことがなかったのだ。
委員長だから。
強い人だから。
助ける側だから。
そういう人間は弱音を吐いてはいけない。
彼女はずっとそう思って生きてきた。だから、今ここで初めて自分自身の苦しさを言葉にしている。
私は背中を撫で続ける。
アヤメは少しずつ話し続ける。
どんなふうに期待されたか。
どんなふうに頼られたか。
どんなふうに断れなかったか。
どんなふうに疲れていったか。
そして、どんなふうに誰にも言えなかったか。
私はそれを聞く。
答えを与えない。
説教もしない。
励ましもしない。
ただ隣に座る。ただ聞く。ただ背中を撫でる。
今のアヤメには誰かに救われる方法を教える前に、誰かに話してもいいのだと知る時間が必要な気がした。
私はしばらく何も言わなかった。
アヤメが泣く音だけが聞こえる。張り詰めていた糸が切れたような泣き方だった。
委員長としての顔も。
優秀な調停者としての顔も。
皆に頼られるリーダーとしての顔も。
今はどこにもない。ただ一人の少女がそこにいた。
私はそっと彼女を抱き寄せた。
優しく逃げ場を作るように。背中へ腕を回す。そして頭を撫でた。金色の髪が指の間を滑る。
アヤメの肩が小さく震えた。
その瞬間、彼女はまた泣き始めた。
今度は堪えることをやめたように。
子供みたいに。声を押し殺しながら。
必死に。
私はゆっくりと髪を撫で続ける。
「アヤメ」
彼女は小さく頷いた。
「今までよく頑張ったんだね。それはとても大変で苦しかったんだと感じたよ。だから今は、外を気にせず、好きなように振る舞って大丈夫」
その言葉を聞いた瞬間。アヤメの身体が強く震えた。まるで何かが決壊したみたいに。
私は続ける。
「本当に頑張った。誰かのために動いて、誰かのために考えて、誰かのために我慢して、ずっと努力してきた」
アヤメは泣いていた。
言葉にならない声を漏らしながら。
私は知っている。
彼女は今まで何度も感謝されてきたのだろう。
何度も褒められてきたのだろう。
何度も尊敬されてきたのだろう。
でも、それらは全部、結果への評価だった。
委員長として。
リーダーとして。優秀な人間として。上手くやったことへの評価だった。だけど今私が伝えたいのは違う。
成果じゃない。
役職でもない。
ただ七稜アヤメという人間が頑張ってきた過程それそのものだった。
「アヤメがやってきたことは無駄じゃない」
私は静かに言う。
「皆を助けたいと思った気持ちも、守りたいと思った気持ちも、全部本物だと思う」
アヤメは私の服をぎゅっと掴んだ。
離さないように。
消えてしまわないように。
私は撫で続ける。
「でもね」
少しだけ声を柔らかくする。
「これからは私も手伝うよ」
アヤメが顔を上げる。
涙で濡れた瞳。
信じられないものを見るような目だった。
「一人で抱えなくていい、一人で背負わなくていい。私もいるし、護衛のカヨコや、トリニティのトップであるナギサもいる。きっと他にもいる」
私は笑う。
「だから少しくらい頼って」
アヤメは何も言わない。
ただ泣いている。
その涙の意味が分かる気がした。
今まで何度も言われたのだろう。
“頼ってください”
“無理しないでください”
と。
でも実際に肩代わりしてくれた人は少なかった。できるほど性能が高い人がいなかったし、結果りきのアヤメが前提だった。
『いつも通りの元気で格好良くて綺麗なアヤメ』の助けをしたかった。弱い部分なんて知りたくない。強いアヤメを助けたいのであって、弱いアヤメは助けない。
だから、言葉より行動の方が信じられるのだろう。
今日、私は彼女の前に立った。
頼み事を止めた。
嫌われ役になった。
だから今の言葉も、少しだけ届いているのかもしれない。
「それから」
私はもう一度頭を撫でる。
「アヤメがしたいことを」
彼女の髪は少し乱れていた。でも綺麗だった。
「アヤメがしたいようにできるように私は支えるよ」
その言葉を言いながら私はふと思う。
アヤメはずっと。
他人の人生を支えてきた。
他人の願いを叶えてきた。
他人の希望を守ってきた。
だからこそ。
自分の願いが分からなくなった。
自分が何をしたいのか分からなくなった。
なら、今はまだ分からなくていい。見つけるところから始めればいい。
私はそう思った。
「休みたいなら休んでいい。遊びたいなら遊んでいい。何もしない日があってもいい。誰かに任せてもいい。失敗してもいい」
アヤメは目を閉じる。
静かに涙を流しながら。
私は最後に言った。
「アヤメにも」
一度言葉を区切る。
「泣く権利がある」
彼女の肩が震える。
「弱くなる権利もある」
私は優しく抱きしめる。
「助けを求める権利もある。頼る権利もある。守られる権利もある」
そして。
アヤメの耳元で静かに告げた。
「だってアヤメは人間だから」
その瞬間、アヤメは声を上げて泣いた。
今まで抑えていたものを全部吐き出すように。
苦しかったことも。
悲しかったことも。
寂しかったことも。
全部。
全部。
涙になって溢れていく。
私は何も急がない。
答えも出さない。
ただ抱きしめる。
ただ頭を撫でる。
ただ隣にいる。
今のアヤメに必要なのは強くなる方法ではなく弱くてもいいのだと知る時間だと思ったからだった。
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