元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!!   作:あばなたらたやた

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【チャプター②】決裂①

 

 百鬼夜行紛争調停委員会本部。

 夕暮れだった。窓から差し込む橙色の光が机を照らし、書類の山に長い影を落としている。

 復興支援。被害報告。予算案。人員配置。それらの資料が大量に机に積まれていた。

 

 その中心にはアヤメがいる。

 七稜アヤメ。

 紛争調停委員会委員長。

 誰よりも働き、誰よりも責任を負い、誰よりも疲れている少女。

 彼女は今も資料へ目を通していた。

 ペンを走らせ、修正する。考え、行動して、止まらない。まるで止まることを許されていないみたいだった。

 

 私は向かいの椅子へ腰掛ける。

 そのまま少しだけ、アヤメの横顔を見つめた。

 眉間にはうっすらと皺が寄っていて、目の下には疲れが滲んでいた。

 それでも彼女は手を止めない。止められないのだろう。

 

「アヤメ」

「ん?」

 

 顔を上げる。

 少しだけ疲れた笑顔だった。

 

「どうしたの、カノ」

「ちょっと相談があるんだ」

 

 その言葉にアヤメは不思議そうな顔をした。

 

「相談?」

「うん」

 

 私は頷く。そして少しだけ考える。

 ここで正論を言っても意味がない。

 アヤメは全部知っている。休めと言われなくても知っている。頼れと言われなくても知っている。

 それでもできない。だから違う話をする。

 

「アヤメは百鬼夜行、好き?」

 

 アヤメはきょとんとした。

 数秒ほど沈黙する。そして苦笑した。

 

「急にどうしたの」

「いいから」

「……好きだよ」

「委員会は?」

「好き」

「仲間は?」

「好きだよ」

「市民は?」

「もちろん好きだよ。最近はネガティブになることが多いけど、でもカノが来てくれて、少し余裕ができたからかな。初心を思い出した」

 

 私は少し笑う。予想通りだった。アヤメはそういう人だ。誰かのために生きる人。だからこそ苦しい。

 

「ナグサは?」

 

 アヤメが少しだけ固まる。

 それから小さく笑った。

 

「……好き」

 

 私は頷いた。そして静かに続ける。

 

「じゃあさ、アヤメが倒れたら、どうなると思う?」

 

 空気が変わる。アヤメの表情が止まる。窓の外から聞こえていた鳥の声がやけに大きく聞こえた。

 彼女は視線を落とす。

 考えたくない問題だったのだろう。

 考えないようにしていた問題だったのだろう。

 だから私は責めない。

 優しく続ける。

 

「私はね、アヤメが倒れるの、すごく怖いと思うよ」

 

 アヤメが顔を上げる。

 驚いたような顔だった。

 

「え……?」

「だって、アヤメがいなくなったら皆困ると思うんだ」

 

 アヤメが何か言おうとする。

 

 でも言葉が出ない。

 

「ナグサは? 参謀達は? 紛争調停委員会の全体は? 百鬼夜行は? アヤメが守りたい人達は?」

 

 私は静かに問いかける。

 責めるためじゃない。

 考えてほしいから。

 

「今の百鬼夜行はアヤメが頑張ってるから、なんとか回ってる状態だと、外から見ていて思うんだ」

 

 アヤメは黙っていた。

 否定できない。

 私も現地を見て、ナギサとも話したし、カヨコとも話した。だから分かる。

 

 アヤメが中心だ。

 良くも悪くも全部が彼女へ集まっている。書類も、判断も、責任も、期待も誰かが持つべきものまで、全部アヤメの机に積み上がっている。

 それを見ているだけで、胸の奥が苦しくなる。

 

「アヤメ、責任を分けるのって逃げてることになる?」

 

 彼女は少しだけ俯く。

 

「……思う」

 

 小さな声だった。

 

「私がやれるのに、私がやらなかったら、誰かが困るから」

 

 私は頷いた。知っている。それがアヤメだ。だから私は言う。

 

「私は、そうは思わない」

 

 アヤメがこちらを見る。

 

「責任を分けるのは、皆を信じるってことだよ」

 

 彼女の瞳が揺れる。

 

「仲間を育てること、次に繋げること、アヤメがいなくても百鬼夜行がちゃんと残るようにすること」

 

 私は少しだけ前へ身を乗り出す。

 

「アヤメは百鬼夜行を守りたいんでしょ?」

「うん」

「だったら、今のままじゃ足りない。いや、方向性を変える必要がある」

 

 彼女の肩が震えた。

 

「アヤメが倒れたら終わる組織は、アヤメが守りたいものではないと思うんだよ」

「私の守りたい、もの」

「アヤメだけを犠牲にして平和を享受する世界は、私は嫌だ。アヤメの苦労が報われるものであって欲しい」

 

