元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
少し部屋の空気が静かになった頃、私は窓際へ歩き、外を眺めた。
復興途中の町や壊れた屋敷。
資材を運ぶ生徒達と遠くから聞こえる金槌の音。
人は少しずつ前へ進んでいる。だけど、人の心は建物ほど簡単には修復されない。後ろから湯飲みを置く音がした。
振り返ると、カヨコが机へ二つのお茶を置いている。
「冷める前に飲んで」
「ありがとう」
私は椅子へ腰掛ける。湯気が静かに立ち昇る。一口飲むと、ほんのり苦味が口へ広がった。しばらく無言だった。
カヨコは私が話し始めるのを待っている。
私は湯飲みを見つめたまま口を開いた。
「……ねぇ、カヨコ」
「なに?」
「アヤメのこと、どう思った?」
カヨコはすぐには答えなかった。湯飲みを口へ運び、一口飲んでから静かに息を吐く。
「感情で言えば」
一拍置く。
「気色が悪い」
その言葉は随分と率直だった。
私は苦笑する。
「そこまで言う?」
「うん。以前はクソ真面目なお人好しとして、潰れる未来がくるのはわかってて可哀想だと思ったけど」
カヨコは表情一つ変えない。
「今日一日見ていて思った。カノが少し視界から消えただけで探す。何を見ても真っ先にカノへ話しかける。カノが笑えば笑う。カノが前へ出れば安心する……これは典型的な依存の兆候だよ」
「あー」
私は頷く。
「そうだね」
「普通じゃない」
「普通じゃないんだよ、今のアヤメは。周りも、彼女自身も」
部屋へ静寂が落ちる。窓の外では鳥が鳴いていた。カヨコは視線を外へ向けたまま続ける。
「……だけど」
その一言で空気が少し変わる。
「心理的には理解できる部分もある」
私は彼女を見る。
「どういうこと?」
カヨコは腕を組み、ゆっくりと言葉を選び始めた。
「人間は極限状態になると、自分一人で立ち続けられなくなる。心にも重心がある。それを支える柱が必要になる」
私は静かに聞く。
「アヤメには、その柱がなかった」
カヨコは淡々と続ける。
「委員長。優等生。頼れる存在。誰からも期待される人間。その役割ばかり背負っていた。つまり、支える側しか経験していない」
私は昨日のアヤメを思い出す。
泣きながら。
“助けてほしかった”と。
ようやく口にした少女を。
「支える側には、支え方は教えても」
カヨコは私を見る。
「支えられ方を教える人間はいない」
私は息を飲んだ。
その一言が、あまりにも本質だった。
カヨコは静かに続ける。
「だから、カノが初めてなんだ」
「……うん」
「頼っても壊れない人間が。頼っても大丈夫な人間が」
私は昨日のことを思い返す。
アヤメの前へ立った。彼女を庇った。頼み事を断った。抱きしめた。頭を撫でた。話を聞いた。
ただ、それだけだ。だけどアヤメにとっては違った。
人生で初めて誰かが自分を守った奇跡的で、衝撃的な経験。
「だから心が傾いた」
カヨコは言う。
「当然だね。砂漠にいた人間へ水を渡したようなもの。止まらなくなる」
私は小さく笑う。
「随分分かりやすい例え」
「事実だよ」
カヨコは相変わらず無表情だった。その無表情が逆に説得力を持っていた。
「……それで、カノは何を考えているの?」
「そうだね」
私は湯飲みを置く。
「このままじゃ駄目だ」
「当然」
即答だった。
「ストレスを回避する依存先がカノへ変わっただけ。救済じゃなく、置き換えだから、カノがいなくなれば元の木阿弥になるよ」
私は深く頷く。
それは私も考えていたことだった。
私がいなければ笑えない。私がいなければ立てない。そんな未来は望んでいない。
「私がやりたいのは」
私は静かに言う。
「私がいなくても、アヤメが自分で笑えるようになること」
カヨコは小さく口元を緩めた。
本当に僅かだった。知らない人なら気付かないくらい。
「だから、カノは止めなかった」
「うん」
「抱きしめた」
「うん」
「話を聞いた」
「うん」
「泣かせた」
「うん」
「全部必要だった」
カヨコはそう結論づけた。
「腹が減っているなら、魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えろ……っていうのは有名だよね」
「まぁね。だけど、今は飢えている人間が、すぐに動けるわけもないし、技術っていうのは会得するのに時間がかかる」
「満たした次こそ魚を狩る方法ってこと?」
「物事には順序がある。それを無視したところで、答えには至れない。根気強く、自分が損をしながら、共に歩む必要がある」
私はその言葉を胸の中で反芻する。
焦ってはいけない。
依存だからと突き放せばアヤメはまた、「助けを求めることは間違いだった」と学習してしまう。
それだけは避けたかった。
「……ありがとう、カヨコ」
私がそう言うとカヨコは肩を竦める。
「礼を言われることはしてないよ。私は見たままを言っただけ」
そして少しだけ視線を細める。
「ただ一つだけ気になる」
「何?」
カヨコは窓の外を見たまま呟いた。
「アヤメよりナグサの方」
