■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
少し部屋の空気が静かになった頃、私は窓際へ歩き、外を眺めた。
復興途中の町や壊れた屋敷。
資材を運ぶ生徒達と遠くから聞こえる金槌の音。
人は少しずつ前へ進んでいる。だけど、人の心は建物ほど簡単には修復されない。後ろから湯飲みを置く音がした。
振り返ると、カヨコが机へ二つのお茶を置いている。
「冷める前に飲んで」
「ありがとう」
私は椅子へ腰掛ける。湯気が静かに立ち昇る。一口飲むと、ほんのり苦味が口へ広がった。しばらく無言だった。
カヨコは私が話し始めるのを待っている。
私は湯飲みを見つめたまま口を開いた。
「……ねぇ、カヨコ」
「なに?」
「アヤメのこと、どう思った?」
カヨコはすぐには答えなかった。湯飲みを口へ運び、一口飲んでから静かに息を吐く。
「感情で言えば」
一拍置く。
「気色が悪い」
その言葉は随分と率直だった。
私は苦笑する。
「そこまで言う?」
「うん。以前はクソ真面目なお人好しとして、潰れる未来がくるのはわかってて可哀想だと思ったけど」
カヨコは表情一つ変えない。
「今日一日見ていて思った。カノが少し視界から消えただけで探す。何を見ても真っ先にカノへ話しかける。カノが笑えば笑う。カノが前へ出れば安心する……これは典型的な依存だ兆候だよ」
「あー」
私は頷く。
「そうだね」
「普通じゃない」
「普通じゃないんだよ、今のアヤメは。周りも、彼女自身も」
部屋へ静寂が落ちる。窓の外では鳥が鳴いていた。カヨコは視線を外へ向けたまま続ける。
「……だけど」
その一言で空気が少し変わる。
「心理的には理解できる部分もある」
私は彼女を見る。
「どういうこと?」
カヨコは腕を組み、ゆっくりと言葉を選び始めた。
「人間は極限状態になると、自分一人で立ち続けられなくなる。心にも重心がある。それを支える柱が必要になる」
私は静かに聞く。
「アヤメには、その柱がなかった」
カヨコは淡々と続ける。
「委員長。優等生。頼れる存在。誰からも期待される人間。その役割ばかり背負っていた。つまり、支える側しか経験していない」
私は昨日のアヤメを思い出す。
泣きながら。
“助けてほしかった”と。
ようやく口にした少女を。
「支える側には、支え方は教えても」
カヨコは私を見る。
「支えられ方を教える人間はいない」
私は息を飲んだ。
その一言が、あまりにも本質だった。
カヨコは静かに続ける。
「だから、お前が初めてなんだ」
「……うん」
「頼っても壊れない人間が。頼っても大丈夫な人間が」
私は昨日のことを思い返す。
アヤメの前へ立った。彼女を庇った。頼み事を断った。抱きしめた。頭を撫でた。話を聞いた。
ただ、それだけだ。だけどアヤメにとっては違った。
人生で初めて誰かが自分を守った奇跡的で、衝撃的な経験。
「だから心が傾いた」
カヨコは言う。
「当然だね。砂漠にいた人間へ水を渡したようなもの。止まらなくなる。」
私は小さく笑う。
「随分分かりやすい例え」
「事実だよ」
カヨコは相変わらず無表情だった。その無表情が逆に説得力を持っていた。
「……それで、カノは何を考えているの?」
「そうだね」
私は湯飲みを置く。
「このままじゃ駄目だ」
「当然」
即答だった。
「ストレスを回避する依存先がカノへ変わっただけ。救済じゃなく、置き換えだから、カノがいなくなれば元の木阿弥になるよ」
私は深く頷く。
それは私も考えていたことだった。
私がいなければ笑えない。私がいなければ立てない。そんな未来は望んでいない。
「私がやりたいのは」
私は静かに言う。
「私がいなくても、アヤメが自分で笑えるようになること」
カヨコは小さく口元を緩めた。
本当に僅かだった。知らない人なら気付かないくらい。
「だから、カノは止めなかった」
「うん」
「抱きしめた」
「うん」
「話を聞いた」
「うん」
「泣かせた」
「うん」
「全部必要だった」
カヨコはそう結論づけた。
「腹が減っているなら、魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えろ……っていうのは有名だよね」
「まぁね。だけど、今は飢えている人間が、すぐに動けるわけもないし、技術っていうのは会得するのに時間がかかる」
「満たし、次こそ魚を狩る方法ってこと?」
「物事には順序がある。それを無視したところで、答えには至れない。根気強く、自分が損をしながら、共に歩む必要がある」
私はその言葉を胸の中で反芻する。
焦ってはいけない。
依存だからと突き放せばアヤメはまた、「助けを求めることは間違いだった」と学習してしまう。
それだけは避けたかった。
「……ありがとう、カヨコ」
私がそう言うとカヨコは肩を竦める。
「礼を言われることはしてないよ。私は見たままを言っただけ」
そして少しだけ視線を細める。
「ただ一つだけ気になる」
「何?」
カヨコは窓の外を見たまま呟いた。
