■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!! 作:あばなたらたやた
百鬼夜行紛争調停委員会本部。
夕暮れだった。窓から差し込む橙色の光が机を照らし、書類の山に長い影を落としている。
復興支援。被害報告。予算案。人員配置。それらの資料が大量に机に積まれていた。
その中心にはアヤメがいる。
七稜アヤメ。
紛争調停委員会委員長。
誰よりも働き、誰よりも責任を負い、誰よりも疲れている少女。
彼女は今も資料へ目を通していた。
ペンを走らせ、修正する。考え、行動して、止まらない。まるで止まることを許されていないみたいだった。
私は向かいの椅子へ腰掛ける。
そのまま少しだけ、アヤメの横顔を見つめた。
眉間にはうっすらと皺が寄っていて、目の下には疲れが滲んでいた。
それでも彼女は手を止めない。止められないのだろう。
「アヤメ」
「ん?」
顔を上げる。
少しだけ疲れた笑顔だった。
「どうしたの、カノ」
「ちょっと相談があるんだ」
その言葉にアヤメは不思議そうな顔をした。
「相談?」
「うん」
私は頷く。そして少しだけ考える。
ここで正論を言っても意味がない。
アヤメは全部知っている。休めと言われなくても知っている。頼れと言われなくても知っている。
それでもできない。だから違う話をする。
「アヤメは百鬼夜行、好き?」
アヤメはきょとんとした。
数秒ほど沈黙する。そして苦笑した。
「急にどうしたの」
「いいから」
「……好きだよ」
「委員会は?」
「好き」
「仲間は?」
「好きだよ」
「市民は?」
「もちろん好きだよ。最近はネガティブになることが多いけど、でもカノが来てくれて、少し余裕ができたからかな。初心を思い出した」
私は少し笑う。予想通りだった。アヤメはそういう人だ。誰かのために生きる人。だからこそ苦しい。
「ナグサは?」
アヤメが少しだけ固まる。
それから小さく笑った。
「……好き」
私は頷いた。そして静かに続ける。
「じゃあさ、アヤメが倒れたら、どうなると思う?」
空気が変わる。アヤメの表情が止まる。窓の外から聞こえていた鳥の声がやけに大きく聞こえた。
彼女は視線を落とす。
考えたくない問題だったのだろう。
考えないようにしていた問題だったのだろう。
だから私は責めない。
優しく続ける。
「私はね、アヤメが倒れるの、すごく怖いと思うよ」
アヤメが顔を上げる。
驚いたような顔だった。
「え……?」
「だって、アヤメがいなくなったら皆困ると思うんだ」
アヤメが何か言おうとする。
でも言葉が出ない。
「ナグサは? 参謀達は? 紛争調停委員会の全体は? 百鬼夜行は? アヤメが守りたい人達は?」
私は静かに問いかける。
責めるためじゃない。
考えてほしいから。
「今の百鬼夜行はアヤメが頑張ってるから、なんとか回ってる状態だと、外から見ていて思うんだ」
アヤメは黙っていた。
否定できない。
私も現地を見て、ナギサとも話したし、カヨコとも話した。だから分かる。
アヤメが中心だ。
良くも悪くも全部が彼女へ集まっている。書類も、判断も、責任も、期待も誰かが持つべきものまで、全部アヤメの机に積み上がっている。
それを見ているだけで、胸の奥が苦しくなる。
「アヤメ、責任を分けるのって逃げてることになる?」
彼女は少しだけ俯く。
「……思う」
小さな声だった。
「私がやれるのに、私がやらなかったら、誰かが困るから」
私は頷いた。知っている。それがアヤメだ。だから私は言う。
「私は、そうは思わない」
アヤメがこちらを見る。
「責任を分けるのは、皆を信じるってことだよ」
彼女の瞳が揺れる。
「仲間を育てること、次に繋げること、アヤメがいなくても百鬼夜行がちゃんと残るようにすること」
私は少しだけ前へ身を乗り出す。
「アヤメは百鬼夜行を守りたいんでしょ?」
「うん」
「だったら、今のままじゃ足りない。いや、方向性を変える必要がある」
彼女の肩が震えた。
「アヤメが倒れたら終わる組織は、アヤメが守りたいものではないと思うんだよ」
「私の守りたい、もの」
「アヤメだけを犠牲にして平和を享受する世界は、私は嫌だ。アヤメの苦労が報われるものであって欲しい」
沈黙が落ちる。
長い沈黙だった。
私は待つ。
急かさない。
アヤメは今、自分の価値観と向き合っている。
戦っている。だから待つ。しばらくしてアヤメが小さく呟いた。