その一言で部屋の空気が少しだけ冷たくなった気がした。
私も同じことを考えていた。
今日一日、アヤメは光を取り戻した。けれど、その光を見つめていたナグサだけは終始、どこか寂しそうな笑顔を浮かべていた。
翌朝。
私とアヤメは、紛争調停委員会の本部から復興地域へ向かう道を歩いていた。
朝の空気は少しひんやりとしていて、山から吹き下ろす風が頬を撫でていく。
昨日よりもアヤメの足取りは軽い。
時折こちらを見て笑う姿を見ると、少しずつではあるが心は回復へ向かっているのだと実感できた。
だからこそ私は昨日から気になっていたことを尋ねることにした。
「ねぇ、アヤメ。」
「うん?」
「アヤメにとって、ナグサって幼馴染とか親友なんだっけ?」
「そうだよ」
「どんな風な印象があるの?」
その瞬間だった。さっきまで柔らかかったアヤメの表情が、少しだけ曇る。
怒っているわけではない。
困っているような。
言葉を選んでいるような。
そんな複雑な顔だった。
「ナグサは……」
一度言葉を切る。
何かを考えるように空を見上げ、それから静かに続けた。
「実力はある」
「うん」
「頭も良い」
「仕事もできる」
「格闘戦も強い。本気でやれば、私なんかよりずっと強いと思う」
私は黙って聞いていた。
アヤメは嘘を言う人ではない。だからその評価は本心なのだろう。
「だけど」
その一言で空気が変わる。
「弱い立場でいたがる」
「……弱い立場?」
「うん」
私は首を傾げた。
「それって、自信がないってこと?」
アヤメはすぐに首を横へ振る。
「違う」
その否定は強かった。
「ナグサは自分が強いことを知ってる。可愛いと自覚もしている。だから自信がないわけじゃない」
「じゃあ?」
アヤメは苦笑した。
「弱者でいたいんだよ」
私は少し考える。
意味は分かるようで、まだ腑に落ちない。
「甘えてるってこと? それとも怠けたい?」
「それも違う」
アヤメはゆっくり息を吐く。
「ナグサは努力家。誰より努力してる。誰より考えてる。だから怠惰なんかじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
アヤメは少しだけ困ったように笑う。
その笑みには諦めが混じっていた。
「意欲的なんだ」
「……え?」
「弱者になることに」
私は思わず立ち止まりそうになった。
その表現は初めて聞く。アヤメは歩きながら続けた。
「弱い立場にいる方が守ってもらえる。心配してもらえる。肯定してもらえる。安心できる。そういうことを、ナグサは知ってる」
私は静かに聞く。
「だから」
アヤメは少しだけ眉を寄せた。
「自分を弱く見せるし、できないって言う。私とは違って、って言う。私は駄目だから、って言う」
昨日の光景が頭に浮かぶ。
『アヤメは凄い』『私とは違って』『アヤメなら大丈夫』『私は足手まといだから』
何度も。何度も。ナグサはそんな言葉を口にしていた。
そのたびにアヤメは「ナグサも凄いよ」と返していた。
私は少しずつ繋がっていく感覚を覚える。
「それって」
「アヤメに肯定してほしいってこと?」
「うん」
アヤメは静かに頷いた。
「私からナグサは強いよ、頑張ってるよ。凄いよって言われたいんだと思う」
私は昨日のナグサの表情を思い出す。
確かに。
アヤメが褒めるたび。
目が輝いていた。
嬉しそうだった。
あれは演技じゃない。
本当に嬉しかったのだろう。
「それは……」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「幼馴染だから?」
「ううん」
アヤメは首を横へ振った。
「もっと昔から」
「昔から?」
「ナグサは昔から、私に認めてもらいたがってた」
少しだけ寂しそうに笑う。
「でもね、私はそれが嫌だった」
その言葉は意外だった。
「嫌?」
「うん」
アヤメは小さく頷く。
「だってナグサ、本当は強いんだもん。私なんかより。ずっと」
その声には苛立ちが滲んでいた。
怒りというよりもどかしさだった。
「なのに私とは違って、って言う。私は弱いから、って言う。守って、って顔をする」
アヤメは少しだけ視線を落とす。
「その度に私はナグサは強いよ。できるよ。頑張ってるよって言う」
そして苦笑した。
「……疲れる」
その一言には長年積み重ねてきた感情が詰まっていた。
「私だって本当は誰かに、頑張ったねって言ってほしかった」
歩きながら、アヤメは静かに笑う。
「でもナグサは私から、それをもらいたがる。だから」
少しだけ間を置いて、アヤメはぽつりと呟いた。
「正直、あまり良い気持ちにはなれない。」
私はその横顔を見つめる。
そこには嫌悪だけがあるわけではなかった。親しい存在だからこその情も、心配も、理解もある。だからこそ苦しいのだろう。助けたい。でも甘やかしたくはない。
認めたい。でも、その認め方ではナグサのためにならない。アヤメはその矛盾を、ずっと一人で抱えてきたのだろう
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