■元カノに未練たらたらの女✕女の話見てぇ!!   作:あばなたらたやた

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【チャプター②】不信の軍勢④

 

 甲高い破砕音が戦場へ響く。

 鏡面の鉄仮面に走った一本の亀裂。

 それは静かに広がり――。

 ぱき。ぱき、ぱき、ぱき……蜘蛛の巣のような亀裂が鏡面全体を覆い尽くす。

 ナグサは動かなかった。

 ただ、そこへ手を添える。

 

「……あ」

 

 小さく漏れた声。

 次の瞬間、仮面が粉々に砕け散った。

 無数の鏡片が宙へ舞い、灰の降る空を反射しながら降り注ぐ。

 露わになった素顔。

 白い肌。乱れた銀髪。泣き腫らした赤い瞳。その瞳は、まるで迷子の子どものようだった。

 

「……ナグサ」

 

 アヤメが思わず名を呼ぶ。

 ナグサはゆっくりと視線を向ける。

 その顔に、怒りはない。

 憎しみもない。ただ耐え切れないほどの悲しみだけがあった。

 

「……アヤメ」

 

 震える声。

 

「ごめんね、私……頑張ったんだよ」

 

 一歩。

 

 ふらりと前へ出る。

 

「ちゃんと、百花繚乱で、調停して戦って、笑って、強くなろうとして」

 

 涙が零れ落ちる。

 

「でも私じゃ駄目だった」

 

 俯く。

 

 肩が震える。

 

「私は何にもなれなかった」

 

 静寂。

 誰も言葉を発せない。

 アヤメが一歩踏み出そうとした、その瞬間だった。

 

 ──ぶくり。

 ナグサの足元から、黒い泥が泡立つ。

 ぶくり。

 ぶくり。

 飢えた獣のように。

 泥が彼女の足首へ絡み付く。

 

「っ……!」

 

 ナグサが息を呑む。

 泥は止まらない。

 膝。腰。胸。腕。首。

 全身へ這い上がる。

 まるで彼女という器を喰らうように。

 

「やめ……まだ、まだ……!」

 

 赤黒い光輪が激しく明滅する。

 電子音が耳を劈いた。

 ――ERROR。

 ――ERROR。

 ――SYSTEM OVERFLOW.

 

 幾何学模様が空間いっぱいへ展開される。

 デカグラマトンの演算式。

 その全てが狂ったように書き換えられていく。

 

 空が赤黒く染まった。

 地面が軋む。

 黒い泥が街全体へ溢れ始める。

 

「ナグサ!」

 

 アヤメが叫ぶ。

 彼女は手を伸ばした。けれど届かない。泥の津波が二人を隔てる。ナグサは泥へ飲まれながら、それでもアヤメだけを見ていた。

 

「まだ……! ここが……! ここが私の魂の場所なの……!」

 

 絶叫。

 その声に呼応するように。

 光輪が砕けた。砕けた結晶片は背中へ集まり、幾何学的な翼を形成する。

 泥はさらに膨れ上がる。

 一本。二本。三本。四本。五本。六本。八本。九本。十本。

 無数の腕が泥から生え、ナグサの身体を抱き締める。そのすべてが、彼女自身の腕へ変わっていく。

 頭上に、幾つもの赤い眼が開いた。

 空間そのものが軋み始める。

 演算。怪異。神秘。

 三つが完全に融合する。

 轟音。黒泥が爆発するように弾け飛び、その中心から巨大な影がゆっくりと浮かび上がった。

 

 黒い泥で構成された神の身体。

 背中には結晶の翼。

 幾何学模様が刻まれた多腕。

 赤黒い光を宿す無数の眼。

 そこに、もう百花繚乱の面影はほとんど残っていない。

 

 ただ一つ。

 その顔だけが、泣き続けるナグサのままだった。

 静かに宙へ浮かび上がる。

 多腕がゆっくりと広がる。

 世界そのものが悲鳴を上げるように震えた。そして彼女は、小さく呟く。

 