「でも、怖いんだ」
初めて聞く声だった。
弱い声。
委員長ではない声。
七稜アヤメという一人の少女の声だった。
「任せて、失敗されたら、傷付く人がいる。皆が困る。だから……」
言葉が震える。
「だから私がやった方がいいって、思っちゃうんだ」
私は静かに頷く。
「うん。そっか。そう思うのは当然の流れだと思う」
否定しない。
正しい部分もあるから。だけどそれだけじゃない。
「でもね」
私は少し笑う。
「私はアヤメを助けたい」
彼女が顔を上げる。
「でもっ」
「アヤメが全部抱え込んだままだと、手伝えない」
アヤメの目が見開かれる。
「え……」
「だって、渡してくれないじゃん」
私は少し困ったように笑った。
「一緒に背負いたいのに、アヤメが全部持ってっちゃうから」
彼女が言葉を失う。
私は続ける。
「他の人たちもきっと同じだよ。皆、一緒に背負ってくれる人達だと思う。私みたいに、手を貸して欲しい、と言われれば、助けてくれる人達だと思う」
アヤメの瞳が少しずつ潤んでいく。その様子を見て、私は少しだけ息を吸った。
ここからが本題だ。
ただ心配しているだけじゃない。
ただ励ましたいだけでもない。
ちゃんと伝えたいことがある。
「それにね、アヤメ」
私は言葉を選びながら続ける。
「私は、周りのことだけ大事にしたいわけじゃない」
アヤメが瞬きをする。
「周りの人達がどうか、とか。百鬼夜行がどうか、とか。そういうのももちろん大事だよ。でも、それ以上に」
私はまっすぐ彼女を見る。
「アヤメそのものを大切にしたい」
アヤメの呼吸が止まる。驚いたように、でも逃げずに、私を見つめ返してくる。
「だから」
私は少しだけ声を柔らかくした。
「仕事、もっと分けてほしい。アヤメが全部抱え込むんじゃなくて。周りに任せてほしい。委員会の仕事も、判断も、調整も、一人で背負わないでほしい」
アヤメの唇がわずかに震える。
「でも……」
「でもじゃない」
私はすぐに返した。強く言いすぎないように、それでも逃がさないように。
「アヤメが倒れたら、周りは困る。アヤメの苦労を分散すれば、その分みんなは苦労する。それは本当だと思う。でもね、アヤメが壊れたら、もっと困る」
彼女の目が揺れる。
「それに私は、大切な存在であるアヤメが、仕事で使い潰される姿は見たくない。私はアヤメを守りたい。アヤメが笑っていられるようにしたい」
私は言葉を続ける。
「ちゃんと眠って、ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと誰かに頼って、ちゃんと辛いことは辛いって言える。そうやって生きていてほしい」
言葉にするほど、胸の奥が熱くなる。
ただの理想じゃない。願いだ。切実な願いだった。
「アヤメ。周りを守るのも大事。でも、アヤメ自身を守るのはもっと大事だよ」
彼女は何も言えないまま、私を見ていた。
私はさらに続ける。
「アヤメが全部やる必要なんてない。失敗してもいい。誰かが補えばいい。そのために仲間がいるんでしょ。ナグサも、他の委員会のメンバーも。皆、アヤメの代わりじゃなくて、アヤメと一緒にいるためにいるんだよ」
アヤメの瞳が少しずつ潤んでいく。それでも彼女はまだ、何かを飲み込もうとしていた。
責任感が、罪悪感が、習慣が、彼女の喉元を塞いでいる。だから私は最後に、はっきりと言う。
「お願い」
アヤメが私を見る。
私は笑う。
「今まで皆を守ってきたよね」
「うん……」
「だったら」
私は優しく言った。
「今度は皆にアヤメを守らせて。周りのことは、周りに任せていい。アヤメはアヤメ自身を大事にしていい。私は、そうしてほしい」
その瞬間。
アヤメの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。長い時間をかけて張り続けていた糸が、ようやく切れたような涙だった。
私は彼女の隣に立ち、肩へ手を添えていた。
アヤメは震えている。
委員長ではない。英雄ではない。ただの少女として、ようやく弱音を吐こうとしていた。
「私……私、本当は――」
その時だった。
「違う」
静かな声。だけど部屋の空気を切り裂くような声だった。
私とアヤメが振り返る。
扉の前。
そこにはナグサが立っていた。
いつから聞いていたのだろう。
表情はいつも通りだった。
無表情。
静か。
落ち着いている。
だけど目だけが違う。あまりにも必死だった。何か大切なものを奪われそうになっている人の目だった。