 沈黙が落ちる。

 長い沈黙だった。

 私は待つ。

 急かさない。

 アヤメは今、自分の価値観と向き合っている。

 戦っている。だから待つ。しばらくしてアヤメが小さく呟いた。

 

「でも、怖いんだ」

 

 初めて聞く声だった。

 弱い声。

 委員長ではない声。

 七稜アヤメという一人の少女の声だった。

 

「任せて、失敗されたら、傷付く人がいる。皆が困る。だから……」

 

 言葉が震える。

 

「だから私がやった方がいいって、思っちゃうんだ」

 

 私は静かに頷く。

 

「うん。そっか。そう思うのは当然の流れだと思う」

 

 否定しない。

 正しい部分もあるから。だけどそれだけじゃない。

 

「でもね」

 

 私は少し笑う。

 

「私はアヤメを助けたい」

 

 彼女が顔を上げる。

 

「でもっ」

「アヤメが全部抱え込んだままだと、手伝えない」

 

 アヤメの目が見開かれる。

 

「え……」

「だって、渡してくれないじゃん」

 

 私は少し困ったように笑った。

 

「一緒に背負いたいのに、アヤメが全部持ってっちゃうから」

 

 彼女が言葉を失う。

 私は続ける。

 

「他の人たちもきっと同じだよ。皆、一緒に背負ってくれる人達だと思う。私みたいに、手を貸して欲しい、と言われれば、助けてくれる人達だと思う」

 

 アヤメの瞳が少しずつ潤んでいく。その様子を見て、私は少しだけ息を吸った。

 ここからが本題だ。

 ただ心配しているだけじゃない。

 ただ励ましたいだけでもない。

 ちゃんと伝えたいことがある。

 

「それにね、アヤメ」

 

 私は言葉を選びながら続ける。

 

「私は、周りのことだけ大事にしたいわけじゃない」

 

 アヤメが瞬きをする。

 

「周りの人達がどうか、とか。百鬼夜行がどうか、とか。そういうのももちろん大事だよ。でも、それ以上に」

 

 私はまっすぐ彼女を見る。

 

「アヤメそのものを大切にしたい」

 

 アヤメの呼吸が止まる。驚いたように、でも逃げずに、私を見つめ返してくる。

 

「だから」

 

 私は少しだけ声を柔らかくした。

 

「仕事、もっと分けてほしい。アヤメが全部抱え込むんじゃなくて。周りに任せてほしい。委員会の仕事も、判断も、調整も、一人で背負わないでほしい」

 

 アヤメの唇がわずかに震える。

 

「でも……」

「でもじゃない」

 

 私はすぐに返した。強く言いすぎないように、それでも逃がさないように。

 

「アヤメが倒れたら、周りは困る。アヤメの苦労を分散すれば、その分みんなは苦労する。それは本当だと思う。でもね、アヤメが壊れたら、もっと困る」

 

 彼女の目が揺れる。

 

「それに私は、大切な存在であるアヤメが、仕事で使い潰される姿は見たくない。私はアヤメを守りたい。アヤメが笑っていられるようにしたい」

 

 私は言葉を続ける。

 

「ちゃんと眠って、ちゃんと食べて、ちゃんと休んで、ちゃんと誰かに頼って、ちゃんと辛いことは辛いって言える。そうやって生きていてほしい」

 

 言葉にするほど、胸の奥が熱くなる。

 ただの理想じゃない。願いだ。切実な願いだった。

 

「アヤメ。周りを守るのも大事。でも、アヤメ自身を守るのはもっと大事だよ」

 

 彼女は何も言えないまま、私を見ていた。

 私はさらに続ける。

 

「アヤメが全部やる必要なんてない。失敗してもいい。誰かが補えばいい。そのために仲間がいるんでしょ。ナグサも、他の委員会のメンバーも。皆、アヤメの代わりじゃなくて、アヤメと一緒にいるためにいるんだよ」

 

 アヤメの瞳が少しずつ潤んでいく。それでも彼女はまだ、何かを飲み込もうとしていた。

 責任感が、罪悪感が、習慣が、彼女の喉元を塞いでいる。だから私は最後に、はっきりと言う。

 

「お願い」

 

 アヤメが私を見る。

 私は笑う。

 

「今まで皆を守ってきたよね」

「うん……」

「だったら」

 

 私は優しく言った。

 

「今度は皆にアヤメを守らせて。周りのことは、周りに任せていい。アヤメはアヤメ自身を大事にしていい。私は、そうしてほしい」

 

 その瞬間。

 アヤメの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。長い時間をかけて張り続けていた糸が、ようやく切れたような涙だった。

 私は彼女の隣に立ち、肩へ手を添えていた。

 アヤメは震えている。

 委員長ではない。英雄ではない。ただの少女として、ようやく弱音を吐こうとしていた。

 

「私……私、本当は――」

 

 その時だった。

 

「違う」

 