「終わらせる」

 

 無数の眼が私を見据える。

 

「これで……」

 

 背後の結晶翼から赤い照準線が幾重にも伸びる。

 

「これで」

 

 空間が裂けるような低い唸りが響いた。

 私とアヤメは同時に武器を構える。

 目の前にいるのは、もう百鬼夜行紛争調停委員会の御稜ナグサではない。

 世界を怨念と演算で塗り潰そうとする厄災。

 【怨神の理 ナグサ】が、静かにその多腕を掲げた。

 

 

 

 

 黒い泥が戦場を覆い尽くす。

 地面だった場所はもう存在しない。

 どこまでも広がる黒い泥の海。

 赤黒い演算式が空中を漂い、幾何学模様が空間そのものへ刻まれていく。

 

 私とアヤメは泥へ沈まないよう瓦礫の上へ飛び退いた。

 その瞬間だった。

 轟ッ!!

 泥の海が爆発する。

 巨大な黒い柱が天へ伸び、その中心からゆっくりと人影が浮かび上がる。いや、もう人ではない。

 黒い泥で構成された巨体。

 背中には砕けた光輪から生えた結晶の翼。

 左右へ幾重にも伸びる多腕。

 全身に走る赤黒い演算回路。

 その中心にいる少女だけが泣いていた。

 

「……ナグサ」

 

 私の声が震える。

 返事はない。代わりに空間全体へ機械音声が響いた。

 

『演算開始』

『原因解析』

『幸福喪失』

『元凶──元鞘カノ』

 

 無数の赤い瞳が一斉に私を向く。

 

『削除』

 

 背筋が凍った。

 

「来る!」

 

 叫ぶより早かった。

 結晶翼が展開する。

 空一面へ赤い照準線が走った。

 数え切れない。世界が赤く染まった。

 ズドドドドドドドドドドドッ!!

 光。光。光。雨のような光線が地面を穿つ。瓦礫が吹き飛び、建物が一瞬で蒸発し、泥が爆ぜる。

 私は必死に走った。

 左に右に飛ぶ。

 滑る。照準線が私の動きを先読みし、逃げ場を塞いでくる。

 

「全部読まれてる……!」

 

 デカグラマトンの演算能力。

 このままじゃ。

 

「カノ!」

 

 アヤメの声。

 振り返る。

 百蓮。

 ライフルモード。

 白い銃口が静かにこちらを向いていた。

 

「右へ!」

 

 私は反射的に飛ぶ。

 パンッ!

 白い一条の光。狙撃弾が赤い結晶翼を撃ち抜いた。数本の照準線が消える。

 

「今!」

「了解!」

 

 私は一気に距離を詰めた。

 泥を蹴る。

 滑る。

 バーストライフルを構えた。

 

「うあああああっ!」

 

 ダダダダダダダッ!!

 連続射撃。

 胸部。肩。翼。関節。

 黒い泥が弾け飛ぶ。しかし無数の腕が前へ出た。

 泥でできた掌が弾丸を受け止める。

 まるで壁だった。

 

『防御成功』

『再演算』

『反撃開始』

 

 多腕が一斉に動く。

 空気が震えた。

 

「下!」

 

 アヤメの叫び。

 私は身体を投げ出す。

 ゴォォォォォッ!!

 巨大な黒い腕が頭上を薙ぎ払った。

 遅れて、影の腕が襲い掛かる。

 

「速っ……!」

 

 私は銃床で受け流し、飛び退き、転がる。

 それでも避けきれない。

 肩へ一撃。

 鈍い衝撃。

 身体が吹き飛ぶ。

 

「がっ!」

 

 瓦礫へ叩き付けられ、息が止まる。

 痛い。

 立て。

 立たないと。

 

『終わり』

 

 目の前へ巨大な掌が落ちてくる。

 避けられない。

 その瞬間、パンッ!!と白い光。

 巨大な腕が撃ち抜かれた。

 泥が弾ける。

 