「ナグサ……」
アヤメが戸惑う。
ナグサはアヤメだけを見る。
私ではない。
アヤメだけ。
世界に彼女しか存在しないみたいに。
「違うよ、アヤメはそんな人じゃない」
アヤメが困惑する。
「そんな人って……」
「弱い人じゃない」
即答だった。
迷いがなかった。
それが逆に怖かった。
ナグサは続ける。
「アヤメは強い。優しい。誰よりも頑張ってる。誰よりも人を助けてる。だから皆が頼る。それが当然」
私は黙って聞く。
遮らない。
今はまだ。
ナグサ自身が何を言っているのか理解する必要があった。
「皆を守れるのはアヤメだから。アヤメしかいないから。だから皆が頼る。それの何が悪いの?」
部屋が静かになる。
アヤメは俯いている。
ナグサは必死だった。
心からそう思っている。だからこそ残酷だった。アヤメが苦しんでいることを知っている。
疲れていることも知っている。
限界が近いことも知っている。
それでも。
その全てを越えて、アヤメの凄さだけを語る。
凄い。
優しい。
立派。
必要。
それは賞賛の言葉だ。けれど同時に鎖でもある。
アヤメは凄い。だから頑張れ。
アヤメは優しい。だから耐えろ。
アヤメは必要だ。だから倒れるな。
そう言っているのと同じだった。
「私はアヤメみたいになれない」
ナグサが言う。
「強くないし、賢くないし、皆をまとめられない。だからアヤメが必要」
私は静かに息を吐く。
これだ。
これがアヤメを縛っているものの一つ。
市民。部下。仲間。そしてナグサ。
皆がアヤメを必要としている。だけど、そこの鎖は、普通のものとは少し違う。
悪意がない。本当にない。だから厄介なのだ。ナグサ達はアヤメを利用しようとしているわけじゃない。
アヤメが好きだ。大好きだ。尊敬している。救われた。だから失いたくない。
それだけだ。
それだけなのに。
それだけだから。
アヤメは拒絶できない。
「だから」
ナグサの声が少し震える。
「アヤメにはそのままでいてほしい」
その瞬間、アヤメの顔が歪んだ。
ほんの一瞬だった。でも私は見逃さなかった。
悲しかったのだ。苦しかったのだ。傷付いたのだ。ナグサは気付いていない。本当に気付いていない。
今、自分がアヤメへ呪いをかけていることに。
「だって」
ナグサが俯く。
拳が震えている。
「アヤメが変わったら」
そこで言葉が止まる。
部屋が静かになる。
私は理解した。
「あぁ。そういうことか」
ナグサも怖いのだ。アヤメが変わることが。アヤメが成長することが。アヤメが自分を必要としなくなることが。アヤメが遠くへ行ってしまうことが。
怖い。だから無意識に変わらないでと言っている。
私はアヤメを見る。
アヤメもナグサを見ていた。
優しい目だった。怒っていない。責めてもいない。ただ悲しそうだった。そして私は理解する。
この問題は組織改革ではない。
権限移譲でもない。百鬼夜行の未来でもない。
もっと個人的な話だ。
アヤメはナグサを見捨てられない。
ナグサはアヤメを手放せない。
二人とも相手を大切に思っている。
二人とも相手を傷付けたくない。
だから変われない。だから苦しんでいる。
私は静かに口を開いた。
「ナグサ」
彼女がこちらを見る。
警戒したような目だった。まるで私がアヤメを奪う敵みたいに。
私は否定しない。怒らない。責めない。なぜならナグサもまた助けを求めている側だからだ。
「一つだけ聞いてもいい?」
ナグサは黙ったまま頷く。
私はゆっくり言う。
「もしアヤメが倒れたら、ナグサはどうするの?」
その問いに、ナグサは初めて言葉を失ったように固まった。
交流がみたい元カノは?
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桐藤ナギサ(孤立操作
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白石ウタハ(献身依存
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調月リオ(崇拝偏愛
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鬼方カヨコ(他者排除
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仲正イチカ(自傷憎悪