 静かな声。だけど部屋の空気を切り裂くような声だった。

 私とアヤメが振り返る。

 扉の前。

 そこにはナグサが立っていた。

 いつから聞いていたのだろう。

 表情はいつも通りだった。

 無表情。

 静か。

 落ち着いている。

 だけど目だけが違う。あまりにも必死だった。何か大切なものを奪われそうになっている人の目だった。

 

「ナグサ……」

 

 アヤメが戸惑う。

 ナグサはアヤメだけを見る。

 私ではない。

 アヤメだけ。

 世界に彼女しか存在しないみたいに。

 

「違うよ、アヤメはそんな人じゃない」

 

 アヤメが困惑する。

 

「そんな人って……」

「弱い人じゃない」

 

 即答だった。

 迷いがなかった。

 それが逆に怖かった。

 ナグサは続ける。

 

「アヤメは強い。優しい。誰よりも頑張ってる。誰よりも人を助けてる。だから皆が頼る。それが当然」

 

 私は黙って聞く。

 遮らない。

 今はまだ。

 ナグサ自身が何を言っているのか理解する必要があった。

 

「皆を守れるのはアヤメだから。アヤメしかいないから。だから皆が頼る。それの何が悪いの?」

 

 部屋が静かになる。

 アヤメは俯いている。

 ナグサは必死だった。

 心からそう思っている。だからこそ残酷だった。アヤメが苦しんでいることを知っている。

 疲れていることも知っている。

 限界が近いことも知っている。

 それでも。

 その全てを越えて、アヤメの凄さだけを語る。

 凄い。

 優しい。

 立派。

 必要。

 それは賞賛の言葉だ。けれど同時に鎖でもある。

 アヤメは凄い。だから頑張れ。

 

 アヤメは優しい。だから耐えろ。

 

 アヤメは必要だ。だから倒れるな。

 そう言っているのと同じだった。

 

「私はアヤメみたいになれない」

 

 ナグサが言う。

 

「強くないし、賢くないし、皆をまとめられない。だからアヤメが必要」

 

 私は静かに息を吐く。

 これだ。

 これがアヤメを縛っているものの一つ。

 市民。部下。仲間。そしてナグサ。

 皆がアヤメを必要としている。だけど、そこの鎖は、普通のものとは少し違う。

 

 悪意がない。本当にない。だから厄介なのだ。ナグサ達はアヤメを利用しようとしているわけじゃない。

 アヤメが好きだ。大好きだ。尊敬している。救われた。だから失いたくない。

 

 それだけだ。

 それだけなのに。

 それだけだから。

 アヤメは拒絶できない。

 

「だから」

 

 ナグサの声が少し震える。

 

「アヤメにはそのままでいてほしい」

 

 その瞬間、アヤメの顔が歪んだ。

 ほんの一瞬だった。でも私は見逃さなかった。

 

 悲しかったのだ。苦しかったのだ。傷付いたのだ。ナグサは気付いていない。本当に気付いていない。

 

 今、自分がアヤメへ呪いをかけていることに。

 

「だって」

 

 ナグサが俯く。

 拳が震えている。

 

「アヤメが変わったら」

 

 そこで言葉が止まる。

 部屋が静かになる。

 私は理解した。

 

「あぁ。そういうことか」

 

 ナグサも怖いのだ。アヤメが変わることが。アヤメが成長することが。アヤメが自分を必要としなくなることが。アヤメが遠くへ行ってしまうことが。

 

 怖い。だから無意識に変わらないでと言っている。

 私はアヤメを見る。

 アヤメもナグサを見ていた。

 優しい目だった。怒っていない。責めてもいない。ただ悲しそうだった。そして私は理解する。

 

 この問題は組織改革ではない。

 権限移譲でもない。百鬼夜行の未来でもない。

 もっと個人的な話だ。

 アヤメはナグサを見捨てられない。

 ナグサはアヤメを手放せない。

 二人とも相手を大切に思っている。

 二人とも相手を傷付けたくない。

 だから変われない。だから苦しんでいる。

 私は静かに口を開いた。

 

「ナグサ」

 

 彼女がこちらを見る。

 警戒したような目だった。まるで私がアヤメを奪う敵みたいに。

 私は否定しない。怒らない。責めない。なぜならナグサもまた助けを求めている側だからだ。

 

「一つだけ聞いてもいい?」

 

 ナグサは黙ったまま頷く。

 私はゆっくり言う。

 

「もしアヤメが倒れたら、ナグサはどうするの?」

 

 その問いに、ナグサは初めて言葉を失ったように固まった。

 

 

 

 

交流がみたい元カノは?

  • 桐藤ナギサ(孤立操作
  • 白石ウタハ(献身依存
  • 調月リオ(崇拝偏愛
  • 鬼方カヨコ(他者排除
  • 仲正イチカ(自傷憎悪
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