「カノ!」

 

 アヤメだった。

 百蓮を構えたまま叫ぶ。

 

「立って! まだ終わってない!」

 

 私は歯を食いしばった。

 身体中が痛い。

 それでも立つ。

 

「ありがとう!」

 

 再び走る。その姿を見たナグサが、ゆっくりとこちらを見る。ほんの少しだけ悲しそうに歪んだ。

 

「……アヤメ」

 

 その声だけは機械ではなかった。

 

「どうして、守るの?」

 

 アヤメは百蓮を構えたまま答える。

 

「ナグサ、私は今でも貴女を助けたい。」

 

 一瞬、時間が止まったようだった。

 ナグサの瞳が揺れる。

 

「……嘘」

 

 ぽつりと呟く。

 

「その顔。私だけに、向けてくれたのに」

 

 その言葉と同時に電子音が響く。

 

『感情異常』

『修正開始』

『修正開始』

『修正開始』

「違う。」

 

 ナグサが頭を押さえる。

 

「違う! 違う違う違う! 私は! 私はまだ! アヤメの隣で!」

 

 絶叫。

 その瞬間、黒い泥が暴走した。津波のように戦場全体へ広がる。

 

「しまっ――!」

 

 泥が私の足首を掴む。

 重く冷たい。そして頭の中へ声が流れ込んでくる。

 

『私じゃ駄目だった』

『どうして』

『私だけ置いていかれた』

『怖い』

『帰りたい』

『アヤメ』

 

 感情が流れ込む。

 喪失。孤独。絶望。

 私は思わず膝をついた。

 

「うっ……!」

 

 息ができない。

 これ全部、ナグサの心なの?

 私は顔を上げる。

 泥の向こうで。

 ナグサは泣いていた。

 神のような姿のまま。

 子どものように泣きながら。

 ただ一人の名前を呼び続けていた。

 

「アヤメ……アヤメ……お願い。帰ってきて……アヤメ……」

 

 泣き声が戦場に響く。

 黒い泥の巨神となったナグサは、多腕をだらりと垂らしたまま、子どものように嗚咽を漏らしていた。

 その姿を見て、私は銃を構えたまま動けなかった。

 

 倒さなければならない。でも倒したいわけじゃない。

 

「カノ」

 

 隣から、静かな声がした。

 アヤメだった。

 百蓮を両手で抱くように持ち、まっすぐナグサを見つめている。

 その瞳には、戦意ではなく、涙が浮かんでいた。

 

「……助ける。手伝ってくれる?」

 

 私は頷いた。

 

「うん、必ず。」

 

 その瞬間だった。ナグサの頭上の光輪が赤黒く輝く。

 空間いっぱいに演算式が展開される。

 

『排除対象確認。元鞘カノ。七稜アヤメ。両対象を削除』

 

 無数の結晶翼が開く。

 赤い照準線が街全体を覆った。

 

「来る!」

 

 私はアヤメを押し倒す。

 次の瞬間。

 空が落ちた。

 

 轟ッ!!

 

 数え切れない光の奔流。

 街が抉られる。

 瓦礫が蒸発し、黒い泥が波のように吹き上がる。

 私は転がりながらライフルを連射した。

 

 ダダダダダッ!

 

 弾丸は光線を防げない。

 牽制するだけ。

 それでも十分だった。

 ナグサの視線が私へ向く。

 

「こっちだ!」

 

 私は泥の海を駆ける。

 案の定、多腕が一斉に襲い掛かってきた。

 どれも建物ほどの太さだ。私は跳び、潜り、滑り込みながら回避を続ける。

 紙一重。

 掠めるだけで瓦礫が粉砕される。

 

「まだ! まだ来い!」

 

 その間に、アヤメは静かに目を閉じていた。

 百蓮を胸の前で抱き締める。

 

「お願い。応えて。友達を、助けたい。だから……!」

 

 風が止む。燃え盛っていた炎が、不思議と静かになっていく。

 黒い泥だけがざわめいた。

 百蓮が白く輝く。

 今までとは違う。

 優しく温かい光。

 まるで春の日差しのような光だった。

 ナグサが反応する。

 

「……アヤメ?」

 

 多腕が止まる。

 演算式が乱れ始める。

 

『未知の神秘反応。解析不能。演算不能。』

 

 私は振り返った。

 百蓮の周囲へ、白い花びらが舞っている。

 夜桜だった。黒い泥へ触れた瞬間、それは音もなく浄化されていく。

 

「これは……」

 

 アヤメがゆっくり目を開く。

 その瞳に迷いはなかった。

 

「百蓮が……応えてくれた」

 

 彼女は静かに一歩踏み出す。

 泥は近付けない。

 光へ触れた瞬間、雪のように溶けていく。

 ナグサが首を振った。

 

「違う……来ないで。アヤメ。そんな光。私には……」

 

 多腕が暴走する。空間を裂きながら、すべての腕がアヤメへ殺到した。

 

「アヤメ!」

 

 私は叫ぶ。しかし。彼女は逃げなかった。

 百蓮を静かに構える。

 

「ナグサ。もう一人で泣かなくていい」

 

 引き金へ指を添える。

 白い光が銃身を満たす。

 私は理解した。

 これは敵を撃つ銃じゃない。

 闇を祓うための一撃だ。

 

「帰ろう」

 

 その一言と共に。

 パンッ――。

 乾いた銃声が響いた。

 一本の白い光が真っ直ぐナグサを貫く。

 轟音はない。爆発もない、ただ静かな光だけが世界を満たした。

 黒い泥が崩れていく。

 演算式が一つずつ消えていく。

 結晶の翼が砕ける。

 多腕が砂のように崩れ落ちた。

 赤黒い光輪が割れ、光の粒となって空へ舞う。

 巨神がゆっくり膝をついた。

 

「……あ」

 

 ナグサの声だった。

 黒い泥が胸元から剥がれていく。

 銀髪が現れる。

 羽織が見える。

 泣き腫らした少女の顔が戻ってくる。

 

「ア……ヤメ」

 

 アヤメは駆け出した。私はその背中を見送りながら、周囲を警戒する。

 もう邪魔はさせない。

 アヤメは泥の中へ飛び込み、崩れ落ちるナグサを抱き締めた。

 

「おかえり」

 

 その一言だった。

 ナグサの身体が震える。

 

「……ごめん」

 

 ぽろりと涙が落ちる。

 

「ごめんなさい。私。怖かった。置いていかれるのが、怖かった」

 

 アヤメは何も責めなかった。ただ、優しく頭を撫で続ける。

 

「うん。知ってる。ずっと気付けなくて、ごめん」

 

 ナグサは子どものように泣きじゃくった。

 声を押し殺すこともなく。

 ただ泣いた。

 その涙が地面へ落ちるたび、黒い泥は静かに消えていく。

 やがて、空を覆っていた黒雲が割れた。

 一筋の陽光が、瓦礫の街へ差し込む。

 通信が繋がる。

 

『カノさん。ナギサです。私達が派遣した戦闘部隊が敵勢力を殲滅しました。敵の狙いはナグサさんを敵に仕立て上げることだったようで、こちらの戦力は少なかったです。お疲れ様です』

 

 私は深く息を吐き、ライフルを下ろした。

 終わった。戦いは終わったんだ。

 百蓮の白い光はなおも静かに輝き、黒い泥を祓い続けていた。その光は、災厄を打ち倒すためではなく、一人の少女を絶望から連れ戻すために生まれた、希望そのものの光だった。

 

 

交流がみたい元カノは?

  • 桐藤ナギサ(孤立操作
  • 白石ウタハ(献身依存
  • 調月リオ(崇拝偏愛
  • 鬼方カヨコ(他者排除
  • 仲正イチカ(自傷憎悪
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