「アヤメよりナグサの方」
その一言で部屋の空気が少しだけ冷たくなった気がした。
私も同じことを考えていた。
今日一日、アヤメは光を取り戻した。けれど、その光を見つめていたナグサだけは終始、どこか寂しそうな笑顔を浮かべていた。
翌朝。
私とアヤメは、紛争調停委員会の本部から復興地域へ向かう道を歩いていた。
朝の空気は少しひんやりとしていて、山から吹き下ろす風が頬を撫でていく。
昨日よりもアヤメの足取りは軽い。
時折こちらを見て笑う姿を見ると、少しずつではあるが心は回復へ向かっているのだと実感できた。
だからこそ私は昨日から気になっていたことを尋ねることにした。
「ねぇ、アヤメ。」
「うん?」
「アヤメにとって、ナグサって幼馴染とか親友なんだっけ?」
「そうだよ」
「どんな風な印象があるの?」
その瞬間だった。さっきまで柔らかかったアヤメの表情が、少しだけ曇る。
怒っているわけではない。
困っているような。
言葉を選んでいるような。
そんな複雑な顔だった。
「ナグサは……」
一度言葉を切る。
何かを考えるように空を見上げ、それから静かに続けた。
「実力はある」
「うん」
「頭も良い」
「仕事もできる」
「格闘戦も強い
「本気でやれば、私なんかよりずっと強いと思う」
私は黙って聞いていた。
アヤメは嘘を言う人ではない。だからその評価は本心なのだろう。
「だけど」
その一言で空気が変わる。
「弱い立場でいたがる」
「……弱い立場?」
「うん」
私は首を傾げた。
「それって、自信がないってこと?」
アヤメはすぐに首を横へ振る。
「違う」
その否定は強かった。
「ナグサは自分が強いことを知ってる。可愛いと自覚もしている。だから自信がないわけじゃない」
「じゃあ?」
アヤメは苦笑した。
「弱者でいたいんだよ」
私は少し考える。
意味は分かるようで、まだ腑に落ちない。
「甘えてるってこと? それとも怠けたい?」
「それも違う」
アヤメはゆっくり息を吐く。
「ナグサは努力家。誰より努力してる。誰より考えてる。だから怠惰なんかじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
アヤメは少しだけ困ったように笑う。
その笑みには諦めが混じっていた。
「意欲的なんだ」
「……え?」
「弱者になることに」
私は思わず立ち止まりそうになった。
その表現は初めて聞く。アヤメは歩きながら続けた。
「弱い立場にいる方が守ってもらえる。心配してもらえる。肯定してもらえる。安心できる。そういうことを、ナグサは知ってる」
私は静かに聞く。
「だから」
アヤメは少しだけ眉を寄せた。
「自分を弱く見せるし、できないって言う。私とは違って、って言う。私は駄目だから、って言う」
昨日の光景が頭に浮かぶ。
『アヤメは凄い』『私とは違って』『アヤメなら大丈夫』『私は足手まといだから』
何度も。何度も。ナグサはそんな言葉を口にしていた。
そのたびにアヤメは「ナグサも凄いよ」と返していた。
私は少しずつ繋がっていく感覚を覚える。
「それって」
「アヤメに肯定してほしいってこと?」
「うん」
アヤメは静かに頷いた。
「私からナグサは強いよ、頑張ってるよ。凄いよって言われたいんだと思う」
私は昨日のナグサの表情を思い出す。
確かに。
アヤメが褒めるたび。
目が輝いていた。
嬉しそうだった。
あれは演技じゃない。
本当に嬉しかったのだろう。
「それは……」
私は慎重に言葉を選ぶ。
「幼馴染だから?」
「ううん」
アヤメは首を横へ振った。
「もっと昔から」
「昔から?」
「ナグサは昔から、私に認めてもらいたがってた」
少しだけ寂しそうに笑う。
「でもね、私はそれが嫌だった」
その言葉は意外だった。
「嫌?」
「うん」
アヤメは小さく頷く。
「だってナグサ、本当は強いんだもん。私なんかより。ずっと」
その声には苛立ちが滲んでいた。
怒りというよりもどかしさだった。
「なのに私とは違って、って言う。私は弱いから、って言う。守って、って顔をする」
アヤメは少しだけ視線を落とす。
「その度に私はナグサは強いよ。できるよ。頑張ってるよって言う」
そして苦笑した。
「……疲れる」
その一言には長年積み重ねてきた感情が詰まっていた。
「私だって本当は誰かに、頑張ったねって言ってほしかった」
歩きながら、アヤメは静かに笑う。
「でもナグサは私から、それをもらいたがる。だから」
少しだけ間を置いて、アヤメはぽつりと呟いた。
「正直、あまり良い気持ちにはなれない。」
私はその横顔を見つめる。
そこには嫌悪だけがあるわけではなかった。親しい存在だからこその情も、心配も、理解もある。だからこそ苦しいのだろう。助けたい。でも甘やかしたくはない。
認めたい。でも、その認め方ではナグサのためにならない。
アヤメはその矛盾を、ずっと一人で抱えてきたか